【区分】
第3期 地震被害発生期
3-4. 被災者の行動
1. 避難行動
【教訓情報】
25.いち早く避難し、津波被害を逃れた人々の体験談(奥尻町青苗区Iさんのケース)。
【文献】
◆次にあげるのは青苗2区のIさん(男・60代)の体験。地震が起こったとき、Iさんは2階で床について眠っていた。大揺れがはじまったとたん、父さん地震だ!と奥さんに声をかけられ、すぐ飛び起きたが、とても立っていられないほどの揺れで、屋根が落ちて家が壊れると思ったという。揺れの続くなかを奥さんと一緒に階段を降り、茶の間に入ると、タンスが倒れたりコップが割れて飛び散ったりで、足の踏み場もないほどだったが、こんな大地震ならきっと大津波がやってくると思い、すぐに着替えをして避難しようとした。着替えはいつも袋に入れてすぐわかるところに置いてあったが、地震直後に停電になり懐中電灯も見当たらず、柱につるしてあるペンライトを頼りに着替えたので、多少時間がかかった。外へ出ようとすると、冷蔵庫が倒れて戸口をふさぎ、外へ出られない。どうやらこうやら冷蔵庫を動かして、やっと出るだけの隙間を作って外に出ると、地震であわてて飛び出した人たちが何人がかたまってざわざわしていた。そこで、「このバカものが。津波がくるぞ!」と怒鳴ったという。そして、ペンライトを照らしながら近くの浜に行って、軽四輪車のエンジンをかけ、高台に避難した。避難する途中に親戚の家があって、奥さんが「父さん、迎えに行がにゃ、連れて行がにゃ」と言ったが、津波がいつ来るかわからないと思ってあえて無視した。しかし親戚の人は、結局みんな無事だったという。Iさんたちが車で走っているときはほとんど人影がなく、避難する車もなかったので、このへんでもっとも早く避難したのだろうというが、高台についてしばらくすると、左手のほうから10メートルはあろうかという巨大な津波がやってきた。なお、青苗1区や2区に巨大な津波が襲ったのは、地震発生から17~18分後だったようで、5区にくらべて避難するのにいくらか余裕があったという。[『1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達』東京大学社会情報研究所(1994/1),p.12-13]
【区分】
第3期 地震被害発生期
3-4. 被災者の行動
1. 避難行動
【教訓情報】
25.いち早く避難し、津波被害を逃れた人々の体験談(奥尻町青苗区Iさんのケース)。
【文献】
◆次にあげるのは青苗2区のIさん(男・60代)の体験。地震が起こったとき、Iさんは2階で床について眠っていた。大揺れがはじまったとたん、父さん地震だ!と奥さんに声をかけられ、すぐ飛び起きたが、とても立っていられないほどの揺れで、屋根が落ちて家が壊れると思ったという。揺れの続くなかを奥さんと一緒に階段を降り、茶の間に入ると、タンスが倒れたりコップが割れて飛び散ったりで、足の踏み場もないほどだったが、こんな大地震ならきっと大津波がやってくると思い、すぐに着替えをして避難しようとした。着替えはいつも袋に入れてすぐわかるところに置いてあったが、地震直後に停電になり懐中電灯も見当たらず、柱につるしてあるペンライトを頼りに着替えたので、多少時間がかかった。外へ出ようとすると、冷蔵庫が倒れて戸口をふさぎ、外へ出られない。どうやらこうやら冷蔵庫を動かして、やっと出るだけの隙間を作って外に出ると、地震であわてて飛び出した人たちが何人がかたまってざわざわしていた。そこで、「このバカものが。津波がくるぞ!」と怒鳴ったという。そして、ペンライトを照らしながら近くの浜に行って、軽四輪車のエンジンをかけ、高台に避難した。避難する途中に親戚の家があって、奥さんが「父さん、迎えに行がにゃ、連れて行がにゃ」と言ったが、津波がいつ来るかわからないと思ってあえて無視した。しかし親戚の人は、結局みんな無事だったという。Iさんたちが車で走っているときはほとんど人影がなく、避難する車もなかったので、このへんでもっとも早く避難したのだろうというが、高台についてしばらくすると、左手のほうから10メートルはあろうかという巨大な津波がやってきた。なお、青苗1区や2区に巨大な津波が襲ったのは、地震発生から17~18分後だったようで、5区にくらべて避難するのにいくらか余裕があったという。[『1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達』東京大学社会情報研究所(1994/1),p.12-13]