【区分】
第3期 地震被害発生期
3-4. 被災者の行動
1. 避難行動
【教訓情報】
01.奥尻町では防災担当職員が地震発生3分後に早くも避難放送を行ったにもかかわらずこの放送は津波に襲われた住民の生存と直結しなかったと考えられる。
【文献】
◆地震が発生したのは22時17分であるが、それから早くも3分後には、町役場の防災担当職員が防災無線にて全地区の住民に対して「津波の恐れ有り、避難せよ」と放送した(22:20)。奥尻消防署(本署)も指令車を出し奥尻地区にて津波に警戒するよう広報活動を行った(22:21)。これらは独自の判断でなされたもので、日本海中部地震の経験が生かされたものであることはいうまでもない。しかし、地震発生から3分後という早い時期での放送であったにもかかわらず、また各家々や屋外に受信機や拡声機があったにもかかわらず、津波に襲われた地域の住民にとって、この放送は生存とは直結しなかったと考えられる。後に示すように、住民の多くは地震後すぐに、つまり屋内の受信機からの放送を聞くまでもなく、屋外に出て高台に向かって避難し始めていたし、また屋外の拡声機からの放送は聞き取りにくかったのであった。[『災害の心理学とその周辺−北海道南西沖地震の被災地へのコミュニティ・アプローチ−』若林佳史(2003/5),p.111]
【区分】
第3期 地震被害発生期
3-4. 被災者の行動
1. 避難行動
【教訓情報】
01.奥尻町では防災担当職員が地震発生3分後に早くも避難放送を行ったにもかかわらずこの放送は津波に襲われた住民の生存と直結しなかったと考えられる。
【文献】
◆地震が発生したのは22時17分であるが、それから早くも3分後には、町役場の防災担当職員が防災無線にて全地区の住民に対して「津波の恐れ有り、避難せよ」と放送した(22:20)。奥尻消防署(本署)も指令車を出し奥尻地区にて津波に警戒するよう広報活動を行った(22:21)。これらは独自の判断でなされたもので、日本海中部地震の経験が生かされたものであることはいうまでもない。しかし、地震発生から3分後という早い時期での放送であったにもかかわらず、また各家々や屋外に受信機や拡声機があったにもかかわらず、津波に襲われた地域の住民にとって、この放送は生存とは直結しなかったと考えられる。後に示すように、住民の多くは地震後すぐに、つまり屋内の受信機からの放送を聞くまでもなく、屋外に出て高台に向かって避難し始めていたし、また屋外の拡声機からの放送は聞き取りにくかったのであった。[『災害の心理学とその周辺−北海道南西沖地震の被災地へのコミュニティ・アプローチ−』若林佳史(2003/5),p.111]