記者の眼

おおかみ少年になろう

「○LDK○千万円、築○年で駅至近」。町中を歩いていて、不動産屋の前で足を止めると、このようなチラシが窓一面に張り出されているのをよく見かける。分譲や賃貸の集合住宅、一戸建て住宅などの広告。ところ狭しと書き込まれている情報は、間取りや価格は当然必要として、後は最寄り駅までの所要時間、スーパーマーケットやコンビニエンスストアまでの距離など利便性を訴えるものばかり。耐震強度偽装事件があれほど騒がれたにもかかわらず耐震性について触れている広告はほとんどなく、災害時の避難所がどこにあるかなどの防災に関する記載は全くと言っていいほどない。こんなことに違和感を感じるようになったのはつい最近のことで、防災について取材するようになってからだ。
 記者になって11年あまり。5度の転勤を経験し、その度に不動産屋を回って住宅探しをした。どんなところに住んでいたか、改めて振り返ってみると、いずれも繁華街の近く。災害に対する意識は皆無で、2007 年5月に東京に赴任した際に重視したのも、勤務先までの交通利便性だった。しかしある日、軽いショックを受ける。当時詰めていた国土交通省の記者クラブに張ってあった一枚の地図。首都圏を青のグラデーションで色分けしたその地図は、海抜からの高さを示しており、自宅周辺は一番濃い青色に染まっていた。つまり海抜ゼロメートル地帯。災害の怖さを訴える立場の防災担当記者でありながら、比較的災害リスクの高い地域を無頓着に選んでいたことを知り、若干の気恥ずかしさを覚えた。
 しかも、これまでの記者生活で、災害と無縁だった訳では決してない。北海道にいた00年に、取材には直接かかわらなかったが有珠山が噴火。その後勤務した鹿児島では常に噴火を繰り返す桜島と文字通り向き合い、福岡支社に異動になった03年には、19人の死者を出した熊本県水俣市での土石流災害の現場に行き、集落を丸ごとのみ込んだ土石流のすさまじさを目の当たりにした。そして、05年の福岡県西方沖地震。震度6弱が福岡市中心部を襲った3月20日の午前11時前、休日だったこの日、自宅の布団の中で揺れに気付き、激しく前後に傾く本棚を倒れないように必死で押さえたのを覚えている。職場に向かう途中で目にしたのは、不自然に波打つ道路や、割れて路上に降り注いだビルの窓ガラスの破片。地震の少ない福岡での発生で、「災害はいつどこで起きても不思議ではない」とのフレーズを実感していたはずだった。
 「どこかで大きな地震があった年は申し込み件数がぐんと増えるんですが、しばらくするとガクンと落ちるんです」。国交省の担当となり住宅の耐震改修の進ちょく具合を聞いた自治体の担当者が耐震診断の実施状況について漏らした言葉だ。「いつかやろうと思ってても、時間がたつと忘れてしまうんでしょうね」。自分のことを言われているようで耳が痛かった。
 05年のあの日、倒れていれば頭部を直撃する位置にあった本棚が倒れなかったのはたまたまでしかない。いつどこで誰が被害に遭ってもおかしくないのが災害で、100パーセント防ぐ手だては誰も持たない。「常に『危険だ』『危険だ』と叫ぶおおかみ少年と言われてもいいんです」と内閣府防災担当のある職員は言う。被害を減らすために最も重要なのは危険が身近にあると認識してもらうことだ。おおかみ少年になろう。

福井 諭さん

共同通信社内政部
福井 諭
ふくい ろん
1996年、共同通信社入社。札幌支社編集部、福岡支社編集部などを経て、2007年から内政部。

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内閣府政策統括官(防災担当)

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