【区分】
第1期 有珠山の歴史(2000年噴火以前について)
1-02.1977年噴火災害とその後の対応
1.1977-78年(昭和52-53年)噴火の経緯
【教訓情報】
05.1978年10月24日に、北麓で大規模な泥流が発生し、洞爺湖温泉街や壮瞥温泉地区で人的被害を含む災害が発生した。
【文献】
◆噴出物は火口原で厚さ約1m、山麓で数cm堆積し、総噴出量は約7.5×106m3に達した。細粒噴出物が山体を覆ったため、雨水の浸透性が悪くなり、10月24日の局所的集中豪雨では全山で泥流が発生し、死者2名・行方不明者1名を出し、家屋・山林・耕地も被害を受けた。[門村浩・岡田弘・新谷融『有珠山~その変動と災害~』北海道大学図書刊行会(1988/6),p.33~38]
◆10月24日には有珠山周辺全域で大規模な泥流が発生し洞爺湖温泉地区では西山川と小有珠川から約10万m3の大泥流が市街地を襲い、3名の人命をうばった。[『昭和新山、有珠山の噴火と災害対策』北海道(1995/10),p.26]
◆1978年になって、北~北東山麓でも発生し始め、10月24日には、14万m3もの土砂が流出し、死者2名行方不明1名を含む重大な被害が発生した。[『昭和新山、有珠山の噴火と災害対策』北海道(1995/10),p.32]
◆細粒火山灰が地表を覆い、雨水の浸透性がさらに悪くなり、10月16日と24日の降雨では有珠山麓の全域で大きな泥流が発生したのである。16日の泥流は林業関係に多大の被害を与えたが、24日の泥流では家屋の全半壊・浸水などの災害がおこり、死者2名、行方不明1名の犠牲者を出したのである。複数の犠牲者を出したのは、文政噴火(1822年)以来のことである。しかも、この泥流を誘発した降雨は、わずか20~30mm/日にすぎなかったのであるが、バケツをひっくり返したような局地的な豪雨でもあった。[小田清「北海道・有珠山噴火の歴史と周辺地域の概要」『開発論集 第71号』北海学園大学開発研究所(2003/3),p.10]
第1期 有珠山の歴史(2000年噴火以前について)
1-02.1977年噴火災害とその後の対応
1.1977-78年(昭和52-53年)噴火の経緯
【教訓情報】
05.1978年10月24日に、北麓で大規模な泥流が発生し、洞爺湖温泉街や壮瞥温泉地区で人的被害を含む災害が発生した。
【文献】
◆噴出物は火口原で厚さ約1m、山麓で数cm堆積し、総噴出量は約7.5×106m3に達した。細粒噴出物が山体を覆ったため、雨水の浸透性が悪くなり、10月24日の局所的集中豪雨では全山で泥流が発生し、死者2名・行方不明者1名を出し、家屋・山林・耕地も被害を受けた。[門村浩・岡田弘・新谷融『有珠山~その変動と災害~』北海道大学図書刊行会(1988/6),p.33~38]
◆10月24日には有珠山周辺全域で大規模な泥流が発生し洞爺湖温泉地区では西山川と小有珠川から約10万m3の大泥流が市街地を襲い、3名の人命をうばった。[『昭和新山、有珠山の噴火と災害対策』北海道(1995/10),p.26]
◆1978年になって、北~北東山麓でも発生し始め、10月24日には、14万m3もの土砂が流出し、死者2名行方不明1名を含む重大な被害が発生した。[『昭和新山、有珠山の噴火と災害対策』北海道(1995/10),p.32]
◆細粒火山灰が地表を覆い、雨水の浸透性がさらに悪くなり、10月16日と24日の降雨では有珠山麓の全域で大きな泥流が発生したのである。16日の泥流は林業関係に多大の被害を与えたが、24日の泥流では家屋の全半壊・浸水などの災害がおこり、死者2名、行方不明1名の犠牲者を出したのである。複数の犠牲者を出したのは、文政噴火(1822年)以来のことである。しかも、この泥流を誘発した降雨は、わずか20~30mm/日にすぎなかったのであるが、バケツをひっくり返したような局地的な豪雨でもあった。[小田清「北海道・有珠山噴火の歴史と周辺地域の概要」『開発論集 第71号』北海学園大学開発研究所(2003/3),p.10]
