01.災害後に島に若い就業者が出現し、自営業の後継者が戻ったことに明るい兆しが見られる。


【区分】
第6期 第5期以降も続く課題
6-2.産業・都市の再生
1.人口の回復
【教訓情報】
01.災害後に島に若い就業者が出現し、自営業の後継者が戻ったことに明るい兆しが見られる。
【文献】
◆奥尻町の人口は、平成11年3月31日現在、4,089人である。人口は昭和35年以降、減少の一途を辿っている。歴史的には、昭和戦前期では、昭和10年が8,206人ともっとも多い。[『北海道南西沖地震に伴う家族生活と地域社会の破壊と再組織化に関する研究』北海道大学文学部(1999/11),p.91]
◆奥尻町における平成2年と7年との間における人口変動を北海道212市町村のそれに比較しつつふれておこう。北海道全体では、この5年間に0.9%の人口増加がみられた。市町村別でいえば、34市の人口は2.1%増加しているのに対して、156町24村の人口はそれぞれ3.1%、42%減少している。奥尻町は6.6%の人口減少であったから、全道や町の平均値に比較して人口減少率は高くなっている。[『北海道南西沖地震に伴う家族生活と地域社会の破壊と再組織化に関する研究』北海道大学文学部(1999/11),p.91]
◆奥尻町における年少人口比率は、たしかに全道や市町村の平均値に比較して高い比率を示している。しかしこのことが、将来的にいっそう進展すると思われる人口の高齢化を押しとどめるという見通しにつながるとは考えにくい。先に指摘した自衛隊の隊員は、勤務上、定期的な移動者であり、奥尻町における定住者にはなりにくいからである。さらに基幹産業の漁業における後継者不足と漁業就業者の高齢化が顕著になっているからである。高齢者が今後、島に留まり自立的生活をするのか、それとも公的施設に入居しようと考えるのか、さらには離島し都市の既婚子と同居生活を選択するのかといった課題が今後さらに見極められなければならないであろう。それでも明るい見通しは、災害後に若い就業者の出現や自営業の後継者が島に戻って生活をし始めたことに見出される。それだけに、町内2つの中学校(奥尻中学校、青苗中学校)や奥尻高校の卒業者の社会移動とともに地域移動に関する動向は、災害前の動向と災害後のそれとを比較する時、いっそう注目されるであろう。[『北海道南西沖地震に伴う家族生活と地域社会の破壊と再組織化に関する研究』北海道大学文学部(1999/11),p.91-92]

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