【区分】
第4期 被災地応急対応期(9/4全島避難~平成14年3/12一時帰宅)
4-3.長期避難と避難生活
4.避難生活の問題点
【教訓情報】
09.三宅島島民の避難生活の中で、散りじりとなった島びとの1/3を集める「ふれあい集会」は、最大の楽しみな行事となっていった。
【文献】
◆公式には、「三宅島島民ふれあい集会」というが、誰もが「ふれあい集会」で通しており、その方が馴染んでいるので、以下これを用いる。
これは避難した島びと最大の楽しみ行事で、文字通り懐かしい顔と親しくふれあえる喜びがある。日ごろ離れてままならぬ思いが弾けて抱き合い涙する光景が随所に見られる。
島に絡む行事はあちこちで催されるが、これほど大がかりなものは他にない。散りじりの島びとの1/3を集め、旧交を温める功績は大きい。
会は春秋二回行われる。避難四年で都合八回実施された。
主催は、同実行委員会と三宅村で、後援に東京都や港区が加わる。実際は支援センターと多数のボランティア、それに協賛企業・団体の支援なくしては成り立たないものだ。
会場は当初から一貫して港区の芝浦小学校が充てられてきた。都心の交通便や各避難地からの距離を考えてで、島びと上京の折に馴染んでいる竹芝桟橋や羽田空港途中で、場所に迷うこともないからである。
それにしてもよくこれほどまでに肩入れして下さるものかと会場提供校に深く感謝している。聞けば、昭和六十二年の伊豆大島三原山噴火の折も全島避難の大島町の方々を一カ月間体育館でお世話したというから、災害ボランティア校で根づいた風土があるのだろう。
話をふれあい集会に戻そう。これまで催された八回の実施日は、次の通りだ。
第一回 十二年十二月三日 参加千五百人
第二回 十三年四月十五日 参加二千人
第三回 十三年九月三十日 参加千五百人
第四回 十四年四月二十一日 参加千六百人
第五回 十四年十一月四日 参加千三百五十人
第六回 十五年五月十八日 参加千三百人
第七回 十五年十一月二十四日 参加千三百人
第八回 十六年五月八日 参加千三百人
いずれも日曜日で、十時から夕方四時までを目安に行われた。午前中は校庭の催しが中心で、あいさつ、木遣り太鼓、シシ舞い、島唄などが郷愁をそそり、ボランティアによるテント群の飲食接待で島びと仲間が交流を楽しむ。午後は体育館で講演やシンポジウム、島の様子の映像紹介や役場との対話が行われた。[『三宅島 噴火避難のいばら道 あれから4年の記録』村榮(2005/2),p.172-174]
