災害を語りつぐ 1‐内閣府防災情報のページ

伊勢湾台風(1959)

1959年の伊勢湾台風は、愛知県名古屋市を中心に深刻な被害を引き起こしました。そうした中、高校生が献身的に救助活動を行い、多くの人を救いました。

最大級の台風被害
明治以来、最大の被害を出したとされる伊勢湾台風は、1959(昭和34)年9月26日の午後6時過ぎに紀伊半島に上陸すると、直径700キロに及ぶ地域を暴風雨に巻き込みながら本州を縦断、名古屋市南部を中心に5000人を越す死者・行方不明者を出しました。
この台風は、名古屋市内において最低気圧958.5ヘクトパスカル、瞬間最大風速45.7メートルの驚異的な数値を記録しています。低気圧は高潮を生じさせ、前日から降り続いた豪雨により河川が増水し堤防は決壊、名古屋市の南部地区を濁流の渦に巻き込みました。
とくに名古屋港周辺の貯木場から溢れ出た20万トンに及ぶ巨木の大群が、まるで狂ったかのように町を襲ったのです。この地区は一瞬にしてあちらこちらで人々の悲鳴や叫び声が聞こえほんとうに恐ろしい光景でした。
伊勢湾台風が与えた被害は甚大で、全壊家屋3万6135棟、半壊家屋11万3052棟、流失家屋4703棟、死者5098人、被災者数は全国で約153万人に及びました。
なお、この伊勢湾台風を教訓として、災害対策について定めた災害対策基本法が1961(昭和36)年1月に公布されました。

愛と力の筏
名古屋市南区大同町にあった大同工業高校(現在の大同高等学校)の校舎は、当時完成したばかりの4階建てで、周辺には珍しい高い建物でした。そのため台風当日の夕方から近隣住民が続々と避難場所を求めてやってきました。
濁流によって1階は完全に水没しましたが、校舎の3・4階を開放して、一時は2500名以上の避難者を収容しました。その後、校舎の2階を臨時の救援本部として、校長の指揮で生徒と職員による救助隊が結成されました。校舎周辺に流れ着いた材木で筏を作り「大同工高生徒隊」と書かれた旗を立てて、全校生徒は率先して人命救助や傷病者救護、また人員物資の輸送に励んだのです。さらに生徒たちは遺体の収容や汚物処理まで、一丸となって力を合わせて献身的な活動を続けました。
その雄々しく危難に立ち向かい復興に尽力した生徒たちの、まさに純粋な愛と力の姿に多くの人々が感激しました。この若者たちの勇気とボランティア精神を後世に残すために「愛と力の筏」の銅像が作られました。災害は時を経るに従って人々の記憶から忘れ去られますが、我々はこの銅像を仰ぎ見るたびに、純真な学徒たちが率先して若い力を結集した奉仕の姿を忘れることなく、長く伝えるとともに称えたいものです。

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