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26.他人にいわれてことの重大さに気づき、避難して津波被害を逃れた人々の体験談(奥尻町青苗区Hさんのケース)。


【区分】
第3期 地震被害発生期
3-4. 被災者の行動
1. 避難行動
【教訓情報】
26.他人にいわれてことの重大さに気づき、避難して津波被害を逃れた人々の体験談(奥尻町青苗区Hさんのケース)。
【文献】
◆たとえば、Hさん(女・50代)もその一人である。地震が起こったとき、Hさんの夫は漁で沖におり不在で、彼女は床に入って眠りにつく前だったが、地震に驚いて裸足で飛び出し、外の物干しにつかまっていた。恐くて泣き叫んでいたが、まわりの人は誰も出てこなかったという。揺れがおさまると、Kさん(道路をへだてて向かい側の家)がガスの元栓を閉めたかというので、裏に行って閉め、靴を履いてまた物干しのところに行ったとき、Yさん夫婦がパンツ一丁で逃げてきた。そして、「かあさんこんなことしていてはだめだ、一緒に逃げよう」と手を引っ張ってくれた。そのとき裏のOさんの母親から、息子が兄のところに行っているので迎えに行ってくれといわれたが、Yさんが「そんなことしていては大変だ、自分の身が大事だから早く逃げよう」と言ったので、耳には残ったけれども細い道を燈台に向かい、走って避難した。高台につくと、知人が大きな鞄を持っていたので、自分も(家が近いから)大事なものを取りに行きたくなり、戻っていったらもうすでに家はなくなっていた。その直後、ここにいたら駄目だという声を聞いたので、ふたたび高台に避難したという。Hさんは、Yさんが来るまで津波のことなど考えもしなかったようである。Hさんの自宅は、青苗5区のなかで高台のもっとも近くにあり、10年前も津波はここまで来なかったので、今回もまさかと思ったのであろう。[『1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達』東京大学社会情報研究所(1994/1),p.13]

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