【区分】
第3期 地震被害発生期
3-4. 被災者の行動
2. 避難所の開設
【教訓情報】
03.奥尻町では7月27日より330世帯899人が、バス・トイレ付きの1DKで約3年余に渡って生活。
【文献】
◆奥尻町では、仮設住宅の建設に際して、リースとはいえ、仮設住宅の建設資材が緊急にかつ大量に必要とされたために在庫不足が心配された。しかし、避難所における事前の仮設住宅入居希望世帯調査と民間建設業者との協力態勢が功を奏し、1ヶ月半の短期間に予定された全仮設住宅330戸が完成した。しかしそれは、海路による資材搬入という輸送上の問題や24時間体制の突貫工事という問題を克服してのことであった。仮設住宅の完成をまって早速、入居は開始された。仮設住宅は、入り口が背中合わせになった箱形の平屋2軒長屋式住宅であり、小さいとはいえバス・トイレ付き1DKであった。奥尻町ではこの仮設住宅に、平成5年7月27日より順次、330世帯899人が生活することになった。仮設住宅は、最終的に平成8年12月までに撤去されたから、この間の3年余が仮設住宅生活の時期となった。[『北海道南西沖地震に伴う家族生活と地域社会の破壊と再組織化に関する研究』北海道大学文学部(1999/11),p.19]
【区分】
第3期 地震被害発生期
3-4. 被災者の行動
2. 避難所の開設
【教訓情報】
03.奥尻町では7月27日より330世帯899人が、バス・トイレ付きの1DKで約3年余に渡って生活。
【文献】
◆奥尻町では、仮設住宅の建設に際して、リースとはいえ、仮設住宅の建設資材が緊急にかつ大量に必要とされたために在庫不足が心配された。しかし、避難所における事前の仮設住宅入居希望世帯調査と民間建設業者との協力態勢が功を奏し、1ヶ月半の短期間に予定された全仮設住宅330戸が完成した。しかしそれは、海路による資材搬入という輸送上の問題や24時間体制の突貫工事という問題を克服してのことであった。仮設住宅の完成をまって早速、入居は開始された。仮設住宅は、入り口が背中合わせになった箱形の平屋2軒長屋式住宅であり、小さいとはいえバス・トイレ付き1DKであった。奥尻町ではこの仮設住宅に、平成5年7月27日より順次、330世帯899人が生活することになった。仮設住宅は、最終的に平成8年12月までに撤去されたから、この間の3年余が仮設住宅生活の時期となった。[『北海道南西沖地震に伴う家族生活と地域社会の破壊と再組織化に関する研究』北海道大学文学部(1999/11),p.19]