【区分】
第1期 有珠山の歴史(2000年噴火以前について)
1-02.1977年噴火災害とその後の対応
3.噴火後の取り組み
【教訓情報】
05.北海道大学有珠火山観測所が設置され、有珠山火山観測体制が整備された。
【文献】
◆北海道大学理学部では、1977年4月国の火山噴火予知計画に基づき、有珠火山観測所を発足させていた。有珠山の噴火の4ヶ月前のことである。建物や観測機材が整わないうちに噴火が発生した。(中略)始めのうちは、虻田町の保育所や、壮瞥町の施設‘母と子の家’、プレハブ小屋等を観測基地として、多くの学生や職員の応援のもとに観測が組織された。噴火1年後には待望の庁舎が完成し、コンピューターも導入された。[門村浩・岡田弘・新谷融『有珠山~その変動と災害~』北海道大学図書刊行会(1988/6),p.64-65]
◆北海道大学は、1977年度に壮瞥温泉地区に「有珠火山観測所」の建設を計画していたが、その着工前に噴火にあい、地殻変動もあって、建設を延期したのである。それが着工に至るのは、地殻変動も少なくなった78年3月で、完成するのは78年9月のことである。その後、この観測所による観測結果は、2000年噴火での予知に成功し、人災なしの避難に成功するのである。[小田清「北海道・有珠山噴火の歴史と周辺地域の概要」『開発論集 第71号』北海学園大学開発研究所(2003/3),p.16]
第1期 有珠山の歴史(2000年噴火以前について)
1-02.1977年噴火災害とその後の対応
3.噴火後の取り組み
【教訓情報】
05.北海道大学有珠火山観測所が設置され、有珠山火山観測体制が整備された。
【文献】
◆北海道大学理学部では、1977年4月国の火山噴火予知計画に基づき、有珠火山観測所を発足させていた。有珠山の噴火の4ヶ月前のことである。建物や観測機材が整わないうちに噴火が発生した。(中略)始めのうちは、虻田町の保育所や、壮瞥町の施設‘母と子の家’、プレハブ小屋等を観測基地として、多くの学生や職員の応援のもとに観測が組織された。噴火1年後には待望の庁舎が完成し、コンピューターも導入された。[門村浩・岡田弘・新谷融『有珠山~その変動と災害~』北海道大学図書刊行会(1988/6),p.64-65]
◆北海道大学は、1977年度に壮瞥温泉地区に「有珠火山観測所」の建設を計画していたが、その着工前に噴火にあい、地殻変動もあって、建設を延期したのである。それが着工に至るのは、地殻変動も少なくなった78年3月で、完成するのは78年9月のことである。その後、この観測所による観測結果は、2000年噴火での予知に成功し、人災なしの避難に成功するのである。[小田清「北海道・有珠山噴火の歴史と周辺地域の概要」『開発論集 第71号』北海学園大学開発研究所(2003/3),p.16]