特集 いまこそ災害に強いまちづくりを

災害に強いまちとは
 災害に強いまちとは、住宅の耐震化や不燃化が進み、まちの基盤である街路を救急車や消防車がいつでも活動できるように整備し、地域の人々が活動するための公園・広場が確保され、緑化され、貯水槽など防災設備が整備されているようなまちですが、しかしそれだけでは万全ではありません。
 阪神・淡路大震災でも、最も多くの被災者を壊れた住宅から救出したのは地域の人々です。被災後の生活でも支えあい、助け合ったのは地域の人々でした。
 災害に強いまちとは、街の施設や環境が安全で快適に整備されていることと同時に、地域の人々が助け合える(共助できる)ような関係が構築されていることが不可欠です。
 例えば、平成7年の阪神・淡路大震災においては、平成5年からまちづくり協議会が活動していた、神戸市長田区の野田北部区域では、行政とともに大国公園やコミュニティ道路の整備を進めていました。震災で発生した大火災はこの大国公園とコミュニティ道路で食い止められたのです。さらに、震災後の復興にも野田北部まちづくり協議会を中心に神戸市と連携して復興に取組むことができたので、神戸でも最も早く復興まちづくりが実現できたのです。
 同じ神戸市の真野地区は、昭和50年代からまちづくり活動を展開してきた有名な街でした。人々と地域の企業との日頃の交流のおかげで、震災時も住民と企業のバケツリレーなどの消火活動で火災を消し止めました。街の復興も震災前に進めていた街づくり活動をもとに、地域で力を合わせて取組んできました。また、まちづくりの交流のおかげで全国からの応援もありました。その震災から復興までの地域活動の経験やノウハウを全国各地へ伝えています。
 これらの取組は、街路や広場の整備といったハードな取組と、住民の活動によるソフトなまちづくりを総合的に展開している復興(そして防災)まちづくり活動のモデルとして、各地で参考にされています。

東京における防災まちづくり
 東京では、「地震に関する地域危険度」の公表を発端として、1980年代から、大都市の下町などに多く立地する木造住宅密集地域での防災を目的とした都市整備事業(地域型防災まちづくり)が始まりました。
 そのモデル地区の1つとして、東京都墨田区の向島地域では、「一寺言問を災害に強い町にする会」というまちづくり組織ができ、行政と連携して、公園整備や防災広場「路地尊」の設置を進めて路地の行止まりをなくしたり、建替えの際に建物を後退させて細街路を拡幅していく道路整備などを行ってきました。
 「路地尊」とは、防災広場とそこに設置された防火用具庫・貯水槽などで、隣接する家の雨どいから雨水を地下に貯蔵し、井戸のように手動ポンプで汲み上げて、日常用水や災害用水に使用できるように工夫されています。「路地尊」という名前は「向こう三軒両隣」の路地の人間関係を尊び、それをいざというときに生かすという考えからつけられた名称です。隣接する京島地区にも、防火用水槽のある小公園を「一休」と命名して整備しています。その1つ「さくら一休」は桜が1本植えられており、街中の安らぎの小空間となっています。それらの周辺の建物では耐震化や不燃化を進めています。
 東京都世田谷区の太子堂では、昭和57年、住民主体のまちづくり協議会が発足し、行き止まりの路地が多い街で二方向避難を確保するために防災小広場が作られました。これは住民により「トンボ広場」「アメンボ広場」などと名づけられて管理されています。また、そのほかにも、防火用水ともなるせせらぎのある緑道の整備、マンションの「建て方ルール」づくり、太子堂きつねまつりなどのイベントも行われました。家の不燃化も世田谷区の支援制度などを活用して着々と進んでいます。
 こうして整備された広場や拡幅された道路は、盆踊りや町祭の会場にも利用され、地域を1つにする場づくりにもなっています。

向島地区の路地尊

路地尊のあるまちづくり施設とその公園で遊ぶ子どもたち

ソフト対策とハード対策
 国や自治体の行うハードの整備と、住民主体の地域コミュニティのソフトの活動が一体となって初めて災害に強いまちが形成されるといえます。心意気(ソフト面)だけで火を消せといわれても無理で、それには可搬放水ポンプや水槽などの設備整備(ハード面)が必要です。
 地域社会と行政とがいかに信頼関係を持ち、連携してまちづくりをすすめていくかが非常に重要です。それは、単にお金を出すだけでは機能しないことを意味しています。行政と地域が一緒に連携して「協働する」ことが防災まちづくりを実践し、継続するためには必要です。
 広場を専門家が形よく作るのではなく、遊具はいらないとか、みんなが知恵を出し合って決める。そうやって地域にシンボル的な空間、人が出会って交歓する空間ができれば、愛着がわき、次の世代にも残されていきます。地域の広場やコミュニティ道路の管理を住民が行い、息子、孫と草を取り花壇に花を植えに行く。また、自分たちで名前をつけてその名前で呼ぶ。そういった参画がまちづくりなのです。
 また、ハード面での整備の役割を背負うのは、行政だけとは限りません。例えば、高齢者の住む住宅の耐震補強や家具の固定を地域ぐるみで実施するなど、地域社会が取組むことのできる活動も多くあります。岐阜県恵那市では、家具転倒防止委員会を作り、ボランティア900名がお年寄り142名の寝室の家具を固定している。そんな防災まちづくりもあります。

災害に強いまちを目指すために
 地域の被害を軽減する、災害に強いまちづくりには、地域内部でのネットワークの強化も重要です。地域には自治会、学校組織、職能団体組織、企業などさまざまな組織があり、これらの多種多様な主体が一丸となり、災害に強いまちづくりを構想し、役割分担して取組むことが必要です。
 また、地域を越えたネットワークも必要です。情報や知恵、ノウハウを教え合い、共有し、被災経験を活かし、新しいアイデア・工夫など、防災に関する優れた取組を各地で広め、刺激しあうことも重要です。
 わたしたちは「防災」とか「まちづくり」というと難しく固苦しいもので、うっとうしい面倒くさいものであると考えがちです。
 しかし、私たちの日々の生活、自分たちの安全を守ることが防災であることを意識して1人ひとりがまちづくりに取組む意識(自助)をもち、隣近所で力を合わせて楽しく取組んでいく(共助)ことが、これから災害に強いまちを目指すために必要なことだと思います。誰かが提案したアイデアを必ずやってみるところから、楽しみながらの防災まちづくりが始められるのです。

毛布による搬送ゲーム(写真提供:NPO法人はままつ子育てボランティアぴっぴ)

4 防災コミュニティ合同の防災訓練(写真提供:夢野地区4 防災福祉コミュニティ)

首都大学東京大学院都市環境科学研究科教授
中林一樹
なかばやし・いつき●1947年生れ。70年福井大学工学部建築学科卒業、75 年東京都立大学工学研究科博士課程退学、75年同理学部地理学科助手、同理学部助教授を経て93年都立大学都市研究センター教授、都市科学研究科長を経て、2004 年より首都大学東京都市環境科学研究科教授。工学博士。人と防災未来センター上級研究員。76年の酒田大火を契機に都市防災・復興研究。平成21年度防災功労者(防災担当大臣表彰)受賞

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内閣府政策統括官(防災担当)

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