今年の各地の台風・豪雨水害におけるボランティア活動

司会:高梨 成子 氏(防災&情報研究所代表)

(以下、司会者は「司会」、敬称略)

【午前の部】

司会

 開始予定の11時を過ぎてしまったのですが、時間がどんどん過ぎてしまうので、そろそろ始めたいと思います。司会進行をします「防災&情報研究所」の高梨です。いろいろ不手際があるかと思いますが、この場は皆さんから現場の実態をまずお聞きするとことがいちばんの目的でして、その後に、ご意見をいただくことになると思います。

 前半の12時半までを、皆さんの現場でのご経験に基づくご報告をいただく場にしたいと思います。そして後半につきましては、それらも含めてどういう課題が出てきているのかということを、できるだけいろいろな立場からご意見をいただくという形にしたいと思います。ここですぐに課題をまとめようということではなく、どんな現状なのか、そこからどんな問題が出てきているのか、それからこうしたらいいといういろいろなノウハウも出てきていると思いますが、それらも含めて、できればそれを集約してほかの分科会にもつなげていくような形をとっていきたいと思います。

 会場が狭くて申し訳ないのですが、とりあえずここに来ていただいている方がお仲間になっていただく機会でもありますので、まず自己紹介からしていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか。それでは、そちらからお願いします。所属とお名前と、簡単にどんなことをしていらっしゃったかも。

蓮本(兵庫ボランタリープラザ) 

「ひょうごボランタリープラザ」の蓮本と申します。「ひょうごボランタリープラザ」というのは、兵庫県社会福祉協議会が運営しているのですが、他県でいう県の社会福祉協議会ボランティアセンターとNPOセンター、助成財団を一緒にしたようなセンターで、県域あるいは広域の支援を行っています。

鈴木(川崎市多摩区社会福祉協議会)

 「川崎市多摩区社会福祉協議会」の鈴木と申します。どうぞよろしくお願いします。私はボランティア関係の仕事をしておりまして、もう2年近くになるのですが、災害の実態なども皆様からいろいろと意見が寄せられております。私のほうも現状が分かっておりませんので、今日は皆さんからいろいろな意見を聞きたいと思っております。今日は仕事の都合で午前中だけの参加になりますが、どうぞよろしくお願いします。

平野(Vネットぎふ)

 「Vネットぎふ」の平野と申します。私は岐阜県の高山に住んでいる者ですが、高山も水害に遭い、飛騨高山の災害ボランティアセンターのコーディネータースタッフとして活動しました。

 ふだん私は坊さんをやっておりまして、坊主であります。Vネットの団体は、「岐阜県災害ボランティアコーディネーター協議会」といい、岐阜県が主催となってボランティアコーディネーターを養成するという中から、私のこういうもののつきあいが始まりました。

 ボランティアの仲間が、新潟県見附市や三条市、岐阜県大垣市の水害、三重県の伊勢市なども「Vネットぎふ」がボランティアセンターのほうにかかわらせていただいたので、その辺のことを皆さんと情報交換できたらと思いますので、よろしくお願いします。

野間(NPO今治センター)

 私は愛媛県のNPOの「サポート今治」という中の自主防災を代表して、今日は参加させていただきました。私はそういう自主防災の中に入ってまだ7か月ぐらいしか経っていません。その間にいろいろと災害に対応してきましたが、これから皆さんがたの意見を聞きまして勉強していきたいと思いますので、よろしくお願いします。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 「福井県庁男女参画・県民活動課」の永田と申します。私どもは県民活動をサポートする課ですが、災害ボランティア関係も持っております。今年の福井県の豪雨災害におきましては、民間と行政とが非常にうまく協働しあえて、ボランティアの方々においでいただきましたが、センターが非常にうまくいったので、私も本部へ一緒に入らせていただいて1か月ぐらいはいたのですが、一緒に活動をさせていただき、民間の方々のお力を改めてしみじみと感じて、行政と民間が協働していくことの大切さを痛感しているところです。よろしくお願いします。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 「ふくい災害ボランティアネット」の細川と申します。福井豪雨のときには、今立のボランティアセンター、および浅倉氏遺跡というところの少し変わった復旧プロジェクトに携わっていました。

 ボランティアというと、ボランティアの炊き出しだけというイメージがあるのですが、ボランティアセンターには被災者の方のいろいろな情報が入ってきます。多分行政よりもしかしたら早いのではないか思われる情報などもありました。そういうものを県庁の行政の方々とタッグを組んで、いろいろなことで被災者救済の活動、言い換えれば、動きの発端になったようなボランティア活動ができたと思っています。また後ほど紹介させていただきたいと思います。よろしくお願いします。

吉村(ユース21京都)

 京都から参りました「ユース21京都」の吉村と申します。「ユース21京都」というのは、京都市域の16の青年団体の連合組織です。私はそこの災害担当の副理事長という肩書きになっています。また私自身、京都で安心まちづくりをしている青年団の責任者として来させていただきました。

 今回、「台風23号」で京都は初めて水害という大打撃を受けまして、死者15名を出しています。そのときに、今紹介された福井の細川さんをはじめ、日ごろから顔つなぎのある全国の皆さんがたのご協力を得ながら、何とか初めて京都で官民協働、いわゆる行政、民間、それから社会福祉協議会の協働という形を、半分強引はありますが、取りつけて実施させていただきました。いろいろ問題点もありましたので、それを今後の糧にしていきたいと考えています。

 私自身、実は今回の水害では仕事の都合で表立って現場に入ることができませんでした。そういう思いを今日ここで吐露させていただければありがたいと思っています。また、皆さんからもいろいろと教えてください。よろしくお願いします。

長峰(ユース21京都)

 同じく「ユース21京都」の長峰と申します。吉村の下でへいこら生きているのですが、今回、「台風23号」で京都が被災したとき、僕は直後に私用で舞鶴に行きました。そのときにあまりにもひどい惨状だったので、翌日から活動しなければいけないということで、ボラバスでそのまま現場へ行って、そこで現場の活動およびその取りまとめ、リーダーの様な役をしていました。かなりひどい惨状で、今、活動自体は終わったと思いますが、大変なのではないか、ずっと引きずっていらっしゃると思うので、そういう心のケアの面を皆から聞けたらと思っております。よろしくお願いします。

大谷(小田原赤十字社)

 大谷と申します。所属は、神奈川県小田原市の「赤十字奉仕団」です。それから、NPO法人の「国際ボランティア学生協会」で災害のアドバイザーをしています。救急救命士ですので、主にボランティア向けの救護などの活動をしました。以上です。

黒木(総務省消防庁防災課)

 「総務省消防庁防災課」の黒木と申します。私も7月の新潟、福島の豪雨のときには、三条市に2日間お手伝いさせていただき、ボランティアの皆さんのお話をお伺いする機会もあったのですが、今日はまたこれだけ大勢の皆さんのご意見を伺いながら勉強させていただきたいと思います。よろしくお願いします。

二階堂(SeRV(サーブ))

 二階堂と申します。所属は「SeRV(サーブ)」で、ボランティアです。ここには齋藤礼太郎と載っていますが、齋藤は出張しておりまして、代わりに参りました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

眞浄(NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会)

 「NPO法人国際ボランティア学生協会」の眞浄といいます。今日は私たちの団体から何名か学生が来ておりまして、今まで行った新潟、兵庫はじめ、全国各地の災害の状況の報告等を行って、皆さんがたからのご意見をお聞きして勉強させていただきたいと思って来ました。よろしくお願いします。

船越(NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会)

 同じく「NPO法人国際ボランティア学生協会」の船越と申します。よろしくお願いします。私は新潟の7月の水害に参加しまして、ボランティアの視点からというところを皆さんにお伝えしたいのと同時に、行政の方々のご意見などをいろいろ今日は聞かせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

宮津(奈良災害ボランティア・ハート・ネットワーク)

 「奈良災害ボランティア・ハート・ネットワーク」の宮津と申します。私も今年の7月、福井県の水害で美山市のほうに入りました。そして、愛媛県新居浜市やほかの自治体、岡山県の倉敷市と玉野市に行きました。三重県は同じく海山町(みやまちょう)です。兵庫県は、豊岡市、出石町でもっぱら泥かきをやっていました。

 奈良は災害がほとんどないのです。57年に「大和川水害」が一度あったきりで、それ以降の災害はほとんどありません。災害空白地帯といってもいいと思います。そのため、他府県の被災地へ入ることによって、どういう状況なのかをつぶさに見て、またその中で活動して、その成果を奈良へ持って帰りたいと考えています。よろしくお願いします。

宮澤(NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会)

 こんにちは、「NPO法人国際ボランティア学生協会」の宮澤といいます。この団体では災害救援部門を担当しております。今年は台風や、先日の新潟地震に派遣させていただきました。個人的には「台風23号」等に行きまして、ボランティア活動をやらせていただきました。今日は、今までの自分たちの経験と、現場に出て自分たち学生に足りないもの、またできることをもう一度確認し、そこから出てくる課題を来年につなげられたら、これからにつなげられたらと思い、参加させていただきました。よろしくお願いします。

樋野(神戸市役所)

 「神戸市役所」から来ました樋野と申します。阪神・淡路大震災のときは私の家も被災し、さらに行政マンということで、自分も被災者でしたが、行政マンとしての仕事もしなければいけませんでした。

 今回の新潟は、たまたま母の実家が小千谷市でして、私のおばあちゃんに当たるのですが、家が被災しました。家に手伝いに行くどころか、今度は神戸市から震災を手伝えということで新潟県庁に派遣されました。いつも助けたいのですが、常に行政の立場として仕事をしなければいけないということで、今日は行政の立場として何か意見が言えたら、また、ボランティアの皆さんの意見を聞いて何か勉強できたらと思っています。ふだんは神戸市の中で水害対策の仕事をしていますので、今日は水害のことに関して皆さんにお聞きできたらと思っております。よろしくお願いします。

大間知(NPO法人都市防災研究会)

 名簿の上から3番目に出ています、「NPO法人都市防災研究会」の大間知です。阪神・淡路大震災では、いわゆる高齢者、要援護者に犠牲が集中したということを踏まえて、都市防災研究会では防災防犯まちづくりの啓発活動を中心に取り組んできています。

 今年の新潟水害でも、ご承知のように高齢者の方がほとんど犠牲になったということもありますし、地域のほうでも要援護者の安否確認、避難誘導ということで、中学生を使ってそういうことを今年からまた始めています。

 それから、関東学院大学の非常勤講師で防災ボランティアというのを担当していまして、「濃尾地震」に始まって、「関東大震災」、あるいは「福井地震」、40年前の「新潟地震」などでどういうボランティア活動があったかということも調査して、学校で教えています。よろしくお願いします。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 愛媛県の新居浜市の災害ボランティアセンターでセンター長補佐をさせていただいていました永易英寿と申します。新居浜市では今回、「台風15号」と「台風21号」で多大なる被害を受けまして、センターはトータルして大体70日間開催させていただきました。その中で「ヘドロかき出しツアー」や、地元の自治会、JC(青年会議所、以下「JC」)、建設業協会などの各種団体、または高校を拠点とした活動といった形で、日常生活にみえるあらゆる各種団体と連携を図らせていただいて活動させていただきましたので、そのことをご報告させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

兼田(兵庫県立舞子高等学校)

 はじめまして、「兵庫県立舞子高等学校環境防災科」の兼田奈津子です。ここは阪神・淡路大震災を受けて3年前に設立した科で、今、3学年がやっとそろって、一学年に40人ずついます。今回は「台風23号」で被災したときに行ったボランティア活動などについて発表したいと思います。よろしくお願いします。

小松崎(NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会)

 こんにちは、「NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会」の小松崎と申します。よろしくお願いします。私の団体はたくさんの災害で活動しているのですが、個人としては7月の新潟の水害に行ってまいりました。今日はたくさんの方の意見を聞ければと思っています。よろしくお願いします。

矢野(NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会)

 「NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会」の矢野と申します。私は兵庫の水害のボランティアに行ってまいりました。今日はボランティアを運営する方や行政の方々からお話を聞けたらと思います。どうぞよろしくお願いします。

安藤(NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会)

 同じく「NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会」から来ました安藤と申します。今日はいろいろな立場の人から話を聞けるということで、勉強させていただきます。よろしくお願いします。

後閑(NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会)

 こんにちは、「NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会」の後閑と申します。私は夏の新潟の水害と兵庫の水害に行きました。今日はさまざまな方がいらっしゃる中で、皆様がどのような役割を持って災害救援に携わっていらっしゃるか勉強させていただきたいと思います。よろしくお願いします。

中川(時事通信社)

 「時事通信社」の中川といいます。震災前から地震を科学記者として取材していました。その後、いろいろなことがあって情報ボランティアみたいなことをしています。今はNPO法人「東京いのちのポータルサイト」の理事と、「海外災害援助市民センター(CODE)」という、神戸の海外の災害の援助をするところの幹事をボランティアとしてやっています。平時は地域でボーイスカウトのリーダーもしています。今日は隣に座ってメモを取って、何かフォローをするということです。

榎(内閣府)

 内閣府で災害予防の関係を担当しております榎と申します。よろしくお願いします。

渡部(内閣府)

 同じく内閣府の災害予防担当の渡部です。一応ボランティア担当補佐ということになっています。個人的にも情報ボランティアをバイクなどでやっておりましたが、雲仙の移転団地とか、有珠の現地ホームとか、三宅とか、あちこち現地で顔を合わせる方も実は多々おられます。また今後も顔を合わせる機会が多いと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

山野下(事務局スタッフ)

 事務局のお手伝いをさせていただきます、「ダイナックス都市環境研究所」の山野下といいます。本日はどうぞよろしくお願いします。

平田(事務局スタッフ)

 同じく今日、お手伝いをさせていただきます平田と申します。よろしくお願いします。

司会

 それでは、早速ご報告いただきたいと思います。今年は10個の台風が日本に上陸したといわれていますが、新潟のほうは別途やっていただく形になっていますので、この分科会では、それ以外の福井豪雨と台風関連が中心になると思います。その辺でのボランティアの活動について、幾つかご意見を述べてくださるということでお申し入れいただいている方たちが何人かいらっしゃいます。

 すでに自己紹介していただいた中で、そのあたりが出てきていたと思いますが、とりあえず意見発表したいと言っていただいている方からご報告いただいた後、皆さんで、実はこちらではどうだったというようなノウハウの交換やコメントも含めてやっていきたいと思います。

 また、こちらに日本の全国をご用意してあります。災害の救援に行ったり、地域で災害に弱い点がどこにあるのかといったことを見るには、やはり地図が基本になると思います。報告いただく方がどこかというのが分かるように、地図でお示しいただきながら話していただくということになると思います。今回はかなり西日本が中心になっているという感じがしますが、それでは、いちばん若い兼田さんから、トップバッターで報告していただきましょうか。

兼田(兵庫県立舞子高等学校)

 まず、「兵庫県立舞子高校」では、10月20日の「台風23号」のときに兵庫県に多大な被害を与えたということがあって、その時期は高校生らしく中間テストのときでしたが、22日の金曜日に、校長先生と教頭先生と科の先生でボランティアの派遣をすることが決まりました。そのときの中間考査の終わったときに、まず環境防災科の2年生、3年生に呼びかけをして、行ける人は説明を受けました。

 翌日の10月23日土曜日は、1、2、3年生の18人と3年生の教員で、長田区のボランティアセンターに用意していただいたマイクロバスで豊岡まで行きました。そのときは、まず被害の少なかった公民館に行きました。その公民館はほとんど掃除などが終わっていて、ふき掃除や掃き掃除などをしました。

 それからは川が決壊したひどい被災状況の公民館へ行きました。そこは自分の背丈よりも水が来ていたらしくて、公民館の中の物はすべて使えなくなっていました。そこでは畳をすべて外に出したり、公民館なので本などもありました。中にあったコピー機などもすべて外に出して、みんな泥まみれの状態で掃除をしていきました。その公民館の館長さんが、掃除が終わったときに涙を流してお礼を言ってくださって、とても感動しました。その豊岡の帰りに、新潟県中越地震が発生しました。

 翌日の24日は、マイクロバスなどがなかったために、先生の車で2年生8人で豊岡まで行きました。24日は小学校の中にある公民館で掃除などをしました。そこはまだ水が引いていなくて、長靴が手放せない状態でした。その小学校では、運動場がすべて水に浸かってしまって、運動場は泥でぐちゃぐちゃな状態でした。公民館では水をかき出したり、棚についた泥を水で洗い流したりしました。

 翌週の10月30日には、普通科の生徒も入った3学年の34人が、先生2人と豊岡まで行きました。このときは学校がバスを用意しました。この日はそれに合わせて、「JR垂水駅」と「三宮駅」という比較的高校から近い場所で、新潟県中越地震の募金活動を行いました。

 翌日の31日には、3学年の20人が先生4人と合わせて、バスで淡路の洲本まで行きました。そこで朝のうちは家の掃除を手伝いました。洲本に行ったときはボランティアを派遣する場所がけっこう整っていて朝はすぐ行けたのですが、昼からどこに行くかがなかなか決まらなくて時間が無駄だったと思ったりもしました。

 昼から行ったのは、あまり使われていない橋の掃除で、私たちが掃除をしているときに校長先生が来て、皆で掃除をしてきれいになりました。その日も同じように新潟県中越地震の募金活動をしました。

 11月3日の祝日には、三宮駅だけで新潟県中越地震の募金活動をしました。その次の土曜日、11月6日には、神戸市の「市営地下鉄学園都市駅」で新潟県中越地震の募金活動をしました。そのときと学校内でした募金活動を合わせて、総額が100万円を超えました。これは先生も予想していなかったことで、100万円を超えたため、生徒の代表2人と会長の子と今日一緒に来て分科会Aに行っている子の2人で新潟まで行って、県庁へ行ったり、現地の2校で交流をしました。

 高校生なりにボランティアをやってみて、私がいちばん印象に残っていることは、洲本で「犬の散歩に行ってきて」と言われたことです。人間のことで精いっぱいで、ペットのことまで気が回らないからということで行かせてもらったのですが、そういうことも大事になってくるのだなと思ったし、人間ばかり思っているのではなくて、そういう動物のことも大切にしていかなければいけないと思いました。

 あとは、募金活動をしていたときに、1000円札や5000円札がどんどん入ってきて、うちの科は兵庫県から通えればどこから来てもいいのですが、そのときに加古川から来ている会長が、「加古川でこんなんやっても、こんなに集まらへんわ」と言っていました。やはり被災した神戸だからこそ、同じような被害に遭った新潟の支援活動がしやすいのかなと思いました。これからは、ボランティアをしてあげるというのではなくて、する側とされる側の気持ちを大切にして、何でもできることをすべて手伝っていってあげたらいいなと思いました。

司会

 ありがとうございます。特に若い人が入ってくださるというのは、皆さんにもとても元気を与えるし、本人たちもすごく充実感があり、それだけ周りの人がこたえてくれると、ますますやっていく動機につながっていくと思います。

 この舞子高校の活動について、どなたか補足的なことなど、何かご存じの方はいらっしゃいますか。まだ発足してから3年目ですよね。

兼田(兵庫県立舞子高等学校)

 はい、今は3学年そろっています。

司会

 防災を割と専門にしていらっしゃるところで、全国的にも非常にユニークな高校なので、そういう取り組みにもかなり取り組みやすい環境があるのかなという感じがしますが、こういうボランティア活動そのもので、現場に行ったのは初めてですか。

兼田(兵庫県立舞子高等学校)

 学校で動いたのは初めてです。

司会

 初めての経験だということなのですが、こういう素晴しい成果を挙げておられるということです。それでは、続きまして関西系の、どちらに行きましょうか。新居浜市に行ってよろしいですか。申し訳ないのですが、今、報告を希望されている方がすでに5人いらっしゃって、そのうちのお一人が終わったところです。私の進行が下手ということもあるのですが、できるだけ手短に、ほかの方も発言できるような形で現場体験を言っていただければと思います。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 愛媛県の新居浜市の永易英寿と申します。8・18のときと、9・29の「台風21号」に伴うボランティア活動は、「社協だより」で内容的なことをまとめさせていただいていますので、またお時間のあるときに見ていただけたらと思います。

 新居浜市の場合は、特に初動期のときに、ボランティア活動を通して、皆さんがセンターに来ていただいたこともありますが、被災地に近い高校は消毒やうがい、資材置き場などを提供していただく形で、市内全部の高校で大体1人の生徒が2回、3回来るぐらいの順番で何度も動員をかけて協力していただきました。

 「台風21号」のときに、市内の自治体をはじめ市内全域で住民活動を促しながら活動ができたことと、建設業界やJCなどの協働で行政との連携も、災害が起きた翌日に全部の連合の自治会長をお呼びして、重機的な調整や、河川が氾濫するときに、ごみは行政のどこがするとか、土はどのように捨てるとか、いろいろな住み分けで、住民にも活動しやすい形で提供しました。また、JCはどの部分をする、建設業界はどの部分をするという形で住み分けされた情報が、個々ばらばらで動くのではなくて、災害のボランティアセンターで情報を全部共有されていました。

 僕は新潟にも1週間ぐらい行かせていただきまして、いろいろなセンターを見せていただきましたけれども、センターのミーティングをするときにも、けっこう災害ボランティアセンターと行政といった横並びというのはなかなかないのですが、うちの場合は、2回目の9・29のときには、行政の方もただ伝達を聞くのではなくて、ボランティアやセンター側と同じ視線で、常時ミーティングに参加するような環境づくりができたのが大きかったと思います。

 「台風23号」のときに西日本で数多くの災害が起き、新居浜市も同じように水害が起こりましたが、幸いそのときには被害が拡大しませんでした。それはどうしてかといいますと、住民自身が防災意識を高めて、土嚢を自ら積むような意識になったからです。それから、川が決壊して床上、床下浸水になったり、橋が決壊したりして水が流れていくと思いますが、建設業界が行政と連携して、台風が来そうだなというときに、あらかじめ重機で流木を取る作業をしていただくような動きができました。それで、23号が来たのですが、23号に対する被害を未然に防ぐことができるように、センターが開いているときに住民の防災意識までつなげられたのが今回はよかったと思いますので、その辺のことを伝えたいと思います。

 それから、「ヘドロかき出しツアー」ということで、関西の方にご協力をいただきました。愛媛県内4市町村がそのとき救助法の適用を受けましたが、地元の町だけでなく県内で一緒に災害の復興ボランティアをしようということで、ボランティアの足になるところを無料にするとか、宿泊を提供できるような環境づくりをするという形で、企業の社会貢献の投げかけという意味合いで「ヘドロかき出しツアー」をさせていただきました。詳細については、こちらの資料を後で見ていただければと思います。

司会

 今、お手元に資料が渡っているのですね。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 こちらの「社協だより」に、8・18のときの泥かきや土を運んでいるところの映像があります。もう1枚は今月号ですが、今のところ災害ボランティアセンターを閉鎖したということで、8・18と9・29を通した流れを記載しています。

 中身のほうに、「ボランティア懇談会」を開かせていただいたようすが載っています。ボランティア懇談会の出席者は22ページにあるのですが、地元の自治会員、自治会長、高校生、非番の消防署員で活躍された方、企業の代表者の方、大学生、行政の方、建設業界の方など、皆でやったということで、一緒になって今後の災害を考えようと、この取り組みをさせていただきました。

司会

 いろいろなところで同じように台風の被害を受けていますが、ボランティアセンターができてうまく調整できたところと、そうでないところとかなり分かれたと伺っています。新居浜市でできたのはどういうところがポイントだったと思いますか。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 私は「ボランティア市民活動センター」で、社会福祉協議会では中四国、九州地方の市町村レベルでは一番にボランティアやNPOの支援を開始させていただきまして、ボランティアやNPO、企業の社会貢献活動も、市民活動の支援をするうえで呼びかけなども日ごろの中でやっていましたので、そういった意味では日ごろのネットワークを使わせていただきました。

 通常、センターは何日か後に立ち上がると思いますが、1回目の8・18のときには翌日に立ち上げさせていただき、9・29のときには、水かさが30分ぐらいでぐっと上がって床上に来るのですが、その状況を見ながら「これはもうセンターを準備しよう」という形で動いていただきました。その決断力と、行政との連携、その他企業や建設業界との連携をいち早くさせていただいたということです。

 他所のセンター等で見せていただくと、例えばNPO、行政の方、社会福祉協議会などがそれぞれの立場でそれぞれの意見を言われて、一本化した情報共有や物資のこと、人の配置が混雑していました。センターの運営は、参考としてNPOや行政、JCや建設業界の方などの意見は聞きますが、最後はどこがしっかりとした方針を出すかという芯の部分があるかないかで、すぐ決断できるかできないかというのが違ってくるのではないかと今回感じました。

司会

 それから、ちょっと聞きにくいところなのですが、立ち上げの資金はどうされましたか。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 災害が起きた翌日にすぐホームページを立ち上げたり、いろいろしたのですが、当時立ち上げを決めたときには資金のことは全く考えていなくて、災害復興をしようということで、どうなってでもとりあえず買う物は買ってという形で、正直なところ、何も考えていませんでした。後々いろいろついてきたのですが、始め立ち上げたときには、資金があるからとか、体制ができたからではなくて、とりあえず「走れ!」という感じでした。

司会

 収支といいますか、最後は補助などはどれぐらいつきましたか。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 いわゆる共同募金の関係と、行政のほうも追い足しで物資等も買ったり、企業の方からも物資を送っていただいたり、ご協力いただきました。

 1回目のときには全国各地の方にすごくお世話になったのですが、初動期に今日来られている福井県から4tトラック2台分の活動資材をいただいたり、やりながらいろいろな方にご協力をいただきました。

 また、四国4県の非番の消防職員の方に入っていただいて、ボランティアを取りまとめていただいたり、医療関係のボランティアもすぐ協力をしていただいたり、始めに何がということではないのですが、いろいろな方にご協力をいただきました。

司会

 それがやはり初めてのことですか。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 新居浜市は四国の中でも水害や地震などの経験があまりなくて、1回目のときには市民の方も我々もそれほど関心がありませんでした。新居浜市内を18校区に分けると、1回目のときには3校区しか水害が起きませんでしたので、市民の方も関心が薄かったのですが、9・29のときには市内全域で自治会の方や市民が動きました。

 1回目のときには、8200人ぐらいがセンターに来て活動していただきました。2回目のほうが被害がすごく多かったのですが、センターに来た方は4800人ぐらいでした。すごく減った分、自治体や企業の同僚の方などの動きを、災害の翌日に例えばごみはここに出す、土はどこに出す、タンスはどこに出すという感じで徹底をさせていただいて、地元の自治会や会社の同僚どうし、または趣味の野球やバレーなどの仲間で、センターがなくても助け合える環境づくりをしました。センターがなくても、自分たちの両隣で助け合いながら活動してください、自治会が組織されているところはできるだけ自治会員どうしで助け合ってくださいという形の働きかけをさせていただきました。

 23号のときには、そういうことが今回続いてきていたので、自分でも土嚢を積んであらかじめ置いたり、防災意識が高まっていました。大体6回台風が来たのですが、大きな被害が出たのは15号と21号でした。23号は予防をしたというか、防災をしていただいて特に被害はなかったのです。やりながら、住民の方が自ら考えてもらえませんかという形で働きかけをさせていただきました。

司会

 ありがとうございます。共助から始まったことが、自助のほうにまでかなりの効果が出てきたということですね。とてもいいお話をありがとうございました。では、愛媛から参加されている野間さん、お願いします。

野間(NPO今治センター)

 新居浜市の近くです。新居浜市に起きた第1回の8月18日の「台風15号」のとき、私も知人がいますので、明くる日に現場へ行ってみて、それから自主消防の者を15名ほど集めて1週間後に新居浜市に入り、機械の入らない小さいところを手作業でボランティアしてきました。

 私の地元の今治市でも13年に芸予地震がありまして、その影響で地盤がかなり緩んでいるのです。それで、新居浜市と一緒の台風で山の地すべりがかなり発生しました。そういうところで、私が自主消防に入った中で最初に手掛けたのが、同じ地域の中で民家の裏山の地すべりをどのように処理するかということでした。

 最初に消防署に通達したのですが、やはり役所というのは一度にすぐ動きません。どこの地域も一緒だと思いますが、行政はなかなか動いてもらえません。それまでにどのように応急処置をするかということで、自主消防を、いろいろ皆がやっている中で何人かに寄ってもらって、対策を練って土嚢を作ったり、いろいろしてやることになりました。

 私も三十何年間、消防に勤めた経験がありますので、この斜面にはブルーシートを張って、竹で押さえて、その上を土嚢で押さえていくのですが、それを我々の力でどこまでできるかといったら、土嚢を作って現場に運ぶ程度です。やはり斜面がきついため、消防の活動をしているレスキュー隊を呼んで、ロープを張ってやっていかなければいけない作業は、やはりそういう本職にやってもらわなくてはできません。我々がどこまでやれるかといったら、そういう手作業しかできません。そうして、向こうから来ていただくまでの応急処置ということで活動をしてきました。

 今度の新居浜市と一緒の台風で、またシートもはがされたりしました。それと同時に、隣の民間の裏山も崩れ、自分たちが氏子であるお宮さんも壊れました。そのときに30人ぐらい寄って、造園や土木屋などでユンボを借りたり、ショベルカーを借りたり、ダンプ5台ほどで2日がかりでちゃんと整備をしました。これは市のほうは関係なく、我々の力で処理しました。

 その後にまた続いて、9月に新居浜市に同じ台風が来ました。そのときにも新居浜市に出向いていきました。しかし、人間の力でやることは知れています。ですから、機械が入っていかれないところしかできないし、私たちはそういう炊き出しなどはしていません。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 この39ページにあるように、これは賛否両論あると思うのですが、ボランティア活動をした建設業協会の方を優先的に工事の入札を入れる制度みたいなものを作っています。

 新居浜市の災害が起きたときに、受け入れ態勢をとっているかとっていないかだと思うのですが、例えば県内のダンプを持っている人はすべて新居浜市に集結していただいたのです。しかし、うちだけが復興を助けていただくのではなくて、隣の四国中央市、西条市、小松島市のほうにも行ってくださいといったのです。最終的には10日後ぐらいには行ったのですが、やはりセンターの中で受け皿を作っているかどうかで、例えば一つの町内にダンプが10台も20台も入ったら交通渋滞が起きます。

 そのときに思ったのは、例えば清掃車やごみを出すダンプなど、行政との連携で渋滞にならないような交通整備もしながらということで、行政と民間の重機の連携をするような仕組みを他市も作ったらと。今回、新居浜市では県内の企業に非常に多くご協力いただいたのですが、行政とボランティアセンターと、例えば清掃の組合やダンプを持っている組合などがまちまちで動いているような状況が県内ではけっこう見られました。そういった住み分けで連携を図るような仕組みと、また、重機が入らないところはそういう自主防災組織をやって活動していただいたりしました。

野間(NPO今治センター)

 小松のほうもちゃんと視察に行ってきましたが、台風というのは天災だというけれども、一部分は人災もあります。結局、伐採した木をそのまま放っている山がたくさんあります。それが地すべりで流れ、川に入り、流木として橋げたに引っ掛かったりするので氾濫を起こしたり、橋を傷めたりすることが多いわけです。ですから、我々も地域を守っていくためには、今の高齢化社会で私のところも大体6割がたは年寄りばかりですけれども、家の周りでいいから排水溝のごみを取っていただければ・・・。

吉村(ユース21京都)

 その話は午後に回しませんか。

司会

 ちょっと細かい話になってきているようですが、事前対策が非常に重要だということになってくるわけですね。

 それでは、愛媛からご報告いただいたところで、続けて吉村さんいいですか。ほかの分科会に回られた方もいらっしゃって、あと報告を希望されている方は吉村さんと、その次が福井から細川さんです。今までは初めて経験された方から先に報告していただいて、これからはかなり経験を積んでおられる方たちからのご報告があります。そして、支援の立場にも行かれているということで、続けてご報告いただきたいと思います。それから、もしできたら国際ボランティアの学生たちの中から、前半の12時半までの中でご報告いただけたらと思います。その順番で続けていいですか。では、お願いします。

吉村(ユース21京都)

 話の流れを止めて申し訳なかったのですが、各所のいろいろなケースをそれぞれが担当して発表したほうが時間は有効だと思いますので。

 京都の吉村です。現場のことは後半で長峰に説明させます。京都の場合、先ほど先生が経験あるとおっしゃいましたが、ありません。今年の水害でいいますと、京都の場合は新潟にもお手伝いに行かせていただきましたし、福井県にも泥かきに行かせていただきました。それから、三重にもボランティアバスを共同で出すという段取りはさせていただきましたが、それイコール、スキルフルかというと、スキルレスです。

 京都の場合は、そういう形で動いているのですが、京都の実際のシステムはどうかというと、残念ながらボランティアと行政と社会福祉協議会が連携して、タイアップして物事を進めるようには地域防災計画では決まっていません。

 京都府の地域防災計画に関しては、災害が起こったときに京都府は、京都府社会福祉協議会(皆さんのところでいう県社協、以下「府社協」)に、ボランティアセンターの機能を活用して災害ボランティアセンターの設置を求める。社会福祉協議会は、それで設置をする。そして、各ボランティア団体と協力する。設置者、運営者は県社協、いわゆる京都府社協で、府は必要な助言を行う。これが平成8年です。

 それ以後、各地でいろいろな災害が起こりまして、例えば後からご発表される今回の福井県では、公設民営から共設共営の福井方式という形でどんどん進化していると思いますが、京都は制度上、この平成8年の官設官営、もしくは公設公営のボランティアセンターのままです。そのことを前提にして今回の話をさせていただきます。

 資料の20ページ、「台風23号」が10月20日の午後1時に高知に上陸しました。京都府の動き、府社協の動き、それからボランティアやNPOの動きというのが、本当なら最初からタイアップして動けばいいのですが、残念ながら今回はそうはいきませんでした。

 すでにこの日の17時45分の段階で、府は災害本部を設置しています。18時45分には自衛隊から「連絡官(LO)」が来て、自衛隊と京都府の間のタイアップはできています。残念ながら、京都は観光都市ですので、知事はそのときイタリアに出張中でした。台風の起こる前からそういう約束ができていたので、これは仕方ありません。それで、副知事が指揮をとっていました。

 ところが、対応は早かったのです。20時54分に宮津、21時15分に大江、22時15分に舞鶴から、それぞれ自衛隊の派遣要請がかかっていました。これは、実はイタリアにいる知事とは電話でずっとつなぎっぱなしになっていて、派遣要請があってから派遣の指令を知事が出したのはそれぞれ1分ないし3分後です。そういう形で京都府の場合はそういうことが動いていました。

 京都府の名誉のために言っておきます。

 皆さんもテレビでご存じかもしれませんが、京都でバスが浸かった由良川というところがあります。屋根に37名取り残されたという、あの由良川水系があふれました。由良川は計画水位を完全に超えてしまったのです。あそこは堤防がないのです。そういう土地柄なのですが、堤防がないということでそこがあふれてしまいました。

 翌10月21日です。府社協で府の災害本部からの指令を受けて、午前7時に災害ボランティアセンターを設置しました。ところが、この時間に府社協の災害ボランティアセンターが積極的に動いたということはありません。この日の6時に会議が開かれます。

 現地の京都市内と舞鶴、大江、宮津は80km以上離れています。今回の新潟県と小千谷などと同じぐらいの距離になります。起こったのはすべて日本海側です。京都の場合、京都市は大阪に近いので、ものすごく遠いわけです。車でどのぐらいかかるかな。

長峰(ユース21京都)

 京都から舞鶴まで、大体3時間ぐらい。

吉村(ユース21京都)

 そのぐらいの距離です。現地のほうは、宮津、大江、舞鶴それぞれボランティアセンターを立ち上げるべしという話が、私のほうにはどんどん電話で入っていました。21日は無理だけれども、22日1日は準備を置いて、とりあえず23日に行くという段取りになりました。実は、この間には福井県の非常なご支援がありました。福井の松森さんという「ふくい災害ボランティアネット」の理事長の方が舞鶴と宮津に来ていただけるということになりました。

 この日の朝7時に設置しました。その日の8時半に、私は現地のJC、現地の指導者たち、社会福祉協議会の人間と電話連絡をすると、「どないしてええか分からへん」ということでした。そこで、仲間たちといろいろ電話で話をして、「とりあえず共同でセンターを作ってしまえ」という話になりました。それで、舞鶴は民設のボランティアセンターをとりあえず連絡本部という形で設置して、宮津は社会福祉協議会のほうでとりあえず作ろうという形になりました。大江のほうはちょっと空白だったのですけれども。

 そのときに、福井県から来てもらえるということも分かりましたので、とりあえず、福井の松森さん、舞鶴のJCの指導者、「舞鶴市役所」「舞鶴市社会福祉協議会」を、午後2時に舞鶴の市役所で引き合わせるということを電話で取りつけて、そこで松森さんにも来ていただいて「共設共営型」のボランティアセンターを舞鶴に作ることが決定しました。

 ここでどんどん現地は動き出しているわけです。一方、ここは空白なのです。午後6時にようやく我々の入って、府庁からも、ここからも入った形の会議がここの主催で行われました。この件名が「台風23号」に伴う被災状況等の情報連絡会」という形でした。これは25団体集めています。府庁も入れた25機関・団体あったのですが、参加したのは11機関・団体です。あとの14機関・団体は何をしていたのかというと、「うちはできまへん」と言われたのです。

 なぜかというと、この25団体機関のほとんどは阪神・淡路大震災の後に作って、そのまま休眠状態になっていた「福祉救援ボランティア推進連絡協議会」というものがあるのです。福祉救援というのがみそなのです。残念ながら京都では、福祉救援といいますと、最初の全体会で司会者の先生がおっしゃっていましたが、狭義の福祉救援、災害時要配慮者を主眼にした連絡協議会という形になっていました。ですから、ここにはほとんど当事者団体が入っているのです。

 参加した11機関・団体の中でも、「老人クラブ連合会」などいろいろなところが入っていまして、実際に被災状況を説明させても、情報収集もできていません。では、実際にうちで何をするかというと、「いや、できまへん」というところがほとんどでした。それで、私は机を引っ繰り返して暴れまして(笑)。いつものことなのですが、「ええかげんにせえよ」ということになりまして、とりあえずこの会議は2時間で、いったん強制的に向こうさんが終わりにされたのですが、そこで何も決めることなしに、どうするということもなしに終わってしまいました。

 ところが、現地ボラセンからは矢のような催促が来ています。とにかくボランティアをどんどん送ってほしいということになりました。そこで、私も30を超えて多少大人になったつもりですので、22日、23日あたりで非常にしんきくさいですが、大変なネゴシエーションをして、23日にやっと再度会議を開きました。

 今度は「23号被災への救援活動の連携を深める緊急会議」を開催しまして、ここでやっとこの三つがつながったのです。ですから、ここは22日に設置していますが、実際に現地にボランティアバスを送り出したのは23日からです。ところが、地域防災計画は何も決まっていないわけです。ですから、ここはとりあえず事実行為で乗り切ってしまおうということになりました。それで、23日から11月3日まで、いわゆる共同のボランティアセンターという形でやらせていただきました。

 それから、急遽帰国した知事が、ボランティアの関係に関してはかなりチャンネルもありましたし、非常に熱心であったということで、府庁の職員に関しても管理職会議や災害対策本部の会議で、事あるごとに「ボランティアの連携はできているか」と知事が言ってくれたこともあったと思います。

 ただ、いかんせん現地も被災したのは初めてのことですので、災害対策本部とボランティアセンターの間の連絡体制がうまくいっていなかったために、多少の混乱はあったと聞いています。私自身が入ったのは1週間後で、それまでずっと「ハートピア京都」の穴蔵に入っていましたので、その辺は長峰のほうから。

長峰(ユース21京都)

 僕は翌日の21日からバイクで行ったのですが、本来ならば3時間で行けるようなところが7〜8時間もかかって、いつも道路が4〜5ルートあるところが1ルートしかない状況で舞鶴に入りました。市街地のほうは、市役所とかあの辺のところは全然きれいなのです。その周りの由良川水系が思いっ切りやられていて、23日からはボラバスを出すということで、吉村さんにだまされてバスに詰め込まれて現地へ行きました。

 現地へ行ったら、ボランティアセンターが立ち上がった初日で皆テンパっていたのだと思うのですが、いきなり指揮系統4系統ぐらいから「おまえ、あっち行け」「おまえ、あっち行け」と指揮がばらばらなのです。それで、ひとまずここへ行けというのがまとまったのですが、そのとき災害対策本部から地図や規制の情報がボランティアセンターに一切下りていませんでした。

 ボランティアセンター自体が被災していないきれいな所にあるので、状況をだれも知らないのです。さらに、ボランティアセンターと社会福祉協議会が離れた場所にいて、全員が電話連絡をとっているだけで、同じ場所に集まって顔を見てやり取りをしようという動きが全然ありませんでした。あまりにも地図規制がないので、現地へ行くために地図をくれといってもらったのですが、社会福祉協議会の人がくれた地図は山の等高線の地図とか、現地と関係ない地図をくれて、「もう終わっているな」と思って、しょうがないので「もう勝手に行きます」ということで、危ないので補償の関係で全員の名簿をその場で作りました。

 現地へ行って、土木だけ一緒にトラックに来てもらって、現地でチームを作ってもらって、各家庭に入って「やることないですか」と言ったら、「手伝ってください」というので、そこで被害状況を聞いてくださいということで聞いてきました。それで1日が終わりました。

 僕はユース21京都のジャケットを着ていったら、各家に行くたびに、「ボランティアが来てくれるのはすごくありがたい」と、ありがたがっておられたのですが、そのあとで「行政は何してくれんねん」と言われました。多分僕しか言うところがなかったと思うのですが、それを聞かれても僕としては答えられないので、「帰ってから行政に意見を上げます」ということしか言えませんでした。その辺も行政と連携ができていないと感じました。

 その1週間後も行ったのですが、そのときは福井県からいろいろ応援に来ていただいて、資材をもらったので、1週間後からは活動の領域が広がって、かなり早期の復旧ができたのではないかと思います。以上です。

司会

 ありがとうございます。先ほど1万5000人参加したとおっしゃっていましたが、その中には福井県の方なども含めて、府外から応援してくれたところはどこかありますか。基本的にはほとんどが京都府内の方のボランティア中心という感じでしたか。

吉村(ユース21京都)

 やはり初期の段階でのコーディネートというのは、福井県がいなければできませんでした。私自身、先ほど言ったように仕事で現地に行けなかったので、とりあえず京都府のセンターの取りまとめにずっと追われていて、現地に長峰を派遣したり、ほかにも京都の中間支援組織で「京都NPOセンター」という大きな組織があるのですが、そこ自体もいろいろな制約があって、実際に現地に入れたのは後でした。ですから、最初の現地のいわゆる市、および現地の被災した市の社会福祉協議会、それからボランティアの受け入れ体制に関しては、現地の団体も非常に頑張ってくれたのですけれども、いわゆるスキルフルということに関しては福井県の非常なご支援をいただきました。

宮津(奈良災害ボランティア・ハート・ネットワーク)

 そうすると、23日に府社協のほうはほとんど丸投げ状態になったのですか。

吉村(ユース21京都)

 府社協は、丸投げではなくて一緒にやると。例えば自分たちは5の力しかない。やはりそこを10、20にしようとすると、5が全力出してもそのプラスに関しては連合軍を組まなければならないということは分かっていました。

 府社協の名誉のために言っておくと、府社協は、今もそうなのですが、資料の1ページで「不明」となっていますが、府レベルの災害ボランティアセンターはまだ残務整理が続いています。私たちボランティアも含めて、ここの職員たちは一緒に徹夜で10日間以上、超勤をものともせずに頑張っていただきました。

司会

 それから、先ほども伺ったのですが、お金のほうはどうですか。

吉村(ユース21京都)

 ボランティア活動資金というものを、新潟のときに我々皆で一緒に提唱しました。あのボランティア活動資金を今回用意しました。全然足りませんが、皆さんからいただいた800万円でやらせていただきました。あとは各団体から緊急予算、予備費を全部使い崩してやっています。ですから、今はもうすっからかんです。

司会

 これだけ広域な所を支援しようとすると、資金面と福井県のほうからの支援も含め、現場のノウハウがかみ合っていかないと、ということですね。

吉村(ユース21京都)

 京都府バス協会というのが、派遣専門ボランティアということで、京都府庁のボランティア団体には連携を組んでいるのですが、京都府バス協会にはかなり大赤字で泣いていただいています。

司会

 これも企業貢献のようになっているということですね。

吉村(ユース21京都)

 そうです。そのかわり、企業マークをどんどん出していいよということはお伝えさせていただきました。

司会

 ありがとうございました。また長くなってしまってすみません。そうしましたら、福井県からご報告をいただくということで。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 ではお願いします。まず、資料を訂正させていただきたいのですが、2ページです。福井県のセンター設置に関しまして、1行目の※の「県社会福祉協議会において」とありますが、これは間違いです。削除をお願いします。他にも人数など細かいところもあるのですけれども省略します。

 福井県のセンターの設置や運営は、今まで言われていた「公設民営型」ではなくて、「共設共営型」という形でした。それに関してお話させていただきます。

 先ほど新居浜市の方がいろいろな団体とコラボレーションでやったというお話をされていました。そこと似ているわけですが、うちの場合も相当大規模に協働で運営を行いました。いろいろな団体が入ったのですが、大きな団体それぞれの団体の特色を生かしてセンター運営を行いました。その幾つかをご紹介させていただきます。

 初めに、社会福祉協議会についてです。一緒にセンターをやっていて、社会福祉協議会でいいなと思ったのは、業務としてスタッフ参加ができるということです。うちは今立町なのですけれども、「今立町社会福祉協議会」の方が安定したスタッフとして、交代をかけながらセンターに入っていました。自分たちだけではなくて、県内のほかの社会福祉協議会からも応援をいただくという、社会福祉協議会のネットワークを生かしてスタッフ確保ができたという面で、とてもよかったです。

 それから、日ごろ独居高齢の宅などの支援をされていますから、町内の情報をとてもよく知っていらっしゃいます。ですから、駆けつけてきたボランティアに対して、先に行っていただきたいような活動場所を適切に紹介するといったところでも力を発揮しました。あと、町社会福祉協議会の女性の方が電話受付を行ったのですが、受付というのは大変です。いろいろなことを言ってくる方がいらっしゃるので、私などは気が短いので、もしかしたら途中で怒ってパチンと切ってしまいそうな要望に対して、すごく上手にこたえられます。これはやはり日ごろ持っていらっしゃる電話受付のスキルの賜物だろうと思って、本当に感心していました。

 次はJC(青年会議所)です。JCというのも大きな力で、うちの県では大活躍されました。ボラセンは大量の物資が動きます。物資調達に関しては、発注をかけるとか、物流をどうするとか、帳簿をどうつけるとか、在庫管理をどうするかというところは、私たちは全然分かりません。そこのところ、さすがにJCは産業界で活躍する人たちの団体ですから、物流のノウハウを持っていらっしゃる。今回、広域災害で大量物資が動きましたので、JCの力は不可欠だなと感じました。 

 また、JCという組織は、体育会系の団体なのです。「先輩!」とか呼び合ったりしています。ですから、先輩の言うことには絶対に従うので、「行け」と言われたら、「はい」と言って人も出せるほどで、安定してスタッフを確保することもできて、これはJCの組織の性質が成せる力だと思いました。

 さらに、大学に関してです。学生のボランティアの方が今いらっしゃっていますが、うちの方は特別そういう大学の組織はありませんでした。でも、大学の看護学科の助教授が私たちの仲間にいて、安全や健康管理について、初日にセンターに来てくれたところをつかまえて、「衛生管理について見て!」と言ったら、「ボランティアを病気にしないように。泥をセンター内に持ち込まないように。粉じんは怖いのよ。」というようなことを、専門的な立場から指摘し、手立てを講じてくださいました。

 町の健康福祉課も、全然災害系のノウハウを持っていなかったので、粉じんのことに関して町民に何も言っていませんでした。ですからそこに働きかけて、行政側からも町民にそういう危険性の呼びかけをしてもらいました。センターには看護学生さんをいち早く連れてきてくださったので、現場に駆けつけていただきました。その先生は、今、駆けつけてボランティア活動できるような、学生が動けるような組織づくりを大学で一生懸命やっているところです。

 また教育界では、県の教育長がボランティア活動に対して非常に積極的で、県内の高校に対してボランティア参加を奨励してくださいました。そのように教育界の長が協力姿勢を示してくださったおかげで、大勢の高校生や教員がボランティア参加しました。10代の高校生というのは底なしの体力です。特に外で部活している野球部やラグビー部などはものすごいパワーです。彼らがたまたま夏休みで大勢働いてくれたことで、住民の方々はとても勇気づけられました。彼らは活動をしているときも明るいので、その明るさに救われたということもありました。また、来た高校生の方も、こんなことを言うと高校の先生に怒られるのですが、「1年高校で勉強するよりも、ここの1日のほうがよっぽど勉強になった」と言って帰ってくれる方が多かったです。

 さらに、私は学校教員なのですが、やはりセンターの中枢にいて抜けられない教員の3名を、今回は職業免除という枠を作っていただいて、学校現場ではなくてボランティアの現場で活動が十分できるようにという特別な措置をしてくださいました。もちろん有給休暇は取れるのですが、そういう措置をしてくれたおかげで、私たちが抜けた穴を現場のほかの先生たちが埋めてくれるという体制もとれました。やはりこのようなどうしても抜けられないスタッフの身分確保、身分保証はこれから多分必要になってくることだろうと思います。

 それから、先ほどから出ている行政や議会に関してですが、議会も今回非常によく動いてくれました。ボランティアセンターは情報集積地です。被災者からニーズが上がってくるだけでなく、現場に行ったボランティアからの活動報告も上がります。私たちが運営するところに対して、私たちもニーズ調査にガンガン出かけていきます。ですから、非常にたくさんの情報が集まってきます。それはボランティア活動だけのことではなくて、行政対応だろうなと思うような情報もごちゃ混ぜで、すごく素早く上がってきます。福井の場合は、県の本部の現場支援体制があり、その県本部はNPO、県、県社協などいろいろなところの合体で動いていました。行政対応だろうなと思うような被災者のことでも、実際被災者の方が困っているわけですから、その情報を県本部に上げました。そしてそれを県本部で行政、議会などいろいろなところで考えてくださいました。ですから、現場の声を、ボランティア活動の枠を超えていろいろな対応に生かしてくださいました。 

 今立町はセンターが立ち上がるのが早かったので、いちばん最初の頃の具体例を紹介します。「庭が土砂に埋まって、この周りをどうしていいか分からない、目先の見通しが利かない。」といっておばあちゃんが泣いていたところ、たまたまそこにいた業者が「これを直すのに160万かかるんだ。」と言って、パニック状態で「町から160万払って自分でやれと言われた。」と言ってワーッと泣いていました。 その家の財政状態ではお金が出せるわけがないというのも分かっていたので、すぐに電話をして、これから先どんな補償があるのかとか、行政ができる補償制度で考慮してくれということを頼みました。それで、町からは色々な制度の説明のチラシが出ましたし、県のほうから言ってくださって、翌日新聞紙上にバンと載せてくださいました。そのような対応をしてくれました。 議員さんにもそういう現場を見ていただいたのですが、そこを見て、県独自で被災者の方に補償をと考えてくださいました。国は解体だけにしか補助が出ないのですが、県独自の補助枠はそういうところに使えるように枠を緩めようということですぐに動いてくれました。また、知事も国の補助枠の見直しについて国へ提言を行っていらっしゃいます。そういう具合に、ボランティアで拾ってきた情報をいろいろなところで生かしてくださるということができたのもコラボレーションの成せる業だと思っています。

 また、うちの町の場合、ごみ収集が行き詰りました。分別して自分で持ってこいと言われたのです。そんなことが被災者にできるわけがないので、それも泣きつきました。「おまえ、それは行政対応のことだろう」と怒られたのですが、ゴミがなくならないと、ボランティア活動も止まるということを言って、やはりそれも県本部を通じて県の調整が入って、災害ごみの認定や一括埋め立て処理などが決まっていったということを聞いています。あと、水道の面で被災者の方が不安に思っていたようなところも調査に入ってくれました。

 さらに医療の例です。ここに赤十字の方もいらっしゃいますが、医療関係は被災地のほうから来てくれという要請がないと動けないシステムになっています。要請システムです。現場で動くべき人たちは、「本当はすぐに現場に行かなければいけないのに、まだ要請がないから動けない。」といってけっこうつらい思いをされている方々がたくさんいました。例えば、美山町では役場に医療班が出ていました。でも、孤立集落には情報が行政でうまく取れなくて医療班が入っていませんでした。ですから、医療ボランティアというものを仕立てました。医療ボランティアで調査に入り、実際に医療が必要な方が何人いるかという調査をしました。県のほうでは行政とパイプがあるので、医療ボランティアが入って、「やはりここに常駐の医療班が要る。」という判断を聞いて、それを行政に言って医療班を現地派遣してもらいました。それ以降、いろいろな医療班などが、赤十字はもちろんですが、動けるようになったと聞いています。ですから、要請によって動く団体を、ボランティアのスピードで、ボランティア側が牽引していくという役割の活動ができました。

 その後、いろいろな被災地へ出向いて、いろいろな所でいろいろなトラブルでいろいろなことが止まっていたりするのを見ると、現地センター運営を行っていた私としては、「福井県はなんて恵まれた現地の運営ができたのだろう。」と思いました。やりたいと思ったことがほとんど何とか道筋が立てられたというのも、本部で県、NPO、JC、社会福祉協議会といった団体が一緒になって活動し、いろいろなことをやってくださって、バックアップをかけていただき、そのおかげで、私たちは被災者救済に専念することができました。どこが上とか下ということになると、どこかの命令を聞かなくてはいけなくなってしまいますが、そうではなくて、対等にやり合ったといういい形の協働だったからできたことだと思っています。福井県はそのような「共設共営型」活動でよかったということをご報告させてもらいます。

 私たちNPOのボランティアとしては、特にコーディネーターうんぬんという大きな役を担う者というのは、今、京都で吉村さんも頑張っていますが、いろいろな団体を協働の形で巻き込んで、一緒に力を出し合っていくという形を作り上げていくというコーディネートをかけていく。ただセンターの運営をどうこうというだけでなく、いろいろな団体とうまくコラボレーションしていくようなシステムを作ったり、調整をかけたりという役割を担っていくべきではないかと思っているところです。

司会

 ありがとうございました。時間がかなり押してきてしまっているのですが、幾つかポイントだけ伺いたいのです。今、福井県がかなり支援をしてくれて、それが大きな力になって立ち上げられたという話があちこちから出てきましたが、どなたがいらっしゃったとか、その支援の仕組みはご存じですか。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 まず、物資支援をしました。「福井方式」では1億3000万円の基金がありました。8600万円をあのとき使ったのです。すべてその手配は行政がやりました。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 水害の場合は、松森さんやNPOの方と、その前から県といろいろな協働がありました。京都府と一緒で、福井県も防災計画では社会福祉協議会がボランティアセンターを立ち上げることになっています。でも、福井県の場合、ナホトカ号海難・流出油災害のときにそのやり方でやってなかなかうまくいかなかったという反省がありました。それを踏まえて、ナホトカ号海難・流出油災害の後に「福井県災害ボランティアセンター連絡会」という、いろいろな団体が入った連絡会を作っていて、毎年、防災訓練に参加していただいたり、研修会をしたり、顔の見えるつきあいをやっていました。その中で、連絡会が県の災害対策本部から要請を受けて、ボランティア本部を立ち上げるということになりました。福井県の場合は、防災計画とは別にそういうものがあったのです。

 それで、発災日の夜に本部会議を招集しました。県が事務局を持っています。なぜ事務局を持っているかというと、今の災害ボランティア基金がありますので、その基金を運営管理しているからには事務局として県も入っていなければいけないだろうということで、組織自体は民間だけの連絡会です。そういう連絡会があって、それはナホトカ号海難・流出油災害のときの反省を踏まえて、ボランティアセンターをいかに運営するかというところでできていて、発災日に皆さんにお集まりいただきました。それと一緒に、現地(今立)のほうでは細川さんが現地センターを立ち上げていました。それで発災翌日からすぐにボランティア活動に入れるという状態でした。

 特に新潟県の場合、地震のほうはまだ分かりませんが、水害は水が引いたら即仕事だということで、基金もありまして、資機材関係などはすぐに。最初は私も初めて基金を取り崩すので、県としても幾らぐらいかなという心配はあったのですが、ボランティアが来て資機材がないのはいちばん困るだろうということで、まず資機材を確保しましょうと。

 2日目か3日目ぐらいに「幾らぐらいかかっているの?」と言われたときに、JCにお願いしましたので、新潟県の発災のすぐ後の福井県だったので、新潟を見にいってきたら、「すぐに資機材を頼まないとなくなってしまうよ。スコップなんかなかなか来ないよ」ということで、帰ってくる途中ぐらいから皆さん心配されて、資機材の発注にかかりながら来て、即、取り掛かれたということです。

司会

 スコップなどがすぐに必要だということですが、そのスコップなどの資機材を別の場所が被災したらそこに運ぶといった仕組みはありましたか。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 それがJCです。各本部が皆吸い上げて、各県で立ち上がるボランティアセンターのいろいろなことを県に情報を皆上げていただいて、例えば細川さんの所(今立)に人が来ない、ボランティアが少ない、入らないというと、余っているところからは電話がじゃんじゃん入ってくるのです。「今、団体で入ってくる」という電話があったら、「まず今立に入ってください」ということで今立に入るようにして、お昼ぐらいには各現地センターからどんな状態か入れていただくとか。

司会

 県外ではどうだったのでしょうか。

吉村(ユース21京都)

 京都は4tいただきました。

司会

 福井から京都に行ったときも、その資機材を持っていったのですね。そのためには、逆にいうと、そういう資機材をふだんから備蓄しておく倉庫がないといけないだろうとか、いろいろなことが予想されるのですが。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 それが体育館いっぱいぐらいになりました。それで、新居浜市、高知県、三重県など、皆さんのところが資機材がないと言われたら、そちらのほうへ。

司会

 やはり移動していたわけですね。資機材をその度に買うにはお金に限りがあるし、再利用できるということで。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 そうです。それも県が基金を持っていたのも、各県からの義援金をいただいた中で基金を積んでいましたので、知事のほうからすぐ「全国へお返しするのだからじゃんじゃん出せばいいですよ」ということで、どこがないといえば出す、ボランティアが足りなかったらボランティアバスを出すというように。

中川(時事通信社)

 基金はナホトカ号海難・流出油災害のときからですものね。

司会

 あれはたしか平成9年ですよね。1億3000万あったものを今使われているということですね。1億を超すというとすごい基金だと思うのですが、それがあっという間に1回の災害で、これだけ今年災害が続くとすべてなくなってしまうというような感じになってくるということですね。それから、社会福祉協議会にボランティアセンターを作るという計画になっていたのがうまくいかなかったということでしたが、県の計画はいまだに社会福祉協議会のボランティアセンターになっているのですね。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 今、見直しをかけています。

司会

 ということは、一つは事前に計画があっても、計画どおりにいかないことがあるということですね。それからもう一つ、水害関係のボランティアの立ち上げマニュアルというのが以前からできていたと思うのですが、そういうものは活動上の参考にされていますか。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 独自のマニュアルがあるのです。やはりナホトカ号海難・流出油災害の後に、基金やセンター連絡会のことも含め、福井県ではこうやりますというマニュアルは作っています。あとは、私たちの経験上、出てきたペーパーですとか。

司会

 基本的なマニュアルはあったとしても、それが水害とか地震とか、災害ごとに対応が違うと思うのです。水害だったら、前線が来ている段階から準備ができたという話でしたが、地震だったら起きた後の対応ということになるし、被害状況も違ってくるので、ボランティアの動かし方も違ってくるのではないかと思います。その辺のマニュアルはその場で作られたという感じですか。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 マニュアルというよりも、その場で、そこで使えるものを作りますから。

司会

 センターの中で皆さんが共有しながらという形ですね。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 そうですね。具合が悪かったら晩にでもパッと直します。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 毎晩、本部会議をやりました。翌日の対応を決めながら。

司会

 そういうことですね。ちなみに、中心になって活動してくださった方はどれぐらいいらっしゃいましたか。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 私が現地をやっている間は5〜6人ですね。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 本部は社会福祉協議会、JCが何人か。

司会

 今、伺ったように、中心になる方は本当に数名なのですね。それで周りにいろいろな方が集まってきて、活動がどんどん自動的にというか、雪だるま方式に広がっていくというのがボランティアのいちばん理想的な動きということになるかと思います。

 もう一つは、やはり引き際をどうするかというのが非常に問題になるところです。その辺の課題は午後に持ち込みたいと思いますが、ほかの分科会もまだやっているようなので、申し訳ありませんが、もう1つ、NPO国際学生ボランティアのほうから報告を。5分でいいですか。お願いします。

宮澤(NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会)

 宮澤です。では、報告させていただきます。僕ら国際ボランティア学生団体は、基本的に災害が起きたら、今、団体は12年たっているのですけれども、まだそんなにネットワークがあるわけではないので、情報収集は自分たちで行っています。それは基本的に電話で聞いたり、12年たっているのでOBやOGが全国各地にいるので、その方々に聞いてもらったりします。

 実際に必要だということを判断したら、先発隊というものを作って、本隊とは別に一次隊が10名ほどで現地入りして、現地で情報を収集し、これから僕らの団体が何人必要で、どういうニーズがあるのかということを調査して連絡します。今年、入ってけっこう大きかったのは、先日の兵庫県の豊岡市、また、新潟県中越地震で入った長岡市と中里村です。また、実は昨日からも長岡市には20名ほど行っているのですが、水害でも新潟には100名ほど行きました。

 基本的に現地で行ったことは、水害に関してはやはり土砂のかき出しや庭の手入れ、ごみの分別等をやらせてもらいました。やはり学生なので、専門知識や経験が足りないために、基本的には自分たちの役割というのは、ボランティアセンターなどで言われた仕事に対して、大体力仕事が多いのですが、そこで力仕事をしたり、自分たちにできることがない、専門知識がないからできることは少ないだろうということで、先ほども出ました元気やパワーで補っていこうということにしています。ただ、例外がありまして、新潟県長岡市と中里村、またその前の水害においては、現地でOBの方が長岡市の市議会議員をしていて、その方のつてでボランティアセンターの運営を手伝わせてもらいました。

 中里村においては、夏にお祭りがあるのですが、そこに初めて我々が村おこしイベントということでスタッフとして携わらせてもらった関係で、中里村に災害に強いかたもあまりいなかったということで、僕らは海外に行くにも、いろいろな現地で活動するにも、けっこう自分たちの調整をしているので、その経験からボランティアセンターの立ち上げ、運営、また撤収などもやらせていただきました。こちらに関しては、こちらにいる小松崎がやらせてもらったので、お話を聞いていただければ詳しいことが分かると思います。

 資金的なことに関しては、以前に契約させていただいた「車両競技公益資金記念財団」の方々から援助していただき、活動しています。とりあえず、簡単ですが。

司会

 ありがとうございました。ちょっとコメントを、立ち上げのことで。

小松崎(NPO法人IVUSA国際ボランティア学生協会)

 私は新潟県の長岡市で、先ほども出ました市議会議員の方の関係でボランティアセンターの運営をさせていただきました。ボランティアセンターの中にいる方もやはり被災者ということもありまして、運営をきちんとしていくのが難しい状況で、どううまくやっていくかということで、私たちとボランティアに来ている方もボランティア協会の人なので、一緒にボランティアセンターを頑張って運営していこうという方針でした。まず、ボランティアに来た方に元気を出してもらって、一緒にボランティアのほうから避難所に行くときなども、元気を分けてくださいということを第一に伝えて、受付などいろいろしていきました。

司会

 どうもありがとうございました。時間がなくてごめんなさい。もうほかの会場も終わっているようなので、お昼休みが少なくなってしまって申し訳ありません。午後は1時半から、もう一度ここに集まっていただいて、できたら今座っていらっしゃる所に座っていただけますか。それで、お昼はぜひ皆さんで交流していただきたいと思います。

 それから、こちらに資料集があります。私が最初にご説明すればよかったのですが、事務局でこれだけ資料を集めてくださって、今年、全国各地で起きた水害の状況や新潟県中越地震なども入っていますので、この辺もお昼休みにぜひ見ていただきたいと思います。

 午後からの課題ですが、今、いろいろな現場からの立ち上げの話がありました。組織立ち上げをどうしたらいいのか、その辺のノウハウについていろいろな立場から報告がありました。また、中心になってやるときにはどうしたらいいのか、それを支援するにはどうしたらいいかという立ち上げのところの問題です。

 それから、外から行ったときに現地に入り込むことが非常に難しくて、中にかなりニーズがありそうなのだけれども、なかなか引き出していけない。そういうときにどうやって協働していったらいいのかという現地との協働の話が2番目です。それと今、若い方たちがいろいろ出てきてくださっているので、その方たちの力をどうやって生かしていったらいいかということを3番目の課題にしたいと思います。

 また、細かいところで、さらに専門的な知識を持っておられるそれぞれの団体の特性を生かしてどうやっていくかという、細川さんから提起された課題がありました。それは、皆さんそれぞれの現場を持っていらっしゃるので、その辺の知恵も含めて午後からの議論に向かいたいと思います。今、四つか五つのポイントを言いましたが、このほかにこういうポイントについても話してほしいということがあったら、午後の始まりのときにでも言っていただければいいかと思います。では、申し訳ありませんが、1時半に再開ということでよろしくお願いします。

【午後の部】

司会

 お昼に行ったきり帰ってこない人たちが多いようですが、先に話せることから始めてしまいましょうか。黒木さんも消防庁というお立場があるかと思うのですが、行政がどうやってかかわるかというのが難しいテーマとして挙がって来ていますが。

 行政のできることというのは、ボランティアとふだんからつきあって連携をとっていくことが基本になると思います。あと専門ボランティアの枠を作って、登録制度にしたりしているのですが、それがどうもうまくかみ合わずに、一般ボランティアの活動力に押されているようなところがあるように思います。一般ボランティアとは別に専門の領域での活動もあると思いますが、どうやって連携がとれるかという課題が出てきているように思うのですが。

 先ほど自主防災組織を展開していらっしゃるという愛媛の野間さんと、市民の立場から自主防までやっていらっしゃる大間知さんの立場がけっこう近く、多分ご参考になると思うので、皆さんまだ遅れておられる間に、大間知さん、先ほど言いかけていた市民展開から自主防までという活動を、お話しいただけますか。

大間知(NPO法人都市防災研究会)

 お時間をお借りしまして、今はともかく少子高齢化が進行していることはよくご存じだと思います。阪神・淡路大震災のときはたしか高齢者率が14%ぐらいでしたが、今年は19%というように、ますますこれから比率は上がってきます。

 今度の新潟県中越地震の山古志村あたりもたしか40%ぐらいの高齢者率で、新潟水害も言うまでもなく高齢者中心の要援護者が取り残されて犠牲になっているという構図が出てきています。これからもますます一人暮らし、二人暮らしが増えていくと、どうしても地域社会とのかかわりが薄くなるということが多くなってきます。そのことを我々の研究会としては中心のテーマに取り上げて今まで活動をしてきて、いろいろな啓発活動を行ってきています。

 具体的にいうと、地域での防災活動に取り組んでいまして、特に私の住んでいる地域では、中学生を活用できないかということを7〜8年前から考えていますが、地域の防災訓練を実施しても、中学生の参加はほんの数名というのが普通ではないかと思います。それで、中学校の校長に中学生の参加を要請していまして、それが地域の声となって伝わるまでにやはり4〜5年かかりました。

 今から4年前に、うちのほうでは中学校生徒全員が地域の防災訓練に参加することになりました。地域の防災訓練は大体土曜日に実施するのですが、月曜日を振替休日ということで、授業の一環として実施しています。我々の地域は住宅地域ですので、昼間、地域から勤め人や学生が皆出払ってしまって、残っている人はごく一部です。そこにも中学生の力を何とか期待できないかということがあるわけです。

 そういうことを今年で4年連続やっていまして、中学生の女の子でも仮設トイレの組み立てを20〜30分でできるようになってきているという状況があります。あるいは、炊き出しなどを男の子もやりますし、そのようなことで地域の防災戦力が向上してきているということです。今年ぐらいから、何か新しいことはできないかという話で、前々から中学校の校長にいろいろ進言はしていたのですが、3年間同じことをやってきたので、今年は新しい課題にも取り組みたいという話をしています。それで、今年うちの自治会でも700世帯ぐらいありまして、民生委員が災害時に助けに来てほしいとか、いろいろな要望をアンケート調査したら、要援護者が50〜60人からそういう手が挙がりました。今年それを全域でやるわけにいきませんから、たまたま2件だけですが、モデル例としてそれぞれ中学生に4人ずつ安否確認に来ていただいて、避難所に誘導するということを初めてやりました。中学校の区域としては1万6000人ぐらいの人口なのですが、自治会が五つもありますし、さらに二つの区にまたがっているということもありまして、これを中学校の立場としては、通学区域全域に要援護者の安否確認が将来的にできればと考えています。

 また、中学校がそういう取り組みを始めたことに小学校も刺激を受けて、中学校が全員参加の防災訓練をやった翌年から、小学校も同じパターンで始まっています。そうすると、将来的に継続すれば小学校が6年間、中学校3年間で、9年間毎年そういった形でやっていくことになり、かなり地域の防災意識が向上していくだろうと思います。一方で、高齢化はますます進みますので、それに対する対策ということでもいいのではないか。

 それをやっているのは、例えば横浜市でも我々の地域だけなのですが、たまたま同じ区内の中学校が1学年だけ、今年、地域の防災に参加するという一つの動きが出てきましたので、それが拡大していくことが全体的に防災の体力を上げていくことになっていくのではないかと思います。これがとりあえず、私の今日話したかったことです。

司会

 ありがとうございました。大間知さんのところはかなりふだんから、市民防災型の都内で行われている帰宅困難者対策とか、いろいろな形でのネットワークを通じたつきあいができている一方で、自治会を通じてのこういう地道な活動をやっておられます。

 都内でもそうですが、あちこちで小学校区を中心とした避難所運営訓練をしようという動きがあって、そういう中では割と小学校を単位にして皆さんが集まってくると、避難ということを機にJCの方、スポーツ団体やPTAが集まったり、子供を媒介にした動きが出てきて、ここでネットワークを組むというところも出てきています。

 神戸市の「防災福祉コミュニティ事業」も小学校区単位ですね。ということで、一つの学校がキーになっているというところがあります。ただ、そういう自治会活動の中でボランティアとの橋渡しということになると、その辺のつなぎがうまくいかないところがあったりします。それから、そういう活動をしようとしていちばんネックになるのが、自治会長だという話が出てくることもあります。皆さんで一緒にやろうという動きがあるのに、地域の中で固まっていたいというような話があって、それをどうやってつなげていくかが一つの課題になってくると思います。

 今、皆さんが戻ってこられましたが、いらっしゃらない間の話し合いで、先ほど最後のほうに若手育成の話が出てきましたが、それと地元のほうでどう受け入れをするかというあたりの接点の話が出てきました。若い人たちからどうですか。兼田さん、どうやったら自分のような人ができたとか、何かこれまでの感想はありますか。舞子高校の環境防災科のようなところにはどういう人が集まって来ていますか。

兼田(兵庫県立舞子高等学校)

 兵庫県内で舞子高校まで通える人ならどの区域からでも来られますが、基本的には舞子高校のある学区の中です。淡路と明石海峡の近くです。その辺の子が多くて、ほかは先輩が宝塚です。

司会

 地域ではなく、どういう人が来るのですか。被災経験があるというわけではないのでしょう。

兼田(兵庫県立舞子高等学校)

 別に防災や環境に興味のある人が入ってきて、入ってからの勉強がしっかり受けられれば大丈夫です。

司会

 授業も割と防災教育が多いのですか。

兼田(兵庫県立舞子高等学校)

 週に何時間かそういう専門科目の授業があって、その分普通科よりは一般の授業が減るのですが、専門科目で例えば神戸の市役所の方とか、消防の方などに1年生のときには話を聞いたり、「人と防災未来センター」に体験学習に行ったり、体験型の勉強が多いです。

司会

 そうすると、やはり体験型の学習がかなり防災に関心を持つことにつながるということですね。では、今日はすごくいい経験になりますね。

中川(時事通信社)

 いろいろなところにけっこう引っ張り出されて、結果的にいろいろ体験させられていますよね。ちょっと言い方は変ですが、兵庫県としてはあそこの学校をうまく使って、いろいろなところに高校生をはめていっているところがちょっとあります。でも、それで彼ら、彼女らがすごく勉強していっていて、何かあると「あ、また来ている」と。今年で3年目ですが、進路はどうなっているのですか。

兼田(兵庫県立舞子高等学校)

 進路は先輩が今まだ決めている途中で、卒業してみないと分かりません。私は2年生ですが、私の進路希望としては、環境の勉強がしたいです。

司会

 京都から見ると、やはり兵庫などの動きはうらやましいですか。そういう専門の学科があるということは。

吉村(ユース21京都)

 そうですね。京都の場合、「京都大学防災研究所」という一種の専門機関があるのですが、ここが地元に何か落としていってくれているかというと、京都以外のところに有名な先生が目を向けていらっしゃいます。しかも、「京都大学総長」は尾池和夫先生です。

中川(時事通信社)

 今、副学長(入倉孝次郎先生)もおられますね。

吉村(ユース21京都)

 そうです。そんな状況ですから、こんな形で高校レベルから地元とそういうところでしっかりと根を張ってやっていらっしゃるというのはうらやましいですね。うらやましいだけではいけないのですが。

司会

 先ほどの大間知さんのお話では小学校までということで、阪神・淡路大震災のときも、避難所とか何かを小学生までお手伝いしていました。小学生というと、今、防犯関係で危険なところに近づかないようにといった話ばかりなのですが、やはり小学校のときから防災にかかわる、思いを寄せるきっかけになるということがあると、やはり地域でも何でも取り組んでくださるのがすごくいいのではないかという感じがしますが、兵庫県の方、いかがですか。

蓮本(兵庫県社会福祉協議会)

 「分科会B」の中で、京都のようなちゃんとした報告があるということで少し触れさせていただきたいのですけれども。

 神戸は阪神・淡路大震災間の特色なのでしょうか、10年前に被災をしたという経験がありますので、こうした災害のときにも多少生きてきます。ただ、我々でもそうですし、行政のほうでもそうですが、やはり10年というのは短いようで長くて、直接被災してなくても、その後何年間かの復興支援などに携わったことがある人間と、全く経験のない人間がいます。

 我々のボランティアセンターでも、震災時やその後応援に行った時のことを知っている職員と、そのころは災害に関わりなく子供時代を過ごしていましたという職員も一緒に仕事をしていて、やはり感覚の違いがあります。

 いざ動くときに、ボランティアセンターなどを実際に被災地で運営をするときも、我々は協働型だと考えます。実際、洲本や豊岡などでも、ボランティアセンターのスタッフの7割ぐらいは応援の人間で、被災地のスタッフは調整役に2〜3人でした。それから、学生さんも地元の子はずっとそこにいるわけだから、1週間、2週間来てくれるので、意識のある子で、目ぼしい子がいたらスカウトしてしまえといって、全部スタッフに取り入れています。

 ただ逆に、宣伝ではないですが、学生が頑張ってくれていることを取り上げないと、動きが鈍い学校というのがあります。やはりそれをどうつないでいくかがいちばん大きな課題になってきています。

司会

 引き上げられて、スポットが当たっているところはかなり熱心にやっているのですが、かえってそことのギャップが出てきてしまうということで、その辺のバランスがすごく難しいことでしょう。

蓮本(兵庫県社会福祉協議会)

 ギャップはものすごく大きくて、ボランティアセンターも社会福祉協議会にしても、福祉というとどうしても平常時の要援護者を考えて、災害時はすべて災害弱者であり被災者だという感覚にすぐ切り替われないところがある。福祉というのは、『「ふ」だんの「く」らしの「し」あわせ』だとか、いろいろ言葉を尽くしているのですが、なかなかそういう感覚に切り替わらない人がいますね。

吉村(ユース21京都)

 福祉救援という言葉が実は非常にネックになっていて、京都市でも地域防を変えようといろいろな動きがあるのですが、最終的に社会福祉協議会を担当している保健福祉局や地域福祉課の協議にかけると、必ず反対を受けます。何かというと、いわゆる福祉ボランティアというのは、災害時要配慮者ではないか、自分たちの守備範囲はそこだけではないか。なぜそこまでする必要があるのかというところでかんかんがくがくになって、苦労していらっしゃる社協マンであるとか、行政マンというのは我々も含めてたくさんいます。

 言葉の魔力を埋めるために、わざと大学の一般教養で昔習ったような言葉、広義の何とかと狭義の何とかという言葉を使い崩して、「広義の福祉救援」「狭義の福祉救援」とやっているのです。大学のときに全然勉強していなかったけれども、それだけはよかったかなと。

司会

 広義の福祉救援ですね。

吉村(ユース21京都)

 広義の福祉救援と狭義の福祉救援です。

司会

 ということで、今テーマにしている災害救援は、いかに広義の福祉救援のほうを広めていくかということですね。話が少し前後してしまいましたが、せっかく前半で各地からのご報告をいただいているので、被災した所にこれからどうやってボランティアセンターなどの立ち上げをしていったらいいか、どうノウハウを継承していくかということや、応援側の体制などもあるかと思います。

 まず、その立ち上げのところでどうしたらいいかといったようなことを、どなたからでもけっこうですのでご発言いただけますか。ポイントとなる点など。水害というのは、先ほど言ったように、準備期間のようなものがあって、これは大変なことになりそうだということで準備ができて、体制を整えつつ入れるというところがあるのではないかと思いますが、どうなのでしょうか。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 そんなことはありません。突然です。どの地域に被害が来るかというのは、本当にこの間の新潟ときは、新潟から雨が落ちてくるのはどこでというような、そこまでの段取りはやはり雨が降っているという情報が入ってからしか分かりません。そんな前からというほどの段取りはできません。

司会

 やはり基本は情報収集から始まるということですね。それで、受け入れ側がどうかという話が一つ出てくるのですが、受け入れ側の立場になった所から見てどうでしょうか。「最初から応援をお願いします」という感じになるのか、それともしばらくやって「やっぱりだめだから応援が欲しい」という感じなのでしょうか。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 まず、四国でも水害センターがよく立ち上がってきたのですが、今回新潟県中越地震のほうも長岡市や小千谷市、山古志村などでいろいろセンターづくりということで行かせていただいて一番思うのは、センターが立ったときの意思決定権が、いろいろな団体の方と共同でセンターづくりをするのもいいのですけれども、最終はだれが決めるかということがないと。

 大きなセンターになればなるほど、いろいろな団体の方とか、社会福祉協議会のネットワークの応援部隊とか、NPOのネットワークの応援部隊が入ってこられて、それぞれが現地に入ったら、例えばAという団体がいたらAのトップの方がそこのセンター長のような感じで、それぞれ意思決定がばらつきます。最終そこのセンターはどこのラインが決めるかという一本筋を立てていないと。それが立った後だったら、センターとしてはいくと思うのですが、そういう位置づけがまず次にする作業で、先ほど吉村さんが言われたような調整が大事だと思います。

吉村(ユース21京都)

 一見違うことを言っているようで、京都がそうかなと思ったりすることがあります。先ほど細川さんが言っていましたが、どこが上とか下というのではなく、まず一つは、新居浜市にしても福井県にしてもそうだったのでしょうが、日ごろからある程度ざくっと構えた協働での体制が、顔の見える体制に芯が一本通っているというスタンスが大事だと思います。

 そこのところが言ってみれば、例えば福井県の場合だったら「センター連絡会議」というところが本部を設置しますと決めてくれれば、大ざっぱなところの大方針が決まって、そこにあとからいらっしゃる人たちをコーディネートしていく。よく災害ボランティアのコーディネーターで入ってくる人で、コーディネーター、イコール、ボランティアを指揮するという考え方を持っていらっしゃる方がいるのですが、それは大きな間違いで、コーディネーターというのは、言ってみればおだて上手というか、そういう人でなければなかなか務まりません。特にちゃんとつなげるつなぎ役みたいなところがあって、福井県にしろ新居浜市にしろ、そのあたりはしっかり一本筋が通っていらっしゃったということがあるのかなと思っています。

 それともう一つは、来ていただける方の中にも、よそから来た方で、言葉は悪いのですが、ボランティアセンターをしたい方がおられるのです。それこそ「背広を着てるのか、あんたは」というくらいの方がボランティアセンターに来て、その中枢に入って何かを仕切りたいような方がいらっしゃるのです。それをやられると地元は困ってしまいます。そうではなくて、応援に来ていただける方でも、例えばコーディネータークラスの方ばかりでも泥かきをしてもらった場合もあります。福井県の場合、その辺がなかなか一本筋が通っていたなと思うのは、福井県の水害のときに「何が欲しい?」と聞いたら、「人足ちょうだい」と言うから、「分かった」と言って、中間支援組織の人間を全部集めて50人ぐらい行ったのですが、全員スコップを振ってもらいました。そのように、時と場合に応じて自由自在に変幻できることが応援する人たちのスタンスであって、コーディネーターが足りないというのであれば、コーディネーターとして活躍するし、「泥をかけ」と言われたら泥をかくし、「水持って回れ」と言われたら水を持って回るような、ちゃんと地元のことを考えられるような。

 それをするためには、やはり日ごろから顔が見えておかないといけないと思います。例えばお会いするのは初めてですが、実はメーリングリストではけっこう前からつながっているということもありますし、ほかの方もそうだったし、大谷さんも1月に来てくれました。そういう形で、ある程度日ごろの体制から見えておくと、「だれだれが来てくれるなら、こいつにはこれを任せられる」ということがあったり、だれだれとだれだれの組織とそういうことも含めて、そういう人が大事なのかなと思っています。

司会

 その前の段階でのつきあいもあるし、メーリングリストがすごく役に立っているというので、中川さん、その話をしていただけないでしょうか。

中川(時事通信社)

 去年のつどいがたった1時間半のセッションだったので、1時間半では何もできないということで、事前に知り合っておこうというためにメーリングリストを作って、そこをきっかけにして知り合いが知り合いを連れてくる格好でメーリングリストが広がっていきました。

 そこで、今回の台風や水害で、結局、皆さんが現場に行かれると、いろいろな情報がどんどん入ってきて、先ほど吉村君がここで現場報告をしてくれましたが、あれもこの過程、この過程でけっこうライブの報告があって面白かったのです。

 あんなふうにメーリングリストがなるとは思わなかったのですが、皆さんが適当に自由に使っていただいたということが、ある意味で情報を商売にしている私が裏方でつなぎ役だけやっていたのでよかったのかなと思っています。だれかそこに仕切り役がいて、「こっちだ」などと言っているときっとだめだったかもしれません。

司会

 仕切ったのではなくて、情報の場を提供しているという形ですね。中川さんのメーリングリストにはどうしたら入れるのですか。

中川(時事通信社)

 後で入りたいと言っていただければ。今は私と吉村君が共通の管理人になっていますので、メールアドレスをいただければすぐ登録をしますので、よろしくお願いします。

司会

 ということだそうですので、事前の情報交換も含めて、そういうつながりができていくといいことではないかと思います。それから、岐阜の平野さん、支援する側で入られることがけっこう多かったようですが。

平野(Vネットぎふ)

 高山のボランティアセンターのスタッフも、実はほかの被災地に行ったメンバーの主力になってしまうのです。NPO団体と、私が仏教会なので、仏教会とがお金を出し合ってバスを段取りして、宿泊などもお手伝いできることとしてやります。そこに一般のボランティアをしてくれる人を地元で探して、来てくれて、ものすごくやってくれる人がいたら、どんどん仲間に入れていって、飲み会でも何でもたくさんするのです。そうすると、ものすごくコミュニケーションがよくなってきて、高山のボランティアセンターを上げたときには、社会福祉協議会とNPO法人と仏教会の三つが主力になって物事が進んでいきました。 

 あと、資金面のことなのですが、うちらのときはスタッフの中に必ず市役所の人、行政も入ってもらって、ボランティアセンターに寄付をくださいというのを市民に呼びかけたり、外に呼びかけたりして集める。それで300万集まったのですが、そのうちボランティアセンターに使った経費は200万です。集まったものは全部市に渡すのです。市にお願いして、ボランティアセンターが欲しい物を市の人に掛け合うわけです。そこで市の人だったら下手な使い方は絶対にできません。もしかして、寄付よりも多い金額をボランティアセンターで使ってしまったら、その間を市が持たなくてはいけないというように約束事をしています。ですから、市のほうもなるべく抑えたいけれども、ボランティアセンターの人は「これが要る、これが要る」と言って、それもやはり市としてお金を預かっている以上、認めていかなければいけないわけです。

吉村(ユース21京都)

 京都の場合は、金の管理は一応社会福祉協議会がやって、300万集まりました。僕は俗称「裏会議」と呼んでいましたが、ハートピア京都という府社協が入っているセンターの5階にセンターがあったのですが、地下1階にもう一つ分室のようなところがあって、そこに作戦室というものを作って、そこに電話を一本引いてもらって、そこが実質うちらの作戦本部になりました。

 そこで会議をするときは、5階から局長に来てもらうのです。京都府の室長も全部そこに来て、そこで裏会議をやるのです。それをやっているときに、「今これだけの資金があって、これだけ足りない。使うのはこれだけですよね」と言ったら、皆京都府の顔を見るわけです。そうすると、京都府が「しょうがないな」という感じのことがよくありました。

平野(Vネットぎふ)

 ボランティアセンターをやるときには、結局こそこそ話というのが必要ですよね。皆の前では部長や局長クラスに発言してもらうというのはなかなか難しい部分がありますから。

吉村(ユース21京都)

 うちの場合は見境がなかったです。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 新居浜市の場合は、課長、部長、常務、会長などがおられるのですが、会長と常務と局長は上なのですが、僕は年配の50代の方々がたくさんいる中で現場では全部トップでさせていただきました。イコール、お金についても現場で足りないと思った物は全部買えるような状況で、大手の市外のスーパーのようなところでもどんどん買っていく感じでさせていただきました。つけでです。

平野(Vネットぎふ)

 しかし、下手な金の使い方をしたら結局、市が困ってしまいますか。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 いえ。けっこうそういったところで、各地だったら市に相談で、欲しいのにすぐ入らないということがあると思います。それが現場で足りないと思えば、センターから現場に持っていくのではなくて、そこのスーパーに走ってパッと持っていくような感じで、瞬時に要る物はそろえるというような態勢で、新居浜の場合はそのスタイルです。それと市のほうからも入る、先ほどのスタイルと両方並行してやらせていただきました。

吉村(ユース21京都)

 福井県を全部コピーしてまねしようというという気はないのですが、そう言いながら8割ぐらいはパクらせていただこうかなと思っているところがあります。共設共営型の何がいいかといったら、結局、行政も入っているので、ボランティアが何かしにいくときに、「これ、公的な金が入ってるんやったら、こういう使い方したほうがええで」ということをその場で話し合いができるというところにメリットがあるのではないですか。

 実際に買いにいくのは、ボランティアが買いにいこうが、行政職員が買いにいこうがどちらでもいいのです。要は、その中に行政とボランティアがいろいろな社会福祉協議会などが一緒に入っていて、それぞれの知恵を出し合って、「これ、ええで」と裏知恵も使えるということころが強みかなと。そうすると、ある程度オフィシャルなことに関しても、後で何か言われたときに、別に議会に突かれても「いや、これはこうや」とポンと言い返せることもあるだろうというのが強みかなとは思っているのです。そうですか、やはり県庁の方は?

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 そうです。はい。

蓮本(兵庫県社会福祉協議会)

 兵庫県の場合は、今回は都市部ではなくて郡部のほうであったので、寄付を受け入れても、お金の執行にしても、法人の会計内で全部処理ができますから、センター長には社会福祉協議会の会長などになっておいてもらって、実際の各ボランティアのニーズや受け入れなどは現場コーディネーターやNPOとか。ふだんから親密なつきあいをしているので、「震災がつなぐ全国ネットワーク」のメンバーのNGO協働センターや、高知の市民会議の方々などに淡路のほう、それから豊岡のほうはレスキューサポートやシャンティ国際ボランティア会などに入っていただきました。

 実際はそこで回すけれども、NPOの人にも入っていただいて協働でできるような体力的なこと、資金的なこと、それから地元の人のストレスを考えて、水害だったら2週間、長くても1か月いかないぐらいだから、その間に地元に協働の関係を築こうと。応援のスタッフが全部引き上げても、そこで作った協働の仕組みが、2か月、3か月、あるいは1年、そこの住民のケアをできるようなものを、作るようにします。それで、一応お金などいろいろなものは法人格のある社会福祉協議会に責任を持ってもらうなど、意図的に仕掛けているところはあります。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 福井県は基金がありましたでしょう。ですから、「各現地ボランティアセンターの設置運営費は全部県の基金で持ちます。だから、すごく動きのいいように立ち上げてください」と。ですから、県の場合は手をつなぐのがいちばん有効な方法です。確かに各現地のボランティアセンターの場合は、行政主導でやりたいという市もありますし、うちは社会福祉協議会だけでやるとか、いろいろなところがあったのですけれども、結局お金がどうしよう、こうしようという中で、足りないとか、人がいないというのは、大きなきちんとした県組織があって、その中で全部フォローします。

 そのかわり、県が出せるもの、出せないものはありますよね。そういったところに関して、ちょっと夜食を買いたいとか何だというのは、各センターで考えたり、また本部でも「さすがに民間が入っているからだな」と思うような、何かシールを作って、私もびっくりしました。「よみがえれ、福井」とか、各ボランティアセンターでいろいろなシールを作るというので、「こんなもの作るの?」と言ったら、幾らで売るというので、それを売って資金にしています。それは県と関係なく、切り離した中で、民間の組織の中で作られた連絡会で作っています。

中川(時事通信社)

 阪神・淡路大震災のときにシールを作ったのと同じですね。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 民間の動きというのもなかなか面白いなと思います。行政からは全然発想ができないような動きの中で、それに関しては県は関係ありませんので、かかったお金は自分たちが払って、残りは好きな物に使っていただきます。本当に必要な経費というか、資機材とか、夏は暑いのでお水が要るとか、その判断は少し迷ったのですが、ボランティアの飲み水とか、塩気の物で梅干がいいといって、梅干を買うのはどうしようと。食料品として上がってきたので、「何のお金?」と私は言ったのですが、それが健康管理の梅干ということなら、「それは本部で大丈夫ですよ」という感じで出しました。

吉村(ユース21京都)

 物とか金とかの話で、実際に買うのもあるし、例えば自主防の方がどこかお見えでしょうが、例えば京都市の場合だったら、行政が自主防にお金を出して、これは実は神戸の教訓なのですが、屋根を引っぱがして、いざ倒壊したときに人を引っ張り出せるようにということで、げんのうなどを各自主防に1セットずつ全部置いているのです。

 自主防組織だったら一つなのですが、これを集めたら、全部の自主防が一体で束になってかかったら、とんでもない数のとんでもない部隊になります。というのが一応理想なのです。物はあるのですが、自主防にもなかなか格差があって、自主防でも意識の高いところもあれば、京都で自主防といっても「うん?」というところもあります。

司会

 いや、京都は自主防がすごく熱心だという話になっていますよ。

吉村(ユース21京都)

 やはりそのようなところの既存の人的資源や物的資源をいかに使っていくかということが大事なのです。

司会

 今のお話で、行政ばかりに頼るのではなくて、民間の知恵でそういうシールを売ってやりましょうというような、単に募金や寄付金というだけではなくて、そういう知恵で絞りだせるものもあるということです。

 大間知さんのところはかなり自腹を切っているような感じがあるのですが、大間知さん、自主防防災組織のお話をお願いします。

大間知(NPO法人都市防災研究会)

 さほど自腹を切っているという感じではないです。横浜市は一世帯当たり200円ぐらいの防災対策費が出ていて、主に自治体はそれを運用しているのと、地域防災拠点が年1回の防災訓練などをやるについて、区役所から年間5万円程度の補助金が下ります。それがメインになって、あとは自治会、町内会で各家庭から幾らぐらいずつ集めるかというようなところを基本にしてやっているということです。それ以外に、利用できる物があれば利用するという形でやっています。

 関連して申し上げると、例えば災害時に中学生が安否確認と避難誘導をやるに当たっては、安全を期すためにも、今、私のほうから提言していることは、ヘルメットを全員に持たせるようにと。小学校へ行くと、「防災ずきん」を持っているのですけれども。それを持たせるためには、父兄が3分の1ぐらいと、行政が3分の1と、避難所を運営している委員会が3分の1を負担する方向で拡大したらどうだろうかということも提案しています。

 それで、避難誘導をするに当たっては、今回、家のベルを押してきましたが、災害時はベルも壊れて動かないかもしれないので、ちゃんとドアを開けて中にいる人の安否を確認することからやらなければだめだということで、どういう道を通ったらいいのかとか、服装はどうあるべきかといったことも全部含めて、今回やってみたのです。それを来年ぐらいからどの程度拡大できるか分かりませんが、中学生にそういう災害時の対応を勉強していってもらえたらいいと思っています。

 水害のときと地震のときでは、水害の場合は浸水する前に避難誘導をやらなければいけないけれども、地震の場合はあらかじめというのは、多分東海地震ではあるかもしれませんが、一般の地震ではないわけですから、やはりどういう状況であるかというのは、それぞれの災害によって変わってきます。

 資金の問題はそういうことで、自治会、町内会で毎年避難場所、防災資機材倉庫にどういったものが不足しているかということを、限られた予算の中で毎年話し合って、少しずつ増やしていっているというのが現状です。

司会

 ありがとうございました。一部ですけれども、どうも自治会のほうには割と年間活動資金を出している行政があるのですが、ボランティアのほうはあまりそうではなくて、むしろ自主でやるという感じですか。逆に大間知さんの所のように、活動資金が出ると、皆さんが自分たちでさらに上乗せしないと活動できないというので、市民の活動を引き出すための初期費用のようになっていますね。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 うちも活動するときに福井県のお世話になったりしたのですが、うちのセンターとしては、行政の持っているお金とか、社会福祉協議会に来たお金とか、あるお金を使うスタンスではなかったのです。ここにも書いたのですが、例えばタオルがなかったら、今治のようなタオルの産地に声をかけたり、東京のほうのホテルに電話をかけたりしました。今、例えば新居浜市に100万あったら100万を使うのではなくて、企業の社会貢献を呼びかけて、例えば飲料水がなかったら、企業の方が次々に来るという形だったら、「飲料水も大量に何日か分持ってきてもらえませんか」というような感じです。

 もちろんそうしていただいた企業、例えば「ヘドロかき出しツアー」のオレンジフェリーには、バスに「オレンジフェリー様ありがとうございます」とか、ボランティアの疲れをいやすための入浴施設も無料にしていただいたのですが、そういったことでも大きく「その企業はこういった社会貢献をしていただいています」とか、「ジュースもこれだけくれました」「ヤクルトもこれだけ毎日ヤクルトをくれています」「ここのパン屋はこれだけくれています」という感じで、行政のお金やセンターに来たお金を使うのではなくて、地域の中で協力していただける企業をどんどん開拓しながらセンター運営をしていくのも一つの方法だと思います。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 福井県の場合はたくさんの人数でしたので、一つのセンターに何千人という方がお見えになったのです。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 新居浜市もそうです。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 3000人というと、夏の暑いときでしたので、お水が全然足りなくて、確保するのも大変なぐらいでした。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 新居浜市も8月で暑かったのですが、本当にいろいろなところに声をかけるのです。しつこいほど、「もらったんですけど、また申し訳ない」と。それと同時に、もちろん行政からも仕入れるのですが、行政だけを当てにするとか、社会福祉協議会に来た共同募金で使えるお金だけを当てにするのではなくて、できるだけ企業の方にも関心を持っていただくというか

 全然被災は関係ないという企業も多くあります。例えば新居浜市は住友の町なのですが、住友と災害というのはふだんあまりピンと来ていなくてもどんどん言っていって、結果的に「住友グループ」にすごく動いていただいて、社員も動員していただいて、ジュースなどもよくくれました。また四国に見える、例えば「大塚製薬」とか、いろいろなところに働きかけました。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 福井県に基金がなかったらやはり考えるだろうと思うのですが、集まる量の問題と時間差がちょっとあるでしょう。その問題と、あと福井県は本当に地方になってしまうので、企業に決裁権がないのです。何々の何々支所、福井支所というと、本社にお伺いを立てないと決裁権がなかったりとか。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 福井県はすごく基金があるというのがすごいと思います。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 都会では多分企業から募るというのは、ある意味で有効なのだろうと思いますが、私たちのような田舎になってくると難しいです。

司会

 そこで、どういうところを活用できるかという話だと思うのです。未成年もいるのに、お金の話などばかりになってしまって、すみません。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 たくさん集まりますから、まだナホトカ号海難・流出油災害のときのタオルが余っていたぐらいですから。

司会

 最初に基金があるとすごく立ち上げやすいということは、あちこちで聞いています。広島県呉市などでも「芸予地震」が起きる前に水害があって、市のほうに基金を作っておいて、それもやはり寄付金などで集まったものが余ったものを基本にして基金を作っておいて、その次の災害が起きたときにも、前のノウハウがあるのですぐに立ち上げられたり、ほかに支援に行ったり、高知などにも行っているようです。そういう話がけっこうあって、基金があるところとないところは、やはり立ち上げのところがすごく違います。そのあと問題になってくるのは、基金ですごく活動できたところが、なくなった後どうするかという話が出て来ると思うのですが。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 おかげで今回の水害の後も、かなりの義援金をいただいています。知事は福井県が持っていたというのはすごく大きいというので、今回また議会に、義援金の中で今まで以上に積みましょう、人集めをしましょうという話をいただいています。福井県としてはこれがすごく有効だったという思いがあります。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 福井県を見習って、愛媛県でも例えば新居浜市では企業にお願いできたのですが、ほかの3市町村はできなかったので、制度として基金というものがあれば、どこのセンターができるとかできないとか、どこのセンターに知り合いが多いとか少ないとかではなくて、制度として使えるお金があるというのはすごく有効です。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 うちの町なのですが、センターを作ると町長に話を持ちかけたときに、いちばん最初にお金がないからだめだと言われたのです。それで、「基金があります」ということで、「それならお願いします」と了解していただきました。やはり県が基金を持っていたということで、ある程度基金の恩恵を受けているわけですから、市町村の行政から変なじゃまが入るということはまずありません。

 結果的に、基金のお世話になり、ボランティアセンターを立て、ガンガン活動しはじめたら、すべて住民の生活に関して困っていることはボランティアセンターで吸い上げているわけですから、役場にしてみたら来るはずの山のような苦情がぴたっと止まり、そのおかげでライフラインの復旧に、行政としてすごく専念できたと感謝されました。ですから、基金があってそのように活動ができると、特に被災行政は一緒にやるどころか、そこだけでパニクっていますが、被災地の行政にとってもとても有益であるということは大きな成果だと思います。

吉村(ユース21京都)

 「義援金」と「ボランティア活動資金」とは違うのです。義援金は直接「義援金配分委員会」が被災者に当てるのです。被災者個々人の直接の家庭支援に当てられるのが義援金です。例えばちゃんとした理由づけがあればいいのですが、その辺のガイドがなく、義援金の一部はボランティア活動に回しますとなると、義援金を出した人が「そんなつもりで出したんじゃない」ということになります。ですから、新潟のときにしろ、どこにしろ、要はこれとは別ですよという理由づけをして、ホームページにもちゃんと載せて、ボランティア活動基金を募りますという形でされたことは非常に評価すべきだと思います。

 ただ問題は、いかんせんそれに関して国民的な関心がまだ低いということと、どうしてもマスコミにしても、義援金ならばPRしやすいけれども、ボランティア活動資金に関してはなかなかPRしづらいというところがあります。何でもそうなのですが、「日本赤十字社および共同募金会では義援金の募集を行っています」ということはやっているのですが、ボランティア活動金をテレビで言ってくれるところはあまりありません。その辺で、今回は内閣府がホームページのところにだいぶ書いていただいたということがありました。

 ただ、お国の制度としてボランティア活動基金を出すかというのは、補助金適正化法か何かの問題があるとか、その辺は僕もあまり詳しくないのですが、国として県知事会の要望にこたえるのは難しいのではないかということもあります。このあたりは今後研究していって、いい方向にやっていく必要が絶対にあると思います。このB分科会でも、全国の立場の違う人がたくさん集まっているわけですから、そのあたりは皆さんの町なり何なりで、私のところもそうですが、やはり問題提起をしていく必要があります。問題提起をしていったところに、何かの突破口があるのかなという気がします。

司会

 かなりお金の話がまだまだ続きそうですが、これからは少し視点を変えてもらって、ボランティアが何をできるかということについてです。水害の場合は特に非常に暑い時期に起きますね。それで、ボランティアの方たちがかなり肉体労働をしてくださるということも出てくると、お水なども出さなければいけないのではないかとか、いろいろな支援の態勢が出てきます。

 一つは、ボランティアの活動を支援するための後方支援というか、ロジスティックスのようなことも出てくると思うのですが、小田原の大谷さんはどうですか。

大谷(小田原赤十字社)

 芸予地震のときに、現場の力仕事で行こうと思ったのですが、たまたまボランティアセンターの中にボランティア向けの救護所、応急手当所が立ち上がったということで、自分はそちらに入りました。たまたまその立ち上げの日に、ボランティアのけが人が出て救急車を要請しているということもあって、けっこう有効なものだなと思いました。

 やはり皆限られた日数で力を出してやろうと頑張っているので、無理をしているのです。翌日にも熱を出してドクターストップがかかっている人が勝手に頑張ってしまって、また病院に戻るということもありました。そういう面でも、ボランティアが安心して活動するためにバックアップが必要なのかなと。

司会

 ボランティア活動の現場作業というのは、大体何時間ぐらいやるのですか。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 何時間というか、一応センターの受付で、9時から4時で活動を終了してくださいとは言うのですが、福井県のときは本当に暑い盛りでしたから、とにかくお願いしたのは、「1時間に最低15分は休んでください」ということです。それから、スポーツの部活などで出ている気温の目安として、28℃までだったら気をつけてやってください。32℃だったら寝不足や病気で体の弱っている人はもうやめてください。それから、35℃になったら皆さん中止してくださいということで、実際に気温を測って35℃を超えたと思ったら、高校生であろうが、休んでくださいということをお願いしました。

 ドクターストップというのがありましたが、やっていると自分では分からないのです。ですから、グループには必ずタイムキーパーのような人、声かけをするリーダーを決めておいて、必ず時間を見て「休みましょう」という声かけをしてください。そうでないと、作業中は休まないのです。それから、粉じんの害もありましたが、くぎの踏み抜きなど、くぎも怖かったので、破傷風に気をつけるようにも言いました。それから、ごみがすごく山になって、家具がたくさんあるような所には、そこに保健の先生や救急法をやっている者をこちら側からその場所に派遣したりしました。あとは、ぼちぼちやってくださいと。それを被災者の方にも、「自分らが来たから代わります」ということで、「ぼちぼちやろうな」と言ってくださいということで、ボランティアだけではなくて、ボランティアを通じてテンパっている町の人たちにも「ぼちぼち」という感覚、長丁場だし暑いし、気をつけてやりましょうという感覚を、割と情報発信をしていただきました。それで、2〜3日で大体町の人たちも作業の雰囲気、活動の加減というものが行き渡ったようです。

吉村(ユース21京都)

 一乗に、京都合同チームの50人がバスで行きました。一乗谷のボランティアセンターに着くと、細川さんが乗り込んできました。その時にどう言ったかというと、第一声が「ここは南国だと思ってください」と言うことでした。行ったら本当にめちゃくちゃ暑いのです。一乗谷には朝倉氏跡というのがあるのですが、そこの学芸員の先生が地元の作業指揮をしていらっしゃって、その先生はふらふらなのです。お年もお若くないので、その先生をヘルプしようと思って、その方はずっと働き詰めだから木陰で休んでもらいました。本当に休息や栄養補給が大事です。

 それから大事なことは、地元に残っている専門知識を持っている人というのが実はいるのです。例えば消防士のOBの方や、先ほど今治の野間さんがレスキューの話をされましたが、実は京都で舞鶴に行ったときでも危険地域はあったのです。舞鶴の場合、先ほど言ったように、災害対策本部とボランティアセンターとの連絡が最初うまくいっていなくて、危険地域にボランティアを突っ込んでしまうことがあったのです。

 そのときに、たまたま行政の土木職の人間が入っていて、「ここは危ない」と言うので、全員撤退命令を出して、「引き揚げよう」と言って引き揚げたこともあります。それから、例えば先ほどおっしゃったように、ここはレスキューが必要だ、ここはレスキューの力を借りたほうがいいといったような的確なアドバイスをくださる方を早め、早めに確保しておくこと。例えば福井県の場合だったら、看護短大の先生がどんどん奥へ入っていって、いろいろなことをされたというのもあります。京都の場合も、「赤十字レスキューチェーン」という赤十字のボランティアレスキューチームがあるのですが、自分たちができることは何かといったら衛生管理だということで、軍事的な用語でいうと衛生隊のような活動をボランティアセンターのオプションで、ボランティアセンターの派遣要請という形で行って、向こうのボランティアセンターでやったことがあります。

司会

 実は世界のボランティアの動きをみると、例えば消防士とボランティアの消防団とで比較すると、ボランティアの方が死傷率が高いという傾向が見られます。このため、例えば、「メキシコ地震」のときに、がれきの中に突っ込んでいったボランティアの人100人くらいが亡くなってしまったということから、アメリカなどでは専門チームの編成をしています。どうも基本的な知識、ここは危険だという所を認識して行かないといけないのに、ボランティアの人は熱意のあまり、どんどん突っ込んでしまう傾向があるのではないかと思います。そこをだれかが、先ほど言われたように、消防士の方とか、地元の土砂の専門の方、土木関係の方などでもいいのですが、かなり知識を持っている方が一緒に活動してくださって、ここは危ないと言ってくださると、安全管理ができるのではないかということが一点です。

 もう一つは、今回の新潟県中越地震で「危険」と貼り出された建物にボランティアが入れなかったという話がありました。これはほかの部会のテーマかもしれませんが、危険といわれている所に住み続ける高齢者の方などもいらっしゃるので、その辺をボランティアの方たちがどう救っていけるかという話が、現場レベルでは出てくるのではないかという感じがします。

 また、神戸市のかたから、一般ボランティアと専門的な知識を持った人との連携という話が出てきていますが、何か神戸市で現場に入られた時のお話はございますか。

樋野(神戸市役所)

 私は市でも土木職で、直接そういうボランティアを設置して作ったりする仕事はしていないので、ボランティアの立ち上げといった関係は分かりません。ただ、私たちも行政マンとしての仕事はするのですが、限界があります。震災当時の笹山市長は、もう選挙に出ないで今は隠居されています。その方が行政にできないことで私がしたかったことをしたいと、「NPO法人神戸防災技術者の会」ということで、市長は土木職だったのですが、土木職と建築職が、一般的に地震で被害を受けたとか、水害で家が壊れたという方に、技術的な支援を提供できるNPOを立ち上げようと考えました。

 ただ、市長も言っておられたのですが、確かに技術者なので、ボランティアに来たのはいいけれども、あれはできません、これはできませんという団体になります。ですから、キックオーバーのところで協力はできるけれども、協力できないところもあるというので、実際に私たちは活動ができるのかということで毎月話し合っているのですが、全く平行線で、私たちは本当に協力できないのではないかと思いました。神戸の市長でしたから、被災した場所のことを非常によく知っているので、押し付けられません。非常な押し付けがあるのです。僕は神戸にいて分かったのですが、「本当にけっこうですから」と言うのですが、「やらせてください」と。その気持ちは断れないのですが、「やらせてくださいと」いう場合、どうしたらいいのかということを市長は非常に思っていまして、やはり押し付けになるのではないか、その辺はどうしたらいいのかということがあって、「今日、このボランティアのつどいがあるから行ってこい」と言われました。

 今日はそういう意味で勉強に来ているのですが、皆さんがいろいろ活動されていて、当にやる気のある方が集まるのですが、実際に現地で喜ばれるとすごくうれしいです。「ありがとう」という言葉をもらうとすごくうれしいのですが、本当に役に立つ仕事が提供できるのかというあたりで悩んでいます。その辺はどうでしょうか。多分皆さんは役に立っておられると思いますけれども。

 事前のネットワークが必要というのですが、それに入っていない方でも多分助けたいという方はたくさんおられると思います。そういう人たちも本当は救ってあげなければいけないですし、そんなことを言っても、実際に被災された所は被災があって助けられないということもありますので、その辺をこの10年間ずっと悩んでいます。神戸市はもう10年たちますので、経験を語るなどと言っていますが、役に立ちません。新潟に行って分かりました。偉そうな顔をして行きましたが、全く役に立ちません。

司会

 災害状況が全然違っているということですか。

樋野(神戸市役所)

 違います。制度も違いますし、阪神・淡路大震災でいろいろな制度がよくなったということもあるのです。「あのときはこうでした」と言うのですが、それは全部改善されてよくなっているのです。ですから、「このときはこうしたらいいんですよ」と言うのですが、「そんなものはもうできています」ということで、もう全然役に立ちません。それは非常に勉強になります。ですから、新潟に入ってすぐに撤退しました。もうこれはじゃまになるということで、その辺の引き際は行政の話ですが。

吉村(ユース21京都)

 撤退することができるというのは一つのスキルだと思いますよ。

樋野(神戸市役所)

 いや、それは結果的にどう出るか分かりません。本当に早く引いたのがよかったのか。

吉村(ユース21京都)

 いや、よかったのだと思います。

中川(時事通信社)

 少し厳しい言い方をすると、ずっと神戸市の人とも議論していたのですが、本当は神戸市にいた人は、いちばん先端の制度をちゃんと知っている人を作っておかなければいけなかったのです。経験を持って、かつ、今の制度を知っている人間を作っておいて、あのときの経験と今の制度を分かって行ければ役に立ちます。逆に、そういう人間が作れていなかったという意味では、神戸はそこが反省点だと思います。

樋野(神戸市役所)

 阪神・淡路大震災ばかりで、自分の経験の話ばかりで、全然外に行かなかったのです。

吉村(ユース21京都)

 私たちのところでもそうです。私も含めて阪神・淡路大震災に行った人もいますが、ボランティアでも阪神・淡路大震災を引きずっている人がたくさんいるのです。来たときには、まず阪神・淡路大震災から始まるのです。「冗談じゃないぞ、何年前や」と。阪神・淡路大震災からどんどん塗り固められていったら、車の塗装でも上塗りしていくじゃないですか。補修したり、変えたり、車内の内装を張り替えたりして、普通のカローラがポルシェに化けたりするじゃないですか。それをやっていく、たゆまぬ努力が必要で、今、表の話をされていますが、裏の話ですごく困ったことは、各ボランティアセンターでマニュアルを作って、そのマニュアル自体が役立たずの古いものになっているのに、それを後生大事に、マニュアル教になった方が、それを聖書のように持ってきて、「この聖書のこれを使いなさい」と言ってやってくる人たちがたくさんいて往生したという話を聞きました。今日は参加していませんが、三重の方もそんなことがあったという話をしていました。

司会

 よく言われるのが、「こういうところでやった成果をマニュアルに」ということですが、経験がないところほどマニュアルを欲しがる傾向があります。先ほど新居浜市の方がおっしゃっていましたが、基本方針ができて、どこが主体になるのかということや、活動資金があれば、中心となるところの周りにマニュアルができてくるという感じがします。しかも、今、神戸の方がおっしゃったように、過去の経験はどんどん風化してしまうし、世の中はどんどん新しくなっていくので、刷新しなければいけないし、しかもいろいろなところに救援に行くと現場、現場で違います。現場、現場の特性があって、福井県はこうだし、京都府はこうだしと、たくさんいろいろなことを言っていただきましたが、それぞれの特性があるので、それを災害のときにすぐにパッと切り替えてその場に応用するというのはなかなか難しい。ですから、そこのロスをどうやってなくしていくのかということが非常に大きな課題だと思います。今日はかなりいろいろなアイデアを言っていただいたので、これから災害を迎えられるところがあったら、その辺を教訓にしていただくと随分違うのではないかと思います。

 それから、応援側がすごく充実してきているので、このメーリングリストなども基にしながら、そういう体制をとっていっていただければという感じがします。まだあと15分あります。3時までと言われているので、これまでに発言できていない方はどんどん言っていっていただきたいと思います。二階堂さん、ずっと何もおっしゃっていないので。

二階堂(SeRV(サーブ))

 実際に入って思うことは、ボランティア保険ですか。福井県に行ったときには保険などがけっこうできていて、名前を登録しただけで自動的に行政のほうでやってくれたのです。前に伊東のほうに行ったときは、そういったことができていなくて、個人でボランティアに行かせていただいて、300円払ってボランティア保険に入るということをやっていました。そういった保険的なことは、できれば統一的に行政で見ていただくと、ボランティアとしては動きやすいかなと感じました。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 保険のことで、先ほどの話とも関係があるのですが、福井県で入った保険は一人640円で、暑かったので熱中症も適用範囲に入っていました。しかも1年間有効なので、もし福井県で活動されて保険に入ったら、ほかへ行っても使えるのですが、保険に関する説明がないので適用範囲が何であるか分かりません。どの程度活動できるかというボランティアの範囲は、センターで管理する者としては、保険適用範囲で活動してほしいわけです。ですから、屋根の上は出ないとか、重機も出ないということをセンターの者がよく知っていて、保険適用外の活動はやはりやめるべきではないかと思います。保険をかける財源はそれぞれ違うのでしょうが、保険のことは意外と皆さん知らないのです。私もまだこの場合はどこに適用するかというのは全部分からないのですが、センターをやるうえではもっと勉強して知っておかないと、これがニーズとして受けられるのか受けられないのかというところから変わってくるのではないかと思います。それがボランティアでできる範囲なのかどうか。車両のこともそうです。先ほどちょっと気になったのですが、会社で重機を使っているから、それを持ってやってきましたといっても、営業活動以外では保険が効かない場合が多いのです。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 保険ありきだったら、正直なところ、例えば水害だったら土砂かきと木材撤去のようなものが主になるかもしれませんが、地震になるとけっこうニーズが多様化するのです。新潟のときもそうだったのですけれども。この範囲は保険が効きますということは、もちろんボランティアには提示しなければいけないと思うのですが、保険とニーズを照らし合わせてニーズを拾うと、やはりどうしても行政的というと失礼ですが、カチカチなボランティア活動しかできないと思います。やはりある程度、これだけの範囲しか保険は効きませんが、こういったニーズがあるのでぜひお願いしますということでないと。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 それで何かあったときに、結局どこが補償するかという問題になると思います。例えば倒木をどけてほしいと言われたらどうしますか。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 補償ありきだったら、活動範囲が狭くなると思いますが。

吉村(ユース21京都)

 ただ、ボランティアセンターを預かる人間としては、そんな無責任なことはできません。事故が起こってしまって死者を一人でも出してしまって、その対応が遅れたとなったら今後の災害ボランティア活動が全部飛びますから。

司会

 そのような仕事は行政に(回す)、ということですね。

吉村(ユース21京都)

 違います。ボランティアセンター自体が。

司会

 そうではなくて、倒木をどかすなどの危険な仕事など、ボランティアセンターでは、それを受けられない場合です。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 確かに想定はありますが、うちの場合は、四国4県の非番の消防職員が全部集結してくれたり、各所に全部リーダー的な人がいて危険箇所は割り振ってやらないようにもなっています。例えば斜面のところではのり面協会が来られたり、建設業協会もあったのですが、それぞれ分野、分野の専門家が来られているので、そういったところは保険の範囲内の活動で全部割り振りも可能なのです。特に命にかかわったり、けがが出たりするようなところはまず絶対にないのです。

吉村(ユース21京都)

 ということは、逆にいうと、危険なことに関しては最初から配慮した形でやっているわけでしょう。京都や福井県の場合は、制度上の違いもあるかもしれませんが、そういう専門的な人間が入れないから、逆にいうと、ボランティアがそのまま入っていくところに危険なところがあるわけじゃないですか。その危険な段階をどのような形で守っていくか。結局、ボランティアも皆家族がいますからね。

平野(Vネットぎふ)

 高山の場合は、原動機がついているような車やユンボのようなものは全部行政の建設課に回します。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 福井県もそうでした。

平野(Vネットぎふ)

 そうでなければ、私たちはボランティアに絶対けがをさせてはいけないので。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 建設業界とボランティアとで協定を結んでいるのです。

吉村(ユース21京都)

 「専門ボランティア協定」ですか。

司会

 「ボランティア協定」ではなくて、災害の協定ですか。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 災害の協定はボランティアセンターと結んでいるのですか。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 いえ、災害対策本部とです。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 でしょう。災害対策本部とは結んでいます。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 その分もあって、先ほどの休みのときに来られる建設業協会の動きもあったりという感じです。

吉村(ユース21京都)

 それは災害本部の依頼で行っているということですか。

司会

 災害が起きたときには、こういう活動をしてくださいと、事前に協定を結んでいる場合もあるし。

吉村(ユース21京都)

 それは大抵どこの地域防にも書かれていることですね。

司会

 実際には、協定を結んでいないところもあります。災害の後に地元の建設業界等に頼まなければいけない部分について、自主的に動いてくれる建設業もあるし、依頼を受けてから、本来の業務として始めるところもあります。その辺、安全確認といったところとも併せて、行政と一緒にやっていかなければならないところがかなり出てきています。

 それで、中川さんから行政との連携はどうなのだという突っ込みがありましたので、そちらのほうのテーマに入りたいと思います。今のは、危険だからボランティアでやる仕事ではないということで行政に回すという形になっていますが、それを行政とどんな形で、どこの部分で一緒にやっていくのか。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 順序としては、先ほどの倒木の件も、神社の境内の倒木をどけてくれというニーズがあって、そのときに「それは保険適用外だから受けません」とは絶対に言わないで、「そうですか」と言って受けます。受けて、一応自分でちゃんと保険に入ってきてくださったボランティアがいたら一緒に行きますし、センターの責任のある者が一緒に行って、それがボランティアの適用範囲でできる作業か、それとも危険か、その場できちんと見て判断して、「申し訳ないのですけれども、これはやはりボランティアの範囲ではお受けしかねますので」というように、依頼者に納得させるような形でお断りを入れたりします。公的な部分が、そういう倒木の何のという場合は、もう行政の建築課などにお願いします。そのような感じで対処します。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 私どもの本部でも専門的な方々たくさんボランティアをしたいというお声がありました。でも、本部に皆上がってきて、これはどうだろうという判断のもとで、災害対策本部と連絡し合って、「こういうボランティアがいるんだけど」と。そうすると、ニーズがあればもちろん行っていただきますが、「こういうことができます」と言ってボランティアに来られる方は、そこに待機していて何かあったらという感じで来られる方もいますので、またご連絡するとか、登録しておいていただくという形で、災害対策本部と直に話をして、医療的なことだったら福祉関係とか、土木関係の業者だったら土木関係とか、そういうところへ本部から全部連絡が入るようになっています。

永易(新居浜市社会福祉協議会)

 全く一緒のスタイルです。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 ですから、ポンと断りもしないし、ポンと受けもしないで、聞いて「どうしようかな」と。

平野(Vネットぎふ)

 うちではそういう技術を持ったボランティアが、「こういう技術を持っているので、これで登録したいんですけど」という人が来ると、「ごめんなさい、大概の資格は足りているので、一般的な泥かきをやってもらえますか」という形です。本当に専門的なものは長期になってしまうと、被災者の人たちに対してできない部分があるじゃないですか。本当にそれは行政の建設課のほうにポンと回したり、プロの方に任せたりしたほうが、地域の経済のこともあるし。

中川(時事通信社)

 難しいのは、行政の災害対策本部なり地域防災計画では、先ほどおっしゃったように、公共の場所はできるのですが、家の中はできないというところです。できれば地域の日ごろのつながりの中で、そういうニーズが来たときに、多分地元の業者はやってあげたいと思っているのです。そこを協定の中にうまく入れ込んであげれば、多分すっといく面もあると思います。だから、そこはふだんから話をしてやればきっとうまくいきます。だから、福井県などもそういうことがあったと思いますし、新居浜市でも1回経験があったから、多分2回目もそうしたのだと思います。

 司会がなぜ振ったかというと、災害対策本部とうまく一緒になって活動されたところが幾つかありましたが、あれはすごく大事だと思っていて、どうしてそれができたのかぜひ皆さんにお聞きしたかったのです。

平野(Vネットぎふ)

 高山市の場合も上手にいったと思うのですが、市役所の中で私たちボランティアの活動をものすごく認めてくれる人がいて、首をかけて対応してくれたということもあります。その人のおかげと、あと自治会の高山の町内会連合会というところがあって、そこの会長にずっとボランティアセンターに来ておいてもらったので、もし市に対する要望があったらすぐ上がっていって対処してくれました。下手な議員よりも絶対にそちらのほうが強いし、やはり被災者を代表してという形でやってもらうとものすごくいいので、地域ともかっちり手をつないでいかないとボランティアセンターはうまくいかないと思います。

細川(ふくい災害ボランティアネット)

 うちはセンター長に社会福祉協議会の局長に入ってもらったのですが、社会福祉協議会の局長は役場から出向されるということがあるので災対に入りやすかったのです。そのうちボランティアセンターの実力を分かってきたら、災対の中でも地位が上がったようです(笑)。それから、県のほうは?

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 県のほうは、私たちの部署が災害対策本部のボランティア受け入れ連絡調整部門になっています。私は今参事をしているのですが、私と担当職員2人が本部にかかわっていまして、私は本部へ行ったり、県庁へ行き来しながら、課長は災害対策本部へ入り込んで、こちらからの情報は災害対策本部へ上げる、災害対策本部の情報はこちらへ流すという連携をとりました。

 最初はやはり行政ですので、災害対策本部との調整が最初からガチッとはいかなかったのですが、すぐボランティア本部を立ち上げて、その動きが見えかかってから、災害対策本部もこちらの情報が欲しいということで、ボランティアセンターのセンター長が災害対策本部の中でボランティアの動きを発表するぐらいのつながりができていました。

宮津(奈良災害ボランティア・ハート・ネットワーク)

 そのとき、例えば行政の「総合防災課」や「県民生活課」がありますが、窓口はどの辺にありましたか。

永田(福井県庁男女参画・県民活動課)

 ボランティアのほうは私たち県民生活部のほうです。うちの部が危機対策も持っています。部長は同じです。

吉村(ユース21京都)

 京都の場合は、府では部長級、市レベルで言うところの局長級に相当する「企画理事」が「危機管理監」を兼務しておりまして、その指揮下には総務部に次長級の「防災監」がいて消防防災、今は「防災室」と「消防室」に分かれていますが、総務部なのです。そして、福祉ボランティアなどのボランティアセンターを担当しているのは、保健福祉部の保健福祉総務室というところで、部が違うのです。京都の場合、ちょっとねじれ現象が起きていて、先ほど言ったように派遣専門のボランティアというものがあって、看護協会やバス協会などの派遣専門ボランティアのネットワークは協議会があるのです。これは割と動きやすいのですが、そこは実は防災室が持っているのです。それで、一般ボランティアは先ほど言ったような感じで、けっこうねじれが起こっています。

 幸運なことは何かというと、両方の間と、我々ボランティアの間で、制度上は別にして、日ごろから人間関係ができていたということです。そことの間で一緒に勉強会をやったり、何が問題なのかというようなことをやったり、7月の豪雨で協働して動けなかったということがあってから、両方の部から来てもらいました。担当幹部は全部前から知っている人で、一緒にどうしようかということを話し合っている最中にこれが起こったのです。

 何だかんだ言いながら、社会福祉協議会のボランティア課長とも一緒に訓練をやったり、それなりに接点はあったのです。ですから、ただ単に僕が机を引っ繰り返したからといってすぐに動いたわけではなくて、日ごろからそういう人間関係があったことと、災害対策本部に所属している防災室の人間もその辺のことがよく分かっていたから、例えば専門ボランティアで看護師を出すことに関しても、それはオフィシャルで仕事でやるのですが、彼自身の仕事の範疇を超えたところでもやってくれたということがありました。

司会

 もう本当に時間が押し迫ってきてしまいまして、3時厳守で終わりにしてくださいと言われています。本当に私の不手際で、自分がしゃべりすぎてしまったところがありますし、皆さんのお話しになりたいことを十分引き出せなかったのではないかと思います。もし今のうちに言っておきたいことがあったら、こちらに書いてくださいというアンケートが行っているようなので、まだ残っていることがあればそちらで言っていただけますか。

 学生の方たち、せっかく出てきてくださったのに、大人の話になってしまったようなところがあってすみませんでした。こちらに書いていただいて出していただくということでお願いしたいと思います。この後、日程からいくと3時20分から全体会が始まります。各分科会からどういう話題が出たのかということをまとめて報告することになっています。一応私から「こんなことがありました」ということで、全部はとても言い尽くせないので、本当のポイントになるかと思いますが、話をします。中川さんがせっかく議事録を取ってくださっているので、中川さんからもコメントをしていただきます。また、「兵庫県舞子高等学校」の兼田さんに、皆さんの代表として発表していただきたいと思っていますが、よろしいでしょうか。全部で10分らしいです。

 では、これは本当のきっかけですので、これをきっかけにして再度現場の活動を深めていっていただければと思います。そのときにいえることは、一つは全くお一人での活動ではないということです。ここでまた情報交換の場ができましたので、これをさらに深めていっていただいて、来年以降の活動につなげていっていただけたらと思います。この会が、その一助になれば幸いです。

 ということで、ここの分科会はこれで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。


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