【区分】
第4期 被災地応急対応期(9/4全島避難~平成14年3/12一時帰宅)
4-3.長期避難と避難生活
4.避難生活の問題点
【教訓情報】
01.三宅村は、児童避難の方法として、三つの選択肢を提示し、意向調査を行った。
【文献】
◆まだ、在島していたクラスの児童が母親と東京へ避難することになった。港で見送るお父さん、「六月の下旬から、もう六回も避難生活(降灰や泥流のため体育館や公民館に)したよ。」
島に残るお父さんの身を案じて、お母さんも涙が止まらない。午前中の校長会—学務長、都教委以下七名—を受けて、児童避難の方法が次のように決まった。
①都立秋川高校で寮生活と学校生活をする。保護者の同伴は不可。
②保護者ととも都営住宅に入居し、近くの小学校へ通う。
③親類宅から近くの小学校へ通う。
各家庭に電話をし、この3つの選択肢の中から選んでもらうこととなった。[『三宅島 こどもたちとの365日』小笠原康夫(2002/2),P.57]
◆噴火騒動の中、夏休み中に行われた児童・生徒・保護者への意向調査から、二学期以降の秋川集団学校生活を希望した人数は、約八割近い三百四十三人だったと、後日知る。
これらの数字は、混乱のなか各紙ばらばらで、方向性を示す意味だけだ。緊急避難を決定した当の村教委幹部も校長代表らと秋川高校視察中であったことを付け加えておく。
秋川の集団学校は、先に親元を離れていた子供たちを集めて九月四日に二学期始業式を行った。島の七つの小中高校が合同しての変則スタートだ。
小中学校は、それぞれの学年をまとめて一クラスに編成し、高校は従来通りの形で授業を始めた。その時の児童・生徒合計数は、三百五十六人、教職員数は、百十六人と発表されている。[『三宅島 噴火避難のいばら道 あれから4年の記録』村榮(2005/2),p.98-99]
