【区分】
第1期 三宅島の概要
1-2. 1983年噴火災害とその後の対応
1. 1983年(昭和58年)噴火の経緯
【教訓情報】
01.昭和58年は噴火の前兆は無感地震の連続発生で始まった。
【文献】
◆噴火の前兆となった地震活動は、無感地震の連続発生で始まり、この無感地震は、13時58分から雄山山頂の北3.2㎞の山腹に設置してある、三宅島測候所の倍率1000倍の地震計で記録し始めた。地震は急激に増え、振幅も大きくなり、やがて阿古でゆれが感じられるようになった。14時47分、神着の三宅島測候所で、最初の有感地震(震度1)を観測した。有感地震は噴火までに合計5回観測され、特に15時22分には1分間に震度2の地震が2回あった。
15時23分、地震計に火山性微動が現われ、以後、微動の振幅は急激に大きくなった。この火山性微動ではマグマが噴出する時によく現われるので、微動の始まりと噴火の時刻が一致するとすれば、噴火開始は15時23分となる。このころ、阿古の人は噴火が始まったのを見たが、神着の測候所で噴煙を確認したのは15時33分であった。
(中略)
また、噴火前の昭和57年12月~58年1月には三宅島南方海域(御蔵島西方海域)で地震が群発した。なお、9月にも三宅島北方海域(新島北東海域)で小さな群発地震があった。しかし、伊豆半島から同島付近にかけての海域では、群発地震がときどき起きており、これが噴火とどのような関係があるかは、まだわかっていないが、気象庁では要注意と考えている旨、東京都等の防災関係機関に連絡していた。三宅島測候所では火山観測に細心の注意をはらい、噴火が起きた際に行う個人の業務分担などをも決めると共に、三宅村役場、三宅支庁、警察等の現地防災機関と異常時の処置についての事前の打合せ等を行っていた。[『記録 昭和58年三宅島噴火災害』東京都(1985/9),p.312-314]