06.1910年噴火では、火砕物降下により山林・耕地に被害が発生し、1名が泥流により死亡した。

 【区分】
第1期 有珠山の歴史(2000年噴火以前について)
1-01.有珠山について
2.有珠山の過去の噴火
【教訓情報】
06.1910年噴火では、火砕物降下により山林・耕地に被害が発生し、1名が泥流により死亡した。
【文献】
◆7月19日から地震が増え始め、24日には最大地震(マグニチュード6.5)が発生した。25日には洞爺湖温泉南方の金比羅山で水蒸気爆発が始まり、壮瞥町の源太穴付近まで西北西~東南東方向に並ぶ45個の火口が形成された。噴火は8月5日に終わり、降灰は遠く登別・蘭越付近に達した。火口からは泥流が溢流し洞爺湖まで流下した。泥流により1名が亡くなった。洞爺湖温泉付近~壮瞥温泉付近では多数の断層が形成され、洞爺湖岸道路では地盤が隆起した。明治新山(四十三山)もこの時に形成された。山麓では広く噴砂が発生した。なお、この噴火の後、有珠山北麓、西丸山付近で温泉が発見され、後の洞爺湖温泉の誕生となった。[『2000年有珠山噴火災害・復興記録』北海道(2003/3),p.3]
◆1910年7月19日、洞爺湖南岸地域に地震が頻発しはじめ、同月25日金昆羅山での最初の水蒸気爆発にひきつづき、有珠山北麓の西北西−東南東の割れ目に沿って大小多数の爆裂火口を生じた。さらに爆裂火口からはしばしば泥流が湖岸に流下した。
8月に入ると、西丸山東側の湖岸一帯が著しく隆起しはじめ、11月頃までには約170m上昇して明治新山(四十三山)が形成した。この後、噴火地点に近い湖岸で摂氏42℃の温水が湧き出ているのが発見された。
この噴火による災害は、幸い比較的小さかった。その理由は、当時、まだこの地域には温泉がなく、人口も少なかったためだけではなく、この地域を担当していた飯田誠一室蘭警察署長が前兆地震により危機を感じ、みずからの判断で噴火の2日前に避難勧告を出し、噴火の1日前には有珠山から約12㎞の範囲に避難命令を出して住民を安全に誘導したのである。飯田署長はかつて著名な地震学者大森房吉の講義を受けたこともあり、前年に起きた樽前山の噴火で住民の避難を指揮した経験もあった。[『昭和新山、有珠山の噴火と災害対策』北海道(1995/10),p.3]
◆1910(明治43)年7月、有珠山はまたまた活動を開始した。19日から有珠山噴火特有の前兆地震が多発し、21日には小鳴動があった。本格的な激しい地震が始まったのは22日からで、25日の夕方まで続いた。この激しい地震のため、住民は23日から24日にかけて向洞爺・豊浦方面に避難を開始した。25日夜、北麓の金比羅山で最初の噴火が起こった。黒煙が上昇し閃光がひらめき、折からの東風に乗って月浦や成香方面に煙と火山灰が流れ、噴煙の高さは700mに達した。しかし、これらはすべて水蒸気爆発で、新しいマグマに由来する物質は放出されず、火山岩塊は火口から300m以内に落下した。噴火のピークは27日で、午前3時30分から4時までの30分間に西から東の山腹にかけて次々と爆発し、37ヵ所の火口が出現した。また、その前日の26日には、2回目の爆発で開いた火口から流れ出た熱泥流が、時速40kmの速度で湖畔を埋め湖に流れ込み、そのために1名が死亡した。その後の爆発でも熱泥流が流出し、6つの火口からの泥流で湖畔一帯に扇状地を形成したのである。この扇状地は、後に洞爺湖温泉街となっていくのである。なお、この活動では、有珠地区や洞爺湖温泉地区の一部に、地面から泥砂が噴き出す「液状化現象」が見られたとされる。
その後の約2ヵ月間にわたる有珠山の活動は激烈であった。西北西から東南東の延長約2.7kmの山麓にかけて大小45個の爆裂火口ができた。大きな火口は、金比羅山6、西山4、中部付近20、東丸山6と記録されている。主な噴火は8月5日に終わったが、有珠山の北麓では地殻変動が続き、火口列の北側に正断層が発達し、その北側は11月10日までに約155m隆起して、湖面からの高さが210mに達していた。潜在円頂丘の生成であり、この山は後に「明治新山」と名付けられたが、地元の人たちは噴火の年にちなんで「四十三山」と呼んでいる。明治新山と東丸山の中間の地域も約75m隆起して小丘ができた。これらはいずれも潜在ドームで、生きている山である。1910(明治43)年の噴火活動は、マグマが洞爺湖側の北麓に上昇してきて豊富な地下水層に接触し、激しい水蒸気爆発を起こし、さらに地表を押し上げて潜在ドームをつくったと考えられている。この地下で止まったマグマが地下水を加熱し、噴火活動の直後に洞爺湖畔で初めて温泉が湧出するようになったのである。
(中略)
有史以来、5度目の1910(明治43)年噴火は、これまでの噴火とは異なる次のような特徴を持っているとされる。
(1)有史以来、はじめての山麓噴火であった。
(2)潜在ドーム、明治新山(四十三山)を生成した。
(3)噴火後、温泉が湧出した(洞爺湖温泉の源泉)。
(4)5つの火口から熱泥流が流出して耕作地を埋め、扇状地を形成した(洞爺湖温泉街のはじまり)。
(5)世界で初めて火山性地震をとらえた(日本の火山学のはじまり)。
(6)噴火2日前、室蘭警察署長が住民に強制力をもって避難勧告を発した(事前避難の成功)。
[小田清「北海道・有珠山噴火の歴史と周辺地域の概要」『開発論集 第71号』北海学園大学開発研究所(2003/3),p.6-8]

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