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4.過去の地震から学び、または繰り返し学べること。 想定地震のコンピューター上の被害類推は、ただ将来の地震の被害予測手段の一つに過ぎない。それ以上のことが、過去の地震を研究することから得られる。 前に述べたように、サンフランシスコ湾地域では、過去の短期間に数回の大地震にみまわれている。 1906年の地震と、1866年のヘイワード(Hayward)と1989年のロマプリエタ地震は、その際に学べた多くのことから殊に重要視されている。
1868年には、この地域の人口は、サンフランシスコ市に集中していた。地域人口25万人の内、市の人口15万人、オークランド市1万人、サンホセ市9千人、ヘイワード市500人であった。地震による被害は、サンフランシスコ市で非常に大きく、サンホセ市では小さかったが、それは場所の規模の違いによるものである。地震発生の際に、地震の被害は造成された土地、すなわち、サンフランシスコ湾の埋立て地や潮の入り江地区で大きいことが広く知られることとなった。また、ある種の建築が他の形態より耐震性に優れていることが分かった。サンホゼマーキュリーニュース誌は、1868年10月29日付けに、将来に備えて間に合ううちに充分な資金を貯めて、建築を手直し、その様式を変更する必要性を論じた。 地震に関する科学的調査が開始された。しかしこれは後に、不動産業と産業界からの圧力で中止に追い込まれた。38年後の1906年に地震が発生した時には、これらの1868年の地震で得られた明白な教訓は全く有用な効果あるものとして生かされなかったのである。
1906年の地震の時には、すでにこの地域の人口は70万人以上に達し、その半数が、サンフランシスコ市民であった。1906年の地震については、既に多くの資料が出ているのでここでは繰り返さないが、一つだけここに紹介する。 それはA.C.ローソン(A.C.Lawson)編集による不滅の科学的レポートで、震動による被害と造成された土地での被害の相関関係をしめした詳細な地図である。この地図は、それ自体もし充分に利用されてきたならば、20世紀における土地利用計画の貴重な基本となっていたであろう。
地震による、より成功したまた長く続いている結果は、アメリカでの地震の原因と影響についての長期的研究が始まったことである。地震の10年後にH.O.ウッド(H.O.Wood)は、研究発表「西アメリカでの地震問題」(Earthquake Problems in the Western U.S.)の中で、人的経済的に最も重要な解決を必要とする基本的研究課題として、次のことを揚げている。
- どの地域の、何処で,いつ巨大な地震が発生するか。 - どの様な条件下で、どのように、地震のエネルギーは災害をもたらすか。 - 地震に対してその危険を減らし、破壊的ショックと災害を軽減するのにどの様な実際的対策が考案され、また強制実施(ウッド氏の言葉)できるだろうか。
イタリックの語は彼自身のもの。彼(Woo)は、さらに問いかけている。これらの問題は、解決できるだろうか、実際的なコストないで。1989年のロマプリエタ地震は、過去73年間に我々が科学者、技術者、そして社会としていかに巧みに対処してきたかを判定する機会を与えた。
1989年までに、サンフランシスコ湾地域の人口は、600万に増えた。そしてその人口が多い地域は、斜面の安定度、液状化の可能性、地盤移動の拡大などにほとんど無関心な土地一帯に広がっている。この様な地質上の問題点は、USGSの報告の重要な指摘にもかかわらず、世間一般にはあまり広く理解されていない。
それが変わったのは、1989年10月17日のM6.9のロマプリエタ地震の10から20秒によってである。震源地は、サンホセ市の南の山岳地、湾地帯のはるか南である。死者は63人で、資産の損失額は、60億から100億ドルと推定されている。
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