03.壮瞥温泉・西湖畔・昭和新山地区では、被害率が高く、被害の程度も大きかった。

 【区分】
第1期 有珠山の歴史(2000年噴火以前について)
1-02.1977年噴火災害とその後の対応
2.1977-78年噴火による被害
【教訓情報】
03.壮瞥温泉・西湖畔・昭和新山地区では、被害率が高く、被害の程度も大きかった。
【文献】
◆断層は、道路の北側に面していた鉄筋コンクリート2階建ての、洞爺協会病院へ伸びていたため、病院も正面玄関から破壊された。破壊された建物は撤去せざるを得なかったが、もう1棟裏側に平行して建っていた2階建ての方は、ゆがんだりしたが現在でも使用に耐えている。[門村浩・岡田弘・新谷融『有珠山~その変動と災害~』北海道大学図書刊行会(1988/6),p.81]
◆急峻な西側斜面を断層で切断された西丸山では、切り放された部分が源太川の沢に地滑り的に滑落する傾動がおこのって、変形を更に複雑にした。西丸山と第2明治新山(明治新山との間の地域で、明治の活動で数十m隆起した部分)の間に位置する、源太川扇状地の扇頂部にあたる地点には、三恵病院があった。じわじわと進む激しい地殻変動のため、亀裂が入り、しだいに拡大し、始めに3階建ての1階が潰れ、つぎに2階も潰れ、半年ほどでついに倒壊してしまった。[門村浩・岡田弘・新谷融『有珠山~その変動と災害~』北海道大学図書刊行会(1988/6),p.83]
◆壮瞥温泉川扇状地や源太川扇状地では、有珠新山の上昇に伴う外輪山の北東方向への押出しの影響を受け、断層上にあったマンションやホテル、ユースホステル、病院、養老院など多くの建物に、重大な破損が生じ、完全に倒壊したり、撤去された建物もあった。断層上にない建物や民家も、著しい垂直、傾動運動のため、被害を受けた。傾斜した建物は、添え木や基礎の嵩上げにより維持されたものもあったが、補修に追われ精神的な苦痛を訴える住民もいた。西湖畔では被害が少なく、昭和新山地区では西半部で、みやげもの店の床の亀裂やゆがみなどが見られた。[『昭和新山、有珠山の噴火と災害対策』北海道(1995/10),p.30]

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