【区分】
第1期 三宅島の概要
1-2. 1983年噴火災害とその後の対応
1. 1983年(昭和58年)噴火の経緯
【教訓情報】
03.「昭和58年10月3日13時58分の地震が噴火に結びつくとは思わなかった。」と、当時の記述がある。
【文献】
◆その時、人びとは
●マグマのうごめき●
静かだった。
10月の午後の空は青く澄み、高い松の木の梢が僅かに揺れていた。
三宅島の北端に位置する三宅島測候所。事務室の窓の外を鳥の影がよぎった。
コジュケイらしい。突如、「ビーッ、ビーッ……」
地震計に直結したアラームが、けたたましく鳴り出した。バラバラと所員が駆け寄る。10月3日13時58分。急を聞いて浜口所長が、駆けつけた。地震計の記録紙は、小さいが火山性地震らしい震動を頻繁に記録してゆく。
火山性地震—それが多発することは地下のマグマが活動していることを示す。いつ噴火するか、噴火するかしないかも現在の科学では分からない。しかし、異常であることは事実である。
所長の顔に緊張の色が走った。直もに連絡をとろうと思った所長は「しかし・・・・・・」と思い直した。
この地震計の感震部(ピック)は測候所から1,350メートル離れた地点に設置され、ケーブルで結ばれている。キャッチした震動を千倍に増巾して伝える敏感なものである。このため、付近での工事や農作業の震動まで感知してしまう。(慌てて火山情報を出し、人々を混乱に陥れてはならない。まず確認しよう。)
所長は、所員全員に召集をかけると共に、2名の所員を感震部設置地点周辺の工事等の有無確認に急行させた。
電話が鳴る。阿古地区住民から地震頻発の通報である。じりじりしながら所長は待った。
14時40分、急派した2名の所員が、息せき切って駆け込んできた。
「所長、周辺に工事等ありません」
詳しい状況報告を受けた後、所長は電話のダイヤルを回した。
島の東部、三池港に近い三宅村役場。村長室の電話が鳴った。14時46分。「火山性地震多発、要注意」
測候所長からの緊急電話である。村長(病気療養中)代理長谷川助役は、直ちに東京都三宅支庁長に連絡した。三宅支庁長は更に三宅島警察署長と都庁第1庁舎4階の東京都総務局災害対策部長に通報、災害対策部長は情報連絡態勢を指示。関係防災機関も同様の態勢に入った。
15時、測候所は震度2の地震を観測した。噴火はまだ起こっていない。不気味な時間が過ぎてゆく。
20分近くが経過した。島南東部、阿古集落の中にある阿古駐在所の西田巡査夫人は、居間でテレビを見ていた。夫はパトロール中である。突然、地底から突きあげるような地震。今日は午後から何回か小さな地震があった。夫の転勤で1ヵ月前にこの島に来たばかりの西田夫人は不審には思ったが、これが結果的に噴火に結びつくものとは思いもよらなかった。
[『記録 昭和58年三宅島噴火災害』東京都(1985/9),p.39-40]