特集 事業の継続

 災害は、一瞬にして建物などを破壊し、人々に大きな被害をもたらす。自然災害から自分の命や生活を守り、被災後、速やかに自分の生活や従来の社会を取り戻すためにはどんな準備が必要となるか。
 現在、事業継続の取組が企業で始まっている。災害が起こったときに事業を継続するには、どのようなことに留意する必要があるか。
 今回はこれを慶應義塾大学の大林厚臣教授とともに探る。

事業を続けるということ
 平成7年の阪神・淡路大震災は未曾有の被害をもたらした。膨大な数の市民が命を失い、負傷し、家などの財産を失った。また企業も、神戸製鋼、川崎製鉄、ダンロップなどの工場が破壊されるとともに、他の多くの企業もさまざまな形で大きな影響を受けた。そしてたくさんの人々が仕事を失った。
 企業が業務を停止することは、企業自体にとってももちろん、その企業で働く労働者にとってまさに死活問題である。のみならず、その企業と取引がある企業や関係者にとっても非常に大きな影響が及ぼされる。事業の継続は、単に一企業の問題ではなく、その地域・取引先を含めた社会全体に関わる問題である。
 阪神・淡路大震災で多くの企業が事業の廃止に追い込まれる状況の中、見事復興を果たした業種がある。「ケミカルシューズ産業」(後述)である。 ケミカルシューズとは合成皮革の靴のことで、神戸市長田地区を中心として小さな町工場の分業で成り立ってきたこの産業は、地震で町工場の8割以上が被害を受けたが、メーカー同士の強い協力関係により、いち早く事業を再開したのだ。

被災企業の明暗
 被災した企業がその後どのような復旧・復興をとげるか、まさに企業の存立自体に関わる問題であるが、阪神・淡路大震災以降の災害でも、明暗が分かれた結果となっている。
 阪神・淡路大震災の9年後、新潟県中越地震では、電子部品会社が数百億円の地震の損害で業務を停止、数千人が仕事を失った。
 一方、被災したある日本酒の醸造元は多くのユーザーから支援・支持を受けて復興した。また、その3年後に発生した同じ新潟の中越沖地震では、地震の規模は同程度であったにもかかわらず、従来の教訓が各企業で生かされ、被害は比較的小さなものにとどまったとされている。特に自動車のピストンリング最大手の㈱リケン(後述)は、工場が大きく損壊したため、取引関係のある各自動車メーカーへの供給が一時ストップしたが、各メーカーがリケンに人員を送って復旧活動を行ったことにより、早期の復興が可能となった。

阪神・淡路大震災の被害

写真提供:阪神大震災を記録しつづける会、撮影:柴田通仁

写真提供:阪神大震災を記録しつづける会、撮影:Frank Carter

写真提供:メック・ラボ、撮影:矢内秀和

写真提供:阪神大震災を記録しつづける会、 撮影:森野友実子

阪神・淡路大震災による社屋の被災状況

出典:「阪神大震災に関する被害及び今後の神戸経済に関する調査結果」神戸商工会議所、平成11 年8 月

阪神・淡路大震災の被災地区産業の損害

出典:「産業復興計画」産業復興会議、平成7 年6 月

阪神・淡路大震災前後の兵庫県の廃業率

出典:佐竹隆幸「中小企業・地場産業の活性化」復興10 年総括検証・提言データベース、兵庫県

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