災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月
1926 十勝岳噴火
報告書の概要
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はじめに
1926(大正15)年5月24日、十勝岳が噴火を起こし、高温の岩屑なだれが発生し、残雪を溶かし25分あまりで山麓の富良野原野まで泥流が到達した。寒冷地で積雪期に起こる噴火災害の典型的な事例である。
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第1章 十勝岳火山の特徴と噴火の歴史
十勝岳の火山噴火が記録として残されるようになったのは安政4(1857)年の活動からである。1926年噴火では大泥流が山麓の集落を襲い144名の犠牲者を出す大災害となり、1962(昭和37)年噴火では火口近くの硫黄鉱山が破壊され5名が犠牲となった。1988−1989年にも小噴火を頻発するなど、火山活動は活発な状態にある。
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第2章 1926年噴火活動の経緯
1923(大正12)年6月、溶融硫黄の沼が出現し硫黄鉱山の硫黄生産量が増加するなど、大噴火前の3年間には火山活動が活発化し、噴火直前にはその頻度が非常に高くなった。5月24日正午過ぎに1回目の爆発、小規模な泥流が発生した。2回目の爆発では、火口から2.4㎞の鉱山事務所に1分未満で、25分余りで火口25㎞の上富良野原野に到達した。
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第3章 1926年噴火における救護・復旧活動と復興事業
被災直後から、被災地の住民会や在郷軍人分会、青年団や消防組に加え、近隣町村の青年団や在郷軍人分会による迅速な救護・復旧活動が行われた。なお、義援金の分配や復興事業の実施にあたっては、その方向性について村民間の対立などもあったという。復興事業において最も長期にわたったのが水田の再生であり、8年の年月がかかった。
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第4章 1962年、1988年の噴火
十勝岳の周辺地域の住民は1926年噴火以降も1962年及び1988年に噴火を経験することとなったが、1961(昭和36)年の災害対策基本法の制定を受けて整備された北海道、上富良野町、美瑛町の地域防災計画、防災体制はその後のネバドデルルイス火山の教訓を踏まえ、緊急避難図を配付するなど見直しが図られ、1988年噴火では被害を局限することができた。
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第5章 火山災害の予防減災に挑んだ北海道・土木技術者集団
1988年十勝岳噴火を契機に、大正泥流が再発した場合の予防策について火山砂防関係機関と火山学・砂防学研究者との連携による検討を行い、融雪型火山泥流シミュレーションマップの作成、防災拠点構築と移転促進による減災まちづくりへの支援等が実施された。
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おわりに (十勝岳噴火の教訓)
・1926年噴火災害は寒冷積雪地の火山における噴火災害の典型例の一つであるが、この種の災害被害を軽減するためにはハード・ソフト両面からの対策を同時に行うことが重要である。
・行政及び住民に理解でき、緊急避難に使える十勝岳火山のハザードマップが作られ、全戸に配布され、1988年噴火対応に使われ、災害被害の軽減に大きな役割を果たしたことは、北海道のみならず日本の活火山のハザードマップ作成の契機ともなった。 -
<広報「ぼうさい」>
シリーズ「過去の災害に学ぶ」(第15回): 広報「ぼうさい」 (No.42)2007年11月号, 20-21 (PDF形式:1.7MB)
ページ
報告書(PDF)
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表 紙
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口 絵
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目 次
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はじめに
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第1章 十勝岳火山の特徴と噴火の歴史
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第2章 1926年噴火活動の経緯
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第3章 1926年噴火における救護・復旧活動と復興事業
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第4章 1962年、1988-89年の噴火
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第5章 火山災害の予防減災に挑んだ北海道・土木技術者集団
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おわりに 〜十勝岳噴火の教訓〜
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資料編
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災害概略シート
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謝辞
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奥付