【区分】
第3期 地震被害発生期
3-5. 関係機関等の救援・救助活動状況
4. 消防機関
【教訓情報】
01.東京消防庁は7月14~19日、ヘリコプター3機、車両3台、延べ184人を応援派遣した。
【文献】
◆地震から一夜明けた7月13日、地震による被害情報が現地から刻々と入ってくるにつれ被害は想像を絶するものとなり、もはや一市町村の消防力では手の打ちようがなくなった。そこで道は9時45分、自治省消防庁に消防応援を要請し、同時刻自治省消防庁は東京消防庁に応援出動を要請した。東京消防庁は自治省消防庁の要請に基づき、13日、消防ヘリコプター2機を被災地に派遣した。翌14日には救援車3台と水難救助隊員11人を含む隊員24人を被災地に派遣した。19日までの7日間にわたり、ヘリコプター3機、車両3台、人員延べ44人により行方不明者の捜索・救助にあたった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.83]
◆また、北海道広域消防相互応援協定に基づき、札幌市消防局が消防ヘリコプター1機、車両3台、人員延べ165人、函館市が車両5台、人員延べ184人を応援派遣したのをはじめ、八雲町、渡島西部広域事務組合、南渡島消防事務組合、渡島東部消防事務組合、森町、長万部町、苫小牧市、胆振東部消防組合、小樽市、旭川市、釧路市、帯広市、北見地区消防組合からも応援派遣され、奥尻町での行方不明者の捜索・救助にあたった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.83]
◆東京消防庁では、自治省消防庁からの要請に基づき、消防ヘリコプター3機、消防車両3台、人員44名により広域消防応援派遣隊が編成され、奥尻町で救助活動が実施された。[『平成5(1993年)北海道南西沖地震 東京都調査班報告書』東京都(1994/1),p.170]
【区分】
第3期 地震被害発生期
3-5. 関係機関等の救援・救助活動状況
4. 消防機関
【教訓情報】
01.東京消防庁は7月14~19日、ヘリコプター3機、車両3台、延べ184人を応援派遣した。
【文献】
◆地震から一夜明けた7月13日、地震による被害情報が現地から刻々と入ってくるにつれ被害は想像を絶するものとなり、もはや一市町村の消防力では手の打ちようがなくなった。そこで道は9時45分、自治省消防庁に消防応援を要請し、同時刻自治省消防庁は東京消防庁に応援出動を要請した。東京消防庁は自治省消防庁の要請に基づき、13日、消防ヘリコプター2機を被災地に派遣した。翌14日には救援車3台と水難救助隊員11人を含む隊員24人を被災地に派遣した。19日までの7日間にわたり、ヘリコプター3機、車両3台、人員延べ44人により行方不明者の捜索・救助にあたった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.83]
◆また、北海道広域消防相互応援協定に基づき、札幌市消防局が消防ヘリコプター1機、車両3台、人員延べ165人、函館市が車両5台、人員延べ184人を応援派遣したのをはじめ、八雲町、渡島西部広域事務組合、南渡島消防事務組合、渡島東部消防事務組合、森町、長万部町、苫小牧市、胆振東部消防組合、小樽市、旭川市、釧路市、帯広市、北見地区消防組合からも応援派遣され、奥尻町での行方不明者の捜索・救助にあたった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.83]
◆東京消防庁では、自治省消防庁からの要請に基づき、消防ヘリコプター3機、消防車両3台、人員44名により広域消防応援派遣隊が編成され、奥尻町で救助活動が実施された。[『平成5(1993年)北海道南西沖地震 東京都調査班報告書』東京都(1994/1),p.170]