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02.有珠山の砂防事業は、噴火直後の1期計画に始まり、災害状況の推移に対応して、2期計画へ引き継がれた。

 【区分】
第1期 有珠山の歴史(2000年噴火以前について)
1-02.1977年噴火災害とその後の対応
3.噴火後の取り組み
【教訓情報】
02.有珠山の砂防事業は、噴火直後の1期計画に始まり、災害状況の推移に対応して、2期計画へ引き継がれた。
【文献】
◆有珠山の砂防事業は、噴火直後のI期計画に始まり、災害状況の推移に対応して、翌年度からのII期計画へと引き継がれた。
(1) I期計画(昭和52年度)
噴火直後、8月16日から9月にかけて、有珠山南麓の泉地区を中心に4回の泥流が発生した。次第に被害域が下流に拡大し、泥流には、径2mにおよぶ岩塊が含まれ、上流域も荒廃が進み、今後大規模な土石流の発生する可能性が高いと判断された。
泉地区の4渓流の内、1の沢、3の沢は治山事業で、2の沢(入江川)、4の沢(トコタン川)については、砂防事業で取り組むこととし、下流の河川災害、農業災害事業による水路に導くこととした。
北麓では、泥流の発生は見られなかったが、渓流に厚く堆積した火山灰が、泥流となって流出する恐れがあると予想されたため、西山川、小有珠川、四十三川については、谷の出口に2~3基の砂防ダムを配置し、あふれた泥水は、流路工により、安全に湖まで流すこととした。
(2)II期計画(昭和53年度~56年度)
昭和53年度に入ると、北斜面で泥流が発生するようになり、既存の砂防ダムが満砂となった。その後10月16日、24日と大規模な泥流が発生し、西山川、小有珠川では、砂防ダムからあふれて、洞爺湖温泉町を襲った。また、壮瞥温泉地区では、壮瞥温泉川から泥流が発生し、扇状地上の町営住宅を襲った。また、昭和新山地区の大有珠川では、小規模な泥流が発生した。
これらの災害を契機として、I期計画を根本的に見直すこととし、昭和53年11月に、53年度発注の激特砂防事業の全体計画を策定し、採択された。本計画は、事業調整を行い、上流山地部は治山事業、下流は砂防事業とし、泥流、土石流に対して、砂防、治山一体となってとり組むこととなった。[『昭和新山、有珠山の噴火と災害対策』北海道(1995/10),p.35]

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