過去の災害に学ぶ 34

1854年11月 安政東海地震・安政南海地震

死者数千名、倒壊家屋3万軒以上、伊豆から四国までの広い範囲にわたり被害をおよぼした安政東海地震・安政南海地震。
幕末のこの2つの地震を実際に経験した先人たちの教訓は、現代でも数多くの文献や石碑などから知ることができる。今号では、そのような史料に基づき被害の様子を検証する。

都司嘉宣(建築研究所 特別客員研究員)

安政東海地震に伴う土砂ダム新湖の発生

地震に伴う災害の一つに、山間部で発生する山崩れと、それに伴う河川閉塞・土砂ダムの発生がある。2004年の新潟県中越地震の際にも、震源に近かった山古志村(現在の長岡市)で、芋川流域の閉塞によって9ヶ所で土砂ダムが発生した。歴史上では、弘化4(1847)年長野県で起きた善光寺地震の際に、信濃川の支流である犀(さい)川に虚空蔵(こくぞう)山の崩壊に伴う土砂ダムができ、長さ約40kmにも及ぶ新湖が生じた。地震の14日後、この土砂ダムは一気に崩れ下流の善光寺平から飯山にかけて大氾濫を起こし、家屋流失810軒、死者100余人の大被害が発生した。安政元年11月4日(太陽暦では1854年12月23日)午前9時頃に起きた安政東海地震と、その翌5日の午後に起きた安政南海地震でも、およそ10ヶ所で土砂ダムが発生し新湖ができたことが知られている。
安政東海地震のとき、富士川の中流、富士宮市長貫(ながぬき)の地域で、対岸の白鳥山の東斜面に崩壊が起き、ここで富士川が閉塞した。この土砂ダムはわずか1日で決壊したが、富士川の下流は一時的に水が無くなった。この閉塞点の少し上流の西岸の橋上には、この土砂ダム発生によって死亡した人の供養石碑が建っている。なお、この地域では、宝永地震(1707年)のときにも白鳥山の東斜面の崩壊と富士川の河川閉塞を生じており、富士川東岸の長貫に供養石碑が建てられている(図1)。

図1 安政東海地震(1854)による白鳥山東側斜面崩壊による富士川閉塞地点

静岡県島田市川根町笹間上の石上地区で起きた、大井川の支流・笹間川の閉塞について述べよう。
昭和の初めに編集された『笹間村誌』に「安政元年、地大に震う。遠見場山の一部崩壊して、石上奥にて笹間川を堰き止め流水を中断す。この間およそ二ケ月余。崩壊地を隔つる約一里(4km)上流の粟原(おうばら)まで一面の湖水をなす。」とあり、石上集落の奥部で起きた河川閉塞による土砂ダムに依って出現した新湖の水域は、石上の約4km上流の粟原に達したという。地震後、約2ヶ月間存続して決壊した。この記事に基づいて、石上の現地に出かけたところ、地震による崩壊地点については明白に伝承されていて、いまも崩壊の跡を明瞭にみることができる。2万5千分の一の地図上に石上奥の崩壊地点から粟原に達する水域を書き入れてみると、図2のようになる。崩壊地点の標高と、水域先端付近の粟原での谷筋の標高差を読みとると、天然ダムは約30mの堰堤部の高さがあったことになる。
以上2地点のほか、安政東海地震で土砂ダム新湖の出現地点は図3の5地点で、いずれも安政東海地震の震源域の直上に当たる地点で生じていることになる。
地震の揺れによる被害、津波による被害とならんで、斜面崩壊と土砂ダム新湖の出現および、その後の堰堤決壊による下流の洪水もまた、将来の東海地震に対してあらかじめ対策を打っておくべき災害項目であるということができるであろう。

図2 安政東海地震(1854)による大井川支流の笹間川・石上地区の土砂ダム新湖発生の様子

図3 安政東海地震(1854)で土砂ダムによる新湖が発生した5地点は、いずれも断層滑り面の直上の点になっている。断層配置はIshibashi(1981)による

安政東海地震・安政南海地震(1854年)の概要

日本列島の西半分、すなわち東海北陸地方以西の日本の国土は、ユーラシアプレートの上に載っている。そして、その南の海には海岸線にほぼ平行して東西に南海トラフと呼ばれる海溝軸が走っている。南海トラフの海溝軸は、駿河湾奥部、富士川の河口付近を起点として駿河湾の湾軸を駿河トラフとして南下し、遠州沖・紀伊半島・四国・九州、さらには琉球列島の南方の海域に連なっている。この駿河トラフとそれに連なる南海沖のトラフは、日本列島の西半分を載せるユーラシアプレートと、南から北上してくるフィリピン海プレートの境界線をなしている。
すなわち、フィリピン海プレートは、この南海トラフのところで、ユーラシアプレートに下に潜り込む。フィリピン海プレートが北上してきて、潜り込もうとする速度は毎年約4〜5cmと推定されている。下に潜り込もうとするフィリピン海プレートと、上に載っているユーラシアプレートの間には、摩擦力が働いて、ふだんは上に載ったユーラシアプレート側が、沈み込んでいこうとするフィリピン海プレートに引っ張られる形で、一緒に引き込まれている。しかし、100年から150年ほどの年が過ぎると、ついに耐えきれなくなって、両プレートの境界面が急激な滑りを起こす。これが、紀伊半島以東の東海沖の海域を震源とする東海地震、紀伊半島以西、四国の南方沖の海域を震源とする南海地震の発生メカニズムである。

日本周辺のプレート構造
(出典 総理府地震調査研究推進本部地震調査委員会編『日本の地震活動—被害地震から見た地域別の特徴—』)
注)図中の矢印は、陸側のプレートに対する各プレートの相対運動を示す。日本海東縁部(図中の点線)に沿って、プレート境界があるとする説が出されている

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