中越地震及び新潟豪雨のボランティア活動

司会:干川 剛史 氏(大妻女子大学助教授)

【午前の部】

(以下、司会者は「司会」、敬称略)

司会

 それでは、皆さん、大体お集まりいただけたようです。これから分科会A「新潟県中越地震及び新潟豪雨のボランティア活動」を進めさせていただきたいと思います。

 司会の大妻女子大学の干川です。私も今回の新潟県中越地震については、現地にすでに4回入っています。週の真ん中は勤務がありますからどうしても週末に限られますが、飛び飛びで4回入っています。すでに現地でお会いしている方も何人かいらっしゃると思います。阪神淡路大震災のときから、情報面での支援活動ということでボランティア活動にかかわっております。また、そういう情報支援を研究テーマにしており、このつどいの資料に私の自己紹介がありますけれども、本2冊にまとめたりしております。

 それから、三宅島の支援活動にずっと携わっております。私の大学のそばに300世帯ぐらい三宅の人たちが避難しておられますので、その方たちに毎月、情報紙を配るといったボランティアをずっとやっております。足かけ5年、正確には4年3か月になりますけれども、そんなことでずっと、阪神・淡路大震災以来、ボランティア活動を情報ボランティアという形でやっております。現場のボランティアのコーディネーションというのは直接やってはいないのですが、それでも三宅については、「三宅島と多摩を結ぶ会」などのボランティア団体の代表をしておりますので、実際のコーディネーションなどもしております。

 今回の新潟県中越地震については、主に情報ボランティアという形で、長岡市のボランティアセンターに入って、情報担当のスタッフとしてお手伝いをしています。あと、川口町のボランティアセンターにも2度ばかり顔を出しております。どんな状況なのかということで、お話を伺ったり、川口町でも見かけた方がいるかと思います。そういう活動をしております。以上、私の簡単な自己紹介です。

 この分科会の進め方についてご説明いたします。私の隣に内閣府の方が事務局としてお座りですが、そのほかにも政府関係者の方がたがいらっしゃいます。この分科会というのは、政府の方とか行政の方たちに何か質問をするとか意見をするというのが目的ではありません。政府の制度とか行政の制度とか、そういったことについて基本的なところでご質問等がございましたら、それについては対応いたしますが、なるべく皆さんがたのボランティアの活動についていろいろなご意見を頂けるようにということで、そういったところに時間をかけたいと思っております。

 2番目に、時間配分についてです。一応、12時半まで午前中の議論を行いたいと思います。その後1時間、休み時間を取りまして、13時30分に再開しまして、15時に終了、その後、全体会でこの分科会の議論の概要を報告する、そういう手順になっています。

 3番目に、申し込みされた際にあらかじめ10分程度の発言を希望される方を募ったわけですが、それに応じられた方に対して私の方から発言を名簿順にお願いしたいと思います。人数が多いものですから、10分程度というと1人15分ぐらいになってしまいますので、5分を目安にお話しいただきたいと思います。若干長くなってもかまいませんけれども、できれば手短にご発言いただいて、多くの方に発言いただけるようにということでお願いしたいと思います。それ以外の、10分程度の発言以外の方達の発言については、適宜、挙手いただいてご発言いただければと思いますが、これも1分を目安に発言いただけるようにということで、できるだけ多くの方々が発言できるようにということでお願いいたします。

 あと、発言いただく際、必ずお名前と所属をおっしゃってください。これは、議事録のほうに録音して残すためにどうしてもお名前と所属が必要ですので、発言のたびにお名前と所属をおっしゃっていただくようにお願いいたします。

 また、この会議はマスコミの方々に公開しております。その議論の内容については、後日、内閣府のホームページなどで公開するということも考えております。発言された方には後日、事務局から議事録の確認をいただいて、それで公開するという手順を踏みますので、あらかじめその点についてはご了解を頂きたいと思います。

 それと、座席表をこれからお回します。記録を確実にするためということですが、座席表には必ずフルネームでお名前を記入してください。記入が終わりましたら、隣の方に回してください。オブザーバーの方は、ご記入は不要です。あらかじめ参加者の登録をされている、名簿に名前のある方のみ、この座席表にお名前を書くということでお願いいたします。

 会議の進め方は、まず、あらかじめ10分程度の発言をしたいというご登録を頂いた方に発言をしていただきます。全体で11名いらっしゃるのですが、午前中に6名の方、午後に5名の方という分け方でやっていきたいと思います。名簿には発言者とかそういうものはついていませんが、私どもでそれは把握していますから、名簿の順番で私の方から指名して、そのつど発言をしていただきたいと思います。一通り発言者6名の方の発言が終わった後に、こちらで論点を整理しておきますので、それについて皆さんからいろいろご意見を頂く、そういう手順で進めていきたいと思います。午前も午後もその手順でお願いいたします。

 それでは早速、ご発言いただく井伊真理子さん、いらっしゃいますでしょうか。それでは5分を目安にご発言を頂きたいと思います。

井伊(株式会社フルキャスト)

 「フルキャスト」の井伊と申します。よろしくお願いします。弊社は、人材サービスの会社なのですが、新潟県中越地震を受けて、アルバイトの希望で登録されているスタッフの中でボランティアを希望される方に声がけしまして、ボランティアに必要な食料であるとか道具であるとかを全部弊社の方で用意して、交通手段や宿泊先等も全部手配して、ボランティア希望の方にはそのまま来てもらうという形で、現地でのボランティア活動に参加させていただきました。今回はこちらも初めての試みでしたので、東京地域の方だけにお声がけして参加させていただきましたが、スタッフの方総勢20名に参加いただきまして、10月27日から30日までの4日間、正味28日からの3日間、長岡市で活動しました。

 こういった形で、すべて弊社でいろいろなサービスを提供しましたので、来ていただいたボランティアスタッフの方々には全く何も負担がないような状態で、作業時間もかなり限定されて、午後4時くらいまでで切り上げてもらうというような形で、なるべく疲れがたまらないような形で、気を遣いながら活動させていただきました。特に今までボランティア活動をされた経験のある方が全くいなかったので、本当に単純な荷物運びであるとか、避難所で被災者の方とお話しするようなサポートであるとか、倒壊した家屋の中の片付けであるとか、そういった、本当に人だけいればいいみたいな作業だけに集中させていただきました。

 企業としてこういったボランティア活動をサポートするような活動が今後もできれば、ということを考えております。メーカーの方とか物流の方は、物を送ったり、輸送手段を確保したり、そういった形でサポートを今まででされてきているかと思いますが、こういったボランティアの人材の方をサービスするような試みを今後させていただければという形で、今回、新潟県のほうに参加させていただいたので、こちらの分科会に参加しています。そういった活動を行いました。

司会

 ご発言ありがとうございました。次に、梅澤さんにご発言いただきたいと思います。

梅澤(NPO法人新潟災害救援機構)

 新潟の梅澤です。まず、新潟を代表して、新潟県の方も来ていらっしゃいますが、全国の皆さん方の支援、本当にありがとうございました。お礼を申し上げます。私ども、水害のときもそうだったのですが、この震災の時も、現地入りがその日のうちということで、初期の方の活動を行いました。細かい内容は、今、資料を持って来てありますので、後でご覧いただくとしまして、本当に怖い中で、コップの水が常に揺れているような状態で活動を始めたわけです。

 一番感じましたのは、ボランティアコーディネーターの難しさといういうことで、今日はいろいろとまた皆さんがたと意見交換できると思います。と申しますのは、ボランティアセンターを小千谷市あるいは川口町に立ち上げる基礎を作りましたが、後からいろいろと駆けつけてくださいました皆さん方との人間関係がなかなかうまくいかない、そういった悩みも出てきていました。それから、住民がボランティアをなかなか受け入れてくれないという現実もありました。川口町では、私どもは災害救援機構ということでNPO法人ですが、私たちのメンバーで「地域赤十字奉仕団」を立ち上げて、赤十字の救護活動をお手伝いしているわけですが、入った途端に赤十字のマークをとにかくつけてほしいというような声がありました。住民がなかなか外部の人たちを受け入れてくれないという為、なかなかニーズが上がってこないということで、これをどういうふうにコーディネートしていったらいいのかということが大きな課題にもなりました。

 また、私たちは初動体制で応急救護とか情報の収集といった初期の対応をするのですが、それを長期的に行うための人材確保などの問題がこれからの課題だと思います。そして、何よりも、大きな全国ネットワークが形成されている中で、情報交換とかボランティアコーディネーターとか、長期的に活動できるような体制を是非これから作っていかなければいけないとひしひしと感じています。皆さん方の意見を聞かせていただきながら、いろいろな災害活動を通じて地域づくりを進めていきたいと思っています。よろしくお願いします。

司会

 発言どうもありがとうございました。それでは、阿出川さんご発言をお願いします。

阿出川(NPO法人国際アイアン・イーグルス)

 「NPO法人国際アイアン・イーグルス」の阿出川と申します。江渕が今日欠席のため、代わりに私が出ました。私たち「NPO法人国際アイアン・イーグルス」も新潟県中越地震の救援活動に参加させていただきました。こういう救援活動に参加したのは初めてでしたが、まず、救援物資の多さに驚きました。やはり阪神・淡路大震災のことがあったと思うのですが、非常に集まりがいいということは感じました。しかし、集まりがよすぎてバランスが取れていないという現実もありまして、物資の数が地域によって偏っているという問題もありました。被害状況によってはそれでもいいと思いますが、まず、そういうことがありました。それと、物資があるにこしたことはないのですが、ありすぎて処理に困る、特に食品関係などは不衛生になりがち、ごみの問題などがありまして、そういうことを感じましたので、今後の改善策にこの会議での議論がつながればと思います。よろしくお願いします。

司会

 どうもありがとうございました。それでは、小澤勇さん、ご発言いただきたいと思います。

小澤(NPO法人ユニバーサルデザイン・ステップ)

 「NPO法人ユニバーサルデザイン・ステップ」の小澤と申します。私は11月1日から5日という形で川口町へ行ってきました。ボランティアセンター自体が起動、実際に動き始めたというころだったのですが、そういった中でちょっと困ったなというものが幾つかありましたので、それについてお話ししたいと思います。

 一つ目が電気の管理です。丁度、私が着いた頃は、電気が開通して、電気を使用する機器がボランティアセンターにも入り始めたのですが、実際にその電気を管理する技術者がいないということです。

 災害時のボランティアセンター(川口町の)は、いわゆる一般の建物とは違い、テントやユニットハウス等、様々な運営環境に作られている訳ですが、そうした場合、一般的には一番近くの電気を使用している建物から電線を引き、使用するのが普通であり、川口町のボランティアセンターでも、隣接している川口町社会福祉協議会から1階の分電盤にあるブレーカーから電気をお借りした訳ですが、一旦、電気が使用可能になると、パソコンが必要だ、携帯電話の充電器が必要から始まり、コピー機、プリンター機、テレビ等、どんどん電気の許容量に構わず、どんどん機器の要請が出てくる。しかし、その容量を管理する人はもちろん安全管理ができる人もいない。それでもセンターの責任者の承認があるから、という形で機器は入ってくる・・・。しかし、このままではボランティアセンター全体はもちろんのこと、無理矢理、電気を引き出されている既存の建物にまで停電の影響が出てしまうことになるかもしれない・・・。

 こんな時は責任者と同じ位、指揮のとれる専門技術者が必要、もしくは特定の技術を必要とする場所は責任者から権限を移してもらう必要がある。そんな管理の難しさを知りました。

 もう一つは、同じ川口町でも、被害が大変大きい所とそうでない所とに分かれています。災害が重い所についてはどうしても情報がなかなか入ってこない。それがいちばんショックでした。

 それから、先ほどもお話があったと思いますが、住民とのコミュニケーションがなかなか取れない。川口町は様々な情報の遅れもあり、他の市町村(例・小千谷市、長岡市)よりも救援が遅れましたが、その関係により、他の場所で起きた空き巣被害に遭ったという悪い風評が一番先に入ってきてしまい、そのため、住民とのコミュニケーションがなかなか取れずに大変苦労をしました。

 そうした中で、当時の活動班の中で発足したのが、「まごころ隊」です。これは高齢者のケアという形で住民の中に入っていき、心のケアを行う、しかし、住民との話のきっかけがつかめない、そこで私たちはボランティア用に配給のあった試供用の医薬品を救急箱に詰め、「ぬくもりニュース」(災害ボランティアニュースのチラシ)や、「マッサージもできるようになった旨を書いたチラシ」を持参して、避難所へと、1グループ3〜4名で伺いました。始めは避難所の責任者に話をしても、「同じような人が来ているから」と帰されたり、避難所へ行っても中々お話もできず、また「何か必要な物はありませんか?」と尋ねても、「もういりません。」「間に合っています。」等、すぐに断られていました。

 しかし、日が経って高齢者が避難所ではなく、気のあった人と近所のガレージや、納屋に数人でお茶を飲む所が次第に増えていき、そこで、先ほどのように救急箱を持って同様に伺うと、「肩がこる」「小さな傷薬はあるか?」とか、「マッサージの予約をしたい」等、住民の方々から要望があり、また、健康状態や不安感も訴えられ、本来の目的である心のケアが達成されていくわけです。

 しかし、そういう関係が最初に行ったボランティアグループと次に行くグループとの引き継ぎができなければ、活動そのものがダメになってしまう。

 また、その思いが全然伝わってこなくなってしまって、(ボランティアの取り組みが形式的に)義務化してしまったりすることがすごく多くなります。現在、マスコミでも報道があるように、相談相手が必要だという過程にはあるのですが、実際そういう活動をしているにもかかわらず、(特定の方々にとってはそれが満たされておらず)相談相手が必要だ必要だという形でニーズが入ってくるという状況で、ちょっと変だなというふうに感じました。

小嶋(神戸市役所)

 神戸市役所の小嶋と申します。よろしくお願いします。我々神戸市としては、来年の1月で震災から10年になります。私はもともと土木系の職員ですのでボランティアというのはあまりかかわりはないのですが、当時、神戸市内に住んでいたということで、行政マンの一人として、それから、家が半壊した被災者の一人として、今回、この集いに参加させていただいております。

 神戸市では、阪神・淡路大震災のときに神戸市長であった笹山さんが中心になって、NPO法人を立ち上げようとしています。これは阪神・淡路大震災を経験した技術職やすでにOBになられている方も含めて、今、三十数名で会の結成に向けて動きだしております。基本的には、阪神・淡路大震災を経験した行政の技術職として何ができるのか、特に被災された所に行って、何でもいいからやらせてくださいというのでは、やはり受け入れる立場として非常に困った経験がありますので、こういった支援ができますと、組織して本当に何ができるのかということを検討しています。

 今、NPO法人を立ち上げて、行政の技術の立場として、被災者の支援、被災地の支援に今後かかわっていくという動きを着々と進めている最中です。そういう意味からも、私としても個人的にこういう形で勉強させていただけたらということで、今回、参加させていただきました。まだ皆さんに比べますと、勉強している最中ということもありますので、今日はいろいろと勉強させていただきたいと思います。よろしくお願いします。

司会

どうもありがとうございました。橿渕さん、いらっしゃいますか。では、ご発言お願いいたします。

橿渕(株式会社フルキャスト)

 最初に発言した井伊と同じ会社なのですが、「株式会社フルキャスト広報室」の橿渕と申します。今回、新潟ボランティア隊というものを結成した先ほどの話の隊長を務めさせていただきました。私も全くボランティアの経験はなく、今回初めて経験しましたので、端的に二つほど気づいた点をお話しさせていただきます。

 最初に、コーディネートという話が随分出ておりましたが、我々は人材のサービス会社で、通常、人材のコーディネートを本職にしている会社です。そこで、今回、そういうものもボランティアに生かせないかなと思いました。実際、現地に行って人材のアテンドをする仕組みとか、そういうものに長岡市の方は苦労されていて、ごちゃごちゃとしたところもあるなと感じました。正直いって、行ったメンバーとみんなで思っていたのですが、我々は毎日3000人もの人を1時間ぐらいでコーディネートするという会社ですので、そういったノウハウ、マニュアルづくりとか、そういったところに参加させていただいて、通常、我々はこうやってやっていますというようなノウハウを出したりとか、あるいはITを使ってシステム化しているものですから、そういったものでご協力できるところがあるのではないかと。特に初動のところでアドバイスをしたり、それをぜひ今後させていただけないかなということを実感しました。

 また、もう1点、我々はどうしても営利団体ですから、皆さんと違って、企業として収益を上げなければいけないということが最初に出てきますが、ボランティアの方が疲れてしまっては、本当にいいボランティアはできないのではないか。そこに対しての金銭的な協力とか人的な協力というのは、やはり企業が行っていくべきかなということを非常に強く感じました。宿泊する所とか食事とかをちゃんと用意してあげて、力を入れてボランティアしていただけるように、3日間しかできませんでしたが、立ち上がりの1週間とか協力をさせてもらうということを会社として手弁当でやるということが、我々はできるのではないかなと。その後、だんだんボランティアの方にお任せしていくということで、企業として協力していけるところをはっきりしていかなくてはいけないなということを感じました。

司会

 どうもありがとうございました。一応、午前中の発言予定の発言が終わりました。今までのご発言を私なりにまとめさせていただきますと、最初に発言をされた方と最後に発言された方は同じ会社の方ということで、同じようなかかわりをされているわけですが、実はうちの学生が二人お世話になっていると思います。いつもアルバイトをさせていただいていて、それで長岡市に行ったというので、多分お世話になっていると思います。人材派遣をされている企業が、パッケージでボランティアを現地に送る、特に発災後1週間ぐらいそれができるというのは、かなり画期的というか、重要なことだと思います。ボランティアの宿泊場所などの確保は大変です。実は、私のところにかかわりますが、今日から私の大学の学生も10人、長岡市に入っています。これはバックアップなしで、当人たちが足も宿泊場所も確保して行きました。パッケージで派遣できるようなシステムがあれば、そこに入れてしまえば楽なのですが、そのために私も何度も学生から相談を受けて、長岡市の現状はこうなっている、ああなっているということをいろいろレクチャーしたうえで、実際に学生に現地へ連絡を取らせて自前で行けというやり方しかできませんので、そういうところで企業の方々のバックアップがあるととても助かるなと、送り出す方は思います。そういうボランティアのコーディネーションというのは、この分科会の一つの大きなテーマになると思いますけれども、企業が今まで業務で培ってきたノウハウとか、ITの利用ということも含めて、そういうことをフルにご提供いただけるということになれば大きな力になるのではないのかなと感じます。コーディネーションにおける企業の貢献という面です。

 ボランティアのコーディネーションということでいうと、私も長岡市のセンターにずっと入っていますが、いろいろな団体の方々が見える、ボランティアの人たち同士のいろいろなトラブル等もありますし、人間関係の調整が難しい。あと特に、住民の方達にどうやってボランティアを受け入れていただくのか。川口町の場合は、私も小耳に挟んでおりますが、ボランティアを装って空き巣に入ったという風評が最初のうちに流れてしまったので、それで住民の方達のボランティアに対する見方がかなり厳しくなったということです。それでも、梅澤さんの発言ですと、「まごころ隊」を組織して、工夫されたので、接点というか何とか受け入れられるようになってきた。そういった工夫がすごく重要だと思います。長岡市でも、被災者の方たちから、避難所に不審なボランティアがいる。確かに、神戸で指名手配されていた人がボランティアだと言って避難所へ入って検挙されたという例もあります。

 また、週刊誌あるいはマスコミなどはそういうものを重点的に取材して記事にしたりするものですから、私が長岡市のボランティアセンターに発災後1週間ぐらいに行ったとき、いろいろな雑誌の方達がそれについて根掘り葉掘り聞いてくる。しかし、それはボランティア全体とすれば千に一つとか万に一つといったケースだと思います。それをマスコミに重点的に取り上げられて、ボランティアというのはこういうけしからん連中がいるという話になってしまって、小千谷市の例などもありますが、そうなるとますます住民の方達に受け入れられないことになると思います。そういういわゆる風評被害が特にそこにマスコミが大きくかかわってくるとなかなか厄介ではあるのですが、それでもやはり川口町の例のように、「まごころ隊」などを組織して、地道に接点を作っていく、そういうのがやはりボランティアのコーディネーションという意味で重要かと思います。

 また、梅澤さんからご発言いただいたように、長期的にコーディネーションできるような仕組みが重要である。阪神・淡路大震災以来、幾つかの全国のボランティアネットワークができて、いろいろな取り組みをされていますが、実際、現地に行くと、地元と行政とかいろいろな団体等の調整役というのは難しいところがあります。半分ぐらいはうまくいくけれど、半分ぐらいはうまくいかない、最近の水害の時もそうだと思いますけれども、そういったことが言われています。そういうところでいかに長期的にというか、いつでも、災害が起こって、すぐに現地に、例えばボランティアセンターが立ち上がるというときに、全国的なボランティアのコーディネーションができるネットワークがちゃんと機能するようにしていくにはどうしたらいいのか、こういうところはやはり被災者の方達の救援にかかわる行政の方達とか、または現地のいろいろな団体の方達とか、ここは阪神・淡路大震災の時から言われていますけれども、顔の見える信頼関係をどうやって作っていくのかというところになっていくのかなと思います。そういった取り組みなどをされている方がこの分科会には多数いらっしゃると思いますので、そんなところでお話を聞きたいと思います。

 あと、救援物資ですが、先ほどの阿出川さんのお話、物資はたくさん来るけれども、ミスマッチがある。必要な所に行き渡らないとか、必要な物資はあまり来なくて、要らないものばかりたくさん来る。水は大量に来るわけですけれども、それが必要なのはせいぜい数日くらいになります。そういうことで水が大量に余ってしまって、これをどうするか。炊き出しに使うとか、ボランティアが飲んでそれを消化するとか、いろいろそういうことがあると思いますが、そういった物資のミスマッチです。

 この物資のミスマッチが起こる大きな要因とすれば、インターネットと思います。新潟県中越地震では、インターネットのブログというものがありますが、それに書き込まれた情報を見て、あと東京都内辺りでインターネットを使って、物資を集めて送るという活動をしているグループもあるみたいです。そこで、何月何日の情報で、どういう物資がどこで必要なのかということをちゃんと見たうえで送ればいいのですが、なかなかその通りにならない。例えば、私が行った長岡市のセンターでも、先週、乾電池が1万個送られてきました。1万個あるか、全部数えるわけです。そして、数えたら9999個しかなかった、あとの1個どうしたということで大騒ぎになるわけです。それだけでボランティアも人手が必要になりますし、時間もかかります。これをネット上でよくよく調べてみたら、あるブログに、ボランティアの方かだれか知りませんが、十日町市で乾電池がとにかく必要なんだという書き込みがあって、それも11月2日か3日ぐらいの時点だったと思いますが、11月の下旬になって1万個送られてくると。これはむしろ、インターネットを見て送る側の問題だと思います。

 今、インターネットが普及していて、日本人の3人に2人くらいはインターネットを使えるようになっていますから、インターネットの影響力は大きいと思います。各ボランティアセンターもホームページを立ち上げて、随時、物資が必要であれば、いついつまでにこういう物資がいつ必要だということで出しているはずです。大体一杯送られてくることを見越して少なめに出すなど、そういう工夫はしていますが、どうしてもアポなしのものがたくさん来てしまう。乾電池が1万個ドーンと来たりということもあるわけです。だから、物資については、阪神・淡路大震災のときから、いろいろまとめて現地へ送るとか、ちゃんと連絡を取った上で送るとか、そういうことになっているわけですが、一般の人たちにはそういった知恵というか知識が共有されていないというところで、どうしてもミスマッチが出てきてしまうということがあるかと思います。

 あとは電気の管理については、パソコンとかインターネットとか、そういったもので情報発信することが当たり前になっている、あるいはそれをやっていないとボランティアも来ない、物も来ない、お金も集まらないという状況になっています。特に川口町の場合は、10月の下旬から、末の頃から電気は通じたというような状況だったと思います。それで川口町のボランティアセンターなども、学生ボランティア中心にパソコンを持ち込んで、インターネットで情報発信などをやっていたと思いますが、どうしてもパソコン、プリンターなどでいろいろ電気が必要になる。それ以外にもいろいろ電気が必要になるということで、電気の管理ということが出てくるわけです。これは案外気づかない点です。うまく電気の管理ができるボランティアの方たちがローテーションで入って来られれば、その辺のところはうまくいくと思います。これはボランティアのコーディネーションとかかわってくると思います。これは先ほどの「神戸市役所」の小嶋さんの発言にもかかわりますが、技術力を持ったボランティアの方達が、どういうふうに技術を生かしていくのかといった、いわゆる専門ボランティアの人たちをどうやってコーディネーションというか、その人たちの技術、知識、経験、そういったものを発揮するためには、どうコーディネーションしていくのか、これも一つの大きなテーマだと思います。

 簡単ですが私なりに論点をまとめました。これからは皆さんにご自由にご発言いただいて、どんな論点でもかまいませんけれども、今、挙げたような論点についてご発言いただければと思います。できるだけ多くの方にご発言いただきたいと思いますので、1人1〜2分を目安にご発言いただきたいと思います。ご自由に発言なさりたい方は挙手ください。お名前とご所属をお願いします。

鈴木(神奈川災害ボランティアステーション)

 「神奈川災害ボランティアステーション」の鈴木と申します。多分、午後一番でごあいさつさせていただきますので、そのときに。お話の中に、ボランティアの中に泥棒がいたり、住民の方達に不安を与えるような人たちがいると住民の受け入れがなかなか困難ではないかというお話がありましたけれども、実は、私は必ずボーイスカウトのユニフォームを着て被災現場に入っています。そうすると、初対面から行政の方達にも信用していただけて、すぐ避難所に行ってくださいと言われたりします。私は6回行きました。最後に行ったときは「日本赤十字社」のボランティアとして行きましたので、赤十字のゼッケンをつけて行きました。

 やはり信頼という意味では、そういう服装。例えばこの中にいる人たちをパッと見たときに、ボランティアなのか被災者なのか行政なのか泥棒なのか、分かりません。ですから、将来に向けてということであれば、そういう服装、例えばゼッケンのようなものに、横浜から来たので横浜の1番とか、後で確認できるような、だれが見ても分かるような形のものができているといいのではないでしょうか。地域と番号をつけた泥棒がいたらすぐに捕まってしまいますから、そういう意味では安心感を与えるかなと思います。

 もう一つ、先ほど電気屋さんのお話がありましたが、特技が何か分かるような、例えば看護婦さんであるとか、電気屋さんであるとか、自動車の運転ができるとか、そうすると、コーディネーターをされる方はもちろん書類で見ているとは思いますけれども、はたから見てパッと分かりやすいですし、例えば、赤十字は皆ゼッケンをつけていますが、ああいったものを全国化していって、信頼されるものができるといいなと思いました。

司会

 ありがとうございます。いわゆるボランティアについての風評被害ということですが、「ボーイスカウト」「日本赤十字社」、例えばレスキューバイクのユニフォームや医療関係の方は白衣とか着ていらっしゃれば分かると思いますが、それ以外の一般のボランティアや専門のボランティアの方、その辺のところは分かりづらいので、全国共通の専門ボランティアのマークというか、そういったものを考える必要があるのではないでしょうか。

小澤(NPO法人日本救助犬協会)

 「NPO法人日本救助犬協会」の小澤と申します。ちょっと皆さんと違いまして、我々は「災害救助犬」と、もう一つは各種施設に訪問するために、それぞれの家庭で飼っている犬を育成して、ボランティア活動で出ていくという「動物介在活動」をしています。

 今回、新潟県中越地震でも災害救助犬を派遣しましたが、我々としては、「災害救助犬」は消防の救助隊と一緒に行動するということで、消防庁などと連絡を取りながらやるという形を執ります。今回は出動の命令は出なかったのですが、かなり被害が大きそうだなということで、「災害救助犬」を8頭と、サポートを含めて13人の人間を送りました。今回はたまたま行方不明者が少なくて2〜3日で引き揚げてきたのですが、その後、車からの救助を「東京消防庁レスキュー隊」がされていましたが、たまたま「警視庁」の「災害救助犬」がかかわったということで、テレビで宣伝してくれたので、災害救助犬が幾らか浸透したかなと思っています。「災害救助犬」がどういう仕事をやるのかということは、なかなか一般市民のところまで広まっていないので、犬を連れて行っても、何をやるのか、というところもあります。我々は消防本部のほうに駆けつけていきますので。

 もう一つは、動物介在活動のために訪問できる犬を養成しています。これから心のケアの問題が出てくるので、今日来られている人たちとも連携しながら行っています。わざわざ東京からというのでなくても、新潟県とか近くにもそういう犬を育てている人がいると思います。今、私たちの近くの都内で、幾つかの福祉施設に行っていますが、施設の人たちからは、犬を触るだけでかなりなごむということで、非常に喜ばれています。

 「災害救助犬」とか施設に訪問するための犬とか、犬の効果について、まだまだ皆さんに周知されていない部分が非常にありました。新潟県へ行って、そういう反省をしながら、仲間が帰ってきたので、今日はそういう報告として、ぜひ皆さんのボランティアと一緒に活動できればいいなと思いまして参りました。よろしくお願いします。

司会

 どうもありがとうございました。被災地での救助犬など、案外、その辺は知られていないところがあると思います。今、仮設住宅の建設が始まっています。避難所だとなかなかセラピードッグは難しいかと思いますが、仮設住宅でしたら、これから出番ではないかなと思います。

池田(富山県民ボランティア総合支援センター)

 「富山県民ボランティア総合支援センター」の池田と申します。富山県庁の職員でして、平成15年3月まで県庁の消防防災課にいました。去年の4月から「ボランティア総合支援センター」という、ボランティアを支援する中間支援センターという性格の組織に行っています。

 今回、「中越地震及び新潟豪雨のボランティア活動」というテーマであり、水害と震災のボランティア活動について何か違いがあるのか、あるいは一緒なのか、そういった話が聞ければと思い参加しました。実は私も7月に福井へ行って、11月に小千谷市へ行ってきたのですが、福井県の場合は、とにかく誰でもいいから人手が欲しいという状態でした。小千谷市の場合は、そういう面もありますが、できればバイクを運転できる人、重機を運転できる人など、かなり特技のある方を求めていたような気がします。水害の場合の災害ボランティアセンターと震災の場合の災害ボランティアセンターというのは、機能として多少の違いが出てくるのではないかという感想を持ったのですが、もし経験しておられる方がおられたら、そういったご意見をお聞きしたいと思います。

 それから、都市部の災害と農村部の災害では随分対応が違うのではないかというのが私の感想です。福井市の場合はニーズのほうが圧倒的に多くて、かかってきた電話に対して、明日になりますとか、あさってになりますといった対応をしている時期に行きました。それに対して小千谷市の場合は全然ニーズが上がってこなくて、ボランティアが被災者のお宅を訪問して、「何かお手伝いすることはありませんか」と尋ねて、「それではここを片付けてください」と言われてやっとボランティア活動に入る形でした。福井市も、大都市ではない、中都市ですが、都市住民と農村住民でかなり違いもあるのではないかというのが私の感想です。皆さん方はどういう感じを持たれたかというのをお伺いしたいのが2点目です。

 3点目が、ボランティアセンターを運営するにはお金がかかると思います。多分、最終的には行政が負担するのではないかとは思いますが、その辺の経費の負担について、ボランティアと行政で十分連絡は取れていたのか。最初に金の話をしてからセンターを立ち上げたというボランティア団体の方もいますし、そういう話をしていなかったので、後でちょっと困ったという話も聞いたりするものですから、その辺はどうあるべきなのかという考え方もまた整理されればいいのではないかというのが3点目です。

 4点目ですが、物資の供給が先ほど話題になりました。これは前任の消防防災課で研究していたことですが、物資はどうしても情報の一元化と集配の一元化が必要になります。とにかく物資の輸送については必ずここへ連絡する、新潟県の場合は「新潟県災害対策本部」の出納係が受け付けていましたが、集配の拠点はなかったです。今後研究して、1か所に集めて、その1か所から各ボランティアセンターへ必要なものを送る。ボランティアセンターが必要としていないものは集配拠点でとどめておく。それはスピードの問題もあってちょっと遅れるのですが、そういうシステムも考えていかなければならないのではないかなと思っています。

司会

 どうもご発言ありがとうございます。4点ご発言がありました。まず、水害と震災の場合でどう違うのか。私も長岡市のボランティアセンターへ入っていますが、長岡市の場合は水害も震災も両方やっています。スタッフの方のお話だと、水害の場合は水が引いてしまえば、その後は活動に入れますが、震災の場合、今回は特に余震が大きかったのですぐに動くことができませんでした。11月8日に行ったとき、大きな余震が来ました。震度5弱とか、そのくらいのものが来ましたので、40分ぐらい、建物の外へ避難していました。また、被災家屋の片付けに行っていたボランティアの人達も活動中止とかになりましたから、そういう面で余震の長い震災の場合はかなり大変だと感じました。やはり水害と全く性質が違って、震災のほうが厄介だということも言われたりしたのですが、これはやはり地域によって違うと思います。

 あと、都市と農村、ニーズのくみ上げがすんなりいくかどうか、いっぱい出てくるかどうか、これはあります。また、ボランティアセンターの運営資金も大きな問題だと思います。物資の情報、集配の一元化といっても、これはばらばらになってしまいますよね。新潟県でも一元化しているように見えますけれども、ボランティアセンターごとにばらばらにやっているところもありますから難しいと思いますが、かなり重要な論点だと思います。

五辻(東京災害ボランティアネットワーク)

 「東京災害ボランティアネットワーク」の五辻と申します。幾つかありますが、時間がありませんので、一つだけ発言させていただきます。

 物資の問題です。生活協同組合は、企業であると同時に、被災地域に1万8000人ぐらいの組合員がいる住民組織でもあります。私は災害ボランティアネットワークをやっていますが、物資の問題についてなかなかうまくいかない。ニーズとの時差で、実際に来たときにはそれはもう要らない、余っているというのは常につきまとうわけです。問題は、いかに住民の一人一人の所に届けるか、物流の配送のことです。私どもは、小千谷市と川口町の集積所に物資がたくさん来ていて、「避難所に物資が届いているか」「配送をお手伝いしますよ」正面から何度も私どもがと行ったのですが、「いや、間に合っています」と断られました。災害対策本部の中の人と話し合ったら、「実は細かい配送ができないので、ぜひお願いします」ということでやっと要請が出ました。土日あたりは20台ぐらい、小千谷市と川口町にずっと回りました。明日からまた1週間、仮設住宅ができましたので、引っ越しのボランティアとして小型のトラックを十数台入れます。これは地元の生協だけでは大変なので、首都圏からも応援が入ります。

 物資の問題について、例えばおにぎりが届いたけれども、週刊誌では、被災地でおにぎりを捨てているという話題も取り上げられました。日付の問題がありますから、これはしょうがない。時間差でのミスマッチは常に出てくる問題です。例えば、ミネラルウォーターがたくさん余っている、料理にでも使ってくださいと。でも、小さい車に水を積んで、被災地域をずっと回って、避難所ではなくて、家の裏手にある田んぼの中にビニールハウスを作って、そこに何世帯か避難している、そういう所へ行って、「今、こういうもの積んでいます」という格好で回りますと、「水が欲しい」というニーズが出てくるわけです。「水道は通ったけれども、まだ黄色くて料理に使えないので、ミネラルウォーターはありがたい」との言葉をいただきました。そういう格好でいかにお届けするか、そこのところをだれがやるのかという問題があります。行政はやりきれないわけですから、やはりボランティアと物流の専門の事業者に任せる、委託するという関係を仕組みとしてつくっていくべきではないでしょうか。乾電池1万個も、配ればみんなありがたがります。余って捨てる問題ではなくて、乾電池1万個頂いたら本当にありがたい。今だって、これから家に帰る、仮設に引っ越しされる方にお届けすれば、ありがたいと受け取っていただけます。

 問題はやはり、かなり細かく避難所に届ける、それから避難所に来られない、個人で避難されて車の中で生活している方にお届けする、そこのところをだれがやるのかというところにあるのではないでしょうか。川口町や小千谷市などの自治体の職員に対して、自治体の皆さんに対して、「何をやっているんだ、もっとうまくコーディネートしろよ」と思っていたのですが、あの人達も被災者で大変な思いをしていて、役場で山のように仕事が来る中で、目の前の仕事に追われているわけです。だから、情報の問題、物流の問題、避難所の管理の問題、避難所の管理だって職員を3〜4人24時間つけるのはかなり問題と思います。山古志村は民間に委託しましたが、これは面白いケースだと思いました。そういうように、信頼できる民間の事業者やボランティアにどんどん任せていくという仕組みを作らないと大変と思います。物資の問題については、被災者に届ける仕組みがあれば、そんなに捨てるものはないと思います。

司会

 ありがとうございます。物資が余るといっても、被災者の方達のニーズをくみ上げてマッチングしていけば、案外それが必要であるということがわかったりするものです。やはり専門の民間の団体にお任せするということですが、これも行政とボランティア、企業の関係になってくると思います。これは、地域によってはうまくいっているところもあるし、行政で抱えこんでしまって、あまりボランティアには任せないようなところもあります。また、行政と民間の間にあるような位置づけの団体とすれば、社会福祉協議会があります。社会福祉協議会がボランティアセンターを運営しているところもあると思いますけれども、社会福祉協議会もけっこうそういう面ではジレンマがあると思います。行政から見れば「民間」、民間から見れば「役所」と言われて大変だろうと思います。連携の問題というのはあると思います。

井ノ下(Vネットぎふ)

 「Vネットぎふ」の井ノ下と申します。今回の新潟県中越地震に関しては、センター運営には直接は携わっておりませんが、ボランティアの一人として現地へ入って、活動をしてきました。その中で思ったのですが、今ほど言われたこととほとんど一緒ですが、役場ないし自治体には救援物資がかなり山積みにされているにもかかわらず、避難所以外の所に避難されている方々の所へは届いていない。実際、私たちも発泡スチロールのボードを持って、防寒対策ということで、車に積んでぐるぐる回ったのですが、回る先々で、「ありがたい、ありがたい、寒かったんです」という言葉を頂きました。でも、「役場にはたくさんあったんだけどな」などと思いながら回りました。

 行政サイドには、避難所に対してはある程度管理できると思いますが、それ以外の、避難所に来られない人たちに対しての情報の収集だとかニーズの把握ができていないことを感じました。行政サイドもいろいろな意味で忙しくて手が回らないということはよく分かるので、私どもの団体で常々考えている、行政といかに協働していくかという部分がとても大事だと思って、今回、帰ってきました。

 行政サイドとボランティアセンターと初動時から協働がうまくいっている場合というのは、ボランティアセンターの運営がかなりうまく回っているパターンが多いと見受けられます。それがうまくできていないと、今みたいにちぐはぐな状況になってしまって、どっちつかずみたいなことになりがちのように見受けられます。先ほど出ました電気の管理だとかセンターの運営そのもの、信用の問題、行政サイドとうまくタイアップして、主催がボランティアセンターで、後援が行政みたいな、そういう広報ができれば、「行政サイドもちゃんと加わって運営しています」というアピールになって、それで信用もある程度得られるという面も出てくると思います。いかに行政側がうまくボランティアセンターを受け入れるか、一番のネックであり、今後の重要課題の一つなのではないかと考えています。

司会

 今のご発言は行政とボランティアセンターの連携、いわゆる信頼関係は、平常時からのつながりがあると思いますけれども、そういうつながりがあれば、ボランティアについても住民の方達に行政の方から信用保証ができる、そうすると活動がやりやすくなるといった仕組みだと思います。行政の方がボランティアセンターと連携して、住民の方達にボランティアがこういう活動をしているとか、「こういう人たちは大丈夫ですよ」というような広報、情報提供があると思います。あと、先ほどの物資のことにもかかわってきますけれども、こういう物資が今あります、必要な方はここにご連絡くださいみたいな、そういうものがあると、物資のニーズもくみ上げやすくなったりすると思います。そういう点では、川口町のボランティアセンターは毎日、広報紙を住民の方達に発行していらっしゃると思います。

小澤(NPO法人ユニバーサルデザイン・ステップ)

 一つ目は、先ほどまごころ隊で救急箱を持ってと言いましたが、実際にお渡しするのはみんな試供品の医薬品関係です。試供の医薬品が、私がとてもいいなと思ったのは、すべてがミニサイズだったところです。小さいものなので、個人にそれぞれ渡すことができる。特にこれから先、寒くなって、あかぎれ関係が増えてきます。そうするとクリームが必要なのですけれども、大きいものをドーンとやってしまうと、使い方によっては足りなかったりすると思います。でも、小さい器に入っていれば、個人的に部分的な場所だけ塗ることなどが可能となります。

 それから、先ほど服装の件があったと思います。東京都の災害支援ボランティアにも入っていますが、ちゃんとりっぱな制服があります。行く前に、持って行っていいか確認を取ったところ、だめと言われました。東京都から行くものではないからと言われました。

 あと、現場では、「まごころ隊」という活動をしましたが、消防設備や電気配線など自分にできることをガムテープにバーッと書いて、背中に張っておくのです。そうすると、それが行えることが、全部分かります。

 それと信用の問題ですが、ボランティアセンターで一応リーダーという形で、グループの中で一人だけは必ずパソコンで打ち出した写真入りのものを持っていなさいということがありました。その他のグループについては、普通の作業着に、毎日毎日ガムテープに名前を書いて、登録番号もマジックで書いたのですが、それをベタッと張りつけます。それでグループごとに分かれて行っていました。そこで「『まごころ隊』という名前が入っていたら、どんどん声をかけてください」というお願いをして回りました。

 私が1日から5日まで行ったボランティアの仲間が今日も行っているのですが、こういうニーズが来ています。自衛隊のお風呂が開設してありますが、やはり自衛隊ですから女性が少ない。そういった中でお風呂の介助や女性の監視役が必要です。湯船が深いものですから、おぼれたりしないかなどという心配が出てきます。やはり高齢者がいっぱいいますから、倒れたりしないかというのをちょっと見てほしいというニーズが出ています。あとは、特別養護老人ホームでの介助は24時間必要になりますが、施設の介助者自身が被災されたこともあり、介助の手が足りず、経験者をボランティアに求める、そういう例もあります。

 障害者が全然、表向きに出てきませんでした。例えば、私は手話通訳の資格を持っていますが、聾唖者(ろうあしゃ)は本当にいないのか、とても気になりました。私は、パソコンを持っていません。そうすると、皆さんがおっしゃっているインターネットもできませんし、ホームページを見ることもできない、情報弱者であり、それがもしも被災地になったときに、災害の場所でもって、私自身、視覚障害もあります、そういった視覚障害の方はまず避難場所に行くまでの管理がなかなか大変です。どうやって行ったらいいか見えてこないのです。もしかしたら、行政の方々は安全を図るために居住地を安全な場所に移動しなさいと移動したかもしれません。そうしたら、その中のコミュニティというか、村と本人との関係は全くなくなってしまいます。メンタル的な不安を感じたまま何日も、下手をすれば何か月もいなければいけないというのは問題だと思います。

 それからあと、現在、「ハートビル法」でもって、障害者にも優しいような建物もできていますが、あれは恒常的なものだけで、実際、火災とかの避難経路や方法は全く考えられていない状況です。川口町は普通の一般住居が多かったからいいかもしれませんが、大都市圏、例えばこういう場所で地震があったらどうしますか、視覚障害者がたくさんいたときにはどうしますかといったときには、何も打つ手はないんじゃないかなと思っています。

司会

 ありがとうございました。障害者の方たちに対するケアは非常に大事な論点です。介護保険の枠の中でケアされている方はケアマネジャーさんが対応したりするのですが、その枠に入らない人たちのケアがすごく難しいというのは、今回の震災でも水害でも出てきたことです。あと、避難所のバリアフリーとか、いろいろありますので、そういった障害者の方達のケアです。今のお話の場合は視覚障害者という話でしたが、聴覚障害者の方達も、聴覚障害者の方達は携帯のメールでいろいろやり取りをされていますけれども、停電したら充電できなくなってしまって、コミュニケーションできなくなりますから、いろいろ問題がありますね。だから、各種の障害を持つ方をどうケアしていくかということです。

長田(NPO法人ながおか情報交流ねっと)

 新潟県長岡市から来ました、長田と申します。こちらの紹介では「開志学園高等学校生」となっておりますが、「NPO法人ながおか情報交流ねっと」のメンバーでもあります。私のほうから、被災地からの声ということで意見を述べさせてもらいます。

 今回、この分科会ではボランティア活動がテーマになっていますが、民間のボランティアもしくはNPOのボランティアという立場ではなくて、行政、消防団といった面からのボランティア、消防団も一応、出動手当などお金は入りますが、大きくいうとボランティア扱いになります。その視点から、私は長岡市の方で消防防災の取り組みを日夜、取材しているので、現地の消防団から、地震発生後の体験、もしくは活動の不明な点などを取材しました。

 災害時のボランティアに対して、民間の方、もしくはボランティア有志の方がまずボランティアセンターに行って、登録をして現場に入るわけですが、その前に、地震発生時に現場にいち早く入るのが消防団です。消防団の活動ですが、主に消防行政から指示された被害調査もしくは土砂崩れ、道路陥没などの復旧、応急処置を行いますが、消防団の活動に対して、市民もしくは地域住民の理解が少ないという意見がありました。また、ボランティアにおいて、長岡市では、自分たちの町は自分たちで守ろう精神で作り上げている自主防災会というものがあります。しかし、今回の地震発生時には、自主防災会の会員である地域の町内会の皆さんがいましたが、自分たちの被災地の現場での対応で精一杯となり、町内もしくは隣近所の防災的な面での活動が機能しなかったという意見があります。

 消防団と地域との連携に先だちまして、消防団に対する住民からの理解がなく、活動に支障を来す。また、消防団に対しての住民の理解が少なく、消防団に対してのトラブル、もしくは消防団が何をしているか分からないといった意見がありました。今後、災害時に民間のボランティアが入るのもありがたいのですが、その前に消防団の活動に対してのPR等を願いたいという意見もありましたので、この場で私が発言させてもらいます。

司会

 ありがとうございました。消防団はすごく重要な組織です。長岡市は人口が19万人ぐらいだと思いますが、中小規模の都市で、ある程度、都市化が進んでいるところですから、地元住民の方々はなかなかその辺が見えないということです。消防団だと、自営業の人たちが中心ですか。

長田(NPO法人ながおか情報交流ネット)

 現在、自営業の方はだんだん少なくなっていまして、ビジネスマンもしくはそういった関係の人が多くなってきています。

司会

 例えば川口町とか小千谷市とか人口の少ないところ、あるいは農村部になるとだいぶ消防団と地域とのつながりは強いと思います。それはまた都市特有の状況だと思います。これは余談ですが、たまたま先週、長岡市の地元のメディア、コミュニティFMとかケーブルテレビ、どうされているのかなということでお話を聞く機会がありました。地元のコミュニティFMに「FMながおか」というのがありますが、そこの局長さんの話だと、防災無線が今回役に立たなかったと。

長田(NPO法人ながおか情報交流ネット)

 使えませんでした。

司会

 あまりにも操作が煩雑なところがあるし、すぐに取り出して使えるようなものではないし、訓練もしてはいるけれども、すぐに使えるような形にはなっていないしというところがあって、防災無線の問題というか、いわゆる自主防組織がうまく機能しなかったということも聞いています。特に都市部でそれを、災害が起こったときに、自主防災組織とか消防団が、効果的に運用できるようにできるのか、これは一つの大きな課題だと思います。

桑原(NPO法人ながおか生活情報交流ネット)

 「NPO法人ながおか生活情報交流ねっと」、ここでは「支流ねっと」になっていますが、交流です。このたびは本当、皆さん方には大変お世話になりました。7・13水害および新潟県中越地震の支援、感謝申し上げます。ありがとうございます。

 私が感じたことですが、先ほどから出ている社会福祉協議会とボランティアの関係、および行政とIT情報の関係という2点をちょっと発言させていただきます。私どもは、7・13水害によって中之島自体が情報発信できなくなりましたので、「ブログ」をつかって情報発信を代行しました。また、ボランティアセンターが中之島で立ち上がった時点で、ここでも「ブログ」を一つ立ち上げて情報発信をしました。さらに、今回の長岡市災害ボランティアセンターの「ブログ」も私どもが設置して、最初の1週間は全部やっていました。そのような中で行政の方に情報発信の必要性を説くのですが、ほとんどの人に「そんな余計なことするな」という形で私ははねられてきました。だから、勝手に全部させていただいて、情報発信のシステムを使ってもらうような形にしたという経過がありました。行政は、情報発信することに関心がないというか、教育がされていないというか、必要性を理解していない、そういう点を強く感じました。

 あと、社会福祉協議会とボランティアとの関係ですが、普段はIT関係でまちづくりをしているNPOですので、災害という部分は専門外です。災害時、情報発信という部分でかかわった中で、中之島のときもどこかのNPOが来られて、社会福祉協議会にボランティアセンターを立ち上げましょうという形で話したみたいですが、断られて、三条市に行ったという話もあります。長岡市に関しても、私どもは最初に、地元のNPOはどこも入っていなかったということで、福島の「ハートネットふくしま」の方から声をかけられて、「ブログ」を立ち上げると同時に参加しないかという話がありました。私どもは専門ではないので直接にはかかわらなかったのですが、そこの中でもやはり社会福祉協議会といろいろな問題がありました。そこでも私どもは、「『ブログ』とか新しいシステムは要らない、余計なことはしないでくれ」と断られた経過がありますが、強引にやりました。

 長岡市のボランティアセンターに行かれた方は分かると思いますが、かなり社会福祉協議会との間にトラブルがあったり、トラブルというよりも、いろいろ話を聞くと、こういうふうな方針でやりたいという意思表示すらできないという話を耳にしました。行政や社会福祉協議会にもそれなりの理由がありまして、自分の仕事をやるためには、そういう余計なことは、訳の分からないボランティアの人たちに来られても困るという言い分もあると思いますけれども、その辺をきちんとしていかないと住民のほうがもっと被害を受けてしまいます。住民を守るためには、迅速に社会福祉協議会とボランティアの方々がボランティアセンターを立ち上げて動く必要があると思います。私どもの地域も、ご存じのとおり車の中で亡くなられた方、「エコノミー症候群」で亡くなられた方がいますけれども、それはもっと早く体制を立ち上げていれば防げたのではないかと思います。行政のITの必要性と、社会福祉協議会とボランティアセンターの啓蒙をしていただきたいと思います。

司会

 どうもありがとうございました。今、2点、論点があったと思います。災害時のインターネットを通じた情報発信というのは私も専門なので、発災直後からいろいろな動きは見ております。「ブログ」で、長岡市ボランティアセンターから随時情報が出ているということで、そういう面では、桑原さんの活動というか、提供いただいたシステムは役に立っているわけです。そういう面では、ボランティアセンター、あるいは行政も含めて、どうやってインターネットで情報発信をやるかということですが、長岡市のホームページでは掲示板を立ち上げまして、安否確認等いろいろな情報交換をやっていますが、個人情報が載っているなど問題だと感じた点もありました。あと、水害のときに気になっていたのは、三条市がホームページで避難者の名前とどこの町に住んでいるかというものを公開してしまったことです。それも1週間ぐらい公開してしまったわけです。これはやはり行政の個人情報保護という面からは非常に疑問に思っているところがあります。

 阪神・淡路大震災のときから比べれば、行政も日常的にインターネットを使って情報発信するようになったので、そういう面では発災後すぐに、県や市のレベルくらいになると情報が出てきますけれども、町村のレベルになるとやはり細かいものが出てこないなど、全く情報発信がされないということがありますので、どれだけ行政の職員がインターネットでの情報発信に人員を割けるかということが大きいだろうと思います。

 それと、社会福祉協議会との関係ですが、やはりこれも自治体の規模に応じて、社会福祉協議会の組織も大きいところと小さいところがあります。長岡市はけっこう、組織とすれば大きいほうになるわけです。そうすると、ボランティアセンターを運営できてしまうというか、しようと思ってできるところがあるものですから、地元のNPOや外部から来るNPO、災害ボランティア方たちに対してバリアがきついというところもあるのかなと思います。

 例えば川口町みたいに、社会福祉協議会はありますが、せいぜい職員が数名しかいないようなところは、当然、社会福祉協議会だけではボランティアセンターを運営しきれませんよね。どうしても外部のNPOなどいろいろな団体の協力を仰がないとできないという事象があります。ある程度大きな都市の社会福祉協議会の場合は、そこの方針にもよりますけれども、外部の人から見ると近寄りがたいようなところが出てしまっているということはあると思います。そこはやはり日ごろからのお互い、地域の中で顔を知っている関係が重要だと思います。私は外部の人間ですから、あまりそこまでは立ち入って言えないのですが。

 あと、社会福祉協議会も社会福祉協議会で、全社協(全国社会福祉協議会)のコーディネーションを行いました。最初は東北・北海道ブロックのほうから応援が入ったり、今、中・四国のほうから来て関わっているのですが、外部から応援に来る社会福祉協議会の職員でも、ボランティアセンターを運営している当事者の社会福祉協議会の運営方針についてはあまり立ち入れないというところがありますので、そこはすごい難しいところがあるわけです。どうしても私たちはよその者ですから、それ以上言うことはできないということがありまして、なかなか悩むところがあります。

 実際に、ボランティアの方々と、ボランティアセンターを社会福祉協議会が中心になって運営している、そのあつれきみたいなものは、私も阪神・淡路大震災から常にそういうものは見ています。そこのところはやはり、日ごろからの顔の見える信頼関係と言ってしまうと簡単なのですが、そういうところがあるかどうなのかなというところがかなり大きいのかなと思うところがあります。歯切れが悪いですが、私も実際に長岡市へ行っているものですから。

梅澤(NPO法人新潟災害救援機構)

 「NPO法人新潟災害救援機構」の梅澤といいます。消防庁の方からだと思いますが、私が聞いているところでは、各県に災害ボランティアの組織を作りましょうという呼びかけがあったのが3年ぐらい前だと。新潟県もこれを受けて、災害救援ボランティアの組織を作りましょうということで、3年前から作るという検討は進められてきました。ところが、なかなか結成できないまま、今年の6月にようやく赤十字と県の社会福祉協議会と新潟県、この三者で災害救援ボランティアという組織を作るということで、県議会で県知事が今年度中にこの組織を立ち上げるということが決まったのです。

 私たちはその構想を聞いて、実は私は個人的にいろいろな意見も希望もあるということでお話ししたところ、県の担当副参事が7月14日に構想を説明しに来るというところであったのですが、前日の7月13日に水害が起きてしまったわけです。その後、落ち着いたら組織の立ち上げを検討しましょうと言っていたらこの地震で、今、盛んに新潟県災害救援ボランティアセンターという名前が出ていますけれども、あれにはボランティアが一人も参加していないというのが実情です。コーディネートしてくださっているのは、県社協(新潟県社会福祉協議会)の皆さん方です。赤十字のほうも、防災ボランティアが組織されていたり、地域リーダーが組織されていますし、私たちも社会福祉協議会を通じて災害ボランティアのコーディネーターの講座を委託したりしていますし、いろいろなところでそういう取り組みをしてきていますが、それが一体化になっていなかったというのが、水害のときと地震のときです。

 三条市では、13日の水害の夜、盛んに全国からボランティアが来るからボランティアセンターを立ち上げなくてはいけないと市の担当者に言って、何とか形を作ってもらいました。同じことを今回の震災のときも早い時期に、震災は5時56分ですから、11時ごろに市の担当、民生部の担当の方とお話しして、このときはボランティアを受け入れる余裕すら全く感じられなかったのですが、これからボランティアが全国から押しかけてくる、とにかくセンターの場所だけ確保してくださいということで、総合体育館の付近など市役所の中にボランティアセンターを作るということで。その後、そこがセンターとして機能してきました。

 川口町も交通の再開と同時に現地に入って、社会福祉協議会の方や市の方と詰めました。このときも、ボランティアセンターは要らないというような最初の認識でしたが、随分と時間をかけて町長さんと具体的にひざ詰め談判をして、それから、町内の職員を集めた会議にも参加をさせてもらう場を作って、とにかくボランティアセンターの必要性を訴えてきました。そういう形で、今のボランティアセンターができたのです。先ほどの電気の話も、そばで聞いていて、つぶさに分かるのですが、あそこまで立ち上げるのが当初の時点では精一杯でした。

 新潟県としての災害救援ボランティアセンターと今、名前は堂々と出ていますが、いわゆる実働部隊がいない組織ということで、これから早急にまとめていかなければいけないとは思っています。そういう実態があったので、社会福祉協議会もいろいろなシミュレーションをしているのですが、どうかかわりあっていいか分からなかったし、県の方も作ると言った組織がなかなか、形は作っても、ボランティアの派遣などいろいろと決めなくてはならないことを決めないうちの災害だったということを頭の中に入れて、また、いろいろな討論をしてください。聞いたことは、私たちも県社協(新潟県社会福祉協議会)や新潟県など、いろいろなところで話を伝えていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

司会

 苦労話というか、裏のほうの話を、裏方の立場ということで苦しいところがあるということです。この話はいろいろ関心がありますが、ちょうど午前中の部の時間がこれで終わりますので、一応、午前の部はこれで切り上げさせていただきまして、1時間昼休みを挟んで、13時30分から会を再開したいと思います。午前中の部、ご苦労さまでした。お疲れさまでした。

【午後の部】

司会

 皆さんお集まりいただいたようですので、午後の部を始めたいと思います。いちばん話しているのは司会者ではないかということで反省しています。少し控えるようにします。それではまた午前中と同じような形で、あらかじめご発言になるということでお申し出のあった方からの発言を続けていただいて、その後、全体での討論ということでやりたいと思います。事務局のほうの手違いで、Bの部会にお入りになられてしまった久野さんからご発言をお願いします。

久野(我孫子市議会議員)

 千葉県の我孫子市から来ました久野晋作と申します。パンフレットには分科会のBで登録されているのですが、Aの方で登録はしております。お手数をおかけしました。

 私は、地元で市議会議員をやっています。現地には、川口町の災害ボランティアセンターの運営スタッフとして、11月9日から14日まで入らせていただきました。いわゆる活動班というところで、活動させていただきました。活動班とは、ボランティアを受け付けて、ボランティアを送り出すところです。現地のスタッフから見た視点から、問題に感じたところを主に4点、お話しさせていただきます。多少、重複するところもありますが、ご了承ください。

 1点目に、被災地の川口町なり「川口町社会福祉協議会」を含めた、いわゆる公的、半公的な側のボランティアの受け入れ体制と整備の問題です。やはり、すごく壁がありました。主に、情報の共有というところが一番の問題だったように感じています。というのは、私は現地には発最後、3週間目に入ったのですが、例えば物資の問題がありました。どこにどれだけ何があるかというのが、その時点でもわからなくて、かなり右往左往しました。細かいニーズがどんどん挙がってくるのですが、どこに何があるのか分からない、非常に根本的な問題がありました。

 あと、活動班ということで、受け付けたニーズを用紙に書いて、それをボランティアに渡して現地へ行ってもらうわけですが、この用紙も結局、現地の方が一生懸命、一から作成したものです。ノウハウを持った方も中にいらっしゃって、ある程度のひな形は用意されていたとは思うのですが、日々、改善して、現場は一生懸命やっていきます。

 小千谷市と十日町も回らせていただきましたが、それぞれが別々のニーズ票と活動票を作っていました。何が言いたいかというと、現地でそれぞれの運用があるのは当たり前ですが、ある程度、共通のひな形(書式)を行政として提供してもいいのではないかと思います。

 つまり、これだけインターネットという環境整備がされているのですから、ある程度、ひな形を用意しておく。何か困ったときに、そこにアクセスすれば、ある程度揃えることができます。そういう集約的なものがあってしかるべきではないかなということをすごく感じました。現地の方々が一生懸命改善していくのをすごいなと感じるとともに、それらの整備が現場対応であり、現場任せであることは大きな問題であると思いました。

 4点と言いましたが、今、1点目と2点目を合わせてお話ししました。2点目としましては、やはりスタッフの問題です。つまり、長期的にスタッフがいないと、うまく回していけないのです。ボランティアというのは、1週間行きますという方が来られる場合もありますし、現地に来て、3日いられる、4日いられるという状況がはっきり分かってくるのですが、なかなかスタッフが確保できないのです。確保できないと仕事を回せないのです。そういったところで、現地のボランティアセンターは、例えて言うなら、自転車操業的な運営を強いられています。

 特に川口町は、比較的ボランティアが中心となって動いていると私は認識していますが、かなり苦しい状況でやっていました。3週間目の後半は、スタッフが完全にどこもかしも減りまして、一時的にすごく大変な状況になりましたし、今も、ホームページを見ている限りでは、かなりスタッフが足りないということを把握しています。

 小千谷市では社会福祉協議会が中心となって入られていると聞きました。場所によって中心メンバーは違いますが、やはり継続的に回すには、ある程度の組織が動かないと、どうしてもぶつ切りになる。引き継ぎの時間もすごくかかってしまうということで、その辺うまくシステムを組めないだろうかと。

 先ほどコーディネートなど全国的なシステムという問題がありましたが、内閣府でもボランティアの登録システムを検討するということが、この間、挙がっていたように記憶しています。早くそういう整備をしなければならないのではないかと思います。また、その整備の副次的な効果として、いわゆる個人的な、信頼の置ける人間かどうかという問題も分かりますよね。例えば、川口町でのボランティア登録はすごく簡単な登録でした。記入するのは「名前、住所、携帯番号」のみです。

 一方、小千谷市は、かなり細かく、一人当たりA4表裏1枚に、かなり書かせていました。簡単だと早く手続きが済むよさはありますが、危ないです。その者の素性が分かりにくい。小千谷市の場合はある程度分かりますが、その代わり長蛇の列ができて問題になっていると言っていました。どちらを取るかという問題はありますが、それを現地で対応させるのはそろそろ限界があるのではないかというふうにも感じました。

 最後に、長期スタッフに対する支援の枠組みというか、体制というところで一つ問題を提起したいのが、川口町というのは小千谷市、あの総合体育館のところと十日町の間に挟まれている陸の孤島みたいなところです。インフラも最後になってやっと水が入ったという状況です。そんな中で、もちろん被災者をフォローするためにボランティアが入っているわけですが、土手でテント生活をしています。寒いときは5〜6度に下がる状況で、今はもっと寒いです。

 私はボランティアに、自己完結、自己責任を求められるのは当たり前だと思っていて、当然、テントや食料を持って行きましたが、やはり限界があります。スタッフの間で風邪もありましたし、中には倒れる方も出てきました。そういったところで、長期的なものに対しては、いわゆる宿泊的な支援もある程度あってもいいのではないか。それは川口町だけではなくて、例えば隣町で設定してあげるというのも私はありだと思います。

 結局、活動のボランティアが回さないことにはだめであって、そのスタッフが苦しんでいるわけですから、そういったところも分かってあげてほしいと思います。今は、そういう滞在場所は確保されたようですが、川口町はかなり遅かったです。

 ボランティアはいっぱい来るのですが、使い捨てカイロではないわけですから、その辺のフォローをもう少ししっかり認識していただいて、行政としてバックアップをすべきではないかと思います。主に以上、3点です。

司会

 ご発言ありがとうございました。続いて、桑原さん、お願いします。

桑原(NPO法人ながおか生活情報交流ねっと)

 「NPO法人ながおか生活情報交流ねっと」の桑原眞二と申します。先ほどいろいろ発言させていただきましたが、2点ほどまた言わせていただきます。今ほど、システム化、ルール化という話がありましたが、今回、いろいろな物資が各倉庫で満杯になってしまった、どこに何があるか分からないという状況はなかったわけです。ただ、そういう中で、先ほどご案内したブログに何々を送りたいという書き込みがあって、それに対してすぐには答えられませんが、ちょっと書き込んだりして、どのぐらい必要かという情報を流したりしました。その情報を全国の人が大勢見ていますので、一度に同じものがドーンと送られてくるという現象がありました。しかも、1箱の中にいろいろな種類が入っているというものもありました。7・13水害のときも言われましたが、1箱の中に同じ物資が1種類だけ入っているという形でなければ、物資のほうのボランティアの人は全く対応できないということがありました。

 その辺も含めて、ITでやれば非常に簡単なことだと思います。どこかの強力なサーバーに物資管理システムというものを作り、今、何がどれだけ足りないということを分かる範囲で挙げておく。それは全国で網羅された各県か地域なのでしょうが、担当者がそれぞれ募集して、何々をいつ送れるということを入力できる権限を与えておいて、それを逐次コンピュータのほうへ上げていけば、今、どれだけ集まったか、どれだけ足りないかということがネット上ですぐに確認できる、そして、それを各本部のほうへ振り分けた形でコンピュータ上で確認できるようなものは、簡単に構築できるのではないかと思います。ぜひそういうことをやっていただきたいと思います。

 先ほどでてきている「ブログ」、初耳の方も中にはいらっしゃるのではないかと思いますが、私どもがまちづくりをやっている中で、何年か前からやってきました。もっと簡単に、だれでも情報発信できるツールがないかということで、早くからブログ化に取り組んでいました。これは、インターネットを見ながら記事でも写真でも張っていける、非常に簡単なものです。先ほどご案内したように中之島では二つ立ち上げていますが、今回、合計五つ立ち上げて、なおかつ、それに情報収集するシステムを付加して、各「ブログ」の情報が一元化できるというものも提供しています。そんな中で非常に分かったのは、私どものほかにも十日町市、川口町社会福祉協議会、栃尾市は個人が運営していましたが、そういうところで立ち上がりました。しかし、書き込み方などカテゴリーが統一化されていないということで、各ホームページを見に行った場合、どこに何があるか、どの情報がどのカテゴリーに分類されているか、非常に分かりづらい状況がありました。私どもは五つ運営していましたが、五つともカテゴリーがめちゃくちゃ違います。もちろん状況が違うので違ったのですが、ある程度、情報もルールを決めておいて発信できれば、見る人がいちばん分かりやすいわけです。ボランティアに来られる方は20代、30代が多いので、ITを頼りに来る方もかなりいらっしゃるのではないかと思います。その辺のITのルール化、用語の統一など、いろいろな部分でそういうふうな動きが欲しいと思います。

鈴木(神奈川災害ボランティアステーション)

 所属は「神奈川災害ボランティアステーション」と申します。名前は大きいですが、実際にやっているのはほとんど一人です。最初は、ボーイスカウトの精神と技術を生かそうということで、長崎県の雲仙普賢岳が噴火しました平成3年から活動しています。災害があるたびに、みんなに呼びかけたり、反対に向こうから呼びかけられてというような活動をずっと続けてきました。

 今回も、10月23日、24日、台風23号による水害で飛騨高山のほうへボランティアに行っていて、ちょうど23日の夜にこの地震を知りまして、月曜日に帰って、ちょっと仕事をして、夜には新潟へ向かいました。このとき一緒に行った方が米100キロと、私どもで炊具を用意しまして、一応、炊飯ができるグループとして行きました。たまたま一緒に行った方が小国町の出身でしたので、28日はそこへ行って、27日、新聞を見ましたら、小千谷市のボランティアセンターが開設するということで、そちらに、炊事ができるグループというオーダーがありましたので、いち早く行きました。

 行ったところが、オープン前だったので立ち上げを手伝ったりしたのですが、1時間ほどで、炊具もお米も持っているので困っているところへ行こうということで、ちょっと離れた吉谷小学校へ参りました。そして、校長先生に「炊事ができるのです」がと言ったら、一発で断られました。なぜ断られたかというと、学校の入り口と廊下に冷たいパンや冷たい牛乳、冷たいおにぎりが山積みになっていました。多分、10万人近くの方がライフラインが止まった所で行政が食事を用意するとなると、そういう形になってしまうと思います。それが3食来ると、結局、お年寄りには食べられなくて、廊下に山積みになってしまう。校長先生は賞味期限を見ると、どんどん賞味期限が近づいてくる。そこへ炊飯グループが来れば断られても当たり前ということで、見事に断られました。

 それで、たまたま近くにいた自治会の方が、「吉谷保育園」という120人ぐらいが避難している寂しいところに来てくれ」ということで、27日の朝、入りました。非常の炊飯袋というものを我々はよく使うのですが、それでご飯を炊きました。もちろん横浜から持っていった、あまりおいしいご飯ではありませんが、何日かぶりでご飯が食べられたと言って、子供たちは喜んでくれました。

 実は災害が起きると、ちょっと正しい情報かどうか分かりませんが、自衛隊が炊飯をしてくれるのはサービスで、本来は自分たちで炊飯をしなければいけないような感じでした。そこではお母さんたちが交代で炊飯をしていたので、それを肩代わりして、大変喜ばれました。自分の仕事があったり、行ったり来たりしていたので、何回もということになるのですけれども、そういうことで私たちは地域とのコミュニケーションや、お巡りさんや行政の方たちともとてもいい感じで過ごせました。

 その後、小千谷市で有名な「浦柄地区」に行きました。マスコミでは、「もうボランティアは要らない」「タオルが余っている」などいろいろなお話がありますが、実際入ってみると、人も足りないし、悲惨な状況だというのを見てきました。やはり、被災地はタオルが足りないという一言で片付けてほしくない。それから、ボランティアは要らないと一言で片付けてほしくない。やはり、ここは要る、ここは要らないという多様性があるということを、私たちは認識していなければいけないなと思いました。

 「浦柄地区」で泥片付けみたいなことをして、私たちは泥だらけになってしまいましたが、夕方帰るときに、小学1年か2年の女の子がおばあちゃんに連れられて、ちょうど私の前のほうに来まして、その子に本当に丁寧にありがとうございましたと言われたときには、別にその子の家を整理したわけではないのですが、涙が出るほど、いろいろなものを感じました。

 私たちはボーイスカウトの仲間として、神奈川と長野と組んで、今後、「サンタプロジェクト」ということをやります。これは雲仙普賢岳の噴火災害のときもやりました。地元が財政的に非常に苦しんでいるわけです。今年はお父さん、お母さんが多分、子供たちにクリスマスプレゼントを買えない状態なので、今年は半分にして、2個買って、1個を我々に預けていただければ、サンタになって向こうへ届けますというプロジェクトを雲仙のときにやりました。それと同じプロジェクトを今、進行中です。「横浜ボランティア協会」や「神奈川災害ボランティアネットワーク」にも全面的な協力をしていただけるということです。ちょっと資金的につらいところはありますが、頑張ってやろうと思っています。

 それと、ご存じのとおり新潟中越地方は屈指の豪雪地帯ですし、これから極寒の季節を迎えるということで、仮設住宅も雪対策は、鉄板を厚くしたり、保温をしたり等はしていますが、何といっても雪が降れば本当に豪雪なので、ボーイスカウトの子供たちでラッセル隊プロジェクトみたいなものを作って送り込んで、特にお年寄りが多いですから、そういうところにお力になれたらということで、ほとんどできると思いますが、プロジェクトとして進行中です。

司会

 どうもありがとうございました。それでは、中野さん、お願いします。

中野(兵庫県立舞子高等学校) 

 「兵庫県立舞子高等学校環境防災科」の中野と申します。お願いします。10月23日に新潟中越地震が発生しましたが、そのときちょうど僕たち環境防災科の生徒は、約18人で豊岡の水害ボランティアを行っていました。その帰り道に新潟中越地震の発生を知ったのですが、そのときから僕たちの中で、新潟という場所は遠いからどうしても行くことはできないのですが、何らかの形でボランティア活動ができるのではないかということで、環境防災科の授業を通したり、みんなで集まったりして話し合いを行いました。その結果、募金活動や救援物資も当然ボランティア活動として行っていこうという話になりましたが、情報を伝えることもボランティアになるのではないかという話になりました。

 僕たちのほとんどは阪神淡路大震災の被災者です。そして、環境防災科という専門学科で防災を学んでいます。この経験と僕たちが学んでいる知識をメッセージと一緒に新潟の高校生へ送ってあげられたら、またそこの人たちが活用してくれるのではないかということで、「絆」という題で一つの冊子を作りました。同時に募金活動も行いました。計7回ほど行って、総額が104万円程度になりました。非常に大きな額になったということで、校長先生などとも話し合った結果、何とか生徒を新潟に連れて行って、手渡しで向こうの方たちに渡そうという話になりまして、11月14日から15日、教頭先生と生徒代表で、僕ともう一人の生徒会長が新潟を激励訪問しました。

 最初に訪れたのが県庁です。義援金を受け取っていただいて、その後、「新潟県立長岡大手高校」と小千谷高校を訪問しました。「新潟県立長岡大手高校」は周りの被害が少なかった地域でもありましたので、高校生の表情は意外に明るくて、普通に話し合うことができました。しかし、内面のところを聞いてみると、やはり地震が、まだ余震が続いていて、本当に怖いという話をしていました。その後、小千谷高校も訪れました。小千谷市のほうは見た感じでも被害がかなり大きかったです。そこの校長先生などとも話をしましたが、校長先生は本当に疲れがたまりすぎていて、手がずっとふるえている状態でした。また、生徒会長や副会長さんとも話をしました。疲れを隠そうとしているようなのですが、その疲れが本当に隠しきれなくて、それがどんどん僕たちに伝わってきて、本当につらい生活が続いているんだなということを実感しました。

 実は、情報を伝えるのがボランティアだと言いましたが、その冊子を渡して、そこで終わるのではなくて、これは生徒の任意になりますが、僕たちはそこにメールアドレスを書きました。それを長岡大手高校と小千谷高校の生徒に出すことによって、今度は向こうの方たちから僕たちにメールを送っていただいて、「向こうの方たちが思っていることや相談したいことがあれば、僕たちが手伝えることがあったら何でも言ってください」という形でメールアドレスを送りました。実際、環境防災科の生徒と「長岡大手高校」と「小千谷高校」の生徒は交流を続けています。もし、これから先、何らかできることがあれば、また行きたいと思っています。

司会

 どうもありがとうございました。それでは、服部さん、お願いします。

服部(日本赤十字社)

 日本赤十字社は、今回発災後直ちに各地から医療救護班を派遣し、小千谷市を中心に最大時12班が活動し、現在も規模は縮小しましたが継続中であり、一定の評価を得られたと思います。

 また、小千谷市役所の中に日本赤十字社新潟県支部現地災害対策本部を設置し、ここに職員を派遣し医療救護あるいは救援物資の配給等救護活動の調整を行ったわけですが、この場所を確保したのは実は発災後に直ちに現地に入り状況把握と実際の救護活動にあたった私の隣に座っていらっしゃる梅澤さんたち災害救護無線赤十字奉仕団の人たちだったのです。

 このように今回の赤十字のボランティアの人たちのすばやい動きは素晴らしいものがあり、またその後小千谷市ボランティアセンター及び川口町ボランティアセンターにおおいても継続的に赤十字のボランティアの人たちが交代で入りセンター運営に関わった実績があるのですが、全体的にはまだ不十分という反省もあり、今日はこの集いを通じて学び取って、今後の活動に生かしていきたいと思っています。

司会

 どうもありがとうございます。それでは、最後になりますが、渡辺さん、お願いします。

渡辺(NPO法人ユニバーサルデザイン・ステップ) 

 「NPO法人ユニバーサルデザイン・ステップ」の渡辺と申します。11月1日から5日までステップの代表である小澤が、新潟の川口町へまごころ隊として、ボランティア活動に行ってまいりました。被災された方々に直接お話を伺い、どんな物が今、必要なのか聞いてきました。その必要品を買い、11月9日、私も女性の立場、弱い者の立場として、テレビで報道されていますが、やはり自分の目で被災地を見てみたいという思いが強くありまして、家族を説得して、日帰りでしたが、代表がレンタカーを用意し、3名のボランティアで出発したのです。前日も震度5の余震があり、危険は覚悟しての出発になりました。当所4人の出発でしたが、危険という事で、女性1人行かれなくなりましたが、被災者の方々にと、物資をお預かりいたしました。

 被災地に着くと、すぐに険しい峠を越えて木沢地区に入りましたが、途中、道がなくなっている所があり、山が削れ、車が1台やっと通れる状態です。

 この地区は50世帯ぐらいで、高齢者の方ばかりが住んでいる所です。避難所には3人しかいない状態で、あとの方々は畑に仕事が残っているので、夕方でないと戻らないそうです。何か困っていることはありませんか、と手を握りながらお聞きしたところ、「食料は足りております。ただ、足腰や肩がはっています。」等、身体、そして常に心の中に様々な不安を感じていらっしゃいました。」

 私たちの用意した物資の中で、下着、足カバー、肩こり解消にバンテリン等、とても喜んで受け取って下さいました。物資がボランティアセンターに届いてはいるものの、被災地によっては届かない事が多く、やはり個々にお逢いして話を聞かないと、本当のニーズに応えることはできないと感じました。実際、話題性のあるニュースは報道され、そうでないものはとりあげられない。マスコミの報道に問題がある事も事実です。目が行き届かない所こそ本当は人の手が1番欲しい所なのかもしれません。

 倒壊した家々、陥没した道、水がない生活、仮説トイレにも水が使えず、入った途端、かなりの臭いのきつさに目が痛くなり、息苦しく急いで外に出てしまいました。

 私達は被災地に行っても、帰ってくれば、また普通の生活に戻れますが、被災者の方はそうはいかないのです。これからが本当に心のケアが大切になっていく事でしょう。

 一人一人の被災者の方に、耳を傾けていく所から全てが始まります。それには例え女性であっても一人のボランティアとして、活動に参加していく事がボランティアの使命だと思います。

司会

 どうもありがとうございます。一応、あらかじめ予定されていた方の発言が終わりました。一応、今までの論点をまとめます。

 これは午前中からの引き続きになると思いますが、やはりボランティアセンターの運営方法については、ボランティアのコーディネーションのノウハウ、やり方、これは災害が起こるごとに課題が見えますが、今回もいろいろ重大な課題として見えてきました。

 また、これは桑原さんや中野さんの発言などに絡みますが、ITを、インターネット、パソコン等、そういったものをどうやって活用していくのかという、その活用のしかたはむしろ私の専門なのですが、そういうIT活用の方法が重要といえるでしょう。

 それと、物資にかかわりまして、特に炊き出しといった食べ物のことについては、これもやり方によっては断られたりということもあるわけですが、やはりこれは3度3度食べなければいけないものですから、いかに現地の被災者の方たち、あるいは被災者を支援する団体とうまく連携しながら、あたたかい食べ物を供給するのかといったことがあります。そういった食べ物を含めて物資にかかわる問題です。

 もう一つは女性の視点からということです。大体ここにいらっしゃる方を見ても男性ばかりですが、女性の視点での、被災者たちのきめ細かいニーズの掘り起こしが必要だと思います。

 それと、高校生の中野さんの発言というか、実際、被災地のほうへ高校生として入られて、地元の高校の生徒さんたちとの交流をITを通じてやっているということですが、学生ということでいうと、先ほど出ていたようなボランティア教育ということも出てくると思いますが、その辺をどうするのか。中野さんが今いらっしゃる環境防災科、阪神・淡路大震災を契機にしてそういった専門学科ができたところですから、その中では当然災害ボランティアという形でそのノウハウがすべて役に立つ、学校とすればすぐ被災地に送りやすいということがあると思います。

 大学生については、私も大学の現場の教員で、文部科学省からボランティアに行く学生については修学上の配慮をしてくださいという要請が出ているものですから、うちの大学などもそれを受けて、ボランティアに行く学生についてはレポートや補講であるなどの措置を執るようなことで動いています。現場とすると、なかなかその辺のところはそこまで行っていないというところがありますが、ボランティア教育やあるいは実際に学生が、生徒が被災地にいるときの、学校サイドとしてのやり方というか、これにはけっこういろいろ課題があります。私のところは女子大なので、女子学生を被災地に送り込むというのも、これまたさらに苦労があるものです。こういった被災地への学生、生徒派遣については、分科会の参加者にも学生がいらっしゃいますが、そういった論点などでもかかわりがありますので、いろいろな立場から、これからご発言を頂きたいと思います。

 ご発言いただくときは、議事録に残すために録音をしておりますので、お名前とご所属を述べたうえで発言をしてください。それでは、自由にご発言いただければと思います。いかがでしょうか。

谷内(埼玉レスキュー・バイクネットワーク)

 我々はRB(レスキューサポートバイク、以下「RB」)は、ときどき災害地で赤い服を着てバイクに乗っている連中がいるかと思います。

 RBとはどういうものか簡単に説明しておきますと、全国団体というのではなく、全国にあるバイクで何かをやろうと思っている普通のバイク乗り、サラリーマンが主ですが、そういう人たちが地元のために何かやろうとそれぞれの地域で起き、それを全国に広げていこうという運動があったのですが、その活動もある程度進んだので組織という形ではなく各団体のネットワークという形です。

 今回に関しては、皆さんが先ほどいろいろ言われていたように、入れるところと入れないところ、つまり団体として名前で入っていたときに断られたりということはなかったののですが、やはり知り合いがいたり、何かきっかけがあるところに入られていくのではないかなと思います。我々も今回きっかけがあったところというのは川口町だったのですが、そこで我々のメンバーで少し人をつなぎながらやっていった経緯があります。

 我々の団体としてはどうでもいいのですが、川口町のバイク隊というものをご説明しますと、先ほどから言われている川口町がちょっと特殊な感じであったというところが、バイク隊にも実はものすごく影響をしています。例えば、小千谷市の様な大きな町のバイク隊ですと、大きな音を立ててバイクが走っていてもそんなに気にならないと思いますが、川口町は町も小さく、昼間ヘリコプターは飛んで、車が来て、ボランティアが来て、ガタガタしている。夜になると、人の寝息、人が歩いている、せき、そういったものでも心が休まらない。そこに昼間バイクでバンバン走ればどうなるか。ボランティアセンターのイメージを簡単に傷つけてしまいます。

 先ほど言われていたように、川口町というのは「ちょっと外の人たちは」というところや「他の町と」という関係がいろいろとありましたが、そういった中でボランティアセンターの信頼を絶対に崩してはいけないという気持ちが、バイク隊やそこに集まったバイク乗りの気持ちの中にだんだん起きてきました。普通のバイク乗りだと「いい音をしてるね」とバイクを受け入れていくのですが、自分たちから、「悪いけれど帰ってくれる?」と、そういうことが言えるバイク隊になったのです。私は「ここのやつらはすごいな」と思って見ていました。

 その中で、川口町では早めにバイク隊を閉めています。その背景としては、もちろん雪ということでしたが、災害がある度にいろいろな団体に後でいろいろな評価があると思います。初めは、ボランティアセンターというのはそれなりの活動を頑張ってやっていきますから、基本的にはいい評価しか出てきませんが、必要なくなっていくと(特にバイクも使わなくなっていけば要らなくなっていく)、早めに引かないと悪評ばかりになってしまいます。ある意味で、惜しまれながら帰っていったほうがすごく気持ちがいいのではないかと。そればかりでもないですが、バイク隊のほうは、我々RBの名前が非常に出てしまっていたところもありまして、やはりサラリーマンばかりですから人を送り続けるという会としての責任を取ることができません。それができない以上、RBとしても苦しいこともあり、地元の集まっているバイク隊の中で相談をして、いろいろ心配もあるので早めに閉めることになったのです。

 小千谷市はその後も続けられていました。バイク隊では小千谷市のほうから人をもらったり多少交流をしていました。

 私は個人として、宮城県南郷町、福井県美山市、今回は川口町ですが、それぞれ5日間ぐらいボランティアセンターにかかわってきました。

 先ほど言われていたボランティアセンターのノウハウや、ボランティアセンターの立ち上げのノウハウなど、いろいろあると思いますが、それを例えばマニュアル化してやっていくのがいいのか悪いのか?実際、我々は初めのこういう混乱期で、不安定な状態は慣れていないと思います。仕事をやるにしても何か決まったことが決まっていないと気持ちよくない。でも、それが当然の世界で、その混沌とした中からどうやって作り上げていくかというところがボランティアセンターで、だからこそ新しい広がりがあり、可能性があるのではないかと私は思っているので、混沌としていいのかなと思っています。

 ただ、「混沌としていてよい」だけでなく、ボランティア側であって、社会福祉協議会はやはりこの辺のノウハウというものではなく、ドキュメントなりフォーマットを残していくべきだと思います。先ほどの情報についてのお話もそうだと思います。やはりデータベースとして、過去のボランティアセンターでのドキュメントを残していってほしいと思います。

 さらに、これを行政がやってしまっていいのかどうかというのは、私は「行政ができないところをボランティアがやる。不公平な部分をできるというのがボランティアだ」と思っているので、そこにあまり行政がかかわりすぎるのは、個人的に言うと「かかわってほしくないなぁ」と思っています。

 これは個人的な意見ですが、結局ボランティアセンターというのは、どうこうやっていっても、いろいろな人がかかわってきて何とかなっていきます。ただし、それぞれが気づいたことをいかに形にしていくか、それを展開していけるかというのが実はノウハウで、また、伝えていけるかというのがノウハウじゃないかと思っています。やはり、「伝えていくことは掲示していこう」「こういうシステムにしちゃおう」というように、自然にやってしまうシステムを作っていくことが必要だと思います。

この様にノウハウはすごい微妙なものだと思っています。

 また、社会福祉協議会で人をつないでいくときも、例えば3日入って、それをつないでいくのはよくないと思います。せいぜい1日重ねてつなげていかないと無理だと思います。短期間での引継ぎもノウハウかもしれませんが、その伝え方、伝える内容をどうするのか考えていくとだんだん窮屈になっていきますが、伝えた内容が変わっていくと、初めのころと全然違う運営方針になることもあります。僕が声を大にして言いたいのは、地元の社会福祉協議会は、一人だと倒れてしまうので、二人ぐらいは方針をずっと考えていける人を持ってもらい、それを局長さんにやってもらったら倒れてしまいますので、局長さん以外でそういう方を持てればいいのではないかと思います。川口町のように、人がいらっしゃらないところであれば、外部からの応援で判断する人を置き続けるということをしなければ、ちぐはぐなことをやり続けてしまい、最後にはボランティアが帰った後に、地元から批判を受けてしまい、ボランティア公害にもなってしまうのではないかなと思っています。

 全体として不安定なものを、我々がここで話していて何になるのかなと疑問に思いながら話を聞いていたのですが、やはりそれぞれが持ち帰って自分の活動にしていくなり、次の新しい団体を作っていく、そういったことにつなげていけばいいのではないかと思いました。

司会

 ありがとうございました。ボランティアセンターなりボランティアのコーディネーション、あるいは活動するためのノウハウの共有や伝達などはやはり、阪神・淡路大震災以降やらなければいけないと言って、いろいろな取り組みが行われてきました。やはり災害が起こっても、なかなかそれがうまくいっていない部分があると。例えば、「震災がつなぐ全国ネットワーク」は冊子にして、物資編とか金編とかいろいろ出しています。それでもやはり文字化できる部分とそうでない部分があるわけですから、なかなか難しい。結局人づてとか、講習を開くとか、そんなことになると思います。

 また、ボランティア団体の引き際の問題があります。撤収を最初に考えて活動を始めるというのもノウハウの一つだということも聞きます。そのような幾つか論点が出ました。今のご発言に関連してでもかまいませんし、ほかの観点でもかまいません。どうぞご自由にご発言ください。

鈴木(神奈川災害ボランティアステーション)

 「神奈川災害ボランティアステーション」の鈴木です。皆さんのお話を伺っていると、コーディネーターなどをされている方たちが多いようにお伺いしますが、私たちは、先ほど申し上げましたように、ボーイスカウトなので、直接被災地に泊り込みます。これは、来たボランティアに、非常にレアケースというか、あまりよくない方法ではないかと言われました。実際どういう方法がオーソドックスな形かというと、朝9時ぐらいから受け付けをして、10時ぐらいに現場に入って、3時ぐらいには、日没近くなりますので、お帰りになるという形をほとんどの方が執られていました。

 実際、我々はいいか悪いか分からないのですが、例えば食事の肩代わりをするとなると、10時に来ると大体お昼の準備は終わっています。お昼を一緒に食べて、何か話をしていて、3時ごろまで時間をつぶしているともう帰る時間になって、3時ぐらいから夕食の支度が始まるというようにきちんとして活動が出来なくなってしまいます。例えば泥かきとかそういう仕事だったら、そういう時間帯もいいかもしれませんが、食事や、夜、余震が来て、お年寄りと一緒にいてくれというニーズがあった場合はどうすればよいか考えてしまいます。ボランティア活動も10時から3時というケースだけに限るのではなくて、もう少しケースを細かく、例えば自立できるグループだったら泊り込ませて、可能な限り奉仕させてあげられるような形もあるのではないかと思います。

司会

 ありがとうございます。活動の内容によっていろいろ、炊き出しや一般の片付けなど、避難にかかわるボランティアの方たちがいると思います。特にIT系は夜が仕事になったりして、昼夜逆転という場合もあると思います。

五辻(東京災害ボランティアネットワーク)

 「東京災害ボランティアネットワーク」の五辻です。皆さんが、先ほども発言されましたが、苦労されたキーワードは、水害と違って、「信頼、だれがどうやってコーディネートするのか」というところがけっこう難しい点で苦労されたと思います。いまだに地元の生協も聞き取りをしながらやっていますが、住宅の片付けのニーズというのはなかなか出てこないので苦労しています。

 私どもは第1次、第2次、明日から第3次が入りますが、第1次のときには炊き出しのメニューを持って入りました。私どもは必ず事前調査隊を送って、ボランティアが不足しているのか、どういうニーズがあるかということを事前に調査して、事前に準備して行きます。炊き出しでつながりができた、今回は「小千谷市山寺地区」の区長さん、地元のリーダーの人たちと話ができて、定点支援的にやりました。

 明日からは「元気祭」をやります。地元の人たちは本当にへとへと疲れています。余震に対して神経的にまいっているというところがあるので、1週間お休みしてということで、5〜6人、つなぎのお話し合いをするために、いろいろな出し物や芸人さんというか落語をやる人を連れていきます。これも地元の人たちから、こういうことをやって、みんなを元気づけるお祭りをやろうという話が出てきてやることになりました。

 やはりそういう定点支援的な格好で、地元の人たちは基本的にはコミュニティを持っていますし、いろいろな知恵も人のネットワークも当然持っているわけですから、そのあたりをうまく引き出す必要があると思います。ベテランのコーディネーターでも難しいと思いますから、特に若い人たちはそういった引き出すノウハウは難しいと思います。やはり、割と年を取った人たちが話しに行って、「あんたがたなら、これをやってもらおうか」というきっかけができて、そこから炊き出しを受け入れてもらって、やっと家の片付けまで入れたということがありました。

 そこへたどり着くまで、私どもも皆さんもなかなか苦労したと思うのですが、「誰がコーディネートするのか」の鍵を握るのはやはり地元の人で、役場の人や社会福祉協議会や町会などのリーダーの人たちだと思います。今後の問題で言えば、こういった「信頼関係づくり」を経験して、もっとボランティアを上手に使うことをもっと理解して分かってほしいと思います。せっかく善意がこれだけ集まっていても、本当に空回りしてしまうとか、余っています、要りませんと、本当に無駄遣いしてしまうということをよく見ました。行政の人の話を聞いてみると、こんなに仕事があって、本当にやっていられない、だから聞かないで断ってしまうというのは半分分かるのですが、でも、先ほどどなたかが話していたように、やはり行政ができない、一人一人の生活の中で困っている、話し相手を含めて、本当に疲れ切って困っているところへ善意というのはコーディネートということなのですが、やはりそこをうまくつなぐといいますか、そこのところは私どもも成長しなければいけないし、自治体、地元の人たちも、そういう心とノウハウを身につけてほしいと思います。

 三宅島のときもそうでしたが、まずボランティアは何をやるのかと。灰の除去だって、村の職工組合が「ボランティアがやるのは困る」と言えば、条件をつけて、なんとか入らせてもらうなど工夫をしなければなりません。帰るときは村じゅう総出で、「ありがとう」と言って手を振って送ってくれましたけれども、そういう関係になるまでには時間もかかります。地元の人たちが、県内のボランティアも含めて、うまく関わるための心とノウハウが分かって、これからまた災害があったときに、ボランティアを自由に、うまく使ってくれるようになったらいいなと思います。

司会

 ありがとうございました。地域のキーパーソンとの信頼関係、うまく接触を取って、連携しながら活動していくことの重要性について話をしていただきました。様々な現地での工夫がニーズの掘り出しになっていくと思います。

 先ほど三宅島の話が出ましたが、私も三宅島の支援をずっとやっています。私は三宅島の保育園の元園長さん、女性ですが、民生委員などをされている方と一緒に活動していますが、そうするとやりやすいということがあります。いかに地域の中のキーパーソンを見つけるか、そこからつながっていくということが重要かなと思います。

小澤(NPO法人ユニバーサルデザイン・ステップ)

 「NPO法人ユニバーサルデザイン・ステップ」の小澤と申します。例えば避難所とか、そういうことの考え方の中に、都市部の災害と、今回の中越地区のような、山間部で起こった災害とのボランティアセンターの在り方を考えなければいけないと思います。

 テレビ等でやっている「川口町田麦山地区・木沢地区」などは孤立化しやすいところです。情報も入ってこない、それから人の流入もなかなか出てこないという面があります。そういった中、避難所の中で泊まりがけでボランティアの受け付け窓口というか、相談窓口でもかまいませんが、この人に言えば何とか災害ボランティアセンターと連絡してくれる人を確保してほしいと地元の方に言われました。ボランティアも一緒にそこに宿泊していくことによって、そこの被災者の気持ちにもなりやすいし、被災者も話しやすいと思います。

 例えば、一緒に泊まったら自分の家の電気を何とか直してもらいたいというニーズを聞き出すことができたということがあります。それはやはり一種の協調性というか、非日常的な中で一緒に暮らした者に対しての結びつきもあって、それが基で信頼を勝ち取るということもあるのではないかなと思います。

 そして、電気工事ができる方がたくさんいる場所では、やはりボランティアセンターの運営自体も変えないといけないのではないでしょうか。支所ではないですが、ニーズを聞き出すための拠点を複数つくって、それらをまとめる機関としてボランティアセンターや社会福祉協議会が機能するなどすれば、一つの機関だけでは対応できないものも対応できると思います。

 今回の中でも川口町で強く感じたのは、他府県の職員の方々が、データや参考資料として使いたい為か、同様の質問を何度もしていることに憤りを感じました。救援の手が遅れ、復旧もまだ手がつけられてない状況下で、各避難所に県の腕章をして入っていく。一日中避難所にいて、また他の方からの質問に答えられる町民は必然的に決まっておりますから、同じ町民に何度も同じ質問をするといった具合で、何故被災していない他府県の都合で、それも行政側の一方的な都合で、そのようなことをしているか、疑問です。被災していない自治体同士、横のつながりもとれるはず、何故それをしないのかと思いました。

司会

 今、行政の話がありましたが、川口町の場合は小さい自治体ですから、なかなか大変で、例えば災害協定を結んでいた狛江市や練馬区など様々なところが入ってきました。やはり応援に来るところは核になるところがあって、それでつないでいくということです。もう一つは、泊まり込みで一緒に暮らすというか、寄り添うというか、そこから出てくる信頼関係があると思います。

橿渕(株式会社フルキャスト)

 「フルキャスト」の橿渕と申します。先ほどの五辻さんのお話と重なる部分があるのですが、午前中に申し上げたように、私どもは人材アウトソーシングをやっていまして、毎日、何千人という方を派遣しています。コーディネートという話が出ていますが、コーディネーターをやるためには正確な情報が必要です。その正確な情報を引き上げてくるのは、会社の場合は営業担当です。やはり聞き出すプロ、しかも人当たりのいいプロがいます。そのように仕事をシステマチックに分ける、コーディネートするプロというのは、説得できるプロとか、機械の操作が速いとか、そういうことで仕事を完全に分けてしまっているので、そういったノウハウをボランティアセンターに生かしていく。とにかく情報を拾ってくるのがまず大事です。コーディネートというのは機械的にできます。そのノウハウは生かせるかなというふうに思ってお話を伺っていました。

 もう1点、登録していらっしゃるスタッフ、20歳から24歳くらいまでの方20名を引き連れて、先生のところの生徒さんも含めて、新潟に行ってきました。正直いって心もとない若いアルバイト、フリーターの方々でしたが、現地で責任を持ってボランティア活動をしているうちに、2日目ぐらいから生き生きとしているというか、本当に輝いて見えるぐらい、しっかりした人物になって帰ってきました。

 会社としても、私ども、力を入れているのですが、最近、「フリーター」「ニート」というように若者があまりよく思われていないことがあって、悔しいものを感じています。実際に責任を持ったことをさせたり、体験させたりすれば、本当に頑張るのが今の若い人たちです。ボランティアというのは仕事ではないですが、やったらやっただけ必ず感謝されるということなので、ぜひこういうものに若い人たちが参加できる国としての仕組みがあってもいいと思います。これは民間レベルでも、我々でもぜひやっていこうと思っています。ニート対策ではありませんが、そういう意味でも、ぜひボランティア活動に積極的に参加しましょう、だれでもできることがあるということをもっと呼びかけていければなと思っています。

司会

 コーディネーション、お金があればボランティアセンターが橿渕さんのところへアウトソーシングとしてポンと投げてしまうとか、そういうことをすればよくできるかと思います。あと、ボランティア教育となると、私は大学でボランティア論というボランティア教育をやっていますので、私が教えた学生が実際に橿渕さんと一緒に現地に行くということも必要だと思います。やはり講義だけでは十分とはいえません。今回は文科省から、災害ボランティアに行く学生を奨励するような形で通知が来ていますので、動きやすいのですが、毎回そういうわけではありません。なかなか現場のレベル、あるいは国の制度のレベルで、学生、生徒、若い人がインターンシップ的に現地に行ってボランティアをするしくみ、またそれを支えるしくみがあっても良いと思います。

山野邊(埼玉県社会福祉協議会)

 「埼玉県社会福祉協議会」の山野邊と申します。社会福祉協議会が今回かかわったことと、地元に帰って生かすというところで随分思うことがあったので、そのことを申し述べたいと思います。他県の社会福祉協議会の人が入ったという話がありましたが、関東甲信越の社会福祉協議会の場合、阪神・淡路大震災の後、何か大きな震災があったら、関東甲信越内の社会福祉協議会であれば、そこの要請に基づいてほかの社会福祉協議会から人を派遣しましょうという協定を平成9年に結びました。これまで関東甲信越では、幸か不幸か、これを活用するほどの大きな災害がなかったのですが、今回の新潟豪雨と新潟県中越地震ではじめて要請があって行くことになりました。要請があれば、システマチックに1か月なら1か月とか職員を送って、ボランティアセンターの支援ができますが、地元がどう判断するか、その要請によりますので、なかなか動けないというところもあります。しかし、一つ一つの団体が長いことかかわるのが難しいときに、そういった人たちでかかわっていくことができるわけです。私ども埼玉の場合も日によって場所が変わりましたが、新潟県中越地震のときには長岡市と川口町と堀之内町に入らせていただきました。私も長岡市に、一定の時間ですが、入らせていただいて、いろいろお手伝いもしましたが、私どもにとってもいろいろ考えさせられるものがあったなと思いました。

 それとは一見別なのですが、私どもで、毎年、県の行政と共催で、自主防災組織の方を対象にして研修をやっています。その中で、要援護者という言い方で、いわゆる災害弱者について考えるプログラムを任されてやっています。午前中に消防団さんのお話があったときに、ああ、そうだなという感想を持ちました。自主防災組織の方々に要支援者のことをお伝えしたりするときに、今年の場合、新潟県に行ったこともあったので、こういう場合、皆さんだったらどうしますか、どう考えますかという形で話をしたのですが、これだけ新潟県で、災害ボランティアセンターでボランティアの方々が活躍しているという報道を見ていても、地元のAさんが隣の人が困っていることを知ったときに、まず自分が助けるとか、近所に声をかけるという発想はあっても、災害ボランティアセンターに相談するとか、社会福祉協議会に相談するという発想がほとんどなかったことが、私の中ではすごい驚きでした。自主防災組織の人の中でも、地域的にはいろいろあると思うのですが、地域の人の顔を知らないとか、地域にそういった災害時に人並み以上、ちょっと表現がよくないと思います。元気な人が自分で思うようにはいかない人たちの存在を知っているか知らないかというと、知らないという人が意外に多くて、すごく地元として危機感を持ちました。そういったことをつなげていくことの発信も、新潟県の直接の支援とはまた違うかもしれませんが、これをどう生かすか、地域に生かすか、将来に生かすかということで考えていく必要があるのではないかなと思いました。

 埼玉の場合はたまたま共催でやらせていただいていますが、他県では単独で行政がやっている場合もありますので、そういうところへ発信していくということもあるでしょうし、遠い所からですと、直接の支援もありますが、その地域の産業の支援という意味での支援のしかたもあるのではないかということを伝えていったりしています。スピーカーという意味では、ボランティアを現地でやっている方も帰ってきて、地域にいろいろ広めていけることがあるのではないか、伝えていける場があるのではないかということを、お話を聞いていて感じました。

司会

 どうもありがとうございます。住民にとって社会福祉協議会というのは、やはり日ごろからサービスを受けている方とか、地域のボランティア活動をしていて、社会福祉協議会がやっているボランティアセンターと関係者はその辺の活動が見えていると思いますが、そうでない人のほうが多いと言ってはいけないですが、いざ災害になって、社会福祉協議会から来ましたと言われても、「あなた、だれ?」という感じはあるわけです。そういう立場上の苦しさはあると思います。

 そのほかに何か、いろいろな観点でけっこうですから、ご発言ありますでしょうか。最初のほうで、桑原さんが、ITなのですが、けっこう皆さん、実際に災害が起こると、活用されて、いろいろ情報などを集めたり発信されていて、あまりにも日常化してしまったので、そんなに必要性は感じられないというところもあるとは思います。橿渕さんの午前中のご発言で、ITをけっこう活用して、いろいろコーディネーションをされているということでしたが、例えばITを使って人材の需給をやるとか、そういう工夫というのは、具体的にはどんなふうに活用されているのですか。

橿渕(株式会社フルキャスト)

 ITというか、主にはデータベースになりますが、今、スタッフは100万人ほどおりまして、そういった方々全員の住所から性格から仕事の能力から入った、そういうデータベースがあります。それは瞬時に見られる仕組みになっています。性格的にはこのくらいで、能力的には何回くらいこういう仕事をしたことがあるかということが一発で出てくるボタンがありまして、それを押すとリストがダーッと出てきて、評価が出てきます。この人ならこの件は任せられるということが一気に見られます。実は、そこからはアナログです。メールで連絡する場合もありますし、電話で連絡する場合もありますし、ここからはコーディネーターが一人一人対応していく。これを毎日、何千人やるわけです。具体的にいうと、夜7時ぐらいにお客様からオーダーが入ると、次の日の朝8時半、作業開始に間に合うように人選をします。こういうことを毎日毎日、365日やっています。そういう拠点が全国に今309か所、新潟県でも新潟市、長岡市にありまして、そういうことを常に行っております。

 この仕組みは、ボランティアが実際に自分たちがやってみて、コーディネートセンターに行ったときに絶対に役立ちます。もっと小さな仕組みを別途持って行って、被災されている方の情報を入れておいて、こちらには画面があるのですが、両方をマッチングさせるだけで、あっという間に後で電話をかけられる。本当にものの数時間あれば、多分、全スタッフの配置を終えられるという仕組みです。

司会

 なかなか面白い、すごい仕組みで、日ごろからボランティアセンターを立ち上げる核になる組織がそれを日常から活用していれば、けっこう使えるものだと思います。今度は全国区的なネットワークというか、ボランティアのネットワークを作っていく、それをネットワーク化すればいいわけですから簡単に応用が利くわけです。やはり、そういった企業が開発されたノウハウを使うということでしょうか。ただ、そうなると、ボランティアサイドとか行政サイドから見ると、やはり企業さんというのは営利が目的ですから、どうかかわっていいのか、その辺のところがあるので、そこはどうやっていくのかなというところがありますけれど。

橿渕(株式会社フルキャスト)

 社内技術なので社外秘の情報もたくさんありますが、活用できるものは活用しましょうと。やり方自体というのは、どの企業さんも日夜そこで売り上げを競っているわけですから、ものすごく切磋琢磨して開発しているので生かせるはずです。簡単なシステムなら本当にすぐ、エクセルでもアクセスベースでも、アクセスベースで多分すぐ作れると思います。あとは、実はコーディネートのアナログ的な部分です。使い慣れていないとやりにくい。突然行って、「はい、じゃあこれ使ってください」とソフトだけ渡しても、多分できない。そこにコーディネーターのプロを送らないといけないということはあります。

司会

 私も阪神・淡路大震災のときに情報ボランティアをやりました。そのときはまだウィンドウズは出ていませんで、「MS−DOS」でやっていましたが、それを使いこなせる人間はあまりいませんでした。結局、そのときに情報支援にかかわったボランティアの教訓とすれば、日ごろから使っていないものは災害時にも使えないわけです。

 もう一つ、長岡市のボランティアセンターに関わられている方は見たことがあると思いますが、今、長岡市ボランティアセンターの場合は地図システムというか、住宅地図では、「ゼンリン」の地図が入っていて、自由に縮小拡大して、それをカラーレーザープリンターで打ち出すものがあります。例えばボランティアがどこか現場に行きたいからその道を出してくれとか、そういうものでけっこう活用されています。それはたしか新潟市内とか長岡市の業者が開発されて、それでセンターで活用されているものです。これはたまたま私の研究仲間が、知り合いの業者ですが、無償で提供してくださっていて、それを見た新潟県社会福祉協議会など、あるいは「北海道社会福祉協議会」「宮城県社会福祉協議会」「福島県社会福祉協議会」など、うちでもぜひとも1台欲しいということがありますから、企業にとってもけっこうビジネスチャンスにもなります。操作もそんなに難しいものではないようです。

 企業で貢献できることはいろいろあると思います。その場では多分もうけにならないかもしれないけれど、回り回って、利益というか、そういうところにつながっていけば、あるいはボランティアで社員を派遣することによって、いろいろと能力を高めるとか、そういう社員教育というものがありますから、やはりその企業との連携、その辺のところはけっこうやられていると思いますが、連携のしかたも、ノウハウの共有ではありませんが、必要なのかなと思いました。桑原さん、何かITとかご発言があれば。

桑原(NPO法人ながおか生活情報交流ねっと)

 ボランティアで問題になるのは、ボランティアのやる仕事はだれでもできる仕事、専門職の仕事をどの程度まで入れていいかどうか、この辺の線引きが必要だと思います。というのは、今回もやはり問題になっていますが、専門職、それでご飯を食べている人がいるわけです。ボランティアがそれをやってしまったら、その人たちの仕事がなくなってしまうということがあります。もちろん食べ物に関してもそうです。物資が来たために、地元の商店街が何も買ってもらえないという現象が今、起きています。たしかアメリカとかそういったところではクーポン券でもって地元の業者から買うようにというふうな援助のしかたが確立しているという話を聞いたことがあります。

 ボランティアもやはり専門職が必要な部分があると思います。今回もきのこ工場で事故があって、入院したという事件がありました。ああいうところはやはり専門職でないといけないでしょう。また、今回、問題になっているのは、大工さんが徹底的に不足していて、いつまでも大工さんが来ないために、家の中に入れないということもあります。こういう部分は、営利目的ではなくて、ボランティアでもやってもらわないととにかく困る部分であると思います。お金を取ってもいいと思います。人材バンクに大工さんを集めてもらうということもあると思います。その辺の線引きです。ボランティアはここまでやりましょうという部分のある程度めどが出せれば、非常に活用しやすいのではないかなというふうに思います。

司会

 例えばボランティアの宿泊所などでも、長岡市などは地元のビジネスホテルがやっていますから、本当だったらそこにお金を落として、そこへ泊まるというか、何か仕組みを作って安く泊まれるような形とか。今度は長期的に復興ということを考えると、経済的な復興を図らなければいけませんから、そこに行って、おいしいものを食べて、泊まってお金を落とす、これも大きなボランティアです。その辺の線引きというか、あるいはどの時期でそういうふうに持っていくのかとか、そういうふうな難しさというのは、タイミングがあると思います。

五辻(東京災害ボランティアネットワーク)

 自治体の総合支援で川口町へ入って、いわば自治体ボランティアの体験をして、行政のほうとボランティアの両方を見ていて発言してもらおうかなと思ったのですが。

小嶋(神戸市役所)

 「神戸市役所」の小嶋です。最初に紹介させていただきましたが、私自身が土木職という特別職というか、技術職で入っているものですから、直接的に阪神・淡路大震災の段階で皆さんのようなボランティアとおつきあいする、あるいは今までの職場の経験の中でおつきあいさせていただくようなところへというのは今まで1回もないです。

 ただ、今日いろいろお話を聞かせていただいた中で、何点か私が思ったことを話させていただくと、行政として、災害の緊急時、応急時の対応という意味では、先ほど先生からもご指摘がありましたが、各都道府県なり市町村ごとに地域防災計画、地震編であったり水害編であったりという形で、何分冊かで、神戸市もこのくらいのかなり分厚い分量になりますが、そういうものをペーパーベースでまとめてあります。それは基本的には行動のマニュアルという形にはなると思います。その中に例えば物資の相互の受け入れ、物流センター的なもの、そこからの配送のルート、配送するための、例えば日通さんであったり、地元の業者さんであったり、いろいろな業者さんとの協定書が全部挟まっています。そういう意味では、マニュアルとしては指針みたいなものができているのはたしかだと思います。ただ、やはり紙ベースでマニュアルを幾ら作っていても、災害の大きさ、町の大きさ、町の性質みたいなものによってその場その場で、そのマニュアルにすべてを書こうとするととんでもない量になってしまいますから、もっと臨機応変に対応していくようなことが当然必要になってきますし、マニュアルだけですべてが網羅できるものでもないと思います。

 特に10年前に起きた地震では、どこの町でもそうですが、みんな初めての経験で、何が正しい方策なのかということはだれも分からないまま突っ走っている。行政でも、被災された方でも、地域で活動してくださっている方でも、みんなそうなのですけれども、何が本当に正しい道なのかということは、みんな初めての経験でやっているということなので。一応マニュアルにはあるけれど、マニュアルどおりにならないこともいっぱいあるし、マニュアルに書いてあることがすべて正しいということでもない。それをだれがどういう形で判断するのかというと、自分の信念、自分が経験した責任あるいは皮膚感覚なり経験則がいちばん生きてくるのではないかなと。そういうものは逆に紙では伝えられないし、言葉でも伝えられないところになってくるので、本当に人だと思います。その人をどういう形で行政としてはうまく育てていくのか、見つけていくのかというところが我々の大きな課題でもあるでしょうし、そういう人をうまく育て、うまく見つけ、いろいろな形で、災害時の緊急対応なり何なりというときに、先ほどコーディネーターという話が出ていましたが、行政としては本当にうまく指導できるような人間をどう育てていくか、その育て方についてもマニュアルがないところなので、非常に難しい、我々どもとしても大きな課題だと感じています。いろいろ勉強させていただいたと思っています。

池田(富山県民ボランティア総合支援センター)

 「富山県民ボランティア総合支援センター」の池田と申します。私も県庁からの派遣職員です。NPO法人の定款に災害救援ボランティア活動に関する支援活動というものがあり、去年度の事業で災害救援ボランティア本部なり災害ボランティアセンター立ち上げのためのマニュアルを作りました。今、マニュアルがあっても、当然、災害の対応は多様ですし、地域の実情もさまざまですし、なかなかマニュアルどおりにはいかないと。また、マニュアルには書いてない細かいところをきめ細かく手当てしていくのがボランティアの役割だという話もいろいろ聞かせていただきました。

 まがりなりにも十分なものとは思っていませんが、マニュアルを作った者の立場とすれば、やはり災害ボランティアセンターを作るに当たって、絶対に外してはいけない基本線は幾つかあると思います。そういったポイントというのは、いろいろな災害ボランティアセンターを立ち上げられた方の経験を基にうまく集約して、それが国の仕事なのか県の仕事なのかよく分かりませんが、どこかでうまく集約して、基本線はこういうことだ、こういうポイントは絶対に外してはいけない、それ以外の枝葉のきめ細かい部分は地域の実情に合わせてやってくださいというものが必要になってくるのではないかなと。紙に書いたとおりいかないというのは当たり前の話ですが、逆にいうと、これを外してしまうと大変になるよというポイントもあると思います。そういった太い幹の部分だけでもマニュアルというか、紙に落としたものがあったほうがいいのではないかと私は思います。

 自分の作ったマニュアルは十分ではないと、今回の災害でひしひしと感じていますので、来年度予算でまたマニュアルを直します。皆さんの意見を聞いてマニュアルを直す。一応訓練もやりますので、訓練をやってまた直していく。また訓練をやってまた直していく。いわゆるプラン・ドゥ・シーですか、そういったものを重ねて改良していくものだと思っています。ただ、そういう試行錯誤していく中で基本線は見えてくるのかなと思いますが、実体験を持たれた方の意見を集約することもまた一つの方法かなと思います。今、マニュアルを作っている立場とすると、これを外してはいけないというポイントさえきちんとつかめればあとはそんなに難しい仕事ではないのでしょうが、その辺にどうも自信が持てない中でそういうものを作っているという状態です。

司会

 ありがとうございました。行政は実際にいろいろかかわっている内容もありますので、なかなか歯切れが悪い、抽象的な話になりますが、例えば今回の震災の場合だと、仮設住宅の入居の基準です。これについて国の基準どおりやっているのは小千谷市だと思います。希望者はたくさんいるけれど、適用から外される人がけっこう出てくると、希望しているけれども入れないという人も出てきます。自治体によっては柔軟に、家は壊れていないけれど、例えば崖崩れとか雪崩の危険があるから入居を認めるとか、いろいろそういった拡大というか、基本線はありますが、柔軟に被災者に運用することは可能です。特にそういうことについては、例えば神戸市さんとか兵庫県さんとか、実際に災害対応をされた自治体が多いので、法律とか制度も運用のしかたでかなりいろいろ貢献されている部分があると思います。そういった面での支援はすごく重要かなと思います。

梅澤(NPO法人新潟県災害救援機構)

 「NPO法人新潟県災害救援機構」の梅澤と申します。最後に、今日は皆さん団体が来ていらっしゃるので、お願いをしておいたほうがいいという思いがあります。ぜひこれから活動される中では、地域づくりといいますか、これを主眼に置いてやっていただきたいと思います。というのは、皆さんの都会から見ると、確かに十日町市、小千谷市、川口町、これは信濃川と雄物川に挟まれて、新潟県の中でも非常にへんぴな所です。そういう中で、やはり避難所を見ていましても、いわゆる町場の避難所と山間部の避難所の雰囲気は違います。町場へ行くと何が起きているかというと、本当に都会の避難所と同じで、毛布をだれかが踏んづけていったとか、目線が気になるとか、話し相手がいないとか、非常にストレスがたまります。ところが、山間部、先ほど木沢の話も出ましたが、あちらのほうに行くと、非常に過疎です。若い人たちは都会へ出ています。この震災をきっかけに、都会へ出た人たちがどんどん帰って来てくれる。あるいは、ちょっと離れていても毎日来てくれる。あるいは避難所で、大きな車庫がありますが、その中で5世帯とか10世帯とか生活したり、小学校の中で避難していても、みんなが愚痴を言い合える雰囲気があるのです。阪神・淡路大震災のときにいろいろ言われたように、だれから助けてもらったかというと、隣近所の人に助けてもらったという思いが非常に強く挙がっています。だから、私たちもこれから活動する中では、いろいろなところで皆さんお話しされると思いますが、地域づくりをぜひ第1のポイントに置いておいていただきたいと。

 それから、単独でボランティアに行かれた方もたくさんいるのですが、マッチングがなかなかできず、それがひいてはボランティアは要らないということにつながっています。だから、行くときはぜひ団体なら団体で登録をして、あるいは、社会福祉協議会とか赤十字とかいろいろと名前が挙がっていますので、そういうところでまとまって行ってもらったほうが、現地で荷物の仕分けとか作業ができます。見ていてもそういう問題があります。

 また、ボランティアのコーディネートが難しいというのは、来られたボランティア、それぞれの思いを自己主張されていますね。その調整にはものすごくストレスを感じます。ですから、その辺のところは上手に、協調性を持った活動をぜひしていただきたい。

 それから、新潟県で生まれた言葉は「自宅前避難」です。どんなことかというと、避難解除になっても、仮設住宅に入れるグループ、自宅に帰るグループ、相変わらず避難所にいなければならないグループ、ほかに自宅前避難といって、自宅には行くけれど、自宅がぐらぐらして怖いとか、そういう人たちが相変わらず自宅の前にテントを張ったり、車の中で生活されています。こういう言葉が出てきたのが今回の震災ではないかと思います。

 本当に多くの方々の力を結集して、頑張っているわけですが、ぜひ最初に言いましたように、皆さんのボランティア活動を通して、安心して住める地域づくりを何らかの形でどこかで言葉にして表しながら、安心して住める地域づくりのために私どもの活動が広がっていけばと思っています。よろしくお願いいたします。

司会

 最後にまとめていただきましたので、私のほうは特に言うことはありません。また、司会がしゃべりすぎてしまいまして、本当はまだ発言したい方がいらっしゃったと思いますが、一応、これにて閉じさせていただいて、全体会で、私のから報告させていただくということにしたいと思います。皆さん、長時間ありがとうございました。


所在地 〒100-8914 東京都千代田区永田町1-6-1 電話番号 03-5253-2111(大代表)
内閣府政策統括官(防災担当)

Copyright 2017 Disaster Management, Cabinet Office.