北但大震災からの復興 大正14年(1925)兵庫県
大正14年(1925)5月23日に発生した北但大震災で、1400年の歴史を持つ兵庫県城崎郡城崎町(現豊岡市)の城崎温泉は、町のほとんどが焼失しました。

志賀直哉の小説「城の崎にて」の舞台になった城崎温泉は、町を流れる大谿川沿いの柳並木、和風の意匠が施された橋、誰もが入浴できる外湯、木造三階建ての旅館など、昔ながらの風情を残す山陰の名湯として有名です。しかし、城崎温泉が大正時代に北但大震災で壊滅的な被害を受けたことはあまり知られていません。

北但大震災によって町のほとんどが焼失した城崎温泉。
(写真提供: 豊岡市)
震災の原因となった北但馬地震は、大正14年(1925) 5月23日午前11時9分頃に発生した、円山川河口付近を震源とするマグニチュード6.8の地震です。城崎は火災で町が焼け野原となり、住民や温泉客など283名が亡くなっています。
地震をきっかけに、城崎温泉では災害に強いまちづくりが進められました。火災の延焼を防ぐため、道路を拡幅し、外湯、町役場、警察署などの建物を鉄筋コンクリート造りで再建しました。また、大雨で度々氾濫していた大谿川の川幅も広げられています。川には鉄筋コンクリート造りの橋が5つ架けられ、護岸は地元の洞窟「玄武洞」で採掘された玄武岩で固められました。こうした復興事業によって、地震前と変わらぬ風情のある町並みが作られたのです。
豊岡市は現在、城崎温泉にある歴史的建築物の安全性を確保し保全するため、条例及び助成制度を定め、景観保全と防災を進めています。また、震災当時の様子を撮影した写真の展示会や、写真を記録したCDを市内全小中学校へ配布し、平成17年から防災授業を実施する等、北但大震災を後世に伝える取組みも行なっています。

城崎温泉では消防署と消防団が協力し、定期的に消防訓練が行われています。
(写真提供: 豊岡市)
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城崎温泉のシンボルである「一の湯」は、北但大震災後、火災の延焼を防ぐために鉄筋コンクリート造りで再建された外湯の一つ。現在の一の湯は、再建当時の外観を踏襲して、平成11年(1999)に建て替えられたものです。一の湯の手前には、震災後に建設された、「王橋」が架かっています。
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表紙の写真
大谿川沿いの柳並木、和風の意匠が施された橋な どが、城崎温泉の情緒ある雰囲気を醸し出しています。

(写真:田中重樹/アフロ)
Build Back Betterとは
「Build Back Better(より良い復興)」 とは、2015年3月に宮城県仙台市で開催された「第3回国連防災世界会議」の成果文書である「仙台防災枠組」の中に示された、災害復興段階における抜本的な災害予防策を実施するための考え方です。
本シリーズでは、災害が発生した国内外の事例を紹介し、過去の災害を機により良い街づくり、国土づくりを行った姿を紹介いたします。