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被災地活動を支える広域的な支援活動のあり方(ボランティアバスを含む)

司会 上原 泰男 氏(東京災害ボランティアネットワーク事務局長)

(以下、司会者は「司会」、敬称略)

司会

 おはようございます。今日このC分科会を私が司会進行を担当なりました。どうぞよろしくお願いいたします。私は「東京災害ボランティアネットワーク」という災害系のボランティア団体の事務局を担当しております。

 先ほど防災担当大臣からもあいさつがありましたが、何といっても災害が多発する年で、皆さんにとっても本当にいろいろな所で、いろいろなご経験をなされているかと思います。この「防災とボランティアのつどい」は、通年ですともう1か月ぐらいあとの開催ですが、ご承知のように明年が阪神・淡路大震災の10年を記念するということで、中央政府も、それからまた市民のレベルにおいてもさまざまな取り組みがなされており、多分それを意識して前倒しにしたということだと思います。

 しかし、10月23日には新潟県中越地方で大きな地震が起こりまして、恐らく今日お集まりの中にも新潟県中越地方に対するさまざまな支援をなされている方も多くおられるのではないかと思います。そういう中での開催ですから、皆さんにとっても本当にこのつどいに出るためにもご苦労があったのではないかと思いますが、この間のさまざまな取り組みについてみんなと意見交換をして、幾つかのことについては課題を整理して、今後の課題にしていければと思っております。

 今日お集まりの皆さんはそれぞれにたくさんのご経験を持っておられる方ですし、すでにこのつどいに参加をするときに、私はこのような意見を持っていますということを提示していただいた方もおられるかと思います。またそれ以降、この会場に入ってそれぞれの意見交換をする中で、やはり私も日ごろこんなことを考えていますということを発言なされる方も恐らくおられると思います。

 今日のこの分科会の中でとりわけまとめるということをする必要はないと言われております。恐らくまとめられるものと、まとめられないものがあるのではないかと思っています。できればこれから12時30分までがこの分科会の前半ということにさせていただき、1時間ほどの昼食休憩を挟みまして、さらには1時半から3時までがこの分科会ということで、分科会そのものの時間はおおむね3時間ぐらいの時間を用意されているようです。

 そして、それぞれの分科会の中での内容について、後ほど全体会で雰囲気をお互いに改めて報告を受けることになっているようです。これから12時30分ぐらいまでの前半の1時間半を、それぞれ日ごろからお考えになっている、または近年の台風や豪雨災害、または直近に起きました震災害等の中でお感じになっている幾つかの経験と教訓について、皆さんからご報告をいただくということで進めさせていただければと思っています。

 午後は、午前中に皆さんと一緒にお話をして、これは改めてみんなと一緒に意見交換をしたほうがいいという課題について幾つか絞らせていただいて、お互いの経験やお考えをそこで交換をする。こんな形でこの分科会が進んでいかれればと思っています。

(参加者名簿をもとに、司会が出席確認を行う)

司会

 皆さんは、防災とボランティアということで、それぞれの災害現場の中で、それを直接支援し、または後方支援をするという取り組みがなされてきたのではないかと思います。

 この分科会Cは「被災地活動を支える広域的な支援活動のあり方」ということで、後方支援、例えば県外から被災地を支えるという人たちが多いのではないかと思っています。大変申し訳ありませんが、これからそれぞれのご発言は5分ぐらいでくくっていただくようにご努力いただけるとありがたいと思います。この間、被災地活動を少し支えるということでご経験を持っておられる方、それに関連をする方々のご発言をお願いしたいと思います。

 ここは広域的な支援活動のあり方ということをテーマにしておりますけれども、今回ご参加していただいている方は、被災地の中でそれぞれの役割を果たしておられる方もおられるようですから、最初に被災地の中で活動をなされた経験をお持ちの方、なおかつ、被災地の中で活動をし、他の県外のさまざまな団体と連携をして活動をしたご経験を持っている人たちからご発言をいただいたらどうだろうか。その後、被災地に対して派遣から広域支援という形で何らかのご経験をなされた方がたのご発言をしていただけるとありがたいと思っています。

 それから、洙田さんは大変専門家であり、医師という立場で、今回も災害救援や災害支援と、安全という問題についてのご発言を持っておられます。それは午後もその問題を一つ取り上げて、果たしてこれからどうしようかという時間を取りたいと思います。大変恐れ入りますが、午前の最後の段階で、被災地における、または災害救援における安全という問題について、ご専門の立場からご提案なり、お考えを少しお聞かせいただければと思っていますので、今日午前中の最後のところで、洙田先生にご発言をお願いしたいと思います。

 それでは災害を経験された地域からのご発言をお願いしたいと思います。こちらからご指名させていただいたほうがよろしいですか。それとも、我こそはという人は手を挙げていただけるとありがたいのですが。

 それでは、豪雨災害のところからいくということになりますと、東角さんは、7月18日以降に豪雨災害が新潟から福井のほうにも移っていくわけですが、その中でのそれぞれの地域の皆さんとのご経験をお持ちだと思うものですから、大変恐れ入りますが、少しかいつまんでエキスを私たちにご報告いただけるとありがたいと思います。

東角(ふくい災害ボランティアネット)

 福井県からやってまいりました、「ふくい災害ボランティアネット」の顧問をしております東角と申します。実は福井県の場合、たくさんのご支援を皆さんからいただいたわけですけれども、はっきり申しまして、私ども福井県はけっこう災害に遭っている部分が多うございまして、阪神・淡路大震災の2年後のナホトカ号の重油流出事故の際にもかなり大きな災害を受けております。当時、今日おみえの方にも、洙田先生や正村さんもそうですけれども、多くの方に来ていただいたわけです。

 当時、発災福井漂着2日後に、「重油災害ボランティアセンター」というものを立ち上げさせていただきました。私がその立ち上げした張本人でして、その後いろいろな活動を行ったわけです。その当時、季節柄非常に寒かったということもありまして、県内のボランティアだけではとても災害救援はできないということで、逆に現地からどのようにして広域的に集めたらいいだろうかということをかなり考えさせていただきました。

 今日のサブタイトルでしょうか。括弧書きで「ボランティアバス」ということも書いてありましたけれども、当時は阪神・淡路大震災以降2年目の、まだ熱が冷めやらぬときということで、かなりの方がいらっしゃったのですけれども、やはり途中で、寒かったり何なりでだんだんボランティアが集まらなくなってきたということもありました。

 そのときに活動資金を集めて、全国へボランティアバスを集めに回ったという経験もありす。たしか延べ1200万ほど当時バスで使った覚えがあります。主に東京、横浜、名古屋、京都、神戸、大阪だったのですけれども、当初来ていただいたボランティアに今度は東京などへ行っていただいて、そこで街宣活動をして、人を集めて、そしてバスに乗っていただいてボランティアに来ていただくというシステムをさせていただいた覚えがあります。それは逆に広域的に取り組んできた事例です。

 当時、被災地が海岸縁で、いろいろな部分に広がっていたのですが、マスコミはどうしても一極集中で、一番ひどいところを報道するもので、そちらに人が集中するというようなこともありました。我々やっている側としては、なるべく分散しようということで、若狭湾のほうにもボランティアセンターを作りましたし、加賀のほうにも加賀ボランティアセンターを作りました。あるいはその当時、京都府や輪島、石川県の先のほうですけれども、そういった方と連携しまして、一番すごいところに集中する情報をなるべく分散して、そちらのほうへボランティアに行っていただくという仕組みを展開させていただきました。

 そういった経験もありまして、どこでもそうでしょうけれども97年のときに問題になった部分、活動資金の問題、それから実際活動するに当たっての現地行政との問題という2点がありました。97年以降、福井ではいろいろな団体の方も集め、そして県も入っていただいて、ボランティアネットワークというものを作っていました。それで、97年の重油のときに集まった義援金を活動資金ということで蓄えておき、ボランティア活動基金というお金をその当時積みました。1億5000万円ほどだったのですけれども、そのお金が今回、豪雨災害のときに生かすことができました。

 その活動資金を基に、今回も福井県内で起こりました豪雨災害本部を作りました。それから五つのセンターを県内各地に作りました。さらにそれをまた細分化したサテライト組織なども作りまして、今回取り組まさせていただきました。お金があったということで、非常に早い取り組み、物の取り組みなども、かなりの部分自分たちで購入して、ボランティア活動に役に立ったのではないかと思っています。

 それ以降、私どもも新潟なども支援させていただきましたが、やはりしっかり地元の行政体、あるいはいろいろな災害活動に携わる人たちと一緒に連携しながら、協働といったことをしながら、なおかつ、必要となる基金を作って立ち向かうのがいいのではないかということで、「福井方式」と呼ばせていただいています。今回の新潟中越地震も発災当初から新潟県庁のほうに入りまして、この仕組みを紹介させていただいて、福井なりの活動をさせていただいた次第です。

司会

 ありがとうございます。福井のお話をいただきました。特に人、物、金という中で、福井県は97年のナホトカ号海難・流出油災害以降のいろいろな財政を基金として1.5億ほどしっかりとためていたというのは、私もよく知っていましたが、あの金を何とかしなくてはと思っていたのですけれども、本当に今回の豪雨災害のときには、それがいち早く展開ができたということは、これは本当に他の地域でもこれから多いに検討し、学んでいくテーマではないかと思っています。

 特にさまざまな災害が今全国で起こっているものですから、災害時に金と人と気持ちが動く可能性があります。多分この機をとらえるというのが必要なのではないかとも思っています。そういうご経験をお話しいただきました。

東角(ふくい災害ボランティアネット)

 大事なことを忘れました。実は今回も基金の中から8000万ほど使わせていただいたのですけれども、また豪雨災害でかなりの義援金が集まりました。当初集まった分は、被災者の方にお見舞金等でお分けしたのですけれども、それでもまだ集まりまして、6億ほど残りました。

 それをボランティア基金にさらに上積みしまして、条例を改定しまして、今までは県内の災害時に限っていたわけですが、県外でも使えるように条例改定しまして、今回新潟県でも急遽使いましたし、兵庫県でも使ったのですけれども、そんな活動にこれからはどんどん充てていきたいと思っています。

 ちょうど私はナホトカ号海難・流出油災害以降、いろいろな活動が評価されまして県会議員になったものですから、議員側からの取り組みもかなりさせていただいたので、ちょうどうまい具合にそういう条例作りもできた次第です。

司会

 今また義援金という問題についての取り扱いと、その活用の方法についての新しい試みが部分的に起こっているということです。これはまたけっこう大きなテーマにもなるかと思います。ありがとうございました。今治という所で、この間取り組まれたこと、またその経験を少しまとめてご報告いただけるとありがたいと思います。

阿曽沼(NPO今治センター)

 神戸のとき、私たちは今治からHIVの関係、エイズの関係で、あのころ感染者がまだ公表できていない時代だったもので、今もそうなのですれけども、キリスト教のほうから、私たち今治の団体が全国のエイズ感染者の方を全部把握していたもので、その方たちの血液製剤とか、安否の確認のために、薬剤などを持っていこうということで支援に入りました。それから3日後に、災害時に即安否の確認をさせてもらって、今治を出発したのが2日めだったので、20日ぐらいに大阪で、全国のHIV関係の支援者グループの方と合流しました。それから4月末ぐらいまで、病院のお風呂、運動会用のテントを作ったりして活動しました。

 その後、連合が神戸に入って、その第1便はまだ私の作業が残っていたので、第2便から連合で入って、そのときに組織のボランティアのすごさ、私たちは個人ボランティアをずっとやってきましたが、組織のボランティアのすごい力を知りました。

 そのあと、ネットワークは福井県のナホトカ号海難・流出油災害のときです。私がたまたま奈良のほうにボランティアに入っていたら、各県で1便ずつバスを三国に出すということで、乗りなさいという連絡があって、各1便で乗っていきました。そのとき、私は今治にいようと思っていたのですが、神戸のときのネットワークがありまして、そこから行きますという連絡が入って、たまたま私は奈良の近鉄から乗っていきました。

 そのときはもう何日たっていたのか分からないのですけれども、奈良の若草山の山焼きの日だったのですが、行ったら、初めてボランティアが休みの日だったのです。そのあと、バスもあれは派遣してくれたのですかね。各県にバスが来たから、それに乗っていくようにということで、連合の各県から行きました。

 あの中止のときも、神戸の人たちがものすごく意気込んでいました。あのとき本当にすごかったのは、風がひどくてだめだから中止だということで、僕はもう寒いからバスの中に乗っていたのですが、神戸の人たちは並んで着替えて点呼をとるのです。やはり災害を経験したところの方たちはすごいなと思いました。

 私も福井の豪雨のときに支援物資の関係で行きました。これは問題提起なのですけれども、支援物資を送ってください、送ってくださいと言われるので、どんな災害に対しても、今治はタオルの産地なので、タオルや衣料品を送っているのですけれども、現地へ行きました。実際に要る、要ると言った品物を、要るのだったらと思って、即送れる準備をして、福井県と新潟県に入りました。それで、現地で調査をしたら、要らないと言われました。ですから、送らなかったのですけれども、今その分は、今日も海外ボランティアで中国から担当者が来て、中国へ私のところの荷物を送っています。新潟県中越地震の関係もキープしていたので、全部今年度中に中国へ向けて出してしまうのですけれども、今日来た目的は、支援物資の関係で正確な情報が欲しいというのが一つです。

 先ほど言われた原点に返ります。今日はB分科会のほうに、「新居浜市社会福祉協議会」からも来ています。そちらが詳しく分かるのですが、今治は新居浜市の隣の市なので、同じく災害がありました。今治の場合は、「芸予地震」がありまして、それは新潟県中越地震も一緒だと思うのですけれども、その災害があったところが完全に復旧工事はしているのですが、「芸予地震」も私たちが、行政が入る前に、がけ崩れのところはビニールシートを張りに行きました。雨が降れば大変なことになるので、そういう作業をしています。

 私どものボランティア団体は、消防団と連携を取っています。私も消防団員ですけれども、今日私どもの代表が来ているのですけれども、その者は消防団の団長をやっていまして、そういう地域のところと、建設業協会と連携を取ってやっています。

 今回一番市が協力してくれたことは、3週間ぐらい土砂崩れなどをどけに、新居浜市や西条市の災害復旧をしながら地元の災害復旧を、私のところは人的被害や家が壊れたというのはなかったので、土日の人が集まるときは新居浜市へ行って、いつでもいいものは地元で、消防団員や建設教会などのボランティアを集めました。機械などは、いろいろなところへ電話をかけて、ダンプ何台、ユンボ、ショベルカー何台という形でやりました。

 それをどこに持っていくかというのは、今治の経験でもいっぱいになっていたのですが、市で無料のバスを提供していただきました。私のところは労働組合で市会議員と県会議員を抱えているので、その辺が動いてくれまして、土砂を置くところを確保しました。そういう形で今活動をしています。

 これからも新居浜とかいろいろなところで、ぜひこれを帰るまでにまとめてもらえるのだったら、何かあったら声をかけて、「おまえのところは在庫が何があるか」「人は何人出せるか」というネットワーク、こんな形でこんなときに来てほしいと言ってくれるネットワークが欲しいです。NPOの関係のものは出るのですが、まだつかみきれてないところがあるので、またよろしくお願いしたいと思います。

司会

 ありがとうございます。いろいろな経験がご報告されましたが、救援や支援物資の提供と現地のニーズがなかなか合わないという問題、これも皆さんがいつも言われていることですが、そこで情報の重要性や必要性という問題が指摘されています。これは多分これからのご発言の中にもたびたび出てくるのではないかと思いますが、今日はよいことに、情報の専門家である市川さんもおられますから、後ほどまたそんなことについても経験を報告していただければと思います。

 今年はさまざまな災害がありました。恐らく全国の皆さんは兵庫県や岐阜県に起こった水の問題や、京都府、日本海側の皆さんも随分心配しておられて、そちらにもいろいろな支援の仕組みを作って行っておられたのではないかと思います。

 それでは、「シャンティ国際ボランティア会」の関さんがおられます。関さんは豊岡市でいろいろな地域の皆さんと、またはそれぞれのボランティア団体の皆さんと協働をしながら、豪雨災害の後始末の取り組みを組織的にされたかと思います。ご経験をご報告していただければと思います。

関(社団法人シャンティ国際ボランティア会)

 「シャンティ国際ボランティア会」の関です。今年の「台風23号」の台風被害で、全国各地で立て続けに被害が出まして、私は兵庫県豊岡市にお手伝いに行きました。

 僕らの団体は海外での緊急救援を行っている団体ではあるのですけれども、そもそもやはり阪神・淡路大震災を契機に国内の問題、そして緊急救援ということで行うことになって、やり方に関してはいろいろな形があり、我々の団体の中でも、例えば被災がひどい地域には初期の段階で単独で入って、拠点を設けて、ボランティアの方を呼びかけてというやり方もあります。ここのところ中規模災害で、国内でお手伝いする形としては、皆さんがすでにかかわれているような、地域でのボランティアセンター、ある程度公共性のあるものを立ち上げる段階でお手伝いをするという形で行っています。

 豊岡市のケースに関しても、器は市の社会福祉協議会が作りました。ただ、何分そういった災害の経験もないですし、あるいは人材に関しても非常に脆弱な基盤の中で日々の運営をされているところなので、自分の事業の建て直しも当然あるということで、なかなかそういったところに人材を投入できないということがありました。そういうところへ私も含めて応援に駆けつけ、災害救援の経験あるNPOの方、あるいは社会福祉協議会のネットワークを通じて全国から人材が派遣されました。

 そういった形で運営しているのですけれども、今回の23号に関しては、本当に台風被害が立て続けに起きて、しかもそのあとに新潟の地震が起きてしまいまして、この10年間を振り返ってみても、人は育ってきているとはいえ、コーディネーターになれるような人材はまだまだ少ないなと。

 コーディネーターというのも、実は幾つかのタイプがあると思うのですけれども、一つにおいては、例えば各セッションの活動を行っていくうえでの活動班のリーダー、それをコーディネートする。あるいは、総務系の仕事をコーディネートする、セクションごとに日々直面している問題をうまくコーディネーションしていくような人材も、当然ノウハウ等が必要になってくると思いますが、一番ここのところ思うのは、2歩、3歩先を見た状況を見据えて、体制なり展開を構築していく人材を確保しないと。特に長期的な支援が必要となるような大規模地震、今回の新潟県中越地震のような場合ですけれども、今の例えば片づけ作業が終わって引っ越しがある。仮設への引っ越しが終わったあとも、実は非常に長い間での支えが必要になってくるわけです。そういった先をある程度見据えながら、組織の体制であり、センターの展開を関係者と共に調整して考えていくような人材がやはり必要なのだと思います。

 そういう意味でも、今事実上の流れになっているのかもしれませんけれども、社会福祉協議会というものが、いろいろな意味での公共性を持って、特に要介護の方への支援を日々行ってきている。そこに器が求められる傾向があると思うのです。それが担えているか担えていないかは非常に厳しいところもあるかと思うのですけれども、事実、特に一般の多くのボランティアが活動現場を求めるときは、そういった公共性のあるボランティアセンターが非常に求められてくるのだろうと思っています。同時に、NPOなりある程度力があるところは、単体で活動を信頼関係を作りながら、地元の人への支援をしていくという流れがあると思います。

 そこで、初動資金の部分に関しては、先ほど福井の方がおっしゃっていましたけれども、ああいった形でのファンドを構築するのも非常に重要だろうと思っています。ただ、一団体としてそういうものが構築できない場合は、ネットワークとしてそういうものを構築することも必要だろうし、また人材派遣に関しても、やはりネットワークを組んで、そういうものは協調関係を結びながらやる。ただそれは、例えばNPOがNPOだけで結ぶネットワークだけでなく、やはり公共性のある団体、機関、行政も含めてですけれども、そういうところでの具体的な協働を今後一層深めていくすき間がまだ残っているのかなと。

 また、思いつきなのですけれども、今回新潟県中越地震の場合もそうでしたが、ボランティア、災害救援は非常にリスクを伴う作業でもあるわけです。そういう中で、一般のケガ等を負った場合は、ボランティア保険というのもありますけれども、その範疇を超えるものがどうしても出てきてしまいます。疾病などは特に保険対象外になっているわけです。幾つかの疾病に関してはカバーされますけれども。そこに関して、要するに個人が、ボランティアが自己責任のもとに負うリスクと、同時に社会がやはりそれをカバーし合うというか、そういうものがまだまだ発展途上なのかなと。今回の新潟県中越地震でも非常にその辺が心配している点です。

司会

 いろいろな課題が提案されたと思いますし、多分これは皆さんの共通の問題もたくさん含まれていたのではないかと思います。災害が続発すると、まだまだ僕たちの国の中では、災害時に対してコーディネートをする人たちがまだ残念ながら足りないかなという問題が指摘もされました。

 そして、初動資金、ファンド、これは先ほど福井のほうからのご報告の中にそのヒントがあるかと思いますけれども、この問題も大切だということでした。さらには、一つの団体だけでなく、さまざまなグループや団体が協働をすることについての重要性についても指摘をいただいたと思いますし、最後には災害救援と安全対策、またはこれは直接的な安全だけでなく、それにかかわる疾病や健康の問題も少し含まれるかと思いますが、これらがご指摘をされたのではないかと思います。いずれもこれから5年〜10年をかけて、早いところ形をつけないといけない問題かと思いますけれども、以後それらの問題について皆さんと討議ができればと思います。

 さて、水の問題での最後のご発言ということで、平塚さんおられますか。恐れ入りますが、新潟、福井、それから21号、23号、これらを中心にして、地域でさまざまな皆さんと協働をして取り組んだ幾つかの経験をお持ちのようですから、お願いします。

平塚(いなべ非常通信ボランティア)

 こんにちは、私は三重県から来ました。「三重県いなべ市」という最近できた市なのですけれども、人口4万5000人の小さなまちで、「いなべ非常通信ボランティア」という、災害時等に情報系の有線、無線を利用して情報を伝達しようではないかという素人ばかりの防災系ボランティア団体です。よろしくお願いします。

 私が今回活動した内容は、「三重県ボランティア情報センター」というセンターを2年ぐらい前に立ち上げました。このボランティア情報センターはどんな組織かというと、県内の大型防災ボランティア団体を統合した組織がありますが、その団体と、防災関連機関である日本赤十字社の三重県支部の団体と、「三重県社会福祉協議会(県社協)」の団体、三重県防災関係のセクション、NPOセクション、地域福祉セクション、これは県の職員で3段階あります。それから、我々のようなその他の小さなボランティア団体、私もその一員なのですが、その団体と、それから今も言われたコーディネーター養成協議会というコーディネーターを養成している機関、そこの卒業生を構成員として、大型団体7団体ぐらいで組織しています。それで、何かあったら緊急時に集合して、ボランティア情報センターを立ち上げようかということで、組織的にはできあがっておりまして、2年ぐらい前から交流会や勉強会等で、何かあったらどうしようかという手順や段取りを予行演習しながらやっておりました。

 実戦配備したのが今年の、先ほど福井のほうからも話がありましたけれども、新潟、福井の水害のときに初めて参集しました。なにぶん初めての参集体験だったものですから、なかなかうまくいかなかったのですけれども、1週間、2週間たちますと、皆さんが集まってくれるようになりました。

 その情報センターは、県の交流センターという所に場所を借りまして、場所とメール環境、インターネット環境など設備、ハードの面を県が段取りしてくれて、いわゆる公設民営という形になると思います。県は関与しますけれども、口は出しません。民間が口を出して、「こうしろ」という立場が反対の形でやって、場所は提供していただいて、人は民間団体が運営するという形で行います。最初の立ち上げは、福井、新潟水害のときに初めてこういう活動を開始しました。

 具体的には、情報センターですから、実際には現場に直行して活動ということをメインには考えていなかったのですけれども、三重県内のボランティアに期待される期待度がだんだん上がってきまして、バスを出せという話になりました。活動資金はあまりなかったのですが、何とか工面しながらバスを、具体的には福井県のほうに、土日にかけて計何台でしたでしょうか。5〜6台ぐらい出したでしょうか。50人乗りのバスを土日で4台ぐらいずつ、それを3回ぐらい続けたと思いますが、そういう活動をしました。

 それから「台風21号」、これは三重県内の被災だったのですけれども、台風で三重県海山町と宮川村の二つで甚大な被害になり、このときもやはりボランティア情報センターを立ち上げました。このときは現地のボランティア情報センターからの物資の要求、人をくれとか物をくれとか、言葉は悪いですが、金をくれとか、いろいろそういう本当に後方支援ではなくて、直接支援に近いような活動を情報センターでやりました。当然、バスも段取りしました。そのときには福井県のほうにもたくさん駆けつけていただきまして、大変お世話になりました。ありがとうございました。

 それから京都の台風23号、これも広域災害ということで、また同じく参集しまして、情報センターを立ち上げました。同じように、このときは直接支援をしようと思ったのですけれども、現地からボランティアは来るなと、もう活動は終息方向なので、バスは出してくれるなということで、これは計画倒れで、バスの計画だけで中止になってしまったのですが、情報はインターネット、いわゆる有線系の情報で伝達していましたので、キャンセル状況や進捗状況などは比較的よくいきました。でも、1回目のときは、さすがに情報センターといえども、情報がうまくいっていなかったので、何をしているのかというご批判はあちこちからいただきました。

 そういうことで、今回の活動で何が大事かといえば、皆さんおっしゃっていましたが、人、物、金、確かにそれが基本なのですけれども、情報の場合はまたそれとは違う立場で、日ごろから我々は有線、インターネット系、無線系で情報伝達をするのですけれども、結局は赤の他人が集まってくるわけですから、参集したときに、この人は何を考えているか分からない。最初は初対面ですから、腹の探り合いをするわけです。そういうことが最初からあるとまずいので、日ごろから顔の見えるつきあいというか、お互い本当に心を打ち明けてというか、開いてつきあいをしていかないと、このような情報の社会とはいえども、気持ちも情報もなかなか伝わっていかないということが、今年の3回の情報センター招集で受けた貴重な経験だったのではないかと思いました。

司会

 ありがとうございます。今、平塚さんから、実は大切なことは、事前にそれぞれの地域の中である種の思いを持っている人たちが交流をしておくことが大切です。それは、人と人とが顔の見える関係ができていることがとても大切なのだというお話いただいたのではないかと思いますし、それを支えるためには、ちょっとした仕組みが必要です。

 その仕組みは、例えば情報センターや公設民営方式をとっていますけれども、人がいつも集まって、災害のときには、「僕たちはどうしましょうか」「お互いのグループのはこういう役割を果たしましょう。」「私のグループはこういうことを少しさせてもらいましょう」というようなことが、時々はまじめに相談をしたり、ゆっくり相談をしたり、ビールでも飲みながら相談をしたりできることが実はとても大切なのです。そういうことをしたことによって、他地域の災害時に対しても、私たちは少し役割が果たせましたというようなご報告ではないかと思います。

 さて、いよいよ10月23日の新潟県中越地震のところに移したいと思っています。ただ私は、災害は地震だけではないものですから、新潟県中越地震のところにやや関心が強く行きすぎるのもあまりよろしくないと実は思っています。そんなことで、今年たくさんの風水害、豪雨災害の被災をしてしまった地域を代表してご報告をいただきました。松澤さんは、新潟県の十日町の高校生だそうです。松澤さんに、高校生として十日町のボランティアセンターと少しの関係を持って、地域の中での被災の様子を見、そしてその中で自分たちが考えたことについてご報告をいただければと思います。あまり緊張をしないで、やっていただければと思います。

松澤(十日町市ボランティアセンタースタッフ)

 「新潟県十日町高校」の松澤といいます。今回の新潟県中越地震でボランティア活動をして感じたことは、私はボランティアセンターのスタッフとして、中で「ふれあい隊」という活動をしていたのですけれども、ボランティアセンターでは、最初は地域の人からの電話のニーズだとか、ファックスのニーズ、相談窓口へのニーズが上がってからボランティアをするという体制をとっていました。でも、それだとやはりニーズが上がらなくなってくると、ボランティアもなくなってきて、せっかくボランティアの人が来てくださっているのに仕事がないということもあったりします。それで、ふれあい隊という、まちを歩きながら声をかけてまず地域の人と仲よくなって、それからいろいろと手伝えることはないかと探していくという活動をしていたのです。

 十日町市という地域は、私は地元なので、近所の人とは普通に話せるのですけれども、ほかの地域の人を受け入れるということが難しいお年寄りの人が多くて、ボランティアが行っても遠慮してしまう家庭が多く、それでニーズが上がらなかったり、本当は手伝ってもらいたいけれども頼めないという人が多いように見えたので、ふれあい隊でまず仲よくなってから、そこで信頼を得てから活動できたらいいなということでやりました。

 ほかのボランティアも、ボランティアをしにきたというよりは、地域の方と交流をして、それでいろいろなボランティアをしていったのですけれども、最初はボランティアセンターがあることを知らない地域も多くて、ボランティアセンターがある地域から本当に歩いて数分の所でも、ボランティアセンターがあるのを知らなかったこともあり、本当に手伝ってもらえるのかという不安とか、信頼されていない部分がありました。今回のふれあい隊での活動をしてからは、ボランティアを頼んでくれる近所の人が多くなってすごくよかったと思っています。

 ちょっと山岳部のほうに行っても、被害が大きいところでも、ボランティアセンターの活動を利用できなかったこともあり、知らない人が多かったので、今回の活動で感じたのは、ニーズが上がってから動くのではなく、地域によっても違うと思うのですが、まず交流して信頼を深めてから動けるようになると、もっとボランティアを活用してくれる人も多くなると思いました。

 地元にいると分からないですけれども、地域によってはほかの人を受け入れられない人もいたので、まずはそのボランティアセンターの存在を知ってもらって、どんなことができるかとか、信頼してもらってから活動ができるといいと感じました。やはりボランティアというのは、気持ちでふれあっていくのが大切だなと今回感じました。

司会

 ありがとうございます(拍手)。最近は高校生も偉い人がいるなと感心しました。私が高校生のころとは随分違うなと思います。でも、本当に高校生が指摘をしたことで、僕たちもいつも気をつけなければいけないというのは、やはり被災地の人を支える、支えるなどと偉そうなことを言っているけれども、その人たちと本当に親しい人間関係が成立しなければ、多分その仕事は十分ではないということは、大人としても十分感じ始めていると思います。

 それから、災害というものは長い時間の中で起こるものですから、災害時に起こる、例えば支援センターの役割が日ごろから多くの人たちに必ずしも十分に理解をされていないということは、これは当たり前にあると思います。そのときに、例えば山の懐で暮らしをされている人たちは、見ず知らずの人が「何かあげますよ」と言っても、お菓子の中に毒でも入っていたら困ってしまうなどと思う人もいるかもしれません。やはり人と人とがいつも仲よく、信頼が大切です。これは災害時におけるボランティア活動の、もしかするととても重要な基本ということを、高校生の言葉で言われて、大人である私たちも改めてそうだと思わなければいけないことだと思います。

富岡(群馬県ボランティア・NPO室)

 恐らく数少ない行政の人間だと思うのですけれども、私は群馬県のボランティア活動の振興を担当している富岡と申します。

 今、松澤さんのおっしゃったことは全く本当だと思って、正直言って、恐らくここはボランティアの方たちが多いのだと思うのですけれども、水害のボランティアと他の災害のボランティアは基本的に違ってくるのだと思うのです。水害というのは物に対してやればいいのですけれども、災害は人に対しての支援という形になりますので、私どもも隣の県ですので、何かできないだろうかというところで、私の過去の行政経験とか、私も実はトータルで40日ぐらい神戸へ行っていまして、そのときの経験から比べると、絶対に新潟県中越地震と阪神・淡路大震災は違います。

 私どもは最初に、山古志が全村避難をしたことを知りまして、職員とボランティアを合わせて合計4名が村の支援という形で行きました。それで、絶対にボランティアと村が対立するだろうという前提で行ったのですけれども、けっこう山古志村はその辺がしたたかでして、うまくやっていたなという感じがあります。

 それで、実は昨日、4名の人間を5週間、1週間交代でしたが、引き上げました。その山古志村に行っている人間から、川口町がひどいという話がありましたので、水害のときも、実は私どもは県のバスを仕立てて、職員を募集して、ボランティアがちょっと幾らか少なくなったかなと思っているときに、マイクロバスに20人ずつ4日間、土日以外でウィークデー、後半部分をやりました。新潟からボランティアは断わられたのですけれども、それなりに需要はあったようです。

 そんな形で、山古志村のほうは山古志村のほうでやっていたのですけれども、川口町のほうへ行って感じたのですけれども、やはり地域は、心を閉ざしているというと語弊があるのですが、いったん心を開くと、本当に何でも頼むようになります。それで、実はさきおとといあたり、横須賀市が地域の住民の人たちをバスで温泉に招待していただいたのですが、そのときに県庁へ来ていただいて、昼食を食べていただいたときに、区長に話をしていただいたら、本当に涙が出てしまって話にならなくて、代わりの人に話していただいたのです。

 そんな形で、今の松澤さんの話を聞きながら、役人側としてどんな形が重要なのだろうかと思ってまとめてきたものがあるのですけれども、まず一番大切なのは、被災地に迷惑をかけないということです。うちのほうで派遣されていた女性のボランティアが怒っていたのですけれども、要するにボランティアのための食事を提供しているボランティアがいる。彼女は非常にそれに怒っていました。

 それから、先ほど松澤さんのおっしゃったこともあるのですが、被災地のニーズをどう把握して、それにどういう形のボランティア活動をやっていくか。これは地域によってかなり違いますから、地域というものをどうやって把握するか。それは、必ずしも市町村がいいとか県がいいとか、現実に我々行政側からすると、新潟県の人がいらっしゃると申し訳ないのですけれども、新潟県はどうしているのか、新潟市はどうしているのかという話が、災害発生当初から新聞等で批判されたようです。市民もそうですし、行政もそうですが、その辺のところを総合的にどう支援していくかというシステムづくりがある程度必要なのではないかと思います。

 もう一つ、だれかがおっしゃっていましたが、最後に特にボランティアの方たちに一番お願いしたいのは、サービスの行きすぎにならないでくれということです。要するに、地域の自立をどう助けられるか。結局、私どもでお手伝いしていた木沢という地域はこれから引き上げますが、7棟の仮設がありましたけれども、地域の人たちが恐らく面倒を見ていただいて、地域全体として足りているという状況になるので、正直言って、医療サービスのような技術的なサービスはともかくとして、通常の精神的ケアのサービスはボランティアでは、私は要らないのではないかと思います。

 地域内に入るとまた難しい問題がありますけれども、結局ある所で、この地域だけ、ある家だけボランティアに手助けしてもらったとすると、その家の人がそっくり地域の方からはじかれるみたいな話が出ています。その辺のところがありますので、ニーズをきちんと把握していただくことが大切だと思います。

 また、そういう状況や何かを含めて課題があったことをきちんと検証していただいて、そのあとの活動に続けるということです。私なども神戸の被災地へ実際に行っていたのは20日なのですけれども、あとは各ボランティアセンターがどういう活動をとって、どういう結果だったかということをいろいろ聞いたりするので20日ぐらいいたのです。そういう形で、その4点ぐらいを、行政側というか、我々役人の側からすると、意識して活動していただきたいというお願いです。

司会

 ありがとうございます。行政という立場からの被災地、および被災者支援という問題と、それからその中で幾つかの教訓、これは課題として引き続き検討を深めていくべきテーマということでご指摘をいただいたのではないかと思います。その中には、ボランティアと呼ばれる人たちに対するある種の不十分さが指摘されています。それはボランティアというものについて深く追求している皆さんからのご発言も後に待たなければと思いますし、行政として気づいたことは、恐らく群馬県としては、これらの問題はホームページ等で県民に明らかにされているのだろうと思いますから。それをなさらないと、個人の立場で行政ということを披歴するということは普通はできないと思いますから、多分これは群馬県の県民の皆さんがこういうことを学びながら、みんなで支えていくのだろうと思います。本当に大切なことだと思います。

富岡(群馬県ボランティア・NPO室)

 今後は、参画していただいたことの意見を踏まえながら、それを発表していきたいと考えています。

司会

 これらは行政としてホームページか何かで、県民の皆さんに報告されておられるのですか。

富岡(群馬県ボランティア・NPO室)

 募集したり何かというのは、群馬県のホームページがありますので、それを報告しています。それで今、帰ってきた人たちの交換会を今年じゅうにやりたいと思っているのですけれども、「悪い」とか「いい」とか、褒められたりけなされたりしていると思います。その辺のところをトータルとして、結果として、個々の意見ではなくて、ある程度集約したものを報告していきたいと考えています。

司会

 きっとそれはとても大切な教訓として、県民や私たちも大いに学ばなければいけないテーマが含まれているのではないかと思います。今回は新潟県の現場の直接的な人たちが今まさにそういう状況なものですから、たくさんご参加することができませんでした。したがって、内閣府は改めてまた今年の9月18日に、新潟、福井の集中豪雨災害に対する意見交換という、これも内閣府としてはなかなか珍しく、気が利いたいい仕事をしてくれたと思うのですけれども、このような形で改めて新潟県中越地震の被災地のさまざまな役割を果たした皆さんの意見交換会の場所を作りたいというお話もあるようです。本当にそれに期待をしたいと思いますが、そんなことで現地からの報告がどうしてもこの時期ですから少なくなりました。

 したがって、これからは他県から、被災地または被災者を支えたご経験を持っておられる方々に、少し広域支援という点からご発言をいただきたいと思います。

正村(災害OUT・SIDE)

 先ほど山梨の方のお話がありましたが、「災害OUT・SIDE」の正村と申します。今年は福井県のほうに半月入りまして、そのあと夏の8月の新居浜市に3日間入って、そのあと高松市の高潮災害にも3日間入って、それから10月は台風21号で新居浜市に1か月間いたのですが、新居浜のほうは今回後方支援ということで、面白いことをやっていただきました。

 大阪南港から新居浜までフェリーがあるのですけれども、そのフェリー会社に打診をしていただきまして、フェリーで30人ばかり毎日無料で人を送ってくれということをしていただきました。それで、その間寝泊まりするところは、新居浜市のほうから、「マリンパーク」という研修センターがあるのですけれども、そちらに無料で泊まれました。おふろも、スーパー銭湯のようなものがあるものですから、そこが無料で入れましょうということで、要するに南港までお金を払ってくれれば、あとは人を送り込みますということでした。

 「オレンジフェリー」というのですけれども、そこのフェリー会社は、最初なぜ30人も枠を作らなくていけないのかという感じだったのですけれども、逆にそれが在阪の朝日新聞や毎日放送などのマスコミが、面白いことをやっていると取り上げてくれまして、それが新聞やテレビに出ることによって、企業としてはいい効果、宣伝効果がありました。

 無理やり新聞に載せてしまってやらざるをえない状況を作ってしまったので、最初は嫌々だったのですけれども、途中で「オレンジフェリー」からも、ある一つの船、機関士や船長も含めて20人ばかりが、我々もボランティアをさせてくれという話が来ました。「台風23号」でも少し被害があったのですけれども、そのときも3日間延長しませんかと、向こうのほうからそういう申し入れがありました。

 最初は企業のほうも、なぜ1人頭往復で1万円以上かかるのに、ということは、1日1往復で30万円もかかるものを、なぜ枠を作らなくてはというのが企業の最初の論理だったのですが、それが逆に宣伝効果になるということで、企業としても快くという形がありました。

 これから後方支援を考えるうえで、例えばいろいろな意味で、ボランティアだから無償の奉仕という部分にはなるのですけれども、そうではなくて、企業なども入りやすい場を作ってあげたり、また我々受け入れる側としても、災害で宣伝というといかがわしいといわれますが、そうではなくて、やはり個々の団体が成果を表に出せるようにしたいと思いました。

 例えば新居浜の場合は、ホームページに1000円の寄付から名前を出しています。ホームページで寄付を受けた場合には、「○○さん、義援金ありがとうございました」という形で、毎日ホームページに更新されています。また、企業が例えば何か物を提供してくれた場合には、例えば「ヘルメットを出していただいた○○株式会社の皆さん、ありがとうございました」という感じで、ホームページに毎回更新をしているということをやっています。本来、それを出すのはいかがなものかという部分もあるとは思いますけれども、これから災害ボランティアをやるうえで、被災者への心遣いも必要ですが、支援をしていただいた方に対する心遣いも大切にしていかなくていけないのではないかと、最近つくづく考えています。

司会

 ありがとうございます。近年ボランティアバスというのがありますが、これは「ボランティアフェリー」というのですか。

正村(災害OUT・SIDE)

 「ボランティアフェリー」ですね。名前は「ヘドロかき出しツアー」といいます。

司会

 こういうことで取り組みがなされています。これは多分近年の特徴になってきているかと思います。もちろん95年の阪神・淡路大震災のときにも動いていましたし、それから福井のナホトカ号海難・流出油災害のときにも、日本海でしたから、こちらの関西のほうからずっと上がっていくバスが動いていました。最近、災害被災地に善意の人を運ぶ方法として、ボランティアバスが定着し始めているのかなと思います。

 これは、社会がお金の問題で環境が少し整ってきたということと、正村さんからの報告の中では、オレンジフェリーが、この事業に参加することによって、企業としてもある種の社会的なイメージを表に出すというものが受け入れられてきているというような、双方メリットみたいなものがやや定着しかかってきているのではないかと思います。これは今後皆さんで検討を深めていくテーマにもなると思います。

 ボランティアバスは、神奈川なども出されていたと思いますし、多分神戸からも、京都からも動いたというのがありますけれども、東京も動いています。このボランティアバスということについて、何人運んだということだけではなくて、その中における知恵という問題をご提案というか、報告できる方にお願いしたいと思うのですが、いかがでしょうか。

宇田川(神奈川県災害救援ボランティア支援センターサポートチーム)

 神奈川の宇田川と申します。「神奈川県災害救援ボランティア支援センターサポートチーム」をやっています。その関係で神奈川県内、それから全国の方々と知り合いになって、その関係で今回、新潟にボランティアバスを計2便出発させるようになった経緯をお話ししたいと思います。

 私たちのチームは、すぐに神奈川県の災害ボランティアネットワーク等々のさまざまな団体とも協働して、翌日の日曜日に緊急のミーティングを開いて、すぐに第1陣の視察団を派遣し、翌日第1便のコーディネーターを派遣、翌日に第2陣を派遣、それから4日後に第3陣派遣という形で、小千谷市、十日町市、川口町の支援を行ってきました。

 その活動の中で県内の企業から、日ごろボランティア活動をしているのだけれども、この際に積極的に災害ボランティアを支援したいという申し出がありました。どんな形でやったらよいだろうか、その方法が分からないのでという打診がありましたので、県内のさまざまな団体関係者に集まっていただいて、どのような形でお金を生かしたらよいだろうかという形で実行委員会を持ちました。

 構成団体は、私たちのサポートチーム、県の「災害ボランティアネットワーク」「ファイア・ファイティング・ウィミンズクラブ(JFFW)」、それからもともとは消防にもユニフォームを卸している医療品メーカーが中心的な協賛団体でした。その社員の中にもともとボランティアチームがあって、日ごろは会社周辺の小さなボランティア活動を行っていたのだそうですが、そういった活動が起源になって、その中の社員の方から話があって、そういう実行委員会結成に話が進んでいきました。

 結局は一般のボランティアの方を運べるようにということで、自分たちがコーディネーターとしてボランティアセンター運営にかかわってきたさまざまなまちの中から、11月の第1週と第2週の段階で、ボランティア活動が予想される小千谷市と川口町に計150名ぐらいを送ったという形になります。

 その中で、神奈川では初めて企業がこういった防災ボランティア活動に協賛してくれるというケースになりました。それまでは夏の水害のときも、ボランティアバスを派遣する金の算段に、貧乏災害ボランティアグループはさんざん悩んだという情けない経験がありました。今回も結局は話があったからうまく乗れたという、ある意味では棚ぼたで、私たちのほうがうまく立ち回ったということではないのは、やはり大きな反省点として残していかなければいけないだろうと思います。これは僕たちの発信のしかた、働きかけのしかたがまだまだ稚拙だったととらえなければいけないのだろうと思うのです。

 神奈川のグループは、構成メンバーの特徴として、個人営業者が非常に多くて、企業経験者が少ないために、そういうノウハウを持ちきれていないのかなという反省も持っていいます。やはり企業メセナという言葉が叫ばれてはいますけれども、放っておいて企業が積極的に私たちの活動を支援してくれるわけではないと思うのです。積極的な働きかけと、ほかの防災ボランティアとは違って、企業のお金が動くわけですから、そのお金が動くという部分について明確な説明ができないと簡単には乗ってくれません。その明確な説明を僕らがどのような形でやるのかということが非常に重要だろうと思わされました。

 それから、今回ボランティアバスを派遣するに当たって、私たちの「神奈川県災害ボランティア支援センター」というのは、県内に広域的な災害対策本部を行政が発足しなければいけないような事態のときに、ボランティア支援を行うためのグループで、普段から行政と一緒になってボランティア本部運営のための研究をしているのですが、実際に広域支援の重要さと難しさを知らされたのも今回の経験です。

 どうしても広域支援をする場合には、情報が一元化されないと、どうにもこうにもしょうがないわけです。情報が一元化されるためには、関係機関がすべて何らかの形で結びつかなければいけません。それは現在の縦割り行政の中ではとても難しいことだと感じています。

 私たちボランティアに対応する部分は、決して防災局ではないのです。防災局も含めて、関係庁機関が防災ボランティアと連携していくように、行政のほうも頭を切り換える必要があるでしょう。それから、先ほど三重の方が関係機関が全部集まっているというお話をしてくださいましたけれども、そういう働きかけを私たちもしていかなければいけないでしょう。

 それから、被災地のほうも同じ努力をしていかないと、被災現場が非常に困るという印象を強く受けました。今回も十日町と川口町でボランティアセンター開設をお手伝いしたのですけれども、開設当初はもう猛烈な忙しさの中にあります。そのときに、県に積極的な応援を求めたくても、さまざまな諸事情から求めきれないという部分があります。そのときに、外から積極的な応援をするという意思表示をしていただきたいと思います。

 その辺はやはり社会福祉協議会が中心になると思うのですが、ちゃんと応援するからという形で、県社協あたりにできる災害対策本部、ないしは災害ボランティアセンターが、全国からも含めたボランティア情報やさまざまな物資の情報や何かを、行政と一緒にコントロールするという積極的な足を踏み出さないと、現場は大変に困るという印象がありました。

富岡(群馬県ボランティア・NPO室)

 私は群馬県のボランティア振興担当なのですけれども、社会福祉協議会とは別セクションです。恐らくお話を聞く限りは、社会福祉協議会系統のボランティアの方が多いのではないかと思っているのですが、全国的にいうとほとんどのところが社会福祉協議会とは別系統でボランティア振興セクションを持っています。関東近県は全部そうです。その辺のところで、社会福祉協議会系統のボランティアと、私ども行政側の振興セクションとどう連携させるかというのは大きい課題ではないかと私は考えています。

 実は私ども群馬県は非常に災害が少ない県です。ですから、災害関係のボランティアとはほとんど縁がなかったのです。ところが、群馬県の場合は、新潟よりも震度が5弱で多かったものですから、多くの方たちに何かできないかという話がありまして、きゅうきょ30日間中型バス、最大39人なのですけれども、川口町にボランティアバスを運行させていただきました。これはNHKや何かで、全部で10回ぐらいニュースで放送していただいたと思っているのですが、あれで非常に応募が多くて、延べ1000人ぐらい活動して、応募は2000を超えているのではないかと思いますけれども、一般の、今まで災害とは全く関係ない人が申し出ていただきました。

 その中で何が重要かというと、やはり統一的に行動するということです。地域の人たちは何をどうやっているか分からないし、ボランティアもお互いに何をやっているか分からないということで、うちのほうとすると、たまたま前にうちのほうのイベントで使っていたスタッフジャンパーがありましたので、それを全部着てもらって活動してもらいました。

 もう一つ、非常にうちのほうで、三洋電機という企業がありますけれども、それがボランティアに3泊4日で活動していただいたのです。グループを作っていただいて、必ず次のグループが引き継ぎをやって活動していったということがありました。その辺のところで、リーダーでも何でもいいのですが、ボランティア活動をしていくうえで、活動の状況をきちんと活動する相手方に対して、継続して情報提供していくことが必要ではないかと思います。

司会

 ありがとうございます。今、ボランティアフェリーとボランティアバスと、それに関連して、地域の市民団体と企業の連携という問題に少し踏み込んだかと思います。これは恐らく皆さんも共通の課題としてお考えになっていると思いますから、午後の中でこれらは協議というか、意見交換をさせていただければと思います。

 最初にお願いしていました、被災地の活動を続けていくうえでのボランティアの安全性の問題、これはしばしば直接安全だけでなく、健康管理とかいろいろな問題があるのだろうと思いますが、今日はご専門の方がおられます。洙田先生に、ご報告、ご発言いただければありがたいと思います。

洙田(医師・労働衛生コンサルタント)

 こんにちは。ボランティアの健康管理をナホトカ号海難・流出油災害からやっています。ナホトカ号海難・流出油災害のときは、大体大ざっぱな数字なのですが、5万人に1人ほどボランティアが死んでおります。その後、大きな災害におきましてボランティアは死んでいないので、だいぶよくなっていると思います。

 簡略化して数ページのマニュアルをインターネット上で公開しています。それをごらんになっていただければ、どこに安全衛生上の問題点があるかが分かると思います。ただし、そのマニュアルは非常に圧縮していますので、解決法すべては書いていません。

 例えば夏の暑いときにボランティア活動をすれば、当然、脱水症状になり、熱中症になって死ぬということが考えられます。その場合の予防方法は、ポカリスエットのようなスポーツドリンクを飲めばいいのですけれども、お金がない場合もあります。そういった場合は、普通の水に塩をちょっと混ぜて飲めばそれでいいわけです。

 ここで言いたいのは、スポーツドリンクを準備しろということではなくて、何のためにスポーツドリンクを飲むか。それは熱中症になる可能性があって、熱中症は死ぬことがある。その死ぬのを防ぐためには何をしたらいいかということを考えてほしいのです。

 今回の新潟の地震におきましても、新潟の地震の場合は、被災地は豪雪地帯で、雪害が毎年ある地域です。ですから、豪雪災害と地震災害の二つを組み合わせて、被災地の専門家などが、新潟県中越地震雪氷災害調査検討委員会というものを作っていまして、僕もその委員の1人ですけれども、「新潟地震豪雪複合災害」という名称を与えたいと考えています。

 地震豪雪複合災害という概念があるのですが、それを短縮して「地震雪害」という概念を、新潟地震に当てはめる必要があります。地震というと、当然、阪神・淡路大震災を思い浮かべます。しかし、豪雪地帯ではなかったので、その組み合わせが分からないのです。そういう雪害というものが考えられます。

 雪害は何かといったら、例えば寒いときにテントで泊まった場合、雪が1晩に1メートルも積もると、酸素欠乏になります。それから、テントが凍結する場合があります。その中で暖を取ろうとして、食事を作ろうとして火をたいたら、「一酸化炭素中毒」になります。「一酸化炭素中毒」は、ピンク色のきれいな死体になります。当然、そういった積雪時に車へ泊まったら、「エコノミー症候群」はよく知られていますし、そのホームページも作っていますが、それ以外に何の対策も取らなかったら一酸化炭素中毒でたくさん死ぬと思います。

 テントに泊まる場合は、冬山登山の熟練者以外は非常に危険です。新潟県中越地震の場合は特に、車中泊の「エコノミー症候群」を防ぐためにテントを配っています。自衛隊のテントはちゃんとしていますが、民間ボランティアで配っている場合もあります。そういった場合、夏用のテントであったりするので、冬にそういうものに泊まると危ないです。そういった具体的なことを頭に入れて考えてほしいと思います。

 あと、持病を持っている人、心臓病などを持っている人は、寒い時期にボランティア活動をするのはある程度の危険を伴います。僕は受付でそういうことをチェックする仕組みを作りましたが、せっかく「ボランティアバス」や「ボランティアフェリー」があるわけですから、乗り物に乗車する前にそういったチェックもしたいと考えています。

司会

 ありがとうございます。これからまだ新潟は、もちろん県内でさまざまな取り組みがなされるかと思いますが、県外からもお手伝いする人たちがおられるかと思います。特に県外の雪などはあまり見たこともないような人間が取り組むこともままあるかと思います。

 今、先生のほうからお話がありましたように、これらの知恵をマニュアルとして、これはまたインターネットか何かで配信していただくようなことも考えていただけるかもしれません。

洙田(医師・労働衛生コンサルタント)

 すでに雪氷災害調査検討委員会のほうで、ボランティア用の注意文書が数日前から発信されています。それをごらんになってください。たしか3ページぐらいだったでしょうか。非常に短いです。

司会

 これからの新潟対策は、雪との問題もあるかと思いますから、こういう情報もお互いに入手しながら取り組みをすることがとても大切だというご報告をいただいたかと思います。

 約束の12時半がまいりました。やや中途半端かと思いますが、午前中のそれぞれのご経験を基にした、課題提起というところについてはここで締めさせていただきたいと思います。

 できれば午後、皆さん午前中のことを聞いて、私は一言こういうことを発言しておいたほうがいいなということもおありだと思いますから、こんなことを発言したほうがみんなにとって大切だなということがありましたら、午後の一番のところでご発言をいただいて、課題を幾つかに整理させていただいて、意見交換をさせていただければと思います。また午後からどうぞよろしくお願いします。

【午後の部】

司会

 それでは、1時半の定刻になりました。これからあと1時間半ほどの時間ですけれども、この中で分科会としてそれぞれのご経験を意見交換し、さらには共通な課題について改めて意見交換をしていただくことができればと私は考えています。

 それでは午後の最初に、被災地の中で外国人の皆さんに対する支援という問題、これもまた広域災害の中では多いにテーマとしてありうる課題です。今日は「長岡市国際交流センター」の理事長でもあります羽賀さんがおみえになっています。羽賀さんから、広域災害の中における外国人支援について、ご報告をいただければと思います。

羽賀(長岡市国際交流センター)

 「長岡市国際交流センター」の羽賀と申します。新潟県中越地震にご支援くださっている皆様、ありがとうございます。今回、長岡市でも震災が起きたときに、外国の方たちが実は3000人近くおられました。長岡市は私のところのセンターがあって、日常的に外国人支援をテーマにしてやっていましたのでよかったのですが、周辺部にはそういう協会も含めてありませんので、もう外国人は捨てられたという感じなのです。

 うちも被災者になってしまいました。交流センターがあればかなりの活動はできたのですが、ビルそのものが使えなくなりまして、私のところでまず何をしたかといいますと、翌日から市役所の一角を借りました。その中で一番不足したのは、言語系のボランティアです。長岡市でやろうと思っても、そういう人材が非常に不足しています。

 すぐ結んだのが、神戸のNPOの「多文化共生センター」です。そこと結ぶことで、我々の力不足を、日本全域で立ち上げてくれと。我々がリクエストを投げたことに対して、コーディネーションは外の枠の中でやってくださいということで、「多文化共生センター」が音頭を取ってくれました。ですから、ダイレクトに私のところに一切情報を入れないようにということで、向こう側に私が上げたリクエストを全国に分けて、その能力のあるところが結集して、結果としては一つの製品になって私のところに下りてきました。

 すごく難しい問題がいろいろ出たのですけれども、在日の方のコミュニティがあったというのが神戸なのですが、私のところはありません。外国から来られた方が一時的に雇用されて来られるという形態ですので、そのコミュニティを立ち上げるというのが我々センターの役目だということで日常はやっていたのです。ですから、困ったときに我々を思い浮かべるということはしてくれたのですが、建物がない、人がいない、これが一番困った点なのです。

 外国の人たちは、実は長岡市に2100名ちょっとおられたのですが、そのうち780名は中国です。それからブラジルが560名。この人たちはほとんど地震ということを知らなかったのです。自分たちが地震に遭ったときに、まず何が起きたかを認識できなかったのです。それを、何が起きたかを教えなくてはいけないということと、避難所に入ってくれないと我々がなかなか対応できないということで、それを伝えるために9か国語で対応したのです。

 それは、横浜の「国際交流協会」がすでに対応シートを作っておられて、すぐITで送ってくださいました。それを我々が持つと同時に、地震が起きた。余震の可能性がある。それから避難所に入ってください。グループ別にならないで固まってください。そうすれば我々の支援がやりやすいということと、一時帰国の道もあります。そのときの再入国の許可とか。最後に、「我々がいるから心配するな。困ったら我々を思い出して、ここへ来てください。連絡をください」というのをやったのです。

 一番大事だったのは、やはり避難所が自分の言語で書いてあるということを見た瞬間にほっとしたそうです。だれかが私たちを見ていてくれると。ですから、私は今回のテーマは、一つは心のケアということと、その人たちが自立することを支援する、自立支援です。

 すごく大事なことは、全国の広域ネットを組んでおいて、こういう弱小の地方の団体に対して、どのようにその力を生かすか。ですから、スーパーバイザーは非常に大事な役割ですが、外にも引き出し線を出して、そこで大きな組織を幾つも幾つもコーディネートして、一本化したものだけを下ろしてくれるというシステムが一番大事なことだと思います。

 新潟県の対応は、実は終わって2週間たったときに、防災服を着て私のところへ担当が来ました。「羽賀さん、何か必要なことありますか」。本当に私は飛びつきたくなるほど腹が立ったのですけれども、そんなものです。

 一番大事なのは、行政の方がおられますが、防災というのは職員の日常的な使命感です。事が起きたときに、システムが先に立ち上がることは絶対にありません。やはり使命感を持った人間がいて、そこで立ち上がったものをどのようにスーパーバイズするかということが一番大事だと思います。

 今回、外国人支援の中で非常に問題が見えたのは、実は識字率の問題です。我々は文字で一生懸命やったら、読めないと言われてしまったのです。これは特にブラジルの家族で来ておられる方たちの就業条件もあるのですけれども。そうすると、日本語も読めない、自国語も読めないという人がかなりおられたのです。特に出稼ぎの方は識字率の問題が多かったので、すぐ「FMわいわい」とタイアップして、5か国語で言葉を飛ばしました。

 避難所に入っておられる時期だけが緊急事態です。日常が回復して、ライフラインが戻った時点は、中期の支援体制だと思います。そこまでの間で何ができるか。中期になると自分の家に戻り始めますので、もう我々の手が届かないわけです。そうしたら何をするかというと、声が一番いいのです。それと、自国の声を感情を込めて語りかけてくれたときに、一人一人に響いてくると言われたので、ラジオの効用というのはすごく大事でした。

 私のところは3年前に国際交流センターを立ち上げたのですが、それまで2100人近くの方がおられても打ち捨てられていたのです。それをやはり外なる国際化を進めたら、内なる国際化も整備をしなければ、これからは日本は立ち行かないだろうと考えて立ち上げていたのがよかったのです。防災マニュアルも作っていました。

 国際交流・協力実践者全国会議が8月に大阪であったのですけれども、そのときの実行委員会が実は多文化共生だったのです。その人たちとのネット化がこういうときに立ち上がりましたし、ラジオとは私は1年前に協議して、「FMわいわい」といざという時にどうやろうかという打ち合せをしていました。

 もう一つは、言語系のバイク隊を3年前に立ち上げていたのが、長岡市は私のところがあるのですが、川口町や小千谷市には担当がおられないのです。担当は1人おられて、兼任でも名前も何も分からない、人数の把握だけはしていたのですが、災対に取られるともうだれもいないという状況なので、うちからバイク隊が全部現地に入って、どういう人がいるか、こういう状況だというと、今度は通訳を積んでそこへずっと行ったのです。

 そのときに全国からいろいろな人たち、いろいろな組織が入ってくれたのですが、私はその人たちに、先ほどおっしゃったように、長期間で入ってくれ。そして必ずオーバーラップしてくれ。その組織は、自前でもってコーディネーションをやってくださいということを言ったのです。そうすると、私がいちいち説明しなくても、わきで見ているから、その人たちは次にどういう人を養成したらいいか全部コーディネーションしてくれました。

 そういう組織の立ち上げをやったら、今度は行政、独立行政法人、特に独立行政法人は「JICA(国際協力事業団)」が来たのですけれども、あそこは地方では非常に大事な人材がいるのです。それは協力隊のOB、OGなのです。その人たちが言語系のボランティアとして入ってくれたのと、日常的なおつきあいのある留学生が通訳として入ってくれました。

 当事者のブラジルの方と中国の方は助け合いをしないというのがあるのです。私はびっくりしまして、「これを隣の人にあげといてね」と言ったら一回も伝わらないのです。それで、ボランティア通訳をお願いしたら、「幾らくれる?」という話なのです。だから、おかしいよと。

 しかし、我々や周りからいろいろなボランティアが来て、動いている姿を見ているうちに、「ああ、自分たちも動かなきゃ」ということでかなり変わってくれて、最後はボランティア通訳にたくさん入ってくれたのですけれども、残念ながら一番使える人材が一番役に立たなかったということが出たのです。

 ですから、外とのネットワーク化を日常的にやる場、これも一つの場ですけれども、こういうことの中で意見交換しておくことは、いざというときに立ち上がる、日常化が災害時に立ち上がると私は思いました。事例としてお話をさせていただきました。

司会

 被災地における外国人支援というテーマはいつでもあるということだと思います。羽賀さんのところは、通常から新潟と神戸長田区海運町に「FMわいわい」という放送局がありますけれども、これは「多文化共生センター」という機能を持っています。これらが日ごろから連携をしていって、そして外国人の皆さんと私たちがどうやって仲よく暮らしていくのかということが常に準備をされています。その教訓が今回の災害の中でも多いに生かされているという、とてもいい経験だと思います。これは恐らく他の課題に対しても、他の地域の皆さんとの連携という問題と必ず共通する重要な課題ではないかと思います。

 それでは、情報という問題について、これはどの段階で、どういう情報がということも恐らくあるかと思いますけれども、多くの皆さんは、特に広域支援というときには、とりわけ情報というものが重要であることは指摘をされたとおりです。この情報ということについて、ご経験も含めて市川さんからご報告いただければと思います。

市川(レスキューナウ・ドット・ネット)

 「レスキューナウ・ドット・ネット」の市川と申します。5年ほど前に会社を作りまして、まさに災害時の情報不足を補うためにこういう仕組みが必要だろうと思って作った会社ですが、残念ながら非常に悔しい思いをしているのは、会社を作ったころは5年はかかると思っていたので、5年後に起こったこの新潟の地震のときには、「レスキューナウ・ドット・ネット」があったおかげで死者の数がこれだけ減ったとか、何々がこんなに早かったという報告が、今日ここで皆さんからいただけるぐらいのつもりだったのです。残念ながらそこにまだ至ってなく、非常にはがゆい思いをしています。

 その中で何をしてきたかと申しますと、今日いろいろとお話をいただいた皆様と少しずつ、お顔は初めての方もたくさんいらっしゃいますが、神奈川の「ボランティアバス」のことを告知してお伝えしたり、物資を送らせていただいたり、「ボランティアフェリー」の話ももちろん告知したりしました。全体会議の中でも、「レスキューナウ・ドット・ネット」で取り上げてもらったので、そのあとでこういうことがすごく早くなりましたとか、知らない方でしたけれども、感謝をいただいたりというのはできてきてはいます。

 午前中に、物資の必要なニーズを正確に早く知りたいというお話がありましたが、基本的にはそこを一番やりたくて、現地が物と人、その前にまず何が起こっているかをいち早くつかむ。各NPOさんもいろいろと先遣隊を出されると思うのですが、急に言われても皆さんお仕事を持っていらっしゃって、なかなかそうは行けないですから、専門の会社として、逆に現地にいる方たちとネットワークを作って、いち早くそういう情報を集めて、行政といえども限界がありますので、それを上回る形での迅速な情報の収集を実現したいと思っています。

 その次に、今度は何が必要なのかというところで、物や人がどこでどう必要とされているか。その後、立ち上がってきたら、今度は活動状況、どこでどういうボランティアセンターが立ち上がっているか。これはもう最近随分よくなってきていて、総務省消防庁もいらしていますが、総務省消防庁も、前はこんなところを全然見てくれていなかったのですが、今では「総務省消防庁」のほうでも全ボランティアセンターの活動状況を毎日集めて、ちゃんとウェブにも上がっていますし、すごく変わってきたなとは思っています。

 そんなところをより専門的にご支援して、これだけの大きなつどいができるほどに、社会全体では動きが大きくなってきているわけです。でも、絶対に情報は必要なので、情報はそれはそれで一つの特殊な分野ですので、そこを専門的に、災害情報の専門の団体としてやっていこうとしています。

 今回もう少し具体的に申し上げますと、新潟の地震のいろいろな情報を集めて、もちろん台風も全部やってきましたけれども、情報を集めますと、いろいろなところがそれを伝えたくて、決してレスキューナウのホームページを見て、そこにどれだけ出ているか出ていないかで、来る人はそれほど大した数ではないです。多分これだけの方でも、今回の中で見ている、使っているという方は一部だと思います。

 私どもの情報がいろいろなところへ流れていっていて、メーリングリストでもちろんいろいろな団体や、いろいろなメーリングリストへさらに広がっていっています。それから、地図です。ゼンリンなど、いろいろな会社がGISを作ったりしてやっていますけれども、今回も私どもが集めた情報を今度地図の上に乗せて、いろいろなシステムに生かされていきます。

 先月から「国土交通省」が声をかけて、日本中のGISという、地図で情報システムを作る会社が集まって、新潟県中越地震は今後もずっと、これから冬でまた雪の災害が続きますので、その中でどういう情報支援をしていこうかといって集まっています。たくさん会社がありますけれども、皆さんシステムの会社なので、だれが一体毎日情報を集めて更新するのかというところは、私どもが請け負うことになってやっています。

 そこに生かされる情報は、なぜうちがいいかというと、まさにこれはNPOの皆さんからの情報とか、どこでお風呂があるとか、無料のお風呂がどこでやっているかから始まって、被害状況まで含めて、そういうのを全部集めて地図に落としていったりしています。

 そういうのをやっていますと、今度は携帯でいろいろな情報サービスをしている会社が、その情報を自分のところの携帯に載せさせてくださいということで、パソコンは被災者の方はほとんど見られませんが、最近では携帯でかなり皆さんごらんになるので、携帯のサイトの方がその情報を使わせてくださいといっています。メディアもその情報を使わせてくれといってきているので、世の中に決して「レスキューナウ・ドット・ネット」という形ではないのですけれども、うちがつかんだ情報がいろいろなところを通して広がっていくように、だんだんなってきています。だんだんです。ですから、現場からの情報が集まれば集まるほど、さらに出口が広がって、入りと出が広がっていくようになっていくと思います。

 先ほど外国人の支援の方の話もありましたが、私が聞いている限りでは新潟の地域には2000人の外国語をしゃべる方、日本語をしゃべれない被災者がおられて、その方たちが情報がなくて困っているといわれました。それで、神戸市の「グローバルコンテンツ」という会社の方からお話があって、翻訳したいのでうちの情報を使わせてくれと言われたので、もちろんどうぞと。

 私どもは多言語にする能力を持っていないのですけれども、うちがともかく情報を集めてアップすると、神戸の会社のほうでそれを、今は3か国語に変えて随時出していただいています。ポルトガル語、タガログ語、英語の3か国語で随時出ていっているというようなことも起こっています。

 情報の世界というのは面白いなと思うのは、うちは大した体力もないのですけれども、やり始めると皆さんが集まってくるし、それが集まるとよりいろいろな形で出ていくので、今後はどんどん太くしていって、いち早い情報支援と、それが適切な活動につながるようにしていきたいと思います。

司会

 情報というものについて、それぞれやや専門的なお立場で取り組みをされていますが、ちなみに「レスキューナウ・ドット・ネット」という株式会社をご存じの方、どのぐらいおられますか。ちょっと手を挙げてみましょうか。ああ、随分増えましたね。

宇田川(神奈川県災害救援ボランティア支援センターサポートチーム)

 簡単な仕組みのご説明をお願いしたいのですが、その情報を集めるときに、私たちがいちいち必要なところに発信していくという形をとらなくてもいいわけですね。この今のシステムでは。自分たちの組織の中、もしくはもう少しつながった組織の中に発信していけば、拾ってくれるというシステムがもうある程度あると理解していいのですか。

市川(レスキューナウ・ドット・ネット)

 例えばウェブサイトに出してくださるとか、それが紙でちらしを作って、それを地域で配っているだけでは困ってしまうのですけれども、例えば宇田川さんのところは、神奈川の「ボランティアバス」を出すという、あれはちゃんとウェブサイトに上がって、渡辺さんからだと思うのですが、メーリングリストに出ています。それをうちは拾っています。

 拾っていいかどうかは文面で判断して、明らかに募集しているのだったら、もう勝手に使っています。これは地域で募集しているという可能性がある場合には、告知してほしいですか、いいですかというお問い合わせをかけてOKもらってからしたり、その辺はちょっとノウハウがあります。そのときは連絡先の、そちらに書いてある電話番号まではやめとこうとわざと落としたりとか、そういうこともやっています。そこはやはりノウハウなので、むやみに簡単にはできるわけではなくて、専門ノウハウを生かしています。

関(社団法人シャンティ国際ボランティア会)

 今、市川さんが言われた問題、情報に関してなのですけれども、本当にここ数年なのですが、例えばボランティアセンターのようなフィールドのレベルでも、情報をいかに発信するのかというのが急激に変わってきています。

 正直、今回新潟県中越地震でも驚いたのですけれども、独自のセンターごとにホームページを作られて、逐次情報発信しています。それだけ現場に、ボランティアとしてそういった人材が入ってくる。例えばネットワークを組んだり、野外でもそういうLANを張ったり、そういう人材が確かに増えています。

 同時に、一つちょっと危惧を覚えるのは、情報というのは時と共に適性が変わってくるのです。その情報が、例えばホームページ上で発信されても、先ほど言ったメーリングリストというのは一つの媒介なのですけれども、そこに2次的、3次的に流れていくと劣化していくのです。それによる混乱が今回も非常に多く見られます。ですから、「レスキューナウ・ドット・ネット」のような情報を精査する、適正に判断して、精査して発信し直すというところの重要性というのは今痛感していることの一つです。

 先ほど言ったように、フィールドの中にそういった人材が入るというのは、今のところ棚からぼたもちのような状況で、常に開いてみるとそういう専門性を持った人がいたと。ただ、例えばそれが市川さんのようなところなのか、あるいは別組織であらかじめネットワークが作られていて、そういう人材の中から災害時に人材派遣をするとか、フィールドに送る。そこから、やはりフィールドからいち早い情報を発信する人材の必要性も、特に最近の流れとしては重要になってきていると思います。

司会

 情報はやはり引き続き知恵が必要になってくるだろうと思います。

東角(ふくい災害ボランティアネット)

 「シャンティ国際ボランティアの会」の関さんがおっしゃったようなことなのですが、やはり2次、3次、4次収集した人がまた出すというのが多いので、非常にタイムラグが生じるという問題がかなり多いのです。

 もう一点は同じようなことなのですけれども、やはりよく聞いてこられるのです。被災地以外のところから、どういう状況ですか。何が欲しいですか。これはマスコミも同じなのですけれども。でも、被災地というか、被災に遭われたところのセンター運営をされた方は分かると思うのですけれども、とてもそんなにきちんと整理して、そこで発信できるような状況ではないのです。

 ですから、いつも私がお願いしているのは、あなたが情報を我々に代わって発信してくれるのであれば、ぜひ現場に下りてきて、ここで拠点を張って、そこから発信してくださいという言い方をさせていただいているのです。その辺が今、市川さんのところでどのようにやっているのか。なかなか事前にネットワークを組んでも、いざ被災してしまうと、ほとんど不可能な状況があるのです。

市川(レスキューナウ・ドット・ネット)

 今日現在できていないのですけれども、来年からやろうとしているのは、災害時に現地に情報支援のために入る情報ボランティアを組織化しようとしています。まさにそうです。聞きに行くのではなくて、そこに入っていって、そこの状況を、現地の情報を出すための情報ボランティアというものを組織化しようとしています。

正村(災害OUT・SIDE)

 先ほど関さんが言われたように、いわゆる情報の劣化はそうなのですが、僕が情報を受けた場合、何か災害現場であった場合に、仲間に必ず電話をします。何とか新聞の情報とか、だれだれのホームページの情報よりも、逆に入っている人間を捜し出して、彼の情報を聞きます。

 それははっきりネットワークなのです。はっきり言って、隣の顔が見えたつきあいというのが日ごろからあれば、彼が言うのだから間違いないという形になってしまうので。本来それは僕自身としてはうれしいのですけれども、皆さんが共有する情報ということを考えると、やはり「レスキューナウ・ドット・ネット」のような形で、皆さんがどんどんおつきあいをしていって情報を流す。

 といっても、情報を流すと、今度はセンターが流している情報と、「レスキューナウ・ドット・ネット」が流している情報に食い違う点がもし生じてしまった場合に、だれがどうまた交通整理をするのか。そうすると、現場に入らなくては見えてこないという面があって、そういうのは、常に情報を収集しながら、また情報を見ながら、発信しながら現場で回っている人間としてはいつも感じることです。

入江(NHKボランティアネット)

 私は「NHKボランティアネット」といいまして、インターネットを使ってボランティアの情報を流して、もう10年目に入っています。

 まさに皆さんがおっしゃられたように、ネットというのはものすごく便利だけれども、怖いところがいっぱいあるのです。今度の場合でも、ネットを使って募金ですか、というのが流れたこともありましたし、はがきでももちろんありました。

 それ以外にも、古い話になりますが、トルコの大地震のときにも、まだ正式に決まっていない情報をいち早く知った人が流してしまったわけです。それがバーッと流れて、トルコ航空の倉庫が満杯になりました。外国へ物を送るとき、通関とかいろいろ手続きがあって、お役所の許可をもらわないと公には広告できないのです。私もマスコミで生きてきたのですけれども、人間というのはものを知ったら、いち早く、おれだけが知っているからといってしゃべりたいのです。

 ちょっと余談になってしまうかもしれませんが、隣で司会をやっている干川先生が情報ボランティアのことで一番早くから取り組んでおられますが、有珠山噴火のときなどは学校へ、総合的学習でパソコンが配備され始めた時代でした。それが今、農家の方が自分で作った作物のためにパソコンを持っているわけです。そのとき、その方たちが被害に遭ってしまうとできないのですけれども、その近辺の人たちが情報を発信してくれるのです。

 それも、僕らが載せるときは、どこかで会って、あの人だというのでないと載せません。それで、NHKで取材したニュースはまず情報として流して、あとボラセンの場合も、ご迷惑をかけるけれども、毎日電話して状況が変わっていないかどうか確認して流しています。

 私はよく冗談で言うのですけれども、インターネットは今ものすごく発達して、危ないことがいっぱいできるようになってきているわけです。よほど気をつけないと。それと、私のところができるとは決して言いませんけれども、情報を整理して、間違いのない情報を出すという形にしていかないと、これから混乱するのではないか。よく私は冗談で、関東大震災のときは情報がなくてああいう混乱が起きましたが、もし東京でこの間の新潟クラスの地震が起きたら、あのあとすぐ想定被害などを出しましたけれども、情報がありすぎて混乱する結果が出てくるのではないか。そんなことにならなければいいなと思っているのです。

司会

 情報に関しては、恐らくさまざまな角度からまだまだこれから私たち自身も深めていかなければならない問題があるのではないかと思います。今は、最後に入江さんから、いろいろなことがありますけれども、情報を扱う者の慎重性という問題について、全体的にご発言をいただきました。

田伏(日本赤十字特殊救護隊)

 「日本赤十字特殊救護隊」の田伏といいます。現場の情報と精査されたデータの扱いについてですが、私たちの隊では4回、5回と派遣していますが、その都度現場から直接情報を送りまして、東京に置く本部のほうで受取り、それを精査してウェブに上げていくということを今回やってみました。

 実際にやってみて分かったのですが、本部と現場とでは意識の違いがありまして、公開された情報の中身が現場の考えと違っていたり、逆に指摘本部に矛盾を指摘されたりとけっこういろいろ不具合もありました。しかしこれは難しい問題で現場にいる人と情報をアップする人との意識的な情報のずれやタイムラグが生じるという問題はやむをえない事と思います。

 なお先ほどの話の中で気になりましたが、仮定で申し訳ないのですが、「レスキューナウ・ドット・ネット」(災害情報発信者の代表として)の方が(私たちに情報を提供して頂ける過程で)先ほど指摘のあったような故意では無い失敗やミスをされてしまう可能性があるとは思います。しかし、その不安を先にしてしまい、出来かけた情報発信する仕組みを無くすような方向にはしたくないです。現場に居る私たちは常により多くの情報が欲しい筈です。情報がなく推論で混乱するか、情報が多くて混乱するか、であれば情報があって混乱する方が次へと続く反省ができると思います。情報の混乱については前向きに考えていければと思います。

司会

 情報という問題について、意見交換が少し深まってきたかと思います。いずれにしても、すべての仕組みやシステムが関係しているわけではないものですから、今後それぞれの経験を積み上げて、こういう場所を通じて、お互いの経験がそれぞれある種の専門性のところに集約していくということが繰り返されていくことが必要なのではないかと思います。

 さて、広域支援ということをテーマにしていますけれども、この間、95年の阪神・淡路大震災以降10年たつわけですが、全国各地で災害に対して取り組める環境が少しずつできてきたと思います。

 今日は昨日まで新潟におられた田中さんもおみえになっています。この種の世界では本当に先駆的にいろいろなご努力をされていただいた田中さんですから、広域支援という問題を課題としてまとめていただけるとありがたいと思います。

田中(日本災害救援ボランティアネットワーク)

 「日本災害救援ボランティアネットワーク」の田中と申します。私どもは1995年の阪神・淡路大震災から活動しまして、かれこれ10年になります。

 今日この分科会に入れていただいたのは、今後、東海あるいは東南海、南海という巨大災害が発生する、そのときに支援体制をどうするのかというのは、これから考えていかなければならない大きな問題だろうと思います。そんな話が少し要るのかなと思ってまいりました。

 私どもは阪神・淡路大震災から活動を始めまして、1997年のナホトカ号海難・流出油災害、東角さんがおみえになっておられますけれども、あのときに後方支援活動をやりました。あのときは、私ではないのですけれども、もう1人前の代表が東角さんと一緒にセンターを立ち上げまして、すぐに西宮に引き上げまして後方支援をやりました。具体的にいいますと、各地から電話がかかってきました。ボランティアに行きたいけれどもどこに行ったらいいかとか、どういう装備がいいかとか、それを一つ一つ西宮市で答えていたわけです。

 そのときに感じたのは、ナホトカ号海難・流出油災害の場合は、大きくいえば新潟県から鳥取県まで広範囲な被災地でした。その情報を比較的我々は把握していました。石川県はどうだ、福井県はどうだ、京都府はどうだというようなことを把握していました。そのときに思ったのは、今後こういう広域的な災害が発生したときに、全体が把握できるような機関が必要だなと。しかし、その時点ではそういう機関がなかったので、今後そういうことが必要ではないかと思っていたわけです。

 今後、巨大地震、「東南海・東海・南海地震」が発生しますと、それは恐らく東京から九州あたりまでほとんどの各県が被災地になるでしょう。そのときにどう支援するのかなということは、これから検討すべき問題ではないかと思っています。

 ナホトカ号海難・流出油災害の時、私たちはどんな後方支援をやったかというと、先ほどから「ボランティアバス」が出ていましたが、当時も企業の協力を得まして、例えば「阪神バス」とか、「北港観光」とか。これは運転手も全部つけて、無料でバスを提供するからボランティアを集めてくれということで、延べ50台バスを走らせました。そういう後方からボランティアを送り込むという支援をやったり、あるいは現地でこんな物資が要ると。例えば最初のうちは大きなひしゃくが要ったのですが、だんだんと小さなものが要るとか、竹べらが要るとか、ぞうきんが要るというようなことを聞きまして、それを各地に発信しました。

 今までのお話の中にもありましたが、現地ではとても忙しくてできないけれども、後方でできる活動があります。そういうことを現地からちょっと離れたところで活動し、現地のセンターの負担を幾らかでも軽減できるような活動が、後方支援としてできるのではないかと思ったわけです。

 今は新潟県中越地震ですけれども、私も翌日には現地に、長岡市に入りました。昨日も行ってきたのですけれども、やはり同じような後方支援をやろうということで、今、神戸から発信しています。長岡市に私たちの現地事務所を作りまして、中心は新潟のボランティアの方々が活動しやすいような環境を作るということで、拠点を設け、遠方からボランティアに行って、泊まるところがなければそこで10人ぐらいは寝泊まりできるような場所を確保しているのですけれども、そういう後方支援をやっています。

 我々のやっていることはごく小さなことですけれども、情報発信も含めまして、これからの大規模災害に我々はどうすべきかということに着手しなければいけない時期になっているのではないかと思います。

 もう一つ、今のお話とは少し変わるのですけれども、今日のボランティアのつどいが12月になったのは、来年1月が阪神・淡路大震災の10周年ということで、1月18日から22日まで、神戸で国連の防災会議が開かれます。これは政府レベルの会議なのですが、我々のような民間で、周辺事業ということでいろいろなフォーラムがあります。あとでお配りしたいと思いますけれども、私たちも、ちょっと大きな名前ですけれども、「災害ボランティア世界会議」を1月21日にやります。

 このメインは、各地でいろいろな災害で、知恵や知識が蓄積されているのですけれども、それがなかなか共有できないという問題があります。今日おみえになっている宇田川さんなどもこれをいろいろやっておられるのですけれども、「智恵の広場」というものを立ち上げようということで準備をしています。

 例えば新潟県中越地震でこんな知恵があったとか、洙田先生のような知恵をみんなが共有できるような仕組みを作ろうということで、1月21日にはそれの発足会を計画していますので、ぜひ皆さんにもご参加いただいて、そういう知恵の交換をやれるような場にしていきたいと思っています。私から申し上げることは以上ですが、宇田川さん何か補足していただけることがありましたら。

宇田川(神奈川県災害救援ボランティア支援センターサポートチーム)

 「智恵の広場」というのは、今、準備会の段階で活動していますが、今、田中さんがおっしゃったように、防災、減災にかかわるさまざまな知恵を集めて、いってみれば防災シンクタンクとしてそれを世間に発信していこうというネット上の機構です。ですから、できるだけ大勢の方にいろいろな知恵を出していただくことが必要になってくる組織です。ネットというのは、それが簡単にできる組織ですから、ぜひ大勢の方がご協力くださればと思います。詳しくはあとでお聞きください。

司会

 今、田中さんからあった巨大災害に備える仕組みづくりというのは、恐らくここに来ている人はみんな足の先から頭の先まで考えている人たちばかりだと思います。だから、ここに集まっているわけですから。これは恐らくこういうことを積み上げる中で、具体的な仕組みが作られていくことを、それぞれが少し検討していかなければならないと思います。

 そのためにこの10年間、もちろんもう少し前から、いろいろな経験や知恵が積み上げられてきていますから、それらについても先ほどから言われている連携という中でさらに深めていくことの必要性がご指摘されたかと思います。

 さて、もう少しお話をいただきたいと思いますが、ここにはそれぞれの団体として被災地を支えたり、被災者を支えたりする人たちがおられるようです。「全国社会福祉協議会」の皆さんは、それぞれの市町村の社会福祉協議会の皆さんと、この種の災害のときにはさまざまな役割を果たしていただいていますが、社会福祉協議会という立場から災害という問題についてのご提案をひとつお願いできればと思います。

渋谷(全国社会福祉協議会)

 災害の規模にもよるのですけれども、先ほど社会福祉協議会系のボランティアという言葉が出ましたが、実際はそんなものはなくて、一応地元ということを考えると、そこでの社会資源としては、市町村社会福祉協議会というのがそれなりのネットワークと職員もいますので、そこが受け皿としてどれだけ機能できるのかということが、いってみれば私どもの仕事だと思っています。その辺で十分受け皿になりえないところもあるので、それは厳しい意見もいただいていると思っています。

 現在うちのほうでは、都道府県社会福祉協議会や市町村社会福祉協議会の職員が入っているのですが、大体3タイプに分かれていまして、全く自分の意志で入られる方、これはまさしくボランティア休暇などを取って行きます。それから、組織として出しているのだけれども、とにかく行きたいということで入られる方もいます。最後が調整タイプで、私どもが調整をして行っているということで、現在も10人ほど県社会福祉協議会の人間が入っていますが、今のところ累計で1700〜1800人ぐらいになると思います。

 実はこの調整も、別に私どもが指示をしたというのではなくて、言ってみれば「行きたいでしょうから、行ったらどうですか」ぐらいの、かなりボランタリーなものです。したがって、どうやって質を担保するのかというのが、正直言って、調整能力があるとか、経験があるとかというのは相当ばらつきがありますから、行ってそれだけの役割を果たせない人間もいます。

 幾らボランタリーなものだといっても、私どもとしては今回の反省を踏まえて、研修とかそういうことをがっちりやってということかなと。どちらかというと、今まではボランタリーで行って仕事をしてきてくださいというぐらいの感じだったのですけれども、もう少し考える必要があるかなと思っています。

 基本的に派遣は地元の要請に基づいてやるのですが、先ほど申し上げたように、市町村社会福祉協議会あるいは県社会福祉協議会がなかなか立ち上がらない。これはどこでもそうだと思うのですけれども、地元はなかなか自覚というか、ここですぐに動かないといけないということについてちゅうちょしますので、背中を押すというのも私たちの仕事だと思います。それは多分「全国社会福祉協議会」だけではなくて、いろいろなNPOも入られて、背中を押す作業を皆さんやられると思うのですが、それをもう少し意識的にやろうと考えています。

 今回も兵庫県や京都府などの水害は、かなり阪神・淡路大震災の経験もあったので、私たちがかかわらなくてもすぐにすっと動いたので、それはほぼ地元とブロックに任せているのですが、それでも兵庫などは、例えば鳥取から応援が必要だというので、私どものほうで若干調整をしました。

 それから、先ほどもお話があったのですが、今回ちょっと試しているというか、チャレンジしているのは、一つは共同募金です。共同募金は、私どもの団体ではなくて姉妹団体なのですが、共同募金のお金はなかなか早く出ないとか、必ずしも制限しているわけではないのに、なかなかいろいろなものに使われないということがあるので、今回はかなり思い切って早く出すということと、人件費以外は何でもいいという整理を試みました。それでいい面も出ているとは思うのですけれども、実際はなかなか使われないという問題があって、どうして使われていないのかということをもうちょっと検討しなくてはいけないということがあります。

 もう一点は、福祉救援ということについても幾つかチャレンジはしてきたのですが、これがなかなかやはり入らないのです。多分だれが悪いという問題ではなくて、もう少し仕組みを考えなければいけないと思うのですが、基本は自治体の責任ということで、その自治体に対して周りが支援するというのが基本的なスキームだと思うのですけれども、それがもう少しうまくいきません。

 先ほど松澤さんがおっしゃっていた、ああいう形でボランティアの方たちが入るということもすごく有効だとは分かっているのですが、それにケアワーカーが乗っかるかというと、うまく乗れないのです。その辺のところは、社会福祉協議会の社会福祉の専門性からすると、もうちょっと考えなければいけないのかなと思っています。

 基本的には私ども社会福祉協議会としては、ボランティアの方やNPOの方が入るところの受け皿づくりを、主に全国的に活動されているNPOの方々とうまく協働して、地元に伝えていくというのが基本的な仕事ではないかと思います。ただ、なかなかそうきれいにいかないところもいっぱいあるので、まだまだ工夫が必要ですし、こういう会議とか、お互いに全国段階で、いろいろ反省もしながら論議していくことが大事だと思っています。以上です。

司会

 渋谷さんからいろいろなお話がありました。過去の災害を経験した地域は、次の災害にはとてもよい対応ができるというのは、総じてこの間の結果ではなかったかと思っています。それはいろいろなものがその地域に、経験や教訓として残されているということになるのではないかと思います。

 それから、今回の災害で「共同募金会」のお金の流れという問題が、これは市民のボランティア活動に対してもとてもよい影響を一部果たし始めているというのは、もう少し正確にみんなで評価していくことが必要になるのではないかと思います。

 市民と公的な仕組みとの連携の問題についても、全国段階で連携というものがこのような場所を通じて引き続き模索されていく必要があるということも、大体恐らくそれぞれの皆さんが「そうだよね」ということではないかと思っています。

東角(ふくい災害ボランティアネット)

 社会福祉協議会にお伺いしたいというか、皆さんにお伺いしたいところがあるのですけれども、私どももここ10年の間に2度ほど被災を受けていまして、現地で全県域的なボランティア本部や現地のセンターを立ち上げる際に、どちらの被災地でもそうかと思うのですが、社会福祉協議会とぶつかり合うことがあるのではないかなと。その辺は、本音の部分がそういうところにあるのではないかと思うのです。

 最近、社会福祉協議会が基盤づくりをされるという言葉は非常にありがたい言葉で、いい言葉なのですけれども、逆に社会福祉協議会がイニシアチブをとらなければならないという雰囲気になっている部分が多くて、その辺でほかのNPOとうまく折りが合わないという事例が私は見られるのではないかと思います。全国社会福祉協議会はそう思っていなくても、各県社会福祉協議会、市町村社会福祉協議会へ行くと、災害が起こったら必ず社会福祉協議会がとりまとめをしなければならないという雰囲気が、どこへ行っても見受けられるような気がします。

 そういうことが続きますと、片や、今日お集まりの皆さん、NPOの方などは、割とそこへ人間が行って、そこでセンターの運営に携わるといっても、無償の部分があるわけなのですよね。ノーコストというか。片や、社会福祉協議会の職員は業務でやっておられる部分があって、根本的にその辺が違うので、これからはもう少し役割分担を明確にしていかないと、私は非常に危険になるのではないかと思います。

 先ほど群馬県の方もちらっとそういったことを言わんとしていたところがあると思うのですけれども、ぜひそういう取り組みで今後皆さんと話し合いをしていかないとだめなのではないか。ましてや、また共同募金の話が出ましたけれども、共同募金だからこそ社会福祉協議会がやらなければならないという雰囲気になっていきますと、また非常に難しい部分があります。

渋谷(全国社会福祉協議会)

 一つは、共同募金を導入したのは、社会福祉協議会の活動だけではなくて、すべての活動にというのが大原則ですから、例えば今回もボランティアバスで、例えば群馬からボランティアバスを出すというときにも、群馬の共同募金から出せるというようにして、そのときは別に社会福祉協議会のバスでなければ出さないなどということはありえないので、すべてにということは当然です。

富岡(群馬県ボランティア・NPO室)

 よろしいですか。ただし、お金は社会福祉協議会経由で出してくださいという形になっているのです。共同募金会が、窓口は社会福祉協議会経由でなければだめだという話なので、そうすると、結局社会福祉協議会でそこでスクーリングされますから、問題です。

 もう一つ、うちのほうが実は川口町でやっているのですけれども、川口町のボランティアコーディネーターの方と私ども現地の人間がぶつかりまして、現地へ派遣している人間が社会福祉協議会のコーディネーターの言うことを聞かなかったのです。そうしたら、社会福祉協議会の指揮に入らないボランティアは、ボランティア保険の対象にならないというのではじかれてしまったのです。この事実だけはしっかり把握していただけたらありがたいと思います。

渋谷(全国社会福祉協議会)

 別に私は弁護するわけではなくて、例えば新潟の場合は、立ち上げのときにNPO団体がちゃんと入る体制を作らなかったという決定的なミスをしていますので、それは私どももおかしい新潟県に伝えています。

 今のように共同募金が、せっかくそういう趣旨になったのに、社会福祉協議会を通さなくてはいけないというルールはおかしいですから、それは見直しをお願いします。率直にいって、社会福祉協議会職員だからいいなどというつもりは全くなくて、経験や調整の能力がないという職員もいます。ただ、社会福祉協議会組織全体としてそんなことを思っているわけではないので、それはぜひ徐々に職員のことも含めて直していきたいと思います。

 長くなって恐縮ですけれども、もう一点だけ、やはり私どもは地元というところが中心で、市町村社会福祉協議会のみならず、市町村でやっていくというときに、きちんと地元で自立してやっていただきたい。それを応援するということですが、そのときにどうしても地元がうまくいかない場合があるのです。そうすると、私どもとしては、言葉は悪いですが、干渉するわけです。それはうちも干渉するし、NPOの方々も干渉する。そういう構図になっていると思います。

 本当に支える、かかわるというときに、どういう形でやるのかということが大事で、そのときに県社会福祉協議会だけがやっているという状態であるとすればそれは間違っています。そこの協働体制をうまく作っていくことが大事で、当然、社会福祉協議会とNPOという関係もあると思うのですが、地元と県外との関係という問題もあるので、そこらをうまく整理することがポイントなのではないかと思います。

諏訪部(柏市社会福祉協議会)

 「柏市社会福祉協議会」の所属なのですけれども、今回、長岡市の災害ボランティアセンターのほうに、「千葉県社会福祉協議会」として、ボランティアコーディネーターとして5日間ほど行ってきました。関東甲信越ブロックということで、ほかの関東ブロックの県社会福祉協議会が、みんな長岡市や川口町とかに集まったのですが、千葉県の場合は、市町村のボランティアセンターへ職員を連れていっていただいて、自分自身はすごくいい経験になったと思いました。

 ただ、その中でいろいろ感じたことは、先ほど十日町の高校生がおっしゃった、ニーズ把握といった部分が、私がいた長岡市については、正直言って何も連携が取れていませんでした。平日は500人、土日は1000人、東京からボランティアが集まって、こんなに来てどうやってこれをさばけばいいのだろうということで、最終的にそのセンターでは、高校生や大学生などがビラを配って、地域ニーズをつかまえてくださいという話があったのです。

 それについては、社会福祉協議会ですと、通常の町会や地区の支え合い活動や見守りチームといったものを各市町村がほとんどやっていると思うので、そのレールに載せていけばニーズ把握は簡単だと思います。まして、東京から来た学生が勝手に「何かありませんか」と回っても、家の中に入れる人はまずほとんどいません。通常であれば、民生委員とか、地域の方の紹介を持っていけば、恐らく相手はどうぞと言うと思います。

 やはり市町村の社会福祉協議会がやらなくてはいけないことは、地域の見守りやニーズ把握をきちんとやっておけば、ほかのコーディネートはNPOの方がもうほとんど・・・。逆に自分などは、やらなくてはいけないかなと思ったら、ほとんどレールが敷かれていて、むしろやらなくてはいけないのは、各市町村のニーズ把握のパイプを持っていれば、東京やほかから来た方がもっと早めに助けていけます。本当に防災と福祉のネットワークを、町会単位で作っていくというのがやはり一番必要ではないかと思います。

 それで、うちのほうは市に戻りましたら、市の防災の担当と町会単位の防災と福祉マップを一つの解決策として作っていこうということで、地域の方も福祉でマップを作ろうと思うとなかなか乗ってくれないので、地震のあとに「防災」と入ると、登録する方はプライバシーを越えて乗っていきます。市社会福祉協議会の役割として、地域の部分をきちんと固めるということが、今までやってきた活動を一番生かしていけるのではないかとつくづく感じました。

 あと一点感じたのは、長岡市の場合、皆さん電車で来る方、車の方がいるのですけれども、災害地まで自家用車で行ってくださいということになったのですが、社会福祉協議会のコーディネーターが車で現地へ行って、もし本当に事故に遭ったり、まして人をひいてしまったりしたら、その保険は今のところ自己責任になっているのです。本当は義援金や何か特別な保険があれば、車を運転してくれた方に対しては、きちんと送迎のボランティアの派遣というか、そういった制度がないのかなと言いつつ私は帰ってしまったのですが、そのあたりは、車で行く分の保険が必要だと思います。

 あと、東京から来るボランティアに対して、どこまでボランティアとして責任を持って出してあげるかという基準が比較的あいまいです。バイク隊の方もいらっしゃいますが、実際に事故があったときに、ボランティアは何でもできるというボランティアの方もいらっしゃいましたが、やはり行政で補っている部分もありますから、そのあたりの役割分担を、市町村ごとになった場合は分けておかないと、事故があって人をひいてしまって、ボランティアと裁判ざたになるケースもあると聞いています。やはり市町村ごとにマニュアルを作るなり、そういったものをきちんとしていくことが必要です。

 市町村は、地域のネットワークをきちんと地区単位、町会単位で作っておくことが、防災のときに一番役立って、早期発見で、ニーズに対してマッチングできるということは、市町村のボランティアコーディネーターの立場で行った経験で思いました。以上です。

司会

 日ごろの人材養成という問題の重要性は、D分科会でなされていると思います。これまた恐らく地域に対してある種の役割をきちんと果たそうとする人たちは、継続してそれぞれの養成のプログラムにチャレンジされているのではないかと思います。

 さて、大学生でこの間、災害について取り組む方があちらこちらで増えてきています。今日も幾人かの大学生の皆さんがおいでになっていますが、岩崎君、頼みます。

岩崎(災害救援ボランティア推進委員会学生ネット)

 「災害救援ボランティア推進委員会学生ネット」というところに所属しています、岩崎と申します。よろしくお願いします。学生の立場でということなのですが、まず一つあるのが、僕ら学生というのは、正直こういうのはよくないのかもしれないのですが、時間が作りやすいのです。試験期間以外は、理解がある先生ならば休んでとか、了承を得てということで、社会人の皆様に比べて動きやすいという面が比較的あるのです。そういうところと比較して、また、やる気がある人間がいるという前提でお話をさせていただきます。

 その場合に、やはり情報を得るのが非常に難しいというのがあると思うのです。例えば僕の回りの友達などであれば、そういう地震があったけれども、今回ボランティアはどうなのというのは、僕のほうを通して情報は流せるのですけれども、やはりその辺には限界があります。

 それで、例えばネットで調べようという話になった場合に、情報が一元化されていないので、ボランティアセンターで出しているウェブページがあれば、そこを参照することはできても、ボラセンがあるのにウェブのないボラセンがあれば、そこにはもちろん注目が行かないわけです。そういう統合された情報がないので、果たしてボランティアに行くべきか行かないべきかというのも難しい。

 例えば行くのは無理だけれども、地元で募金をしよう、物資を集めようというアイデアが出てきたときに、果たしてどれが本当に一番必要なのかという情報の判断ができないという、情報面の難しさがまず一つあると思います。

 二つ目として、実際に現地に行くときの話なのですが、これは最近ボランティアバスが出てきて行きやすくはなっていると思うのですが、実際時間はあってもお金がないというのが学生という面もありまして、そういう意味で、例えば企業にバスのお金を出していただくとか、大人の方はちょっと高めで学割にしていただくとか、そういうことをしていただくと、まだ学生が行きやすいのかなと。

 また、実際に現地に行って何をさせられるか分からないという怖さも、実際聞いてみるととても大きくあるようで、そういう意味で、例えば片づけなら「片づけボランティア」があるという情報を実際に出していただくようなところがあると、便利なのかなと思っています。

 それが実際に活動していて思うことなのですが、あとは現地に行って、仲よくいろいろな人と会えたという話もありますので、そういう経験談が、簡単な、重たくない形でというのが多分ネックだと思うのです。堅苦しくない形でネットワークが広がる、友達を誘って「ボランティアに行ってみない?」というような、軽い気持ちでと言ったら誤解があると思うのですが、きちんと現地でのリスクや何かも理解をした形で行くような、そういう平時の地域のネットワークであるとか、もしくはふらふらっと寄れるウェブサイトであるとか。そういうものが増えてくると、また学生というレベル、もしくはユース、もしくはさらに若いレベルという次元での防災に対する興味、あと災害ボランティアというものに対する興味も増えていくと思います。

 私のほうで今、防災の学生を全国から集めてフォーラムを3月に企画しています。ぜひ皆さんも地元のボランティアの若手がいらっしゃいましたら、ぜひ参加いただきたいので、よろしくコンタクトをお願いします。

司会

 学生の特性と、それから経済的な問題もありますから、これはもう本当に大人と学生はいつも友達でやっていくのが一番いいと思います。本当に最近は大学、キャンパスがこういうことに対してとても関心を持ち始めてくれていると思います。東京都の千代田区は条例の中にやっと、3年もかかりましたけれども、明治大学がそういう環境を作りましたので、そういうことがいよいよ起こり始めました。学生も今、そういうことでフォーラムを開き始めていると思います。

大谷(NPO法人国際ボランティア学生協会)

 「国際ボランティア学生協会」という学生団体の大谷といいます。今年は新潟の暴雨災害、「台風21号、22号、23号」、それから新潟県中越地震のほうに派遣させていただきました。

 私どもは完全に、例えばいろいろな社会福祉協議会、行政の方もそうですし、それからボランティア団体の方にコーディネートをしていただいて、我々は今のところ人足を派遣するということです。先ほど岩崎さんも言われたように、情報収集能力がないというのが実情でして、しかも現場に行ったとしても、我々ができることというのはすごく少ないというか、専門的な知識もなければ技術もなくて、一緒に日本財団の方と作業したりするのですが、あちらの方はすごく手際がよくて、我々は作業を進めるのに1.5倍ぐらいの時間がかかったりするのです。

 ただ、我々が行って一番よかったと思えることは、例えばこの前、豊岡市の隣の出石に水害の復旧活動に行ったときには、そこの息子さん、娘さんたちと同じ年ぐらいなのです。そこのお父さんお母さんを学生が「お父さん」「お母さん」と呼んだり、そこのお父さんお母さんは、息子、娘が増えたようだという感じで、これからやっていく、頑張っていくエネルギーをもらったということを言っていただきました。私どもとしては、これでもうこの人たちは自立した、この人はこれから頑張れる、この人はやっていけるということで、全然作業などはできないのですけれども、我々は元気を与えるとか、エネルギーを与えるというところで収めているのが一つかなという感じです。

 あと、よく冗談で言うのですけれども、学生だから発案できるアイデアというのがあって、例えばボランティアニーズの問題というのがあって、情報もそうなのですが、そのニーズが果たしてどこまで大きいのかということで、先ほどもお話しされていましたけれども、ニーズがないところに我々ができることを探すというのが、我々が考えていることです。

 例えばですけれども、こういうことを言うとすごく不謹慎なように思われるかもしれませんが、避難所に行って居酒屋を開こうとか、そこで普通に地域の人と話して仲よくするようにしようというのは、実際のボランティアニーズとしては全くないような発想だと思います。しかし、そうやって一緒に生きていくということの自立を図ろうというのが、多分我々の活動としての、役割分担すればですけれども、私たちはそういうところを担っているのかなとは考えています。

司会

 午前中は高校生の松澤さんが報告をしてくれて、そして大学生が報告をしてくれて、そして大人といわれている人たちがさまざまな取り組みをして、本当にいろいろな人たちがそれぞれの立場で被災地を、または被災者を支えることができるような時代になったのかなと思います。

 さて、今日のこの「C分科会」の中心テーマは、「広域的な支援活動のあり方」ということになっています。この間、実は被災地を支えるということの中で、直接支援と後方支援というものが漠然とあるということについて、私たちはやや理解を始めています。そして、そのいずれもについて一定の財政というか、お金が必要になっていることについてもやや分かり始めています。

 その中で、連携という問題で、企業の皆さんと市民の皆さんが協働してある種のプログラムを作り出し、そして後方支援であったり、直接支援が部分的に行われているということについてもご報告があったかと思います。

 とりわけ先ほど「全国社会福祉協議会」の渋谷さんからお話がありましたが、NPOの皆さんが主体であろうが、地域のボランティアグループであろうが、社会福祉協議会の皆さんであろうが、被災者を支えるということについての経済的な支援を「共同募金会」が決して多い金額だとは私は思っていないのですが、本格的にできたのが今年の特徴だと私は思っています。そういう点では、時代は動き始めていると思っています。

 そこで、いつもいわれているのは、事が起こってから立場の違いや何かをあげつらうだけではなくて、日ごろから酒を飲んだり、まじめな話をしているところがどうも強いという、これは連携という問題になるのではないかと思います。

 恐らく「D分科会」は人材の育成ということで、多分これらが意識されて、それぞれの地域に合った人の教育、育成というものが取り組まれていき、そしてそこではお互いに少しの違いを越えて連携が日ごろの、日常の中でとらえようとしていることが検討されていると思います。

 今日は、数は少なかったですけれども、羽賀さんからは、災害と外国人というある種の言語の問題が指摘されました。もしかすると私たちが考えている中では、人々は一様ではないものですから、私たちの中に例えば少しの違いというものがあって、その違いが多くの被災者をより厳しい状況に追いやっているということもあるのかもしれません。

 多分、外国人支援というのは、比較的分かりやすいと私は思います。例えば色が白かったり、赤かったり、黒かったりというのは比較的分かりやすいと思います。ただ、同じ黄色い顔をしていても、私たちの中にはそれぞれが持っているある種の問題を抱えています。これはこれでけっこうデリケートな問題として、特殊な支援が検討されなければならないのではないかと思います。

 私は実は、今日も今すでに出しているのですが、私の部隊の真ん中にはホームレスの方が入って新潟の支援をさせていただいています。ホームレスの皆さんは私と同じ顔の色をしていますから、ちょっと彼のほうが黒いですけれども、日に焼けていますから。でも、そのように社会にはさまざまなものを抱えている人たちがいます。そこでの協働作業という問題は、これまた大きなテーマになるかと思います。

 そこで、まず、お金の問題を簡単に、いいアイデアがありましたというのがあったら、それを出してもらいたいと思います。宇田川さんは、先ほどボランティア活動の中で企業との連携がありました。正村さんからは、「オレンジフェリー」という船会社がそれを提供してくれて、地元のマスコミがそれを取り上げることによって、船会社そのものも地域に対して、会社の社会貢献というある種のポジションを取ることができたということでのやり取りの問題がありました。もう一つは、今年は特にそうだと思いますが、「共同募金会」のようなお金がある種の事業に動くという組織の仕組みの中で、ボランティアバスが動いたケースもあったかと思います。実際に後方支援や直接支援をなされたところで、お金の問題で、一言ご発言いただきたいのですが。

岩崎(災害救援ボランティア推進委員会学生ネット)

 僕は防災もやっているのですが、国際関係のほうが本業でして、そっちのほうのボランティア活動もやっているのです。そちらのほうではお金が大量に必要になります。物資を持っていく場合もあれば、交通費だけでも簡単に何十万円という単位になりますので、そういうところでけっこうお金の話が出ます。

 近年すごく注目を浴びている企業の社会的貢献、大企業などは特に大きく取り組んでいるかと思うのですが、その一環でメーカーの物資とかサービスとか、もしくは直接的にお金を出していただける企業も最近増えてきています。大企業に多いのですが、社会貢献部、もしくはそれに類似した名前で部署があるところを、積極的にこちらのほうから探して、向こうからあまり積極的には公募をしていないですが、ウェブサイトをきちんと見たりすると、そういう情報がいっぱい載っていますので、そういうところに積極的にこちらから企画とか、ふだんからこういうことをやっておくのが大事だと思うのです。

 防災の場合、災害が起きてからアクションを起こして、お金をくださいという話になるとごたごたになって、信用が置けない団体ということになりますので、そういうお金の話もふだんから事前に信頼関係を作って、例えばこういう災害が発生したら、うちの団体ではこのように派遣をします。その際に、例えば交通費のところだけお金を負担していただきたいとか、あるいは現地にコンピュータを持って情報支援をしたいというのであれば、例えばコンピュータメーカーにお願いして、現地に行くときに1人に1台ノートパソコンを貸してくださいとか、そういう具体的な形で事前に提携をしておくことで、比較的有益なメリットを得られるのではないかと思います。

 もちろんその一方で、午前の部でも話にあがっていましたが、そのメーカーに何をしていただいたかという話を出すこともきちんとやる。もしくは、「オレンジフェリー」の話がありましたが、そういう実例を紹介していくというのも効果的だと思います。そういう形で、企業の貢献というのはこれから多分大きく出てくると思いますので、地元の企業であってもいいと思いますし、もしくは大手の企業であってもいいと思います。産学官という言葉も最近はやっていますけれども、そういう形で積極的にネットワーク構築して、ふだんから信頼関係を作っておくことで、これからどんどん協力をいただけるのではないかと思っています。

司会

 それはいいアイデアですけれども、実際に金をつかんだという話、どれぐらいつかんでいるかというのは?

岩崎(災害救援ボランティア推進委員会学生ネット)

 例えば僕がやっているところですと、もっぱら資材なのですが、例えば具体的例を挙げますと、「ライオン」から、具体的には歯ブラシや衛生資材をフィリピンに持っているケースがあります。同じフィリピンでの実施プロジェクトですが、他国籍の企業、例えば台湾、韓国の企業からのご協力を頂いております。

 あとは、学生で活動している皆さんなどですと、最近ですと明治学院大学のボランティアセンターと「ソニーマーケティング」と一緒に、25万円を上限にお金を出しているというような、具体的なプログラムをやっているメーカーもあります。そういう形でこれからどんどん出てくると思いますので、ぜひトライをしていただきたいと思います。

司会

 新潟県集中豪雨の後始末のときには、「レスキューナウ・ドット・ネット」の市川さんは、速やかにマスクをある企業の皆さんから提供をいただいたと思います。

 今、彼が発言されたように、企業がそれぞれ自分の得意分野であると、提供しやすい環境を持っていると思います。提供しにくいものは、自分のところで手が出ないのは現金しかないものですから、現金はなかなか動きにくいですが、資材や何かは比較的動きやすいという感じに、この10年ぐらい、特にこの5年ぐらいはなってきたと思います。

富岡(群馬県ボランティア・NPO室)

 群馬県でも、実は携帯電話を「NTTドコモ」に言って3台期間内に提供していただきました。電話と電話代は全部「NTTドコモ」です。それから、トイレ掃除に行ったのですけれども、現地に行った人が衛生用の手袋をということで、その手袋をうちのほうから現地へ全部持っていってもらったという経験があります。

宇田川(神奈川県災害救援ボランティア支援センターサポートチーム)

 私の経験では、今回の新潟県中越地震では、電話に関していえば、十日町のボランティアセンターに、成田空港で国際携帯電話をレンタルしている会社の方が直接みえて、ボランティアセンター用にと3台貸してくれたのです。これは期間は11月いっぱいがんがん使っていいと。川口町で作るときに、もう一回その会社に電話して頼んで、川口町では7台貸していただきました。いつまでもこういった関係を大事にしておくのが必要なのだろうと思います。

 それから、「ボランティアバス」のほうは、私たちから見れば本当に今回は棚ぼただったのです。ただ、棚ぼたの関係をこれからずっと大事にしていく努力が求められるでしょう。それから、夏の水害のときに飲み物はいっぱい来たけれども、冷やす機械はどこのボランティアセンターにもなかったのです。冷凍ケースも一緒にと頼んだら、大塚製薬だけが対応してくれました。やはり飛び込みだとなかなか成功率は低いかなという印象があります。

 ですから、今回のボラバスのように、企業の社長どうしのつながりの口利きがあると、今回も段ボールの提供なども、数千枚単位で頼んだメーカーがあったのですけれども、応じてくれたり、またほかのネットワークを利用するという知恵が求められるだろうと思います。

正村(災害OUT・SIDE)

 面白い話ではないのですけれども、企業に物資を提供していただいたのです。提供していただいたのはいいのですけれども、今度は持って行かなくていけないじゃないですか。そうすると、今度はトラックが必要になるわけです。それで、今度は近くの運送業者をトラック協会にお願いしたら全然らちが明かなくて、結局自分たちの団体で身銭を切って持っていったということがあったのです。

 そういうことで、物資を出してもらったことによって、今度はそれを現地に運ばなくてはいけないという、またコストがかかることになってしまって、逆にそれでそこの団体は結局、団体の代表の方が自分でお金を出してしまうことになってしまったのです。

 そういうことを考えると、物資を集める、それを運ぶ、それでまた人件費がかかるとか、人をどこかから引っ張ってくるとか、いろいろなことが付随してくるのですけれども、そういうことをトータル的に考えて、いろいろな団体とネットワークを結んでおいて、例えばそこだとトラックだったら強いかなとか、そういうことが日常の中からあればいいのかなと、そのときに感じました。

諏訪部(柏市社会福祉協議会)

 新潟の水害のときは、「佐川急便」がかなり面倒を見てくれました。ただ、長岡市の場合は、「トヨタレンタカー」などが提携してくれれば、かなり学生でも免許があって、車でいろいろなことができたと思いますので、できれば輸送関係の会社と事前に提携を結んでおくと、レンタカーなどは本当にかなり役に立つのではないかと思います。

司会

 恐らく今日は結論は出ないと思いますけれども、個々のボランティアグループや団体が個別に企業なりとうまくつるんでいるとか、そういうのは私はあっていいと思います。そのうちにそれが公開をされていくというか、みんなが相互に活用できるような、そういう関係をなるべく早く作らないと。あの人はいろいろなコネを持っているとか、その人のところのコネで何かある種のものが動いたり、協力が得られるというのは、私はそれは第一段階はやむをえないと思いますけれども、ある段階でそういうものがもう少し社会性を持った情報として提供されていくことが、そろそろ必要になってくるともちろん思っています。

関(社団法人シャンティ国際ボランティア会)

 その話に関連して、ない知恵の一つなのかもしれませんが、海外で国際救援、災害救援をとり行っている日本のNGOが幾つかありまして、数にして20〜30ありますけれども、何年か前に、そちらの災害救援に取り組むNGOの問題意識として、やはり初動資金が確保できない。実際に災害が発生した段階で呼びかけて、そこから発起人が集まる、企業から協賛が集まるという仕組みがあったのですが、肝心の初動、調査を送って、どういうニーズがあり、どういう支援が必要なのかを把握し、そこでまず大量の物資を確保しなければいけないという機動性がやはり持てないのです。

 そこで今、仕組み、枠組みとして作られているのは、「ジャパン・プラットフォーム」という仕組みです。それは企業、政府、それからNGOが三つ巴で組織体を作っているのです。その初動資金の部分に関しては、加盟してある程度精査された団体が、災害時に自分たちがプロポーザルを出して、即決して、特に初動資金の場合は、政府資金が投入されます。そこから動き出した段階で、企業から、経団連などから呼びかけていただいた企業が資金投入をしていただくという仕組みが今回っている状況です。

 個々の団体、日本の災害に取り組んでいる団体も、非常に大きなところから小さなところまでありますけれども、おしなべてまだそういった基盤が弱いという中で、やはりネットワークの中でそういった社会性をある程度培って、政府あるいは企業とそういう形でタイアップすることも十分考えられるのではないかということが一つです。

 あとは、やはり福井のケースのように、ファンドをまず団体レベルなのか、例えば義援金として募集するだけでなく、もう少し緩やかな形で社会説明を行って、例えば運用で1.5割の経費がかかりますといえば、そういうものも蓄積していくことは十分可能だと思います。我々の団体もそういう形である程度ファンドを作って、初動で団体の中でも対応できるようにしているところがあります。

 もう一点だけ、被災地の中で、例えば中長期的に、今の新潟県中越地震もそうですけれども、仮設住宅に入られてからの息長い支援が、地元の方を中心に必要になってきます。そういう中で、社会福祉協議会なのか、あるいは地元のNPOなのか、それを持続させていくというのは当然人もお金もかかってきます。そういう中に、今一つ知恵というか、枠組みとしてあるのだけれども、案外知られていないのですが、緊急雇用制度という厚生省のほうから引っ張り出せる枠組みがあります。

 それは神戸のときに作られたものですけれども、鳥取地震のときにもそれが使われていますし、新潟県中越地震のほうでもその枠組みを使って中期的に、例えばボランティアセンターを生活支援という形で運用していくときに、その人材を確保するための人件費を中央から、県が申請する形になりますけれども、そういった枠組みも使えます。その辺の枠組みは、民官のレベルでの協働関係をどんどん結んでいければいいと思います。

司会

 少し仕組みの問題で、海外救援などがなされている「ジャパン・プラットフォーム」の現状というか、災害系もそろそろそういう全国ネットワークができたらよいのではないか。その中で、初動資金の問題や、福井県の皆さんから提案していただいた基金の問題等が検討されると、とてもある活動がやりやすくなるのではないかというお話だと思います。

 さて、お金の問題と、もう一つは人の問題ですけれども、人はどこからどうやって動くのかという問題も、これもそう簡単ではないと思います。もちろんボランティアバスのように、マスコミを通じたり何かして、「いついつ東京駅の駅前に集まってください。バスが並びますよ」ということもインフォメーションして、そこに集まってくれる人もいるのですが、何といっても、これは訳の分からない人が集まってくるのです。これを束ねるのも結構大変なのですけれども。

 そういうやり方と、あらかじめそれぞれの地域の中にしっかりとしたネットワークがあって、そのネットワークの中で養成も含めてなされているところが、ある種の中枢を担って、そして部隊を作って被災地、現地と調整をしながら入っていくというやり方ももちろんあるのです。いろいろなやり方があるかと思います。特に今回注目されておりますボランティアバスの中に乗る人は、一体いかなる人だったのかということなのですが。

富岡(群馬県ボランティア・NPO室)

 うちのほうは基本的にいうと、現地からのニーズに応じて私どもが募集した人と、公募して集まった人と、大体1対3ぐらいの割合でした。正直言って、やはり現地の中で一番喜ばれたのは、美容師の方です。美容室がみんな倒壊してしまって、女性が何もできない形なので、現地からの状況に応じて、美容学校とNPOに声をおかけして、大体1〜2日、2人か3人ぐらい、町役場の前でやってもらって、大体毎日やっていますので、だれか来ると理容なり美容なりを対応したという形です。

 それと、現地にお年寄りの方がたくさんいらっしゃったので、正直言って素人のあんまではよくないのですが、あんま・マッサージ協会にお願いして、大体1日に2人か3人ぐらい、やはり半月間ぐらいずっと専門の方にボランティアで協力していただきました。専門的な方から幾つか申し入れはあったのですけれども、現地で役に立ったという事例は・・・。現地で喜ばれたのはこの二つくらいかなと思います。介護の方とか、看護大学の先生とか、リクエストはあったのですけれども、一応現地のニーズを把握してみたのですけれども、正直言ってちょっと難しかったです。

 意外と喜ばれたのが、72歳の大工の経験者の人とその友達という方が行って、壊れた建物をちょっと修理のお手伝いをするとか、そういうようなことをやったことはけっこう喜ばれたようです。これは一般の公募のおじいさんですけれども、トータルで10日間ぐらい、その方には行っていただきました。

司会

 あとバスが出たところはどこですか。田中さんのところは今回バスは出ていなかったですか。

正村(災害OUT・SIDE)

 来た人は、大体1日30人ぐらいのローテーションだったのですけれども、そのうち、3分の1が学生、あとの3分の1が定年退職者の方、あとの3分の1が失業者の方で、仕事を休んできた方はあまりいませんでした。要するに、先ほど学生の方が言われたように、時間がある方が大勢を占めていました。しかも無料だったことによって、学生もお金がないですし、失業者もお金がないですし、例えば定年退職の人で年金生活者ですからお金がないので、逆に無料でフェリーを出して、無料で宿泊所に構えて、無料でおふろにも入れて、食事は自分でやってくださいというのに関しては、すごく皆さん飛びついてきました。そういうことがありました。

諏訪部(柏市社会福祉協議会)

 私は長岡市のボランティアセンターにいた経験で、一人一人の単位でバスに乗ってくる。あと、意外と何とか組という建設会社が、そのままもう土方の格好でバスに乗ってきた会社を何件か思い出しました。

宇田川(神奈川県災害救援ボランティア支援センターサポートチーム)

 企業がバスを出すと効果あるかもしれませんね。7000円取ったのです。バスの運行料はその企業の寄付で賄いましたけれども、ただはよくないだろうということもありまして、宿泊は実費で、湯沢に宿を取って、金曜日の晩に横浜を発つと、湯沢に大体12時ぐらいに着けるのです。湯沢が今、閑古鳥が鳴いていますので、そういった意味も含めて宿を取って、それで小千谷市と川口町に行きました。参加者は、最年少が15歳、最高齢が71歳、職業もばらばらでしたから、とりわけての傾向は見えませんでした。

正村(災害OUT・SIDE)

 新居浜だったのですけれども、愛媛県の知事が、ある新聞か何かで、いろいろな建築業者が愛媛県内にあるのですけれども、その業者に向けて、ボランティアに参加すれば競争入札に入れると(笑)。「競争入札からはじくぞ」と言ったら、もういろいろな建築業者がこぞってボランティアに来て、しかも証明書が欲しいからといって、夕方3時半ぐらいになるとずらっと業者が並んでしまって、それをまとめる社会福祉協議会の人がてんてこ舞いしたというのがあったのです。そういう鶴の一声というのはすごいなと。

司会

 それはなかなかいいアイデアですから、今後使わせていただくようにしましょう(笑)。でも、それはいろいろ難しいですね。

諏訪部(柏市社会福祉協議会)

 あと、長岡市に学生などが来てしまうのですが、小千谷市に行きたいというときに、長岡市と小千谷市の間に無料のバスがあったら、学生をここでないからと断わらなかったというのを思い出しました。

司会

 そろそろ3時になります。確かに今回の、特に新潟県中越地震の場合も、それからこの夏から秋にかけての豪雨災害に対しても、いずれにしてもかなり広域の中で、人が災害支援で動き始めたということがとてもあると思います。

 もちろん10年前の阪神・淡路大震災で、百数十万の人間が動いたわけで、翌々年の97年はナホトカ号海難・流出油災害を中心にして、これまたあそこが情報というものがやや効果的に活動した最初かなと思いました。もちろん海の前の油ですから、何となく前が見えたものですから、情報が比較的取りやすかったと思います。

 そういう経験をしながら、災害があちらこちらで起こるたびに、それぞれの地域の中に災害対応というものがある種の教訓として、これは行政もそうですし、市民の中にも残されていくことが、結果として広域的な支援ものを可能にさせているのではないだろうかという側面を感じています。

 もちろんこの間、いずれにしても私たちは日々たゆまずに経験を積み上げていったり、その教訓を皆さんと一緒にさらに分かち合っていくことが必要だという教育の問題や、人材の養成という問題、そしてまた地域の危険度を私たちがあらかじめ認識することがいかに必要かということについても、少しずつ学び始めているのではないかと思っています。

 これはたびたびいわれているように、連携の中では、いつもみんなが少しの違いを超えて仲よくやっていかなければいけないということは、これはもう本当に当たり前のことだと思います。しばしばある種の団体が旗を立ててやることによって、結果として地元の団体のご迷惑になるということも、この間全くなかったわけではないと思っています。

 そういう点では、今後いわゆる地元の中で大きな役割を果たす社会福祉協議会の皆さん、県の皆さんと、NPOの皆さんも、本当に日ごろから顔の見える関係が作られていくことが必要だということは、みんながそのように感じているのではないかと思います。

 お金は少し動き始めたと思います。あとは、私たちが企業の皆さんと、先ほど岩崎君からも提案がありましたけれども、日ごろからそれぞれNPOの皆さんが提案し、関係を作っていくことがどんなに大切かということも指摘されたかと思います。

 最後の関さんは、この種の海外系の団体もいよいよ全国的なネットワークを作る中で、それぞれの記憶や教訓をさらに高めていく。そして、それらが情報を使いながら多くの人たちに配られていく。そして、その教訓や経験が多くの地域の中に、具体的な形で浸透していくということがとても必要です。それを支えていくためには、もちろん財政というものは避けて通れない課題だということも指摘されています。

 多分財政の問題は、これをしっかり言っておけば、内閣府が後ろにいますから、少しは考えるでしょう。災害があるたびにボランティアに何でもかんでも任せればいいという認識では決してないわけです。私は、市民と中央政府や地方政府の人たちが、本当にどうあったらいいのかというテーブルを作って、きちんと論議をしていかなければ、起こったら社会福祉協議会に任せればいいとか、気の利いたNPOに任せればいいとかというレベルの問題ではもうないということは、だれが見てもはっきりしていると思います。

 そういう点では、今日のこの「防災とボランティアのつどい」が、私たちの地域にこれからも起こるであろう自然災害に対する取り組みの小さな一歩になればと思っています。長時間にわたりまして本当にご協力ありがとうございました。

 この間の各地の豪雨災害の被災者も、すべてのものが解決したということは一切ありません。私たちは引き続き全力をそこに傾注して、いずれにしてもささやかな支援しかできないことは百も承知ですが、私たち市民が善意を被災地に届けたいと思っていますから、またそれぞれのところでお会いできるかと思います。そのときにはまた本当に深い友情を持ってお互いに連携をし、被災者を支えていければと思っています。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました(拍手)。

富岡(群馬県ボランティア・NPO室)

 それから、国の方に要望なのですけれども、被災地の建物を早く使えるようにしていただけたら一番ありがたいと思います。


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