記者の眼

危険に対するリアリティ

「喉元過ぎれば熱さ忘れる、まさにこのことですよね」
 もう7年前のことになるが、三陸に住むある男性の言葉を片時も忘れたことはない。この男性と私が立っていた場所は海を見下ろす高台。初任地で岩手県に赴任した私は、明治29年と昭和8年の三陸地震津波、それにチリ地震津波で大きな被害を受けた三陸沿岸の街を訪ね、津波の体験者から当時の様子を聞き取る取材を重ねていた。この高台には、昭和8年の津波で生き残った人たちが、二度と津波の被害を受けないようにと集団で移転していた。しかし、時がたつと、海から離れて暮らす不便さから、住民たちは元の海岸近くへ戻っていったという。高台には家の土台だけが残り、見渡すと海辺にはたくさんの家が建ち並んでいた。時とともに風化し、薄れていく危機感。この後、多くの取材現場で感じることになった。
 次の赴任地、宮城県では、昭和53年の宮城県沖地震で幼い子どもの命を奪ったブロック塀が、補強されないまま各地に残されていた。専門家の協力を得て、番組で繰り返し対策を呼びかけた。対策をとらなければ、ブロック塀も、住宅も、家具も、大地震の際に危険な凶器になることを人びとは知っているはずなのだが……。
 過去の災害の教訓が生かされず、再び現実の災害として繰り返されたこともあった。昭和53年の宮城県沖地震以降、数々の地震で起きた「非構造部材」の被害。体育館などの天井部材や照明器具が地震で落下するもので、建物の躯体だけでなく非構造部材の補強が必要であることを番組で訴えた。しかし番組から1年後。仙台市に完成したばかりの屋内プールで、天井部材が地震で崩落し、多数のけが人が出た。現場を見た瞬間、悔しくてたまらなかった。
 被害を繰り返さないためにはどうすればいいのか。正直言って時々無力感に襲われる。だが、取材を続ける中で、参考になる取り組みに出会うこともある。たとえば、チリ地震津波の被害を経験した宮城県沿岸北部の町。津波が起きた際、土地勘のない観光客でも、どこへ逃げればいいか一目でわかるよう、避難標識のデザインを見直そうという検討会が立ち上がった。議論に参加した住民の皆さんは真剣そのもので、たくさんの案が次々に出されていた。完成した標識を使って行った訓練では、標識を設置する向きによって、歩いているうちに見落とされてしまうこともわかった。実地で培われる災害への想像力。津波が襲った場合の危機感を住民と行政が共有することができた結果だと思う。
 将来、自分の周りで災害が起きたらどうなるか、いま、その危険性を住民一人ひとりがリアルに想像することが求められている。たとえば内閣府をはじめとする防災機関は、ネットを使って自宅周辺の災害の危険性を知ることができるハザードマップを作成したり、津波や火山噴火をわかりやすく解説するCGを開発したりしている。こうしたソフトがよりきめ細かくなり、誰でも使えるようになれば、住民の災害へのリアリティが膨らむことは間違いない。
「災害をいかに身近に感じることができるか」
 今後各地でどのような取り組みが広がり、定着していくのか、今後も注視し、伝え続けていきたいと思う。
中丸 憲一さん
NHK報道局社会部
中丸 憲一
なかまる けんいち
1998年NHK入局。盛岡放送局、仙台放送局を経て2006年から社会部で災害や土木の取材を担当。

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