【区分】
第1期 有珠山の歴史(2000年噴火以前について)
1-01.有珠山について
2.有珠山の過去の噴火
【教訓情報】
03.1769年噴火では、火砕流で南東麓の家屋が焼失した。
【文献】
◆旧暦12月16日、再び噴火が発生した。この噴火は1663年にくらべると小規模だったが、プリニー式噴火により大量の軽石・火山灰が主に北麓~東麓に降下した。また、火砕流も発生し、南東麓(長流川付近)で集落が焼失した。噴火に先立って地震が発生し、洞爺湖の水位が下がったとの記録も残されている。しかし、1663年の噴火以降、有珠山周辺は荒廃し人口も希薄だったため、残された記録が少なく、噴火の詳細は明らかではない。[『2000年有珠山噴火災害・復興記録』北海道(2003/3),p.2]
◆100年あまりの休止期後、明和5年(1769年)旧暦12月16日に噴火がおこった。この活動に関する古文書は少ないが、噴火前に鳴動・地震があり、噴火の後半には“一面火降り其節タハ風にてヲサルベツ辺長屋不残焼失いたし候由”(蝦夷山焼記)とある。この火災は、US-Va降下軽石・火山灰の噴出の後期にともなった火砕流(明和火砕流)によって発生したものと考えられる。この火砕流堆積物は火災が記録された南東側のみならず、南西および北麓の谷沿いにも分布しており、多量の発泡の悪い軽石・岩片を含んでいる。[『昭和新山、有珠山の噴火と災害対策』北海道(1995/10),p.2]
◆寛文の噴火から約百年余の休止の後の1769(明和5)年、噴火に先立って地震が起こり、洞爺湖の水面が低下し、旧暦の12月16日に噴火が起こったとされる。この時の軽石・火山灰からなる降下火砕物は山麓で層厚30~50cmに達している。この噴火の後半(1月25日)には「一面に火が降り」、南東麓の民家が残らず焼失したとされる。この火災は、降下軽石・火山灰の活動に引き続いて起こった火砕流(明和熱雲)によって発生したもので、この火砕流堆積物は東南側のみならず、南西及び北麓の谷沿いにも分布しており、多量の発泡の悪い軽石を含んでいる。小有珠溶岩ドームの形成は、先述のように、この噴火の最後に行われたのかもしれない。[小田清「北海道・有珠山噴火の歴史と周辺地域の概要」『開発論集 第71号』北海学園大学開発研究所(2003/3),p.5]
第1期 有珠山の歴史(2000年噴火以前について)
1-01.有珠山について
2.有珠山の過去の噴火
【教訓情報】
03.1769年噴火では、火砕流で南東麓の家屋が焼失した。
【文献】
◆旧暦12月16日、再び噴火が発生した。この噴火は1663年にくらべると小規模だったが、プリニー式噴火により大量の軽石・火山灰が主に北麓~東麓に降下した。また、火砕流も発生し、南東麓(長流川付近)で集落が焼失した。噴火に先立って地震が発生し、洞爺湖の水位が下がったとの記録も残されている。しかし、1663年の噴火以降、有珠山周辺は荒廃し人口も希薄だったため、残された記録が少なく、噴火の詳細は明らかではない。[『2000年有珠山噴火災害・復興記録』北海道(2003/3),p.2]
◆100年あまりの休止期後、明和5年(1769年)旧暦12月16日に噴火がおこった。この活動に関する古文書は少ないが、噴火前に鳴動・地震があり、噴火の後半には“一面火降り其節タハ風にてヲサルベツ辺長屋不残焼失いたし候由”(蝦夷山焼記)とある。この火災は、US-Va降下軽石・火山灰の噴出の後期にともなった火砕流(明和火砕流)によって発生したものと考えられる。この火砕流堆積物は火災が記録された南東側のみならず、南西および北麓の谷沿いにも分布しており、多量の発泡の悪い軽石・岩片を含んでいる。[『昭和新山、有珠山の噴火と災害対策』北海道(1995/10),p.2]
◆寛文の噴火から約百年余の休止の後の1769(明和5)年、噴火に先立って地震が起こり、洞爺湖の水面が低下し、旧暦の12月16日に噴火が起こったとされる。この時の軽石・火山灰からなる降下火砕物は山麓で層厚30~50cmに達している。この噴火の後半(1月25日)には「一面に火が降り」、南東麓の民家が残らず焼失したとされる。この火災は、降下軽石・火山灰の活動に引き続いて起こった火砕流(明和熱雲)によって発生したもので、この火砕流堆積物は東南側のみならず、南西及び北麓の谷沿いにも分布しており、多量の発泡の悪い軽石を含んでいる。小有珠溶岩ドームの形成は、先述のように、この噴火の最後に行われたのかもしれない。[小田清「北海道・有珠山噴火の歴史と周辺地域の概要」『開発論集 第71号』北海学園大学開発研究所(2003/3),p.5]
