第3回「防災ボランティア活動検討会」 日時 平成17年6月10日(金) 場所 フェニックスプラザ 検討会分科会A「災害復興期及び平時の防災ボランティア活動」 西川(政策統括官付参事官)  改めましておはようございます。それでは、時間も過ぎましたので、これからこちらの部屋で分科会Aを進めます。私は、この分科会を担当いたします内閣府の西川でございます。よろしくお願いします。    今回のこの分科会Aでは、与えられたテーマといいますか、ここでぜひ議論したいというのは、一つは災害復興期、それからもう一つは平時の防災ボランティア活動をどうしようかということで、この部屋でこれから11時50分までご議論いただきたいと思います。この分科会の司会を、NPO高知市民会議の山崎様にお願いしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。それでは、山崎さん、よろしくお願いします。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  皆さん、おはようございます。高知から来ました山崎といいます。残念ながら、ちょっと仕事の関係で昨日の会議は参加できていないのですが、今日の進行の白羽の矢が当たって、なぜだろうと思っていたのですが、持ち回りということで、なるほどなと納得をしてしまいました。    議事進行は時間管理が一番のことだと言われていましたので、私のあいさつは3分だったのですが、ここで早くも調整をして、早速議事のほうに入りたいと思います。よろしくお願いします。  それではスケジュールについて説明をさせていただきます。今から11時50分まで、議論を行いたいと思います。時間が短いので、トイレ休憩は挟みませんので、トイレの方は随時行っていただいてけっこうです。大体11時40分ぐらいにはまとめの方向に行きたいと思います。今回の議題が、いわゆる復興時のボランティアということと平時のボランティアということで、二つのテーマに分かれておりますので、これを混ぜて議論すると判らなくなりますので、時間を前半と後半というふうに切って行いたいと思います。  この検討会ですが、基本的に、よく議論では「発散と集約」といいますけれども、今回この場で何か結論を出す必要はないということですので、また集約の場は別途設けていただけるということですので、今回はあくまで発散に重点を置いていただいて、皆様の活動などそういったものでどんどん発散をしていただけたらと思います。  報道関係の方々も含め、この検討会は公開で行いますので、議事録を取らせていただいて、後日また議事録を発言者の皆さんに確認をさせていただいた上で、いつものようにホームページに掲載するとのことですので、ご承知ください。そのために、発言の際にはまずお名前と所属を必ず言ってください。今回マイクがありませんので、多少その分の時間ロスも省けると思いますし、今までから言うと人数もかなり小ぢんまりとしておりますので、お1人当たりの発言時間を取れると思うのですが、せっかく会場に来ていただいている方などにも、最後のほうで意見があれば頂きたいと思いますので、お1人当たりの発言時間を2分というめどでお願いをしたいと思います。卓上ベルがないのですが、ボランティアと同じくお作法で(笑)各自の責任において行いたいと思います。  最後に、座席表を今、お回ししていると思うのですが、記録を確実にするために、これから回覧していく座席表にフルネームでご記入いただきたいと思います。 西川(内閣府政策統括官付参事官)  あとで皆さん、分かれば結構です。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  はい、了解です。最後にまた全体会で発表を大体5分程度でするということですが、私はここでやって燃え尽きる、燃え尽き症候群になる予定ですので、突然言われても、「え、そんなつもりじゃなかった」ということがあるので、私のほうからご指名をさせていただきたいと思いますので、拒否権はありません(笑)。それでは、大分から来た村野さん。 村野(大分県ボランティア・市民活動センター、大分県社会福祉協議会)  はい。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  お願いします。5分ということで発表の方お願いしたいと思います。それでは、今日の資料がありますので、まず事務局から資料説明の補足をお願いしたいと思います。 西川(内閣府政策統括官付参事官)  お手元に、今朝ほどの資料の中で資料6というものがあるかと思います。この分科会Aのためにまとめてもらいました。中身は、1番目、平成16年(昨年度)の防災ボランティアのつどい、それから第2回の防災ボランティア検討会の中で出てきた、今回のこの分科会のテーマに関係する発言をまとめております。    1ページをちょっとごらんいただくと、「平時からの関係が、災害時も役立つ」とか、「日常的に顔の見える、会話のできる関係づくりのための交流が重要」だとか、それから「地域内の人材を生かし、対応をすることが重要」とか、「被災者の自立支援のための継続的なボランティア活動が必要」だと、こんな柱立てで整理しております。  それから2〜4ページに、各県に平時の防災ボランティア活動、こんなことをやっていますとか、こんな活動がありますよというものをちょっとリストアップしていただきました。それが5ページにも続いております。これがテーマの半分である平時の防災ボランティア活動をどうするかということです。  もう一つは、災害復興期のボランティア活動の具体事例ということで、6ページ以降、有珠山噴火、三宅島、鳥取県西部、この間の新潟県中越地震といったものの事例をまとめていただいております。  10ページ以降は平成15年のボランティア活動調査などから幾つか事例をまとめております。今回あえてこの災害復興期及び平時の防災ボランティア活動とさせていただいたのは幾つか理由があります。一つは、何か大災害があったというと、当然ボランティアのかたがワッと来ていただきますけれども、やはりふだんから顔見知りでないと、そこで初めて名刺交換をして「私はこういうものでございます」と名乗っていると、けっこうコミュニケーションが確立するまで時間がかかるのではないかという問題です。  実は、この「防災ボランティア活動検討会」を継続的に去年からやらせていただいたのも、実はねらいの半分以上は全国各地で防災ボランティア活動に携わっていらっしゃる方々が、実は平時から顔見知りになっていただくというのは、かなり大きな効果があるのではないかというのも実はねらいです。  それと、復興期というのは、パッとニュースになっているときはみんなワッと活動して、あっという間にしぼむのです。実は、一昨日、昨日と、来週発表します防災白書の説明があったのですが、そこで記者の皆様方にくれぐれもお願いしたのは、要は、あっという間にマスコミが来て、ワッと報道されて、あっという間に潮が引くとともに活動も低下していく。これを何とかならないものかと、個人的立場から申しました。ちょっとそんな問題意識もあります。ということでお手元に資料を用意させていただきました。 事務局  今、大方西川参事官が申されましたとおりです。ざっとかいつまんでもう一度なぞれば、2ページのところ、平時の活動としますと、通常ボランティア団体どうしの連絡会、講座、それからその中間的な研究会、研修会と、このあたりが通例行われているという傾向です。  それから、4ページのところで、代表的な例ということで、福井県、三重県、横浜と三つのパターンを載せました。平時の連携の組織ということで、一つには、福井の場合は県が窓口になって、民間のボランティアのかなり常設的な活動が組めるような体制を作っているというようなパターンがあり、さらに三重県などでは、先ほどの養成講座とのリンクを行っていて、そのOBの方プラスアルファという形で平時からネットワークを充実させている。そういうスタイルのものがあります。また、横浜災害ボランティアネットワークのように、いわゆるボランティアネットワークのネットワークですね。こういう形のものでカバーをする力をかなり強めてやっている。そのようなパターンがあります。  復興ボランティア活動のところで、6ページ、有珠山の噴火の場合、一つの注目点としては、長期支援が必要な地域に重点的にボランティアコーディネーターが入っていって活動した。また、外部のそういうボランティアネットワーク組織と連携しながら展開されたという復興活動だという点です。  三宅島の場合は、被災地イコール避難先ということではありませんので、その場合かなり応急復旧・復興というようなものか、同一のボランティアの主体が継続的に行っていく、またそれなりにそういう場合のオプションを考えながら展開していかなければいけないという、興味深い事例であったということで、後ほど五辻さんの方からお話があると思います。  鳥取県西部地震の場合は、社協の広域連携的な形で復興支援の活動が行われたということです。それと、復興期のボランティア活動に関するマニュアルというようなものがアウトプットとして出てきた。そのあたりが一つ特徴的な、取り上げるべき例ではないかということです。  新潟県中越地震の復興の場合は、後ほど稲垣さんがいらっしゃいますので、取り上げるのは控えさせていただきます。  その他の参考資料のところは、逆に平時の活動ということになりますと、防災ボランティアだけではなく、いわゆる防犯の部分に力を置いている活動であったり、さまざまな地域のそのような広域的な活動をやっていらっしゃる団体がかかわることによって、非常事態になった時の力が出てくる。そういうあたりがこういう取り組みの内容から読みとれるところではないかと思います。以上です。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  それでは、早速意見交換に入っていきたいと思うのですが、災害というのは当然平時のネットワークがあって、災害が起きて、復興というふうに行きますので、まず平時のボランティア活動ということでご意見を頂きたいのですが、それぞれ平時のボランティア活動などで、資料集に載っているところについては、そこのあたりの補足説明も折り込んでご意見を頂けたらと思います。    さらに欲張りまして、平時のボランティア活動、自分の目標とするところが100であるならば、今、大体どの程度のところへ行っていて、今どういう課題というか、どういう阻害要因があるのかというようなお話もしていただければありがたいと思います。それでは、早速ご意見のほうをお願いします。では、永易さん、村野さん、北川さん、植山さんの順番でお願いします。 永易(新居浜市社会福祉協議会)  平時のボランティア活動ですが、先ほど資料にありましたボランティア講座やコーディネーターの養成研修等をいろいろさせていただいているのですが、講座やボランティアのリーダーの研修や討論などそういったことも通常的には大事なのですが、そういう行事を通じてリーダーの方たちといかに多面的な関係を作れるかを心がけて活動しています。そのリーダーの方が、例えば防災のことで相談に来られたり町のことで相談に来られたりする方がいるのですけれども、その一つのテーマ以外のテーマで、その方の趣味、例えば野球が好きとかサッカーが好きとか、その人の本来の活動以外の何かともつながるというようなことでその関係のネットを張れるよう心掛けています。    平常時には分野を問わず、企業であったり、社会人の方であるとか、活動の分野も全く問わずに、その方が活動する意欲さえあれば、その活動を広めたり深めたりすることなどを、できるだけサポートするため、できるだけ多くの方と関係を持つように平時は心掛けて活動をしています。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございました。村野さん。 村野(大分県ボランティア・市民活動センター、大分県社会福祉協議会)  大分県社会福祉協会の村野です。県下に大分県の災害ボランティアの登録は939名の方から登録していただいています。登録者を対象に、ある程度指導ができるような方たちのコーディネーター研修と、一般の登録者の方に対して体験型研修として運動会形式で非常に楽しみながら皆さんと顔見知りになって、知識を持って帰ってもらう研修をしています。    その研修は、こちらの事務局側で作るのではなく、登録していらっしゃるいろいろな団体の方たちから検討委員を選んで検討委員会を開き、その方たちと一緒に、今年はどんなことを勉強してもらおうか、皆さんにどんなことを知って帰ってもらおうかというようなことを話し合いながら企画をして、当日の運営もそういう検討委員の方たちに一緒に行っていただくということをやっています。  あとは、昨年すごく災害が多かったので、一般の方たちからの連絡が多いのですね。どのようなことをしたらいいのでしょうかと。私が日頃から気をつけているのは、やはりボランティアセンターにいますと、通常のボランティア活動、例えば福祉とか独居老人のお宅に給食サービスをしている方とか、お話し相手をしている方とか、普通のボランティア活動をしていらっしゃる方たちがいて、その普通のボランティア活動をしていらっしゃる方たちの活動と災害をつなげてあげるということをしています。そうすると、「自分たちは全然、独居老人の方とお話をしているので、災害のような時に力もないし何もできないのだけれど」と言っていたかたが、「いや、そうじゃないですよ。普通にお話し相手する時に、『災害時はね、どこに逃げたらいいですよ』とか、『どういうことをしたらいいのですよ』というお話をするだけで私は防災ボランティアだと思うんです」という話をすると、皆さん納得して、「あ、じゃあ自分たちもできるんだ」ということをやはり気づいてもらう。だから、普通の方たちにいかにその平常時の活動に災害時のことをつなげてあげることができるか。それを私はすごく気をつけて最近はやっていることです。以上です。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  日常やっている中で、どうすれば災害防止になるかということですね。 村野(大分県ボランティア・市民活動センター、大分県社会福祉協議会)  はい。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございます。そうしたら北川さんはおいでではないのですね。では、植山さん。 植山(神奈川災害ボランティアネットワーク)  神奈川災害ボランティアネットワークの植山です。私たちの場合は、神奈川県内で、地区で言えば今13地区の市町村でネットワークを作っていまして、基本的にそういうコーディネーター養成講座の初級編・中級編を、大体年に2回ずつやっていまして、初級編の方はそういう市町村を中心にやるのですが、中級編は少し単位を広げて、各地区単位のような形で今やっています。    一番力を入れたいと思っているのは、9月1日前後の防災訓練の時、それから1月17日前後の大体年に2回、シミュレーションをやっています。横浜駅のすぐそばにある神奈川県県民活動サポートセンターというところが非常時の災害ボランティアの施設と、9月1日前後ですと、それぞれ持ち回りでありまして、一昨年は相模原市、去年は藤沢市、今年は南足柄市ということで、県民活動サポートセンターと連携をした防災センターの設置訓練のような形でやりました。現地では、基本的には防災訓練というのはショー的なものになるのですが、2〜3年前から災害のボランティアを入れてほしいということで、ボランティア部会というものを中に入れました。大体300名ずつぐらい参加できるようになり、そういうボランティア部会とサポートチームという県民活動サポートセンターの支援チームと、それから神奈川災害ボランティアネットワークが現地で情報伝達をするというようなことをやっています。そういう意味では、今13地区ありますので、それをどう連携していくかということを今、やっているような形ですね。ありがとうございます。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  判りました。そうしたら、あとどうでしょう。これには、都道府県アンケートの調査結果が載っているのですが、高知も実はやっているのですけれども載っていません。何で載っていないのだろうという方もおいでだと思うのですが。    先ほどのご意見に関しての質問でもよろしいですし、ここが課題と思っているところでもよろしいですし、あと、載っていないけれども自分のところは具体的にこういうことをやっているというようなご意見があれば、どんどんフリーでお願いします。では、五辻さん。 五辻(東京災害ボランティアネットワーク、首都圏コープ事業連合運営統括本部)  名簿で私の所属は首都圏コープ事業連合となっていますが、今日は東京災害ボランティアネットワークの専門員としてきました。略称「東災ボ」といわせていただきますが、私どもの東災ボは「団体のネットワーク」で大きな団体、小さい団体の連携体です。そこで中越や三宅島などの災害支援に対してはかなりのパワーを結集できるのですけれども、このネットワークに所属している団体は今100団体を超えていますので、それぞれの団体に属している人同士は逆に顔の見えない関係です。毎回集まるのは大体二十数団体の方たちで、現にまだ三宅島のいちばん重要な局面を抱えていますので、そちらにマンパワーを投入していますが、いわゆる首都直下地震に備えてということで言いますと、実は足元はあまり固まっていないと思っています。    要するに、市町村単位の地域ネットワークづくりと、そこのコーディネーター、ファシリテーターを務められる地元のリーダーの養成、それから地元の顔の見える関係づくりというところ、本当にもう一度そこからやっていかなければいけないと思っています。  品川や中野など、いわゆる木造密集市街地、私は東京で一番怖い町だと思っていますが、そんな昔のまま残っているところがあちこちにありますので、避難所開設・運営訓練のような格好で、区の方から請け負ったりして、東災ボが少しお手伝いをやることがあります。火災危険度5とか、建物倒壊危険度5とか、東京都は地域危険度を発表しているのですが、地元にはそのことが情報として落ちていないのです。やはり自分たちでいわゆるDIGというものをやって、町を歩いて、なぜうちの町が避難危険度5なのだ、うちの町が火災危険度5なのだと、想像力を養う、気づきを養う。できるだけ学校区単位で、地元の町内会、地域防災会の方たちと一緒になってやらせていただいて、やったことがその地元の中で「ネットワークを作って何とかしようよ」というふうに立ち上っていくような、私たちが請け負った仕事も地元の活動立ち上げをお手伝いできるような格好でやらせてもらいたいと思っております。  リーダー養成講座などもやって、それを登録ボランティアということでいくつかの団体につなぐこともやっております。本当に商店街などの避難危険度というのは、放置自転車で避難危険度がカウントされるわけですね。だから本当に白いつえをついて歩いている方などが、もうあちこちがっちゃんがっちゃんしながら、東京というのは本当に歩きづらい町なのですね、車いすの方や、白いつえの方にとってみれば。逆に車いすを押してみるというようなことも、そういうリーダー養成講座の中に取り入れて、やはりふだん声をかけて、肩を貸して、ちょっと腕を貸してあげられるような、そういうリーダーが育つようにというような気づきの面や、町のいいところ、それから怖いところを知って、災害に対する想像力を持って、地域の活動に当たれるような人材の養成ということもちょっと心掛けて、少しずつやり始めたところです。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございます。いかがでしょうか。 吉田(ハートネットふくしま)  ハートネットふくしまの吉田と申します。よろしくお願いします。平常時の活動、私たちは、人のつながりが実は最後にいちばん有効に生かされるライフラインだという言い方をしています。いろいろなライフラインが切れても、人のつながりのライフラインは切れなくて、隣の人を知っていることが隣の人を助けることにつながるし、あるいは全国でいろいろな仲間と一緒になっていることが、いざという時に力を貸してくれるのだということで、いろいろな場面場面でそういうネットワークをたくさん持っていることが大事だという話をしているので、そのネットワークづくりについては、平常時はずっと一生懸命やっています。    ただ、災害について何かやっているかというと、それほど熱心でもないのかなと、自分たちの団体は思っています。だから、もしかすると皆さんと違う話になってしまうかもしれないのですが、私たちも阪神の震災の時にできた団体なのですけれども、何回か災害を経験して気がついたことは、災害の時にワーッと出てきて頑張ってくれる人と、災害のない時に自分たちの組織を支えてくれる人というのは、けっこうメンバーが替わっていたのです。初めは、「うわ、困ったな」と思ったのですが、ある時開き直って、「ああ、そうか、舞台の上で踊る人と、劇団を運営するスタッフというのは全部別な人で、役者さんが劇団の運営にかかわるかというとそうではない」と。だから、災害がない時にその役者さんをいちいち全部自分たちの劇団につなぎとめておかなければならないことではないのではないかというふうに自分の中で割り切った。ですから阪神の震災の時に現場に行ったメンバーはいつの間にかいなくなったのですが、その人たち、あるいはまた別の同じような人たちが、次の災害の時に集まってくるということを何度か経験していく中で、必ずしもぎっちり手を握り合った組織化したネットワークづくりは必要ないのではないかと。最低限自分たちのノウハウを引き継いでいけるだけのそういうコアになる部分さえあれば、ノウハウは引き継いでいける。  現に新潟県中越地震で、私はこちらの稲垣さんが一番のキーパーソンだと思っているのです。稲垣さんがこうやって、たまたまボランティアセンターに初日に来てしまったがために、気がついたらこうやって中心メンバーになって最後までかかわらなければならなくなってしまった。関係のないところにいた、ごめんなさい(笑)、人がこうやって中心になっているという、こういうことを何度も経験しています。そういう人たちは必ずそういう場面には、もしかすると稲垣さんではない人だったかもしれないけれども、来てくれるものだというふうに自分は最近開き直って、だから稲垣さんがずっとここにいなければならないとは、逆にあまり思わなくなってきたのです。  だから、新潟県中越地震の問題が一段落した時に、稲垣さんが別の分野の活動をすると離れていくこともありえるなあと。それは自分たちの仲間から離れていったのではなく、次に稲垣さんあるいは稲垣さん的な人間が、新潟県中越地震で何か起こった時は必ずやってくるものだと思えば、そういう意味でもう少し広い連携がとれればいいのかなと、開き直りからなのですけれども、そう思っています。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  そういうことですから、稲垣さん(笑)。どういう経緯で。 稲垣(中越復興市民会議)  経緯を話すと2時間ぐらいかかります。全く平常時の活動は私はやったことはなく、サラリーマンをやっていましてこの地震に遭ったということです。吉田さんと初日にお会いして役者になったということです(笑)。何だかんだやってはいましたが、どちらかというと、私どもも皆さんからいろいろな部分でのアドバイスを一々頂いたという形ではないのです。実は、側面からただ単に支えていただいたというのでしょうか、一言一言が何かアドバイスがあったわけではなく、現場の中で自分たちで考えた部分もあるのですが、そこの中でやはり地元の人間が大事なのだということを自然に感じてきたというところなので、その辺は吉田さんあたりがうまく考えているのだろうなと思うのですが。私がお話しできるのはそんなところしかありません。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございました。私も高知から来ましたので、進行だけではなく、高知の事情を話しますが、高知はなぜか載っていないのですね。高知は、南海地震が40年以内に起きるだろうということで、防災意識という店では、かなり自主防災組織などもできておりまして、各地域でいろいろな多彩な活動は行われています。    私たちが今直接やっているのは、市民が作る防災フォーラムというものを作っているのと同時に、一つは「高知災害ボランティアネットワーク会議」という場を設けておりまして、これが日赤さん、生協、経営者協会、その他いろいろ中間支援組織といわれるボランティアセンターなど、合計で10団体加盟してネットワーク会議をやっています。  この会の研修で面白いのは、年に1回ぐらい災害ボランティアの実地研修というか想定研修をやっています。NTTの協力を得て、電話回線を引いてきて実地さながらの研修ですが、過去に被災者に悩まされている人たちが被災者役をやって、どんどん対応困難な電話をかけてくるのです。初めての方などは、「濡れた畳を運び出したいから男を4人連れてきてくれ」といった無理な注文をしてくるなど、いろいろなシミュレーションをやっています。これは非常に面白くて、皆さん本当に災害の大変さが分かったという感想が聞けます。  ただ、一つネックなのが、先ほど吉田さんが言われたように、研修を受けた人たちが、実際災害が起きた時に、実際舞台役者になれるかどうかは別問題で、南海地震の場合は生きているのかどうかということもあるのですが(笑)、そこで私も吉田さんと同じ考え方で、やはり必要な時には必要な人というのは恐らく出てくるだろうと考えています。  組織としてのネットワークでやっているのですが、当然、代表の方が来られるのですね。そこで共有した部分を組織としての意識としてできるかというと、現実的には非常に難しいです。特に青年会議所さんなどですと、毎年毎年代表の方が替わっていって、当時の理事長との個人的なネットワークのようになってしまって、人によって意見がころころ変わっていくという部分があります。それで言うと、一つの組織としてのネットワーク体で言うと、そこの部分をどうきちっと組織として意識共有をしていくかという部分が、今、非常に課題として残っているのかなと感じています。  大体参加いただいている委員の方の意見は出そろいましたが、あとどうでしょう。もう一つご意見などがあれば伺いたいのですけれども。 西川(内閣府政策統括官付参事官)  では、本当は私がしゃべるのはルール違反かもしれませんけれども。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  いえいえ、とんでもない、どうぞ。 西川(政策統括官付参事官)  先ほどの村野さんからのお話の中で、ふだんのボランティア活動と災害を結びつけてくださるのは非常にありがたい話で、私はよくいろいろなところでお話しする時に言うのですが、例えば皆さん、今夜お家に帰った時に、自分の寝る部屋の家具がどっちを向いているか考えてください。先ほどのお話で、ふだん例えばお年寄りの方にお話をされる時に、もし地震が起こったらどっちを向いていたら安全かとか、「ちょっとあそこのガラスが危ないからフィルムをはっておきましょうか」とか、ちょっとおっしゃっていただくだけでものすごい違いがあると思うのです。    やはり起こった後だと、けがをした後や死んだ後ではしょうがないですから、いかにしてふだんちょっとでも防災について、もし台風が来たらどうしようとか、もし地震が来たらどうしようかと、ちょっとでも皆さんが考えるきっかけを作ってくださるだけでものすごい違いがあると思っておりまして、ぜひそういうことが広まればなとふだんから願っております。  子どもの安全関係のボランティア、あるいはそれこそ福祉関係とか、やはりそれぞれの個人個人と接触する人たちの役割というのは、私はものすごく大きいと思っています。その時に一言、「地震が起こったらどうしよう」「水が来たらどうしよう」とおっしゃっていただくだけでだいぶ違いがあると思います。よろしくお願いします。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございました。 五辻(東京災害ボランティアネットワーク、首都圏コープ事業連合運営統括本部)  五辻です。今の点、私も大賛成です。避難所開設訓練などやりますでしょう。避難所というのは、東京の中野区の例ですが、立派な「避難所開設マニュアル」というものがあって、ある地域の町内会の役員さんが地域防災課の役員さんを兼ねていて、50人くらいの名簿が、これは本部、救護係、連絡係などと名前が全部入って、役割が決まっているのです。    ところが、その方たちは割と高齢の方たちなのですが、必ずお家で被災して、狭い避難路を通って学校へ出てくるまでの、そこをあなたは安全に出てこられるのですかということまでやらないと。だから、家具の固定とか、テレビが飛んできますよ、ちょっと古い家なら耐震性の補強をしていないと、あなたはそこで大けがか死んでいるかもしれませんよと、やはり私は防災の講習会などへ行ったら、今はもうほとんど家具の固定の問題と、耐震補強という、「まず自分と家族の命の安全確保をしてください。そこからですよ」というような話をしていかないと、そこがやはりできていない。それで実際大勢の方が亡くなっているのですから。    それから家の中ではないですけれども、ブロック塀で死者が出ました。1978年の宮城県沖地震の時の仙台市内13人の死者のうち9人がブロック塀で死んでいますから、本当に怖いなと思いますね。身近なところで。 室崎(独立行政法人消防研究所理事長)  平常時の防災活動は3つあると思います。その3種類を全部やらなければいけないということではなく、1番目は「事前準備」。災害後の支援や救出・救助活動などの活動をしっかりするための準備をつくっておく必要があるでしょう。その中には訓練、ボランティア間のネットワークづくりなど、災害時にスムーズに対応できるような体制や装備、あるいは知識・能力を準備するという活動が必要です。これはまず狭い意味で皆さんがやられようとしていることだと思います。    二つ目には西川さんと五辻さんが発言された、「事前に被害をなくす」取り組みがあります。家具の転倒防止や耐震補強など、いろいろ体質の改善を図っていくという予防医学的な対策があると思います。新しいボランティアの課題として、家具の転倒防止をするボランティアが相当出てきましたが、この活動は非常に重視されています。スマトラ沖津波災害でも感じたのですが、日本のボランティアの海外支援でやるべきこととして、脆弱な構造の家が大半のところに対して、家の耐震構造についての技術支援をすることが、欠かせない。予防医学的なボランティアが大切になってきています。  三つ目は、多分、村野さんの話と近いのですが、一般的に公衆衛生といわれますが、日ごろからの「自然との環境共生を図る」「地域の人と人とのつながりをしっかりつくる」などの取り組みがあります。たとえば、高齢者福祉の問題にしっかり取り組むなど、日常的にも強い社会をしっかりつくっていくことが、ボランティアに求められます。  以上の3つの柱について、皆さんそれぞれの思いとして話をされたと思うのですが、その中で一番重要なのは、「住まいの作法」と言っているのですが、日常的な人のつながりや自然とのつきあい方、ごみの出し方など住み方のルールからはじまって、できることをしっかり作り上げていく必要があるでしょう。  ただ、防災ボランティアがやるべきなのかというと、同じ人がやるわけではなく、役割分担もあるし、バトンタッチすることなども当然出てくると思います。皆さんが言われた内容は、多分その3通りに整理できるのではないかと思います。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございます。有識者の方に言っていただいたので、池上先生。 池上(市民防災研究所理事/東京YWCA副会長)  今日の資料のいちばん最後に、「東京YWCA」の団体名で出ているのですが、実は私、最近「市民防災研究所の池上です」というのに併せて、「東京YWCAの池上です」と、両方書くようになったのです。というのは、私がボランティアの「ボ」の字から教わったのは、実は東京YWCAで、「なるほど、聖書のよきサマリア人から来ているのか」ということから始まって、ルールに関することまで学びました。    昨日も金香百合さんという人が、心のケアの話をするために来てくださったのですが、彼女は元「大阪YWCA」の元スタッフで阪神・淡路大震災ではとてもいい働きをしていました。心のケアをするボランティアは、これからカウンセラーになろうとしている人、あるいは今、カウンセラーをしている人に集まっていただきました。しかも、活動の前に必ず研修を受けてもらい、活動後は振り返りと記録を書きます。    例えば病院ボランティアに行って、活動中に居眠りをしてしまった人がいるのですが、そういう人は来てもらっては困るわけです。言い出せば切りがないのですが、やはり作法が必要と思います。  YWCAのいいところは、広域のボランティア団体ということです。10年前の阪神・淡路大震災の時には神戸YWCAが被災し、被災しなかった大阪YWCAと全国のYWCAがやり取りしました。必要のないものはもう要らないと、身内なので言えたのがよかったと思いますし、物資を降ろして空になった車にごみを載せてきたというアイディアも出てそれもすごくよかったと思います。    当時は「YWCA方式」などと言っていたのですが、身内だったからできたのか、でもそれは身内でなくてもできるようにしておかなければいけないと思います。やはり村野さんが先ほど言われたように、日常の活動が災害時にも生きるのだなと思います。  「平常時の活動が活きる」という点では、例えば留学生などの支援をしている、神戸YWCAが被災した時に、留学生が無事かどうかというのは、やはりそのボランティアを担当している人たちが安否確認をしました。いないからどうしたのだろうと心配して探したら、とっくにもう国に帰っていたということがあとで分かったということがありました。そういう意味では一般市民の方たちも、年を取れば取るほど何かの会に所属してください、市民グループでも何でもいいのですが、所属していらっしゃれば、必ず助け合いができるはずだと私は言っています。  もう一つは、「東京消防災害時支援ボランティア」という制度が、阪神淡路大震災の年(平成7年)の7月に発足したのですが、それは阪神を見ていると、東京消防の職員が1万8000人いるのですが、それだけで都民が守れるはずがない。やはり行政にも限界があるのと同じで、市民にも限界があるのだから、お互いに助け合いましょうよということで呼びかけたところ、約1万7000人の市民が登録したのです。それは、自分勤務地、あるいは住まいに近い消防署に登録をして、いざという時にはそこに駆けつけて消防士の支援をしようというものです。  平常時は何をしているかというと、やはりそこの地域のリーダー的存在で、災害時だけに活かすのではなくて、平常時は地域のリーダーとして、自分が培ったものをいろいろなかたちで流しましょうというようにしているのですが、そういうことの積み重ねが大切だと思います。  地域には自主防災組織や消防団の方もおられますが、問題は、そういう方たちが連携できているかというと、必ずしもできているとはいえません。しかも、山崎さんがおっしゃられている「力不足はネットワークの生みの親」の言葉のように、皆が助け合っていいネットワークができたらと思っています。 立木(同志社大学教授)  冷や水をかけるようなことを申し上げますと。まず今日の配布資料で都道府県についての取り組み紹介ですが、都道府県というのは現場と非常に離れた組織で、担当者も替わっていくので、実は現場のことをよく分かっていないと思います。    典型的なのは、3ページの三重県。平時の取り組みで、「ボランティアコーディネーター養成講座」をされています。けれども、三重は何がすごいのかというと、24ページに載っている「ハローボランティア・ネットワークみえ」の取り組みです。養成講座のではなくて、通常「ハローボラみえ」と呼ばれている団体の活動が、非常に革新的な平時の活動です。  一般の市民は防災のために生きておられるわけではない。しかも災害はめったにしか起こらない。常に災害のことについてイメージしていただくことは難しい。そのような中で三重は、人材は養成できないと考えた。むしろ、人材は発見するものだと発想を変えたのです。実際に新潟県中越には稲垣さんも釣り上げられてしまったわけで、人材はむしろ一本釣りした方がよいと思います。  研修のデメリットについてですが、吉田さんのお話をお伺いして、役者さんと裏方さんと言われましたが、ボランティア活動という芝居はシナリオのない即興劇といえます。ある程度の作法やお約束を決めておけば、即興的にその場で対応しなければなりません。なぜ研修やシミュレーションが実際にはあまり役に立たないかというと、現場は全然想定外のことばかりが起こってきてしまうからです。  では、平時に予想外にたくさんの人が来て、想定できない、時間管理進行表もなくて、その場で即興的に対応しなければいけないような出来事はないだろうかと考えたら、実はある。三重の場合は伊勢の花火大会に代表されるような、大量に人が来るようなイベントです。ここで、いわゆる「ボラセン」を立ち上げるわけです。その日にあわせて役者さん、声をかけて来た人が来られるのです。裏方はイベント会場で出てくる即興的な業務に応じて、ポストイット方式で業務のリストアップと募集を行います。災害ボランティアセンターの運営方法をそのまま通常の大量に人が来るイベントの中で対応しています。  例えば、花火大会ですごいなと思うのは、来られた方が出すごみの分別です。トレーも洗って分別して出していただいています。ボランティアは「このごみはここですよ」という分別のナビゲーターをするだけです。とにかく想定外のことが絶えず起こるような出来事が、イベントの中には非常に多く含まれている。ですから、そういうものの中でボラセンのマネジメントのノウハウを絶えず培っておけば、それが災害時のボラセンの運営に役立つわけです。  「ハローボラみえ」は、阪神・淡路大震災、福井重油災害で活躍された検討会メンバーである山本さんが関わっています。想定外のことが実は日常に起こっているのだから、そこで人々をうまくマネジメントする。それは人だけではなく、物や資金についても(ロジスティックス)そうですし、組織間の連携もうまくできている。このような情報が、悲しいことに担当者が替わると、三重県でさえ知らないというのが問題だと思います。  最後に資料を取りまとめられた事務方への注文をします。こういう資料を作られる時に、一生懸命努力して作られると思うのですが、総務省消防庁の関連資料はあまりご覧になっていない。総務省消防庁で災害ボランティア関連の大変貴重な報告書が少なくとも2冊は出ています。ぜひこういう資料の中に入れていただくと、けっこう現場での調査に基づいた「知恵」が出てくると思います。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございました。確かに、言われるように、高知もそういうネットワーク会議には必ず行政の危機管理課というところが来ているのですが、恐らく来ている人と、問い合わせがあって書いている人は恐らく別な人です。そのあたりは行政内部での一つの横の連携というか、そのあたりも問題かと思います。    ちょうど時間でもありますので、できたら復興期における災害ボランティアのほうに話題を移していきたいと思うのですが、これについては、稲垣さん、よろしければ口火を切っていただけますか。 稲垣(中越復興市民会議)  それでは、時間もないですから、お話しさせていただきます。中越復興市民会議の稲垣です。先ほどご紹介があったように、想定以外に長くいてしまっている人間なのですが、このチラシを見ていただいてのとおりで、非常に貧乏な団体だとお分かりかと思います。    現状を申し上げますと、被災地では今、復興期に当たっているのでしょうけれども、福祉的なボランティアに関しては社協さんの枠組みで生活支援相談員というものができましたので、仮設住宅の見守りや、こちらのコミュニティづくりという部分では、そちらのほうが機能していると考えています。  私どもとしては、実を言いますと、災害救援時からNPOあるいはボランティアということで各地で活躍していた人間が一堂に会しまして、要は、ちょっと福祉的な意味を超えたような形の何か支援ができないのかと話し合いました。というのは、住民の方はこれから復興の中で、例えば住宅の再建や農地の再建、あるいは生業を失った方もいらっしゃるでしょうし、あるいは高齢者の方というような部分がありますので、そのようなものを、言ってみればそこに関してはいろいろな専門的な要素があったり、あるいは制度的な面の問題があったりという部分で、その辺に関しては一人二人、あるいはボランティアセンターの一つの枠の中ではなかなか解決ができないだろうということでネットワークづくりから始めましていろいろな方々のアドバイスを頂きながら今後やっていきたいと思っている次第です。  今後に関しては、やはり地域づくりやまちづくり、あるいは人づくりというような形のところになってくるとは思うのですが、何分にもまだ新潟県も当然そういったまちづくりなどの中で、どう住民と協働していったらいいのかということをまだまだ模索している段階だと思っています。  私どもの会議も、この内閣府の会議ではこのように大きく取り上げられていますが、まだ新潟県ではそんなに大きく取り上げてはいただいておりません。まだまだ行政との連携がそんなにとれているわけではない。ただ、復興期におきましては、やはり行政の力がかなり大きな面があると思うのです。例えば棚田の修復にしても、当然ボランティアが100人入って一面の棚田を復活したとしても、それはそれであって、やはり大きな農業の施策の中から、できない部分はどこなのだと、そこの部分を私どもが手伝っていくのだという形です。ある程度行政との連携、あるいは被災者との連携ということが大事かとは思っています。  そんなことを考えながら5月11日に立ち上がったのですが、要は行政の方々の人探しと、それから被災者の方々の中から頑張っていくだろうと思う人探し、ここを水面下でやっているようなところです。表立っては動いていませんので、私どもも毎日非常に悩みながらやっています。レールがあるものではないと思いますので。  ただ、私がここに参加させていただいたのは、できればいろいろな部分で阪神・淡路大震災あるいは三宅島噴火、あるいは有珠山噴火の経験があろうかと思いますので、そんな方々からアドバイスをちょうだいして、私どもも、これも時間をかけていいものとかけてはいけないものもあろうかと思います。正直私どもも思いでは作ったのですけれども、どうやって動いていったらいいのかというのは、まだ整理がついていないというのが本当のところです。ただ、「ひとりひとりの小さな声を復興の大きな流れへ」というこのフレーズだけはみんなに理解してもらっているのですが、それ以上はまだ動いていないという実情です。以上です。ちょっと長くなりました。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  非常に謙虚なご意見でした。五辻さんも三宅島の復興支援をやられていると思いますので、よければ補足的にご説明を。 五辻(東京災害ボランティアネットワーク、首都圏コープ事業連合運営統括本部)  パンフレットをお持ちしたのですが、ちょっと部数が足りません。これはほとんど出てしまって、今第2版を増刷していて、今日あたり東京ででき上がってきているので、やっと出がけに20部だけもらってきました。 事務局  周りの方と共用で見ていただけますか。お願いいたします。 五辻(東京災害ボランティアネットワーク、首都圏コープ事業連合運営統括本部)  「復興支援事業中間報告」というものがあります。6〜7ページに簡単に紹介しています。2000年の6月に最初の噴火がありまして、その時も私たちはボランティア130名で灰の除去などで入ったのですが、そのあと本格的にもう一度爆発が起こって、もうボランティアの手に負えず、自衛隊が入った。9月に全島避難となって、長いもので4年半ですね。それでやっとこの2月1日から帰島が、この資料の7ページのところでは平成17年に復島4月からとなっていますが、2月から島民の第一陣が入る前に、私どもの部隊を送って、島民の方たちと一緒に第一陣の帰島支援のボランティアを入れました。それで今、赤い帽子の三宅島支援センターのボランティアは、本当に島民の方にわかるように、赤い帽子と赤い旗、「ただいまボランティア活動中」というのぼりを作りまして、「ご苦労さん、ありがとう」と声をかけていただいて本当に信頼をいただいております。    それはやはり4年間この東京に皆さんが避難して、石原知事の英断で、空いている都営住宅に避難したのですが、ほとんどコミュニティはばらばらになりまして、その中でやはり島民の人たちが、電話帳やファクスニュースなど、それからその避難先の地区別に分かれている島民連絡会の組織化など、その辺のお手伝いをずっとやってきて、年2回芝浦の小学校の校庭で、本当に1000人、1500人という島民のかたたちがそこで初めて「ああ、元気だったのね」と顔を合わせる。そういう「島民の集い」というものをお手伝いさせていただいた4年間の活動が信頼をいただいていると思います。私個人としては、復興支援という点では外からの支援というのはそんなに役割を果たせないと思っております。一応帰島支援の2か年事業ということで、第1期が引越し支援を中心に7月までで、もう一段落山は越えたのですけれども、今6割ぐらいの方が帰島されました。  ただ、一面非常に悲惨です。やはり現役の人たち、いちばん中堅の人たちが帰らない、帰れない。やはり高齢の方たちは東京で死ぬのは嫌だ、元気なうちに島に帰って死にたいという方、一人暮らし、二人暮らしの高齢の方が帰られる。例えばですが、行政は非常にライフラインの復興など、帰島にあたっても、家の再建支援はできないけれども、いろいろなことを考えてもらって、引っ越しの1軒当たり70万円の助成ということで、引っ越しに70万もかかるのか。貨物船を使いますからね。それでも引っ越しの運送屋さんは道路のところまでしか運んでくれない。降ろすのも含めて家の中に持ち込んで、家の中に設置をして、テレビの設置などということをだれがやるのか。おばあちゃん一人でできますかというところがあるわけです。だから、そういうところをボランティアが、人の支援ということで引っ越しのお手伝いをします。  それと併せて、本当に4年たって、アシや竹笹なのですが、4年間放置するとアシがこんな幹になっている。だからそれをエンジンつきの草刈り機でバーバーやればいいのですが、それは危険が伴う。私などはふだん自分でもやっていますが、でもそれはみんながやったら危険だということで、ボランティア保険の対象にもならない。それで、それは使わないということで、鎌で切ったり、のこぎりで切ったりしたあと、シャベルで根っこも掘り起こして、また生えないようにという格好で、畑や庭など、そういういわゆる草取りなどというものではない。掘り起こしまでやりました。  第2期の支援事業としては、いわゆる声かけ・見守りといいますか、介護事業がほとんど破たん状態で、前にいらっしゃったケアマネジャーさんは一人しかいません。ヘルパーさんも、実際に帰られた方は半分です。やはり若い、一番中堅の方が帰れない。やはり中学校の子供を持っていると、高校へ入ってお友達もできてしまった。すると子供を置いて帰れない。それから、島で事業、商売をやっていた方は、東京へ来て何とか事業をやってやっとお客さんがついた。そのお客さんをほうってまた家へ帰って、自分の家も壊れてしまっているし、家の再建、商売の再開の見通しがつかないから帰れない、帰らない。こういう方たちがまだ層としていらっしゃるわけです。  だから、本当に高齢の方がたのお一人、お二人暮らしのお年寄りの方を、元気な島人が元気な島の人たちを支援する、ケアする、見守るという、これができれば、何も私どもが東海汽船で往復1万円取るところを、島民と同じということで7割扱いにしてもらっているのですが、今はほとんど2年間の復興支援事業に、私どもも自力で5000万の資金を集めました。ほとんど往復の船賃と食事です。合宿する施設は貸してくれましたが、食事は全部、炊き出しではなく、島の業者さんに頼んで、経済活性化ということも含めてお弁当を毎日作ってもらうのですが、お弁当が毎日3食同じようなものですから、1週間いると大変なのですけれども。それでほとんどその事業予算を使って、もう3000万ぐらい使って、8月からは「第2期」事業に移行します。  「第2期」は見守りなど福祉を中心にした支援活動になります。「風の家」という交流施設作りを含めて、私たちの事務局長の上原がしょっちゅう島と行き来して準備に当っていますが、島の人たち自身の担い手をどう作って、それで自立してもらって私たちは引き上げるということが2年間の間にできるかどうかという感じで、今の第1期から第2期への移り変わりのところで、条件作りという点ではなかなか内実は非常に厳しいものがあります。けれども、本当に島の人たちは、帰ってやはり顔が明るい。やはり空気がいいし、もう一度野菜を作り始めてお魚を捕って、やはり顔が元気ですね。そういうところはやはり本当に声をかけて見守って、これまでは島の集落ごとにみんなセクトがあって交流が少なかったところが、東京の地でごちゃ混ぜにされて、人間づきあいがもうちょっと広いコミュニティになって島へ戻ったわけですから、島の皆さんどうしで助け合って生活復興していくという仕組みが必ずできると思って、あと1年ちょっとの中で自立支援の基本に立って、島の中でボランティア活動を根付かせる、そういう事業をやっていきます。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございました。いかに地域を主体にした復興活動をするか、というご提言を頂いたわけですが、あといかがでしょう。皆さんもそれぞれ災害を経験されている方々ですので、その中で復興ボランティアがこのようにかかわることに関して、感じたことがあれば、またご自由にご意見を頂きたいのですけれども。では、永易さん。 永易(新居浜市社会福祉協議会)  新居浜市社会福祉協議会の永易です。新居浜で災害が起きた時に、1万3000人ほどボランティアに来ていただきました。その時特徴的だったのは、1万3000人のうちの半数は高校生であったということ、または復興支援のところ、現場のリーダーなどのところは、地元の方もしくは社協のスタッフで当たろうとしたことです。    新居浜市というか、愛媛県内も災害のボランティアということでは、あえて大掛かりなセンターを設置するのは初めてだったのですが、「報道ステーション」などいろいろなマスコミ関係にもご協力いただいて報道していただく中で、阪神・淡路大震災など様々な被災現場を経験された方や各地で経験されたボランティアのコーディネーター的な方も非常に応援の依頼とか「行きますよ」という声をかけていただいたのです。    その時僕が感じたのは、それですぐ応援に来ていただいて、いろいろ手伝ってもらっても、後々新居浜がもう1回水害が起きた時には、新居浜では災害の時に地元の中で対応ができないなということです。ポイントは、平常時は防災などにかかわっていなかった方でも、例えば空手の先生をしているとか、いろいろなポジション的な方で、地域のリーダー的な方をそういったポイント的なところに配置させていただきまして、災害を乗り越えることが出来たのです。    できるだけ継続的に地元に残れる方とか、もしくは防災に関係なくても、違う分野で何かリーダーシップを発揮されている方などをポイント的なところに配置すると、災害を乗り越えていけるのではないかと思います。    高校生も大体5000〜6000人ぐらい来ていただいたのですが、その高校生とも通常的には災害という切り口ではつながりがなかったのですが、高校の先生たちと日ごろの福祉教育の会とかワークキャンプをするというような形で、高校生は入れ替わって卒業していくのですけれども、学校の先生たちとは何らかのコンタクトを取っていくと、そういう時には役立つというか、非常に協力していただけるかなと思っております。 吉田(ハートネットふくしま)  ハートネットの吉田です。私自身、福島でも重油災害のあった翌年に応援していただいて、被災地としての活動もしたのですが、災害の規模によって、いわゆる復興期にまでボランティアがかかわる、あるいはかかわらなくてもいいということはないのでしょうけれども、大きくかかわることのない災害というのはやはりあるような気がするのです。    復興期に大きく動く活動というのは、地元としての経験をしたことはないのです。福島県の南東、数都市にまたがる水害の時には、1年ぐらい田んぼで一緒になって農作ということをやったのですが、いわゆる復興期の活動をどれだけやったかというと、ほとんどかかわっていないに近いような気がするのです。  そういう意味では、その後応援に行った災害でも、復興期というものを身近で見たのは、阪神・淡路大震災と今回の新潟県中越地震で、これから復興を間近で応援するという立場で見ることになると思うのですが、今回の新潟県中越地震でちょっとうーんと感じることがあるのです。それは、先ほど五辻さんがおっしゃった、避難の時に別々のところに避難したことによってコミュニティが継続できなかった、それが逆に世間が広くなったという話がありましたが、新潟県の場合にはその逆に、いろいろな反省で、集落ごとに避難をするという、画期的なことだと思うのですけれども、そこで私がすごく気になったのは、逆に既存のコミュニティの中にあるさまざまな矛盾がそのまま引き継がれてしまっている。そうすると、いわゆる村八分ではないにしろ、その地域の中でなかなか打ち解けなかった、あるいは地域の中で「あの人が」と言われていた人たちが、仮設の中で非常にくっつき合った中でもやはり「あの人は」というのがさらに増幅されてつらい思いをしている。  その人たちが今度復興期に入った時に、そういう人が結局避難所に最後まで残るのです。元気な人たち、お互いに助け合うことが可能な人たちからどんどん自分の元の町に戻っていくわけです。そうなった時に、残った人たちに対して既存のコミュニティがそのまま継続されているがために、「あの人たちはしかたない」と、「あの人たちだからそうなっちゃうんだ」と、そのような雰囲気がなきにしもあらずだなと、ちょっと外から見ていて、つまりその地域の中に住んでいない人間だからそのように思うのですが、そのようなことも逆に少し見えるような気がするのです。そこで、「うちの地域は復興したよ」「あの人たちはしかたないんだ」というような言い方で切り捨てられないかという不安は少し感じているわけです。  これは都会と田舎では随分違うような気がするのですが、私は福島の田舎出身ですので、自分の地域に置き換えて考えた時に、やはりそういう人たちはいるのです。今回おつきあいしている中に、「ああ、この人はやっぱり嫌われるわ」と思うのです(笑)。思うのですが、その人たちがやっぱり残っていって、私たちはずっと長岡に事務所を構えていてお茶飲みスペースを作っていたのですが、今そこのスタッフは長岡の被災した方たちが自分たちでスタッフになってやっているのです。そこに今年の初めぐらいかな、福島のある中学校が応援に行きたいと。1日だけでも炊き出しをしたいのだというような話を持ってきた時に、私が一緒に行けなかったものですから、留守番の長岡の人たちがそこの話を聞いてくれたのですけれども、「もうみんな帰ったからいいですよ」と、軽くおっしゃるのです。  だから、結局そこの中では多分復興が始まっているというか、いい方向に向かっているのでしょう。ただ、それが必ずしも本当にいい状況、もっとも地域の人がいいと言うことがいいと言えばそのとおりなのですが、地域の抱えている問題は多分そこで変わらないだろうなと。そこは、もしかするとよそ者が多少意地悪してでも何とかしなければならない部分はあるのかなと。やりすぎてはいけないというのも分かりますが、私がよそ者として半年以上かかわっている中で、それを痛切に感じているのです。それをいかにうまく調節するか。  コミュニティが存続しているのは、すごくいいことだと思うのです。よかったなと思うのですが、そこで見えてきた部分をさらにもう一つ修正していかないと、本当の復興になっていかないのかなという気がしています。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございました。 室崎(独立行政法人消防研究所理事長)  多分神戸の方がおられれば神戸の方が発言すればいいことですが、立木さんたちと神戸の「被災者復興支援会議」に10年間携わってきた立場から言うと、まずボランティアは「行政ができないこと」、あるいは「コミュニティもできないこと」をしっかりフォローしていくということが、原点にあるのだと思うのです。現実には、仕事の押し付け合いをしている時間もないので、肩代わりも当然必要かもしれません。コミュニティがやるべきことをボランティアがやるということもあるかもしれません。しかし、ボランティアの役割を明確にすること、そこが原点だと思います。    そうすると、1点目は、この新潟県中越地震の資料にある「ひとりひとりの小さな声」というのは非常に重要で、最後の一人、本当に声なき声というか、行政で細やかなニーズがつかめないところを最後まできちんとつかむことが大事です。声の出せない人、やはり忘れ去られる人は必ずいます。それをきちっと拾ってくるというのは、ボランティアやコミュニティだからできるのだと思います。コミュニティがつかんだ意見をもう一つ上に上げる力を持っていない場合、ボランティアがきちんと拾い上げるのがよいのでしょう。  二つ目は、「エンパワーメント」といわれますが、「地域が自立し、地域を復興する、地域の力をつけてあげること」が大事です。ボランティアが引くタイミングもあるのですが、被災者の経済的な力も含めて、地域の市民力・地域力を作り上げることを、ボランティアの使命と自覚することです。  三つ目は、「コーディネーション」の重要性。特に行政と、様々な市民団体、組織、地域を越えたつながりをコーディネートしなければなりません。行政がいろいろと権限を持っている復興期には行政と市民の橋渡しをする役割というのはすごく重要だと思います。コーディネートする、行政を動かす力は自治会のようなコミュニティでも機能する場合がありますが、新しい問題を見つけた時には、既存の組織が対応できなくて、ボランティアだから提言できることはあると思います。  四つ目、市民の目線から見た教訓をきちんと伝えていくことが大事です。これは必ずしもボランティアの人かどうか分からないけれども、教訓を発信しなければならないでしょう。  以上のように復興の段階では4つのポイントがあり、そのうちの最初の二つがボランティアに期待されていると思います。地域の力については、三宅島、新潟県中越地震でも、地域が自らそれを解決していく力をつけるところまでは上手にサポートしてあげる必要があるでしょう。以上、阪神・淡路大震災の教訓として考えることを申しました。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございました。 室崎(独立行政法人消防研究所理事長)  立木さんと悪戦苦闘して(笑)。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  植山さん。 植山(神奈川災害ボランティアネットワーク)  我々神奈川も、そういう意味では大きな被害に遭ったことはないので、なかなかそういう復興ということに関しては、神戸のことや、今、先生も言っていただいたような教訓をどのようにということで考えてはいるのですが、なかなか具体的にどういうことをやったらいいかというのは、もう本当に何というか・・・。ただ、幾つかのグループでは新潟の子供たちを神奈川にお呼びしたいという話が出たり、そういう形は出ています。    それとまた別に神戸の話をすれば、例えば神奈川の場合は特に神戸の問題というのはやはり身近な問題というか、やはり直接関係してくる。マンションの問題にしてもそうですし、まちづくりの問題にしてもそうです。今ちょっと目につけているのは、いわゆる地域防災計画のようなものに市民サイドで入っていけないかということを今、見込んでいまして、行政にそういう投げかけをしているところです。  そういう形で何かできないかなということ。それと、現実の新潟県中越地震、ずっと神奈川も最初からかかわらせていただいたので、何とかできないかなという、そういうものを情報として僕らが神奈川の人たちに発信していけるかどうかというのが今の一番の関心事なのです。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  村野さん、何かないですか。 村野(大分県ボランティア・市民活動センター、大分県社会福祉協議会)  吉田さんが、災害の規模によって復興期にかかわる必要がないのではないかという話をした時に思い出しました。大分でも2年続けて、本当に一部の地域だけで、30世帯とかが集中豪雨のために床上浸水したりとかもあったのですが、その時に、最初はやはり地元は、小さな町村にとっては非常に大事件ですね。でも、行政の圏域から見れば、全体的なパーセンテージは低いので大したことはないという感覚なのです。でも、地元からは一生懸命ボランティアの要請が来るのです。  その時に、1回目はやはり現場を見にいかなければいけないということで、私たちもボランティア活動をするとともに見にいったのですが、でも本当に30世帯で同じ町の中でも全然、ほかのところは全然普通の生活をしていて、全然もう携わっていない人がいる。私たちが行くのに2時間ぐらいかかるところなのですが、わざわざ中心部から2時間もかけて応援に行く必要があるのかけれども、やはり地元の町村の人たちが、自分たちの地域の人たちを自分たちで支援するというような形に切り替えて、応援は私たちは1日だけで、あとは周りの方たちにそれをいかに伝えて、自分たちの地域の方たちを自分たちでという気持ちに形でいかにもっていけるかということにすごく神経を使って、地域の方たちでの応援をお願いしたという経緯があります。それは一つ、やはり規模によって違いはしますが、復興期に支援するのは地元の方たちで、なるべく助け合うという形を作ってやっていかなければいけないのではないかということです。  あと、室崎先生が言われたように、私も中越値域に入った時に、一人一人の声を拾い上げていくといった時に、ボランティアというのは、私などもやはりせいぜい1週間ぐらいのスパンしか行けない。拾い上げてしまって、果たして地元の人たちは続けられるのだろうか。ここまで拾い上げてしまってもいいのだろうかということをすごく考えました。それをすると、そこまでしてもらっては困るというような地元の雰囲気があったりして、私もずっとそこにいられるのであれば、そこまでのことをやるということもできるのでしょうけれども、やはりボランティア同士がその行動をあとでつないでいけるような、引き継ぎができるような体制づくりも必要なのかなと。あまりにも拾い上げすぎたら、地元の人たちはそこまで対応する能力がないのにそこまでされては困るよというようなところもあるのかなという感じがしました。ボランティア自身もその活動をどんどんつなげていけるような、本当に名古屋や栃木などがボランティアバスを出して次々に同じ活動をつなげていったというようなこと、今のような活動もどんどんつなげられるような仕組みなりボランティア同士の連携がこれからはやはり必要なのかなと感じました。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございました。それでは、時間のほうが・・・。またあとでアドバイザーの方にはおまとめいただきたいのですが、会場の方で発言したい方もおられますので、平時のボランティア活動でも復興期におけることでもけっこうですけれども、まず所属とお名前を言って、1分から最長2分でお願いします。 傍聴者  三つだけお願いします。一つは、福井県は嶺南と嶺北とありまして嶺南に原発がある。だから災害が起きた場合には、嶺南の人はドーンと行けば全部死ぬのです。「みんなで死ねば怖くない」です。だから嶺南と嶺北は意識が違うのです。    もう一つは、ネットワークを作っても、例えば水害が起きると「僕の家は水がついたけれども、きみのうちは水がつかなかった」と。そういったことで、結局はネットワークの在り方が心の中がつぶれてしまうのですね。  もう一つは、あの阪神・淡路大震災だけでも知られていない情報がいっぱいあると思うのです。例えば婦女暴行をされた人が何人かいる。これは全く知らない情報がけっこうあると思うから、行政もそういった情報は流してほしい。そうしたら防犯対策とかいろいろなものができるでしょう。やはり具体的な意見を入れてほしいと思います。何か机上の空論のような感じで、何かこう通じてこない。以上です。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ご意見ありがとうございます。あといかがでしょうか。会場の方で。会場の方、よろしいですか。  それでは、あと6分ぐらいになりましたので、まとめに入りたいと思います。池上さん、よろしいですか。 池上(市民防災研究所理事/東京YWCA副会長)  ボランティア活動というのは先ほど参加なさった方たちと話し合ったのですが、ケース・バイ・ケースで、災害の形が全く違うように、集まる人たちもその場その場で全く違うので、その時にどれだけ臨機応変に動けるかということが問われているということになります。    ですから、マニュアルがあっても、それはあくまでも一例で、あとは行った場所で、集まった人たちをどうやって動かすのが今一番いいのか、あるいは帰すのがいいのかという判断ができるような人がいることが大事なのです。先ほど立木先生がイベントのことをおっしゃいましたけれども、YWCAの例で言うと、バザーがそれに当たります。    私はバザーが、2日間のバザーで約500〜600万の純益があるのですが、それに関わっているボランティアが数百人にいます。ぼらんてぃあは毎年バザーを体験していると自分たちの動き方がわかってくるのです。バザーの1週間ぐらい前から仕分けや値段張りをするのですが、、その一連の動きが「これは災害の時にも生きるよね」と仲間でいったところです。そういう積み重ねが臨機応変にできる人を育てるのではないかという気がしているのです。    あとは、私は以前から「防災とボランティアの集い」にかかわってきたものですが、1回目から始まって、「つどい」が「懇談会」になり、懇談会が検討会と、名前を見ただけでもずいぶん前向きになってきたと思います。それで、例えば高知の山崎さんや福島の吉田さんというように顔が見えてきました。数年前は、吉田さんから「ハートネットふくしま」という会報誌を送っていただいていました。 立木(同志社大学教授)  今どき文通ですか(笑)。 池上(市民防災研究所理事/東京YWCA副会長)  こういう会議でお互いの顔が見えてきました。こういう積み重ねがとても大事なのだなという気がしています。そういう意味で、内閣府の方にこういう場を設定していただいているのはとてもありがたいと思っています。それを生かすも殺すも私たち参加者の動き方にかかってくるのではないかという気がしているのです。もうすでに応援体制ができているではないですか。東海豪雨水害にしろ、新潟県中越地震にしろ、核になる方がいて、お互いにもう連絡を取り合って、支援をしており、とてもうれしいです。    問題はいいところばかりではなく、こんなことで困ったということをはっきり言えるような仲間になってほしい。「ああいうことはするのやめような」というようなことがざっくばらんに言いあえるようなグループであってほしいと思います。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございます。室崎先生。 室崎(独立行政法人消防研究所理事長)  立木さんが先ほど三重県のコーディネーター研修の紹介をされましたが、実践的研修と教育というのはすごく必要だと思っています。    そのために、やはりみんなの知識と経験を共有化する努力というのはもっとしたほうがいいですね。防災には「心」と「知恵」と「つながり」の三つがないといけないと思います。そのために一体最低どういうものが必要なのかということを明らかにして、もっといい研修のためのプログラムや、研修の方法、トレーニングの方法など、ボランティア自身が力をつける必要があるでしょう。中越では稲垣さんが活躍されましたが、復興の取り組みの中で人材を発見するのもいいのですが、事前に優れた人材が養成されていたほうが、ずっといいと思うので、僕はやはりこの平常時の活動の中で「教育」というものをきちんと位置づけていただければと思います。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  それでは、立木先生。 立木(同志社大学教授)  最初は物議を醸すようなことを申し上げました(笑)。こういうつながりがあるというのはものすごく画期的なことなのだと思います。次の被災地に大きな災害が起こった時に、基本的には現地に受皿組織が当然立ち上がると思います。そこにノウハウが伝わるタイミングというものがあって、大体立ち上げから100時間までにベテランの人たちが入ったところでは、ボラセンのノウハウが引き継がれてます。100時間を超えると、もう組織ができ上がってしまって、外の人の知恵というものをはねつけて、「私たちはこれでやります」となります。    だから、新潟県中越地震でも、外からの人を受けたところとそうでないところというのがまだら模様で起こる。まだら模様にしないようにするために、平時のつながりというものが非常に大事で、顔の見える関係を持っていると、100時間以内に入れるような体制を作ることができると思います。    そのための知恵は、実はみなさん言語化ができていないと思います。個々に知恵として持っているけれども、暗黙のうちに自明視しているものが大半で、マニュアルを作っても実はそれが使われないのは、やはり人が動かないとその知恵が伝わらないからだと思います。ですから、ある種の経験集積のようなものは要るけれども、まず人が100時間以内に参加できるようにすることが大事だと思います。  お話をしているのは災害専業ボランティアの話で、災害が起こったら兼業のボランティアがたくさん来てくれますから、災害専業ボランティアは裏方のコアにまわっていいと思います。そのコアの方々が横につながりを持ってもらえるといいと思います。知恵は紙の中になくて、やはりその人の体験の中にあって、対面的な関係の中でしか伝わらないということを、やはり大切にすべきでしょう。  そういう意味で、何が話し合われているのかということと、もしかしたらそれ以上にこういう人たちが一堂に会しているということが大事なのだと思います。 山崎(特定非営利活動法人NPO高知市民会議)  ありがとうございました。そろそろ時間になりましたので、最後に私も、当然まとめなどはできませんが、感想を言わせていただきます。平時のボランティア活動で言われた村野さんの自分のできることという、やはりこれは社協のコーディネーターならではかなという感じがしました。    よく何かボランティアをしたいという相談がありますが、何がしたいではなく、何か思いだけがある人が多いですが、その時に「あなたは何ができますか」と聞いて、得意分野を生かしたボランティアというものをコーディネートしていくというのが、日常でのボランティアコーディネーターだと思うのです。それをいわゆる災害モードに変えただけなんですが、恐らく永易さんなども日常からやられていると思うのですけれども、優秀な社協コーディネーターというのはやはり災害時のコーディネーターもできる。  吉田さんが言われた災害時、舞台うんぬんということなのですけれども、確かに私も日常感じるのですが、いろいろなボランティアコーディネーター養成講座というものをやっても、はっきり言って災害の時というのは、センスを持っているかどうかということがすごく重要で、センスがない人が幾ら受講してこうやれと言われてもむずかしいけれども、ちょっとセンスのいい人はすぐ見事な舞台役者になってしまうのです。それで言うと、日常の社協コーディネーターの中などで、優秀な舞台役者候補のような人に何人かつばをつけておいて(笑)、いざという時の即興劇が出てきた時に、どうやって合う人にパカッと役を当てはめていくのが大事なのかなと感じました。  最後に、池上先生、立木先生も、やはりこういう「集いの場」が大事だということだったのすが、よくボランティアでいわれるのは、三つのワークが必要だといわれます。「フットワーク」と「ネットワーク」と「パッチワーク」といわれるのですが、当然ボランティアというのはフットワークが大事ですし、それで言うと、やはり日常のネットワークというものが必要で、最後にはいろいろなある資源を組み合わせで新しいものを作っていく、そのパッチワーク。災害で言うと、災害時というのは当然フットワークなのですが、その前の平常時というのは、ネットワークというものが災害の時のフットワークにすごく生かされてくると思いますし、やはりその復興期においては、地域のコミュニティというものをさらにパワーアップしていくという、パッチワークが必要なのかなと感じました。  ただ、こういう活動をしていると、必ず四つめのすごく怖いワークがありまして、これは「オーバーワーク」というのですが(笑)。このオーバーワークに比べて、なかなかこのネットワーク、パッチワークは難しいのですけれども、私自身もオーバーワークとはなるだけ友達にならずに、この三つのワークと友達になりたいなと、それを今日持ち帰れたらと思います。おあとがよろしいようですので、事務局の方にお返しします。 西川(内閣府政策統括官付参事官)  山崎さん、ありがとうございました。また、ご参加者の皆様、本当に活発なご意見ありがとうございました。このあと12時から先ほどの地下の大会議室で全体会をやりますので、皆さんネームプレートを忘れずにお持ちいただいて下のほうへまいりましょう。ありがとうございました。 1