【区分】
第3期 地震被害発生期
3-5. 関係機関等の救援・救助活動状況
2. 自衛隊
【文献】
◆地震により奥尻島と本道の輸送路が途絶したため、奥尻島への人員・物資の輸送と給水支援のため、道は7月13日4時45分、大湊地方総監部に災害派遣を要請した。大湊地方隊では、第23護衛隊の護衛艦「ゆうぐも」、輸送艦「ねむろ」が食糧、毛布、被服、医薬品等を積載して青森県大湊港を出港し奥尻島に向かった。第23護衛隊の護衛艦「あおくも」も陸上自衛隊員を奥尻島に輸送するため函館に向かった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.76]
◆さらに道では7月15日12時30分、行方不明者の海上捜索を大湊地方総監部に要請し、第1掃海隊群の掃海母艦「はやせ」、第14掃海隊の掃海艇「やくしま」「なるしま」「ひこしま」、第16掃海隊の掃海艇「うわじま」「えたじま」が24人の水中処分員(潜水員)を伴い大湊港を出港したほか、大湊地方隊の特務船が14人の水中処分員を伴い大湊港を出港し奥尻島に向かった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p. 76]
◆7月15日からは余市防備隊から連絡幹部が道の災害対策本部に派遣され、道との連絡調整にあたった。7月18日からは、第23護衛隊「あおくも」「ゆうぐも」にかわり護衛艦「あきぐも」、第35護衛隊の護衛艦「ゆうべつ」、21日からは輸送艦「あつみ」、22日からは第1掃海隊群にかわり第2掃海隊群の機雷敷設艦「そうや」、第13掃海隊の掃海艇「おおしま」「にいじま」、第20掃海隊の掃海艇「あわしま」「さくま」、25日からは特務艦「きたかみ」、26日からは第21掃海隊の掃海艇「うわじま」「いえしま」「つきしま」、29日からは第17掃海隊の掃海艇「ははじま」「かみしま」が海上捜索にあたり、対潜哨戒機P-3C、対潜哨戒ヘリコプターHSS-2Bも連日海面の捜索にあたった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.76]
◆艦艇と航空機は奥尻島近海での海面捜索を実施したが、海上保安庁も巡視船艇と航空機により海上捜索を実施していたので、捜索範囲について相互に連絡を密にしながら捜索活動を行なった。水中処分隊は奥尻島沿岸で潜水捜策を実施したが、沿岸には津波により流出した家屋の残骸や車両、漁網、土砂が散乱し、水中での作業は木片などの浮遊物を手でかきわけて行なわなければならず、さらに水中の視界がO.5メートル程度で手先までしか見通せない状況であり、捜索活動は極端に制約を受けた。このような最悪の条件のなか、同様に水中であ捜索活動を行なっていた海上保安庁や警察、消防と捜索範囲や捜索方法について毎日のように緊密な連絡をとりあいながら捜索を実施した。捜索当初はこのような連絡体制はなかったため捜索範囲が重複したこともあったが、次第に現場での連絡体制ができあがり、円滑な捜索活動に役だった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.76]
◆海上自衛隊では、8月10日8時00分に撤収するまでの間、艦艇延べ177隻、航空機延べ70機、人員延べ12,O03人が派遣された。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.76]
【区分】
第3期 地震被害発生期
3-5. 関係機関等の救援・救助活動状況
2. 自衛隊
【教訓情報】
03.海上自衛隊:航空機177隻、航空機70機、人員12,003人(すべて延べ)で捜索に当たった。
【文献】
◆地震により奥尻島と本道の輸送路が途絶したため、奥尻島への人員・物資の輸送と給水支援のため、道は7月13日4時45分、大湊地方総監部に災害派遣を要請した。大湊地方隊では、第23護衛隊の護衛艦「ゆうぐも」、輸送艦「ねむろ」が食糧、毛布、被服、医薬品等を積載して青森県大湊港を出港し奥尻島に向かった。第23護衛隊の護衛艦「あおくも」も陸上自衛隊員を奥尻島に輸送するため函館に向かった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.76]
◆さらに道では7月15日12時30分、行方不明者の海上捜索を大湊地方総監部に要請し、第1掃海隊群の掃海母艦「はやせ」、第14掃海隊の掃海艇「やくしま」「なるしま」「ひこしま」、第16掃海隊の掃海艇「うわじま」「えたじま」が24人の水中処分員(潜水員)を伴い大湊港を出港したほか、大湊地方隊の特務船が14人の水中処分員を伴い大湊港を出港し奥尻島に向かった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p. 76]
◆7月15日からは余市防備隊から連絡幹部が道の災害対策本部に派遣され、道との連絡調整にあたった。7月18日からは、第23護衛隊「あおくも」「ゆうぐも」にかわり護衛艦「あきぐも」、第35護衛隊の護衛艦「ゆうべつ」、21日からは輸送艦「あつみ」、22日からは第1掃海隊群にかわり第2掃海隊群の機雷敷設艦「そうや」、第13掃海隊の掃海艇「おおしま」「にいじま」、第20掃海隊の掃海艇「あわしま」「さくま」、25日からは特務艦「きたかみ」、26日からは第21掃海隊の掃海艇「うわじま」「いえしま」「つきしま」、29日からは第17掃海隊の掃海艇「ははじま」「かみしま」が海上捜索にあたり、対潜哨戒機P-3C、対潜哨戒ヘリコプターHSS-2Bも連日海面の捜索にあたった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.76]
◆艦艇と航空機は奥尻島近海での海面捜索を実施したが、海上保安庁も巡視船艇と航空機により海上捜索を実施していたので、捜索範囲について相互に連絡を密にしながら捜索活動を行なった。水中処分隊は奥尻島沿岸で潜水捜策を実施したが、沿岸には津波により流出した家屋の残骸や車両、漁網、土砂が散乱し、水中での作業は木片などの浮遊物を手でかきわけて行なわなければならず、さらに水中の視界がO.5メートル程度で手先までしか見通せない状況であり、捜索活動は極端に制約を受けた。このような最悪の条件のなか、同様に水中であ捜索活動を行なっていた海上保安庁や警察、消防と捜索範囲や捜索方法について毎日のように緊密な連絡をとりあいながら捜索を実施した。捜索当初はこのような連絡体制はなかったため捜索範囲が重複したこともあったが、次第に現場での連絡体制ができあがり、円滑な捜索活動に役だった。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.76]
◆海上自衛隊では、8月10日8時00分に撤収するまでの間、艦艇延べ177隻、航空機延べ70機、人員延べ12,O03人が派遣された。[『平成5年(1993年)北海道南西沖地震災害記録』北海道(1995/3),p.76]