【区分】
第4期 被災地応急対応期(9/4全島避難~平成14年3/12一時帰宅)
4-3.長期避難と避難生活
4.避難生活の問題点
【教訓情報】
13.雲仙や有珠山等の噴火被災地と連携し、復興までの情報等を共有する動きが始まった。
【文献】
◆噴火被災者は三宅島の島びとだけではない。活火山いっぱいの日本では、昔から噴火の惨事は実に多く歴史に残り、語り継れてきた。でも、古いことや遠い地のことは、忘れられて他人事だ。日本には活動火山だけでも百八山あり、三宅島はAランク十三のうちに入っている。
雲仙では二百年ぶりの大噴火に地元の人は初めてだと驚いている。「島原大変、肥後迷惑」の逸話さえあるのにだ。有珠でも先の大戦中に昭和新山ができる大噴火があり、日ごと高く育つ墳丘を地元郵便局員が糸目盛で正確に測定記録していた話は有名だ。わずか六十年足らず昔のことである。(中略)
雲仙は五年経て噴火を止め、その被災地に最初に戻って家を建てた人は八年目と聞いておる。有珠の方は三宅島より三カ月早く噴火して、その活動は今なお続いているのに危険地帯を区切って温泉街を再開している。耐える根気と復興の努力のほどに敬服する。(中略)
三宅島復興につながる知恵や役立つ情報などは、ぜひ島びと全体で共有してほしいと願っている。受け止める側の島びとも積極的に広い世間に目を向けてと願っている。
それが噴火被災地間の市民連携になり、思わぬ成果を生むこともあるのだ。孤立した島暮らしから気持ちが広い世界に窓を開くきっかけにもなる。その方法や役立て方は、島びとそれぞれが工夫すればよい。
修学旅行で中・高校生が地震や戦災などにテーマを絞って歴史や異文化から体験を通して学ぶ時代である。
噴火被災地との連携が実を結んだ例を十五年五月十四日の国会陳情に見る。
「被災者生活再建支援法」改正を求めて十六万人近い署名を添え、衆議院議長に請願書を提出した。超党派の国会議員十数人が立ち会い、同じく四十人近い議員賛同を得ての第一歩だ。これだけ大きな動きができたのも「火山市民ネット」の連携があったからだ。三宅島島民連絡会を支えてくれたのはNPO法人島原普賢会であり、同じく洞爺にぎわいネットワークの方々である。もちろん、全国の皆様の強力な後押しがあったことは言うまでもない。[『三宅島 噴火避難のいばら道 あれから4年の記録』村榮(2005/2),P.248-251]
