【区分】
第4期 被災地応急対応期(9/4全島避難~平成14年3/12一時帰宅)
4-3.長期避難と避難生活
4.避難生活の問題点
【教訓情報】
05.児童が学校生活の中で癒しとなったのは、親や家族との電話だった。
【文献】
◆九月当初、緑の公衆電話が男子棟女子棟に一台ずつ設置されていた。小中高とあわせて二〇〇名の児童生徒に一台だけであった。それまでは子どもたちが両親と連絡があっても、寂しくても、なにも連絡を取る手段はなかった。急な避難でもあり、携帯電話を持っている子はもちろん誰もいなかった。
テレホンカードがまもなく支援者の方から届けられるようになった。電話が入ってから数ヶ月は電話の前が行列だった。特に、小学校の夜の学習時間が終わり、就寝準備をする八時四五分からがピークである。寝間着を着た子どもたちが一〇数人は並ぶ。電話している子どもは「お母さん、迎えに来て!。」とか「お母さんに会いたい。」と話している。私にもその必死の思いが伝わってくる。ほとんどの子は電話で話している時には決まって涙を流したり、目を赤くしている。お母さんの声を聞くだけで今まで我慢していた緊張が解けるのだろう。
それを待っている子も、その声を聞いて早く電話がしたくてたまらないという様子で待っている。でも、「早くしろ」などと言う子はいない。電話している子どもの気持ちが自分の気持ちでもあることがわかるのだ。電話の番が回ってくると急いでカードを入れて、「お母さん。」とまず呼びかける。そして「お母さんに会いたい。」「帰りたい。」というふうになる。そこで、お母さんからいろいろと慰めの言葉がかけられる。しばらくする寮の中や学校の中であったことをおかあさんにいろいろと報告する。最後にはうんうんとうなずいて電話を切るという様子である。
一週間後には各棟に二台の電話が増えて、計三台ずつになった。この頃も電話をする子どもたちはどんどん増えているという状況だった。いままで我慢していた子も電話が三台に増えて、テレホンカードも支援の方からたくさん寄せられていたので、使い切った子どもにはどんどん追加して配布していた。この頃も小学生のピークは同じ、午後八時四五分から九時二〇分程までである。その時間になると各電話機に数人が並び、あちこちから泣き声が聞こえて来るという状況であった。この傾向は、特に女子の方に多かった。泣き声をあげるのは女の子が多かった。[『三宅島 こどもたちとの365日』小笠原康夫(2002/2),p.86-88]