【区分】
第6期 第5期以降も続く課題
6-2.産業・都市の再生
3.産業・経済の再生
【教訓情報】
02.災害の犠牲者が第一産業である漁業就業者に多くみられたことから第三産業への移行が顕著となった。
【文献】
◆奥尻町の産業構造を単純に、第一次、第二次、第三次の各部門における就業者比率によってみると、平成2年のそれは24.0%、23.0%、53.0%であった。平成7年のそれは、それぞれ12.0%、29.0%、59.0%となっている。注目されることは、第一次産業就業者比率が5年間に半減していることである。いうまでもなく、これは災害によってもたらされた。漁業就業者に災害の犠牲者が多くみられたこと、災害後、漁業就業者に転業や廃業をしいられた被災者がいるからである。これらの影響が第一次産業部門におけるこのような激減につながった。ちなみに、漁業就業数の減少に伴い奥尻町の漁獲高も、平成2年の16億3,300万円から平成7年の7億2,400万円にまで半減した。
◆平成2年についていえば、奥尻町は、一次、二次、そして三次の各産業において道内156町の平均的な数値を示している。これに対して、平成7年では、災害の直接的な影響から第一次産業就業者が半減したことによって、第二次産業と第三次産業の両部門の比率が増大した。(中略)奥尻町における第二次、第三次の各産業就業者比率は5年間にそれぞれ6%ずつ増加したが、全道の各自治体の変化に比較すると、第三次産業部門へのシフトがいっそう顕著である。(中略)奥尻町では、先に指摘したように、災害による漁業就業者の半減に加えて、自衛隊基地の町内存置によって特別国家公務員が全人口数において多いこと、しかも全就業者数におけるかれらの比率も高いこと、そして町の基幹産業のひとつである観光産業に関連する民宿・旅館、飲食店といったサービス産業就業者が少なくないこと、これらのことが第三次産業就業者比率を引揚げたといえる。
◆奥尻町の基幹産業である観光産業が、第三次産業部門の主要な位置を占める。具体的には、民宿・旅館関係と飲食店関係が観光産業の動向を左右する。この観光産業の変化は、島外者の入り込み数の推移によって大局的に把握することができる。(中略)災害後2年が経過した段階では、災害前の入り込み者数にまで達していない。さらに観光産業の動向の一端は、民宿・旅館関係、飲食関係の売り上げ高を通じて把握されうる。災害の前年である平成4年、災害後の平成7年、平成9年の3時点に関する資料が得られたので、これを手掛かりにしてみよう。(中略)奥尻町における民宿・旅館、飲食店は奥尻地区と青苗地区の両地区に集中している。(中略)つまり青苗地区では、災害前より災害後において売り上げ高が増加しているが、奥尻地区では、逆に減少している。
◆いずれにしても、奥尻町における基幹産業の2大部門である漁業と観光産業の動向は、前者の漁獲高と後者の売り上げ高の推移によってますます影響を受けることになるであろう。[『北海道南西沖地震に伴う家族生活と地域社会の破壊と再組織化に関する研究』北海道大学文学部(1999/11),p.93-95]
【区分】
第6期 第5期以降も続く課題
6-2.産業・都市の再生
3.産業・経済の再生
【教訓情報】
02.災害の犠牲者が第一産業である漁業就業者に多くみられたことから第三産業への移行が顕著となった。
【文献】
◆奥尻町の産業構造を単純に、第一次、第二次、第三次の各部門における就業者比率によってみると、平成2年のそれは24.0%、23.0%、53.0%であった。平成7年のそれは、それぞれ12.0%、29.0%、59.0%となっている。注目されることは、第一次産業就業者比率が5年間に半減していることである。いうまでもなく、これは災害によってもたらされた。漁業就業者に災害の犠牲者が多くみられたこと、災害後、漁業就業者に転業や廃業をしいられた被災者がいるからである。これらの影響が第一次産業部門におけるこのような激減につながった。ちなみに、漁業就業数の減少に伴い奥尻町の漁獲高も、平成2年の16億3,300万円から平成7年の7億2,400万円にまで半減した。
◆平成2年についていえば、奥尻町は、一次、二次、そして三次の各産業において道内156町の平均的な数値を示している。これに対して、平成7年では、災害の直接的な影響から第一次産業就業者が半減したことによって、第二次産業と第三次産業の両部門の比率が増大した。(中略)奥尻町における第二次、第三次の各産業就業者比率は5年間にそれぞれ6%ずつ増加したが、全道の各自治体の変化に比較すると、第三次産業部門へのシフトがいっそう顕著である。(中略)奥尻町では、先に指摘したように、災害による漁業就業者の半減に加えて、自衛隊基地の町内存置によって特別国家公務員が全人口数において多いこと、しかも全就業者数におけるかれらの比率も高いこと、そして町の基幹産業のひとつである観光産業に関連する民宿・旅館、飲食店といったサービス産業就業者が少なくないこと、これらのことが第三次産業就業者比率を引揚げたといえる。
◆奥尻町の基幹産業である観光産業が、第三次産業部門の主要な位置を占める。具体的には、民宿・旅館関係と飲食店関係が観光産業の動向を左右する。この観光産業の変化は、島外者の入り込み数の推移によって大局的に把握することができる。(中略)災害後2年が経過した段階では、災害前の入り込み者数にまで達していない。さらに観光産業の動向の一端は、民宿・旅館関係、飲食関係の売り上げ高を通じて把握されうる。災害の前年である平成4年、災害後の平成7年、平成9年の3時点に関する資料が得られたので、これを手掛かりにしてみよう。(中略)奥尻町における民宿・旅館、飲食店は奥尻地区と青苗地区の両地区に集中している。(中略)つまり青苗地区では、災害前より災害後において売り上げ高が増加しているが、奥尻地区では、逆に減少している。
◆いずれにしても、奥尻町における基幹産業の2大部門である漁業と観光産業の動向は、前者の漁獲高と後者の売り上げ高の推移によってますます影響を受けることになるであろう。[『北海道南西沖地震に伴う家族生活と地域社会の破壊と再組織化に関する研究』北海道大学文学部(1999/11),p.93-95]