過去の災害に学ぶ 37‐内閣府防災情報のページ

1948年6月 福井地震 その1

戦後復興途上の市街地を襲った福井地震は、内陸の活断層による都市直下型地震であった。
近代的な地震防災への取り組みが始まる契機となったこの地震を2回にわたり紹介する。
今号では、多数の家屋全壊や犠牲者を生じた被害の特性を解説する。

中林一樹(明治大学大学院政治経済学研究科(危機管理研究センター)特任教授)

福井地震の被害の特性

昭和20年7月19日、B29爆撃機127機による福井空襲は激烈で、福井市の市街地の95%を焼失し、死者1,576人、罹災世帯8万5,603人、罹災人口率は93.2%で全国2位の高さであった。しかし戦災からの回復は目覚ましかった。
昭和23年6月28日午後5時13分、マグニチュード7.1の地震が福井平野を震源として発生した。地震動は強烈で、復興途上にあった福井市でも全壊率80%を超える地区があったほか、震源近傍では住家の全壊率100%の農村集落が多数出現した。

1948年6月28日 地震発生で猛火に包まれた福井市内と倒れかかった百貨店(大和デパート)〈中日新聞社 提供〉

福井平野は、九頭竜川・日野川・足羽川等の河川に運ばれた土砂が堆積した沈降性の沖積平野で、東高西低・南高北低で南北に細長い。都市直下型地震では活断層の存在とその活動度は重要な情報であるが、厚い堆積層に阻まれていることが多い。福井地震は陸域の浅い活断層地震の典型で、断層は左横ずれ断層と想定されているが、地表で断層は特定できなかった。この地震では、平野東部を中心に地割れなどの地変が発生し、2本の深部断層の存在が推定されたほか、最大2メートルに及ぶ変位が計測され、活断層研究会は〝福井地震断層〟と 〝福井東側地震断層〟を地震断層としてその位置を推定している。
福井地震には前震と思われる記録が残されているが定かではない。本震後の余震は多く、1年間に983個が観測され、日本で初めて地震計による余震観測が組織的に行われた。福井地震の断層パラメーターと震源過程については、異なる研究者による4研究で、走向N10°~20°Wの左横ずれが卓越した断層として、概ね一致した見解となっている。さらに、近年の微小地震観測データと活断層の分布からの解析では、福井平野周辺では東南東−西北西に圧縮軸をもつ横ずれ断層が卓越していること、したがって南北走向の断層面では、左横ずれ型でやや逆断層成分をもつ断層となると考えられるようになってきた。

崩壊寸前の大和デパート(1948年6月30日)〈読売新聞社 提供〉

近年の常時微動観測によると、福井平野の沖積層は大部分で150m以上、東寄りの最深部では250mの厚さで、常時微動には0.6秒と1.1秒付近に明瞭な卓越周期(飛びぬけて多い振動の周期)の存在が明らかになった。木造家屋の全壊率80%以上の範囲と卓越周期1.6秒以上の範囲が、また全壊率20%以上の範囲と卓越周期0.3秒以上の範囲が対応していることが明らかとなった。また、重力の観測や弾性波探査から地盤構造が解明されつつあり、福井平野には南北方向に2~3㎞の深さの凹地構造の存在が認められ、その凹地から基盤が浅くなる境界付近に断層が対応していることもわかってきた。
戦後の混乱期でありながら、福井地震は詳細な調査報告書が多く存在しているが、震源近傍の強震記録はない。被害実態からの推定調査では、合震度0.6以上、最大速度120㎝/秒という強い地震動の領域が見られ、全壊率100%の地域では合震度0.7程度、最大速度200㎝/秒と算定されている。
福井地震の強い地震動による住家の全壊は3万6千棟を超え、直後から火災が多発して福井市での2,400棟余を含む4,100棟以上が焼失し、映画館での観客を含め死者は3,800人以上に及んだ(表1)。

表1 福井地震の被害概要
資料:「福井震災誌」(福井県1949)、「理科年表2012」から筆者作成

この地震で家屋倒壊率が高く火災の影響も大きかったのは、昭和20年7月19日の空襲による被災後の簡素な建物が多数存在したからである、といわれていた。しかし全壊率100%の農村集落等は空襲を免れた本建築であり、また、当時の市街地写真やGHQの被災直後の建物調査(表2)から、福井地震当時は一部に仮設住宅(バラック)も存在していたが、瓦屋根の恒久住宅への復興も少なくなかった。

表2 震災直前の市街地の建物状況と地震被害(1948年6月)
資料:GHQ1949 “The Fukui Earthquake, Hokuriku Region, Japan 28 June 1948”から筆者編集

これは、地震動が強烈であったために倒壊率が高くなったのであり、さらに倒壊した木造家屋が街路を塞いで消防活動を阻害し、当時の低い消防力と断水による消火用水の不足とも相俟って、甚大な被害を生じる地震火災となったのである。
強い地震動はまた、鉄道、道路、河川堤防、橋梁、水道等の土木施設にも多大な被害を及ぼし、被災地の中央を東西に流下する九頭竜川では全ての橋梁が被災し、被災地は九頭竜川の北部と南部に分断された。最大3.5mも堤防が沈下した結果、1ヶ月後の集中豪雨が越流し、地震と洪水の複合災害となった。
福井地震による建物の震動被害が、軽屋根の家屋をも多数倒壊するほどの状況をもたらしたことをきっかけに、気象庁は「家屋の倒壊率30%以上、最大地表加速度400ガル以上」を「震度7(激震)」と定義し、最大震度階級として創設した。その震度7が始めて適用されたのが、47年後の阪神・淡路大震災(1995年)であった。
震災から5ヶ月後に震源地近傍の坂井郡金津町(全壊全焼率93%)で、当時地震研究所の宮村攝三が行った被災世帯を対象とする郵送アンケート調査の個票(196票)を再集計すると、発震時4時13分、36%が戸外にいた、40%が屋内から戸外へ避難、19%が屋内から逃げ出せず、6%が逃げなかったことなど、地震時対応行動が明らかとなった。当時は「地震時には狼狽せず戸外へ避難」という指針であったが、やはり全壊・全焼家屋で死者が発生していた。

※当時はGHQの統治下で、サマータイムが実施されており、日本時間では午後4時13分であった。夕食の準備には早い時間で、農家では田畑で農作業していたものが多く、多くの農家が倒壊したが死者の発生は少なかった。

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