過去の災害に学ぶ27

1923年9月1日関東大震災 その4

 10万人余りの命と、30万の家を奪った関東大震災。
 本誌では火災と災害対応について述べてきましたが、その世界最大規模の復興事業を取り上げます。
 前回の都市復興に続いて、今回は住宅・産業復興について報告します。

文:室﨑益輝(関西学院大学総合政策学部教授)

住宅や社会施設が速やかに整備され、産業復興、経済回復も予想以上に早かった

住宅復興と社会事業

 復興は複合的で包括的なものだけに、都市の復興だけでなく、住宅の復興や経済の復興にも目を向ける必要がある。ここではまず、住宅の復興をみることにしよう。
 関東大震災では、約37万棟の住宅が火災や倒壊によって失われた。この住宅を失った被災者をみると、疎開により他地域に移り住むものも少なくなかったが、大半は被災地内で住宅再建を試みている。この被災地での応急的な住宅支援として、公設のバラック住宅の建設、自力再建者への住宅再建資金の融資、応急修理のための資材の提供などの措置が取られたが、それだけでは不十分で、結果的に民間自力バラックが大量に建設された。
 このバラック住宅の解消と恒久住宅の確保のために、政府と自治体は震災義捐金を用いて公的な小住宅の建設を図っている。この小住宅は、後述する同潤会が建設した簡易住宅を含めて、約5000戸建設されている。この小住宅の建設は、被災者へ住宅を供給したという点では評価できるが、建設戸数が少なかったことも含めて、バラックよりはやや良質の仮の避難場所を提供する以上のものではなかったといえる。
 震災の翌年に財団法人の同潤会が設立されている。同潤会は、簡易住宅を約2000戸、郊外住宅を約3700戸、鉄筋アパートメントを約2500戸とその他で、合計1万2000戸建設して、震災後の住宅の近代化をリードすることとなった。この同潤会の簡易住宅団地には、授産施設や託児施設が併設され、被災者の生活支援が図られている。
 社会施設の整備は、震災後の復旧や復興の重要な柱となっている。震災前から、社会的不安やスラム問題などの解消のために、社会的事業の強化が図られていたが、震災後はより一層積極的に推進されている。震災後、仮設住宅団地や不良住宅地区に、隣保館、簡易浴場、託児所、職業紹介所、簡易食堂、授産場、公設市場などが多数建設されている。公的な小住宅団地でも同潤会と同様に、社会施設が一体的に建設されている。こうした生活面での細やかなサポートが、市民レベルにおける速やかな復興を促したといえる。

産業復興と財政問題

 復興のあり方は、財政問題あるいは経済振興と密接に結びついている。ところで、関東大震災では、当時のGNP推定値の35%に当たる52億円強の経済被害を被っている。それに加えて、多額の復興資金の投資も必要とされた。第一次世界大戦後の不況の中では、取り返しのつかないほどの経済的ダメージを受けた、ということができる。にもかかわらず、産業の復興や経済の回復は、4年後に生産額が震災前に回復していることに示されるように、予想以上に早く達成されている。
 その早期の回復は、被災者の救済や雇用の回復、金融秩序の維持につながった。ところで、回復が早かった理由としては、政府が都市復興よりも経済復興や社会政策を重視する道を選んだこと、国庫に蓄積されていた剰余金をフルに活用したこと、可能なかぎりの資金援助と金融面での優遇措置を講じたこと、当時の生産システムが単純で修復が簡単にできたこと、震災を契機とした産業構造や工業立地の転換がスムースに行われたこと、産業のリスク分散による非被災地からバックアップが容易であったことなどが考えられる。
 なお、可能なかぎりの資金援助の例としては、第一に「支払い猶予令」によるモラトリアムの施行、第二に不動産を担保としての金融援助、第三に「小商工復旧復興資金」、「大工業救済資金」といった資金提供などをあげることができる。
 ところが、減免の措置などによる震災による税収の落ち込みが著しいなかで、復興財源づくりに苦慮することになる。その対応として、国も自治体も公債の発行を余儀なくされることとなった。また、モラトリアムの解除に関わって被災者である商工業者の救済を図る必要が生じ、その対策として震災手形の日本銀行による再割引が実施された。この公債発行と震災手形の割引は、その後の日本経済を苦しめることになった。

日本橋から京橋を望む(出典:日本一鳩印「大東京新名所絵葉書」)
警視庁新庁舎(桜田門)(出典: 絵葉書、刊記不詳、田中所蔵)
郊外道路網計画(出典:東京市監査局都市計画課「東京都市計画概要」昭和12年3月)
幹線街路予定地に建てられた臨時収容家屋(出典:復興事業局(昭和6年)「帝都復興事業誌土地区画整理篇」挿絵「移転工事中臨時居住せしめたる移動バラックの一群(其の一))
同潤会青山アパート(出典:復興調査協会編「帝都復興史附横浜復興記念史」興文堂書院、昭和5年)

関東大震災PROFILE
プレート境界地震
マグニチュード:7.9(11時58分)/死者行方不明者:105,385人/焼失家屋:212,353戸/非焼失全潰家屋:79,733戸/流出・埋没家屋1,301戸

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