【区分】
第5期 復旧・復興期
5-3.義援金
1.義援金の受入
【教訓情報】
02.義援金には募集委員会の他、北海道庁と自治体の3つがあり、5度に渡って配分された。
【文献】
◆義援金の受付は、3つのルートがあった。ひとつは、日赤北海道支部が事務局であった「北海道災害義援金募集委員会」(以下、「募集委員会」と略する)、ふたつは北海道庁、みっつは自治体それ自体の受付による場合である。いうまでもなく、「募集委員会」からの義援金がもっとも多い。記録書作成委員会『記録書』(388頁)によると、総額185億678万円の義援金が全被災自治体に対して、5度にわたり配分された。第1次配分は平成5年7月23日であり、第5次配分は平成6年2月4日であった。ただし、4次(平成5年12月27日)と5次(平成6年2月4日)の配分は、激甚被災地奥尻町にのみ配分された。[『北海道南西沖地震に伴う家族生活と地域社会の破壊と再組織化に関する研究』北海道大学文学部(1999/11),p.28]
【区分】
第5期 復旧・復興期
5-3.義援金
1.義援金の受入
【教訓情報】
02.義援金には募集委員会の他、北海道庁と自治体の3つがあり、5度に渡って配分された。
【文献】
◆義援金の受付は、3つのルートがあった。ひとつは、日赤北海道支部が事務局であった「北海道災害義援金募集委員会」(以下、「募集委員会」と略する)、ふたつは北海道庁、みっつは自治体それ自体の受付による場合である。いうまでもなく、「募集委員会」からの義援金がもっとも多い。記録書作成委員会『記録書』(388頁)によると、総額185億678万円の義援金が全被災自治体に対して、5度にわたり配分された。第1次配分は平成5年7月23日であり、第5次配分は平成6年2月4日であった。ただし、4次(平成5年12月27日)と5次(平成6年2月4日)の配分は、激甚被災地奥尻町にのみ配分された。[『北海道南西沖地震に伴う家族生活と地域社会の破壊と再組織化に関する研究』北海道大学文学部(1999/11),p.28]