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俳優・歌手 杉良太郎さん

今年で芸能活動46年目を迎えた杉良太郎さん。
テレビや舞台で活躍を続ける一方、15歳の時に初めて刑務所を慰問して以来、国内外で様々なボランティア活動に取り組んでいます。
1995年1月17日、杉さんは、仕事のために宿泊していた大阪のホテルで阪神・淡路大震災に遭遇し、「早く、何か自分に出来ることをしなければいけない」と行動を起しました。

災害に備えて、家族と常に話し合っています

杉良太郎さん
写真提供:株式会社 杉友

震災後、テレビ番組の収録等、入っていた仕事を終えると、杉さんは直ぐに動き出した。
「劇団のメンバーや友人、知人に頼み、近隣の大阪、奈良、和歌山等から、様々な救援物資を買い集めました。電池や紙おむつなどの生活物資。また、寿司職人さんに頼んで、1000人分の巻き寿司をつくってもらいました」 道路は破壊され、神戸への陸路が寸断されていた。杉さんは救援物資を運ぶためにヘリコプター2機をチャーターして現地に入り、そこから小型トラックで何度もピストン輸送して、被災した人々に物資や巻き寿司を配って回った。この震災では、神戸市内にあった杉さんの生家も全壊した。
「故郷が消えてしまった。そんな気持ちでした」
阪神・淡路大震災から15年を経て、神戸でも震災の記憶が薄れていくことを懸念する声が聞かれている。
「つらいことを忘れられるから、明日がある。その時のことを語りたくない人、聞かれたくない人もいるでしょう。しかし、震災を体験していない子供たちに、何があったのかを話して聞かせる機会は失ってはいけないと思います」
その後、2004年の新潟県中越地震の際も、杉さんは、大量の生活必需品や、冷凍した1000人分の手作りカレーを持って現地入りし、老人ホームを慰問したり、仲間と共に雪下ろしのボランティアにも参加した。
「神戸の震災でボランティアというものが相当認知されたわけです。しかし、その際『いくらやってもお礼を言ってくれない』という人たちがいた。『もうボランティアなんてやらない』と非常に気まずい思いを抱えて帰った人も多い。ボランティアとして根付いたのは3分の1ぐらいの人でしょうか。しかし、ボランティアは見返りを求めたらダメなんです。被災者は、相当のダメージを受けている。ボランティアに対して気配りができれば被災者とは言わないですよね。〝いつの間にか来て、いつの間にいなくなっていた〟そんな風にできたら、一番いいと思うんです。なかなか難しいですけどね」
自らの経験から、杉さんは災害時のボランティア活動についてこのように話す。
生まれ故郷の神戸も、新潟も、他の土地、国でも、「他人事」ではないのだという。
「実は、神戸以外にも1994年のロサンゼルス地震等、僕はこれまでに大きな地震に3度遭遇しています。天災は、いつ、どこで起きるかわからない。しかし、遠い場所の話でもないし、他人事でもない。明日は我が身であると思っています。人間は、絶対に一人では生きていけない。多くの人たちが助け合わなければ何一つ解決できないということですよね」
災害時にも大切な、人と人のつながりや、防災意識向上に重要な役割を担う地域の消防団が最近減っているようだと、杉さんは懸念している。
「防災について一言、〝これは大事だ〟と思うのは、地域の消防団です」 「最近では、『火の用心、カチ、カチ』なんていう見回りの声も聞かれなくなってしまいましたよね。昔は、何かあると消防団の人が、いち早く駆けつけてくれてね…。消防団は地域の安心です。これは増えてほしい。子供たちも、是非、消防団に参加してくれればと思っています」

杉良太郎さん

Profile すぎ・りょうたろう

●俳優、歌手。1944年兵庫県神戸市生まれ。1965年歌手デビュー。1967年NHK「文五捕物絵図」の主役に抜擢され、以来、1,400本以上のテレビ番組に主演。2009年紫綬褒章受章。また、民間人としては初めて法務省の特別矯正監を拝命。外務省から日本ベトナム特別大使、ベトナム政府からはベトナム日本特別大使を委嘱。現在、子どもたちが制作した短編映像を上映する「アジア国際子ども映画祭」の名誉会長も務める。子供たちの本当の心を知りたいと、自ら提唱した同映画祭は、今年で4年目を迎えた。2010年は、アジア地域11カ国から子供たちの作品が参加し、12月に鹿児島県指宿市で本選が開催される予定。

杉良太郎さん

阪神・淡路大震災直後の神戸にかけつけた杉良太郎さん
(1995年1月22日)

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内閣府政策統括官(防災担当)

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