04.1822年噴火では、火砕流で南西麓の1集落が全焼し、50名が死亡、53名が負傷した。

 【区分】
第1期 有珠山の歴史(2000年噴火以前について)
1-01.有珠山について
2.有珠山の過去の噴火
【教訓情報】
04.1822年噴火では、火砕流で南西麓の1集落が全焼し、50名が死亡、53名が負傷した。
【文献】
◆旧暦1月16日から地震が頻発し始め、19日に噴火した。22日に噴火は激しくなり室蘭でも荒廃、最初の火砕流も発生した。2月1日には噴火はピークを迎え、大規模な火砕流が虻田町入江地区など山麓へ流下した。このため、死者50人、負傷者53名、馬1437頭が死亡する大惨事に至った。噴火は旧暦2月9日まで継続した。噴火後には泥流も頻発し、山頂にはオガリ山潜在溶岩円頂丘が形成された。[『2000年有珠山噴火災害・復興記録』北海道(2003/3),p.2]
◆この噴火は、1663(寛文3)年噴火に次ぐ激しいもので、その被害はこれまでに有珠山が引き起こしたものとしては最大のものとなった。旧暦1月16日(新暦3月9日)に地震が起こり、次第に頻度を増し、19日に噴火が始まった。噴火は次第に激しくなり、22日には最初の火砕流が山麓近くまで流下し、2月1日には前回よりも大きな2回目の火砕流が発生した。この火砕流は南東麓から西麓にかけての森林を焼き尽くし、海岸の入り江の集落を焼失させた。この時の被害は死者82名、負傷者多数、牧馬1,437頭が焼死・不明というもので、これらの火砕流は「文政熱雲」と呼ばれ、火災サージの熱風は海上まで押し出されていたようである。
噴火は旧暦2月9日まで続いたとされており、この噴火の終わり頃にはオガリ山潜在ドームが形成されたと考えられている。(中略)なお、この噴火の少し前には、蝦夷三官寺の一つである有珠善光寺が創建(1804年・文化元年)され、幕府直営牧場の開設(1805年・文化2年、有珠・虻田周辺)もあって、噴火の記録も数多く残されている。[小田清「北海道・有珠山噴火の歴史と周辺地域の概要」『開発論集 第71号』北海学園大学開発研究所(2003/3),p.5]
◆文政5年(1822年)の活動を記録した古文書は多数残っている。これらのうち、有珠善光寺(1613年設立)の役僧の日記がもっとも詳しい。これによると、旧暦1月16日に地震がおこり、しだいに頻度を増し、19日に噴火が始まった。噴火はしだいに激しくなり、22日には最初の火砕流が山麓近くまで流下した。旧暦2月1日に噴火は最高潮に達し、前回より大きな火砕流が発生し、南東麓から西麓にかけて森林が一面焼きつくされた。海岸のアフタ(現在の入江)の集落はこの火砕流によって焼失し、50人死亡、53人負傷、馬1437頭死亡という大きな災害がおきた。この火砕流を文政火砕流と呼んでいる。噴火は旧暦2月9日までつづいた。1822年の噴出物は多数のフォールユニットからなるUs-Iva降下軽石・火山灰として東方に分布するほか、発泡の悪い軽石・岩片・火山灰からなる文政火砕流が山体周辺に堆積している。古文書の記録のように、火砕流は南麓に広く分布するが、北麓や東麓でも谷沿いに堆積している。当時、集落は南麓の海岸地帯のみに発達していて、この地帯でおきた災害だけが記録として残されたのであろう。もっとも悲惨な災害が発生したアブタ(現在の入江)には、現在、文政火砕流は堆積していない。しかし記録では、熱い‘煙風に吹飛され’、火傷を負ったとある。おそらく、多量の火砕物を含む火砕流の先端からさらに遠くへ、高温の火山ガス(少量の火砕物を含む)が疾風のように吹き出したのであろう。1822年の活動の最後に、おそらくオガリ山潜在円頂丘が形成した。ただし、オガリ山(成長する山の意)が火口原の中に小丘として認められるようになったのは、明治年間(1890年頃)のことらしい。[門村浩・岡田弘・新谷融『有珠山~その変動と災害~』北海道大学図書刊行会(1988/6),p.229~230]
◆この活動のころには、内浦湾(噴火湾)沿岸は、松前藩によって開拓され、ことに有珠湾を中心に海上交通も便利であるため、和人も多く移り住み官設牧場がつくられ、会所と呼ぶ箱館奉行の役人の詰所(つめしょ)も設置されるほどになっていた。この年、大噴火がおき、おびただしい熱石、土砂、泥水を火口より噴出して大泥流(文政火砕流)となり、南屏風山(みなみびょうぶやま)を越えて、虻田方面へ押し出し、あたり一帯を埋め尽くし、噴火湾へ注ぎ込んだ。
噴煙は、この日の北東の強風にあおられて地上を渦巻き、長流(おさる)から虻田方面まで熱煙となって急襲、一瞬にして草木、家屋を押し倒し、焼き払ってしまった。この一瞬の災害で死傷者103名、官設牧場の放牧馬2,668頭のうち1,437頭が死亡または行方不明という大きな犠牲を出した。[『平成12年(2000年)有珠山噴火災害報告』北海道開発局室蘭開発建設部(2000/12),p.35]

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