16年7月豪雨ボランティア懇談会

平成16年9月18日(土)

【第一部】

○上石(新潟県三条市南四日町一・二丁目自治会副会長)

私、新潟県三条市南四日町一・二丁目の自治会の副会長をしています上石でございます。

○池上

どうぞお座りになってマイクでお願い致します。

○上石

副会長の上石でございます。本当に今日はいろいろありがとうございます。

堤防破壊という避難勧告はありましたが、その反対側の方の堤防が切れました今回は。私どもいまだかってないような経験なんですが、今から78年前、やはり大正末期にこのような事故がありました。それもやはり川の蛇行する外側が切れると切れると思っていたのですが、やはりそれも内側が切れたのでございます。皮肉にもそのような結果になってしまいました。従いまして、私どもが全然避難勧告もそれは受けていたようなこともありますけれども、いまだかって記憶に定かではございません。おそらくあったんだろうと皆さんが言っておりますので、そのような解釈したいと思います。ただ、堤防が切れたという話を聞いたとき、水がきた、さあ、出発進行ということでもって始めたんですが、ただおろおろするだけでございまして、何から先に手をつけていいかわかりません。

おかげさまで私どもはそれから2カ月経ちました。ようやく復興の兆しが見えてきまして、土音もトントントンと聞こえてきております。家財道具もすっかりなくしましたけれども、それよりももっと怖かったのはあの水の恐怖です。わずか短時間のうちに1メートル、1メートル50と上がってくるわけですから本当に大変な怖さでした。今でもあのときの恐ろしさというのは頭の脳裏に焼きついております。本当にこう何ていいますか、恐ろしさはいつになってとれるんだかということを私ども心配しております。財物は何とか金を出しさえすれば買えるんですが、この心のケアだけは何とか早く治したいというふうに考えております。

続きまして、ボランティアさんですが、本当にボランティアさんにはもう頭が下がる思いでございます。初めのとき私ども泥に浸かった荷物をどんどんどん出している最中、駅方向からリュックを背負った若い方がどんどん来られます。ああー、やっぱり我々の水害を心配して水害のあとを見に来たのかなと思っておりました。ところが、今度は反対方向から長靴をはいてバケツを持ち、そしてシャベルを持ち、柄の付いた刷毛を持ち、こんな姿を見た途端に「あっ、ボランティアだ」と、こんなふうに感じました。おかげさまで私ども助かりました。
今まで私どもはボランティアに対しては全然どういうものをやるのかということがさっぱりわかりませんでしたけれども、積極的にボランティアの方々が私どもに教えてくださいました。何でもいいから言ってくださいよと、こんなわけで私どもは全部それに甘えました。ただ、私、自分で寂しかったのはこのような水害に遭ったみじめな自分の姿、家の中の様子を見てもらうなんて本当に自分では情けないと思っておりました。ところが、ボランティアさんの声からそんなこといいんですよ、あんた方一生懸命やってきたんだからいいんですよといって、一生懸命やってくれる姿には本当に頭が下がりました。
子ども連れの奥さん、若い中学生、そして若い女の方、あの汚い下水掃除の中に自分から飛び込んで上げられる姿には本当に感謝の念が絶えません。おかげさまで私たち町内全部で400所帯あるんですが、全部埋まったわけでございますが、全部それは今盛んに復旧中でございます。本当にありがとうございました。おかげさまでこれをもちまして、私ども今度これからは自分たちでも町内挙げてボランティア活動に邁進するという気が起きてまいりました。これも一つのこの今回の災害で得た大事な教訓かと思います。本当にありがとうございました。この辺で私、失礼します。

○池上

ありがとうございました。それでは、続いて新潟県の方。

○加野(新潟県中之島町地区連合会長)

私、新潟県の中之島町の地区の連合会をお世話しております加野と申します。よろしくお願い致します。時間の制約もございますので、書いたものを読み上げ発表に代えさせていただきます。

まず、被災地の状況でございます。7・13水害による当地中之島町における被害状況は死者3名、全壊及び流出家屋55戸、半壊家屋314戸、床上浸水家屋105戸、合計477という被災地区の全世帯の半分以上が災害被害を受け、尊い命、かけがえない財産を失い、未曽有の惨事をもたらしました。災害発生から2カ月ちょっと過ぎようとしておりますが、いまだ随所に爪痕を残しながら被災地町民一同、復興に向け一生懸命に頑張っております。全国の大勢の皆さんから物心にわたりあたたかいご支援をいただき、深く感謝いたしております。本当にありがとうございました。
現在ではライフラインも完全に復活致しましたが、被災者が普通の生活に戻るにはまだまだ先になる見込みです。また65世帯の被災者が仮設住宅での生活を余儀なくされており、一日も早い再建を願い、努力されておるところであります。やがて冬を迎えることになりますが、それまでには復旧作業も終わらさなければならない、まさに今正念場を迎えているのが現在の状況でございます。国、県に対しましてもさらなる生活面でのご支援をくださるようお願い申し上げる次第でございます。

それからボランティアに対する思いでございます。連日の暑さの続く中、全国各地から大勢の救援ボランティアとNPOの方々がいち早く駆けつけてくださり、献身的に働いてくださったことに対し心から感謝申し上げます。また決して忘れることはできません。今回の災害復旧作業は流入した泥との戦いであり、非常に困難を極めました。機械では入れない床下等の泥ざらい、泥あげ、畳の搬出作業、すべての作業が人海戦術以外のすべもなく、人手による作業が中心になりましたが、ボランティア一人の力は100台の機械にも値するほどの威力を発揮してくれました。ボランティア活動の底力を見せつけられ、認識を新たにいたしたところであります。これを期にボランティア活動の呼びかけと育成に努めなければならないと痛感いたしております。

今回のボランティア活動を通じまして、受入れ側、受益者側の対応に今後の反省点をいくつか残したと思います。あるいは人数の把握、人員の配置、現地への案内のまずさから手間取り、効率さを欠いた面もあり、活動が円滑にできる体制づくりは今後の課題と思います。そのためにぜひ行政が中心となって組織づくりと環境づくりのためにバックアップをくださるよう強く望み、希望致します。
以上で終わります。

○池上

ありがとうございました。それでは次の方、よろしくお願い致します。

○井口(新潟県見附市椿沢町区長)

見附市椿沢町区長、井口正治でございます。ボランティアの皆さんのご支援に心からの感謝の気持ちでいっぱいであります。
私たちの町内は水害の常習地であるため、水害災害時には即町内会の役員と農家組合、消防団が一体となって町内の公民館を拠点と致しまして警戒警備態勢に入り、防災活動を行ってまいりました。ボランティアの支援が受けられるという情報を知ると同時に床上、床下浸水をした世帯に即伝達をし、ただちに希望をとりまとめまして市の防災ボランティアセンターに派遣の依頼をお願いを致しました。3日間で163人の応援をいただきましたが、町内では担当者を決めまして、希望人数のとりまとめ、作業の進行状況を見ての人員配置や誘導案内を致しまして、成果効果をより高めるよう努めてまいりました。

これを機会にボランティアに対する理解と認識を深め、他の地域で災害があったときには応援に行きたいし、町内の中でもそうした気運を高めていきたいなと、こんな風に思った次第でございます。
以上でございます。

○池上

ありがとうございました。

○岩本(新潟県三条市社会福祉協議会事務局長)

新潟県三条市社会福祉協議会の事務局長を務めております岩本でございます。今回の三条市の災害ボランティアセンターの本部長を務めさせていただきました。そういう中で私どものセンターの組織の概要というようなものを中心にお話をさせていただきたいと思います。

三条市を流れます五十嵐川、これは三条市を紹介するときに欠かすことのできない川でございます。市民憲章にも謳われておる清らかな五十嵐川ということでございますが、今回、約170メートルにわたって堤防が決壊致しました。その結果、死者9名、住宅の全壊が1戸、それから住宅の床上浸水が約5,400戸という大きな被害を出したものでございます。現在も避難所で生活されている方が4名ほどございますし、それから仮設住宅には300世帯以上の方が生活をされているということで、まだまだ市民生活が復旧したということにはほど遠いというものでございます。

そのような中で三条市の災害ボランティアセンターにつきましては、私ども社会福祉協議会が事務所としております総合福祉センター自体も床上50センチから60センチでございました。そういうことで社会福祉協議会では災害ボランティアセンターの立ち上げというようなことよりも、その総合福祉センターが避難所になったということもございます。で、避難所の職員は避難所の対応、それから介護保険の事業も行っております。ケアマネの事業あるいは訪問介護の事業もやっております。そういうことでその利用者の安否確認というようなことで災害ボランティアセンターの立ち上げということまでは、とても手が回らないという状況の中で、県内外のNPO法人あるいはJC、青年会議所、それから全国の社会福祉協議会の関係者の支援で7月16日に設置を致しまして、翌17日から活動を始めたというものでございます。以来、8月8日まで23日間、延べ約2万4,000人のボランティアの参加を得ることができました。センターの本部では総務班あるいは受付班、マッチング班というような11の班体制を組織致しまして、ボランティアの活動あるいはニーズの受付、それから活動指示などをそのような人たちの協力でスムーズに行うことができたのだというふうに考えておるところでございます。そういうことで市民生活の普及も進んだということで先ほど自治会の関係者の方からお話ございましたように、多くの市民から感謝されたというものでございます。

しかし、ボランティアセンターがスムーズに運営できたという中でもいろんな課題があるのではないかなということでございます。資材あるいは資金の調達、それから高齢者などの災害弱者に対する対応、特に死者9名のほとんどが高齢者ということもございました。そういうことで災害はいつ降りかかってくるかわかりません。そういうときには災害ボランティアというものを立ち上げなければならないでしょうけれども、私ども三条市では初めての経験でございました。そういう中でまったくノウハウがないということもございます。そういうことで常日頃のやはり研修あるいはボランティアネットワークというようなものも今後検討していかなければならないのかなというふうに考えておるわけでございます。ボランティアセンターが立ち上がってすぐですね、ボランティアの方が大勢駆けつけていただきましたし、被災者からのニーズも非常に多くあって、それらをうまくマッチングさせていただいたのは、取りも直さずセンター運営に協力してくれたスタッフのおかげということでございます。

以上でございます。

○池上

ありがとうございました。それでは次の方。

○鈴木(新潟県中之島町社会福祉協議会事務局長)

中之島町社会福祉協議会の事務局長で当時災害救援ボランティアセンターの現中本部長を務めさせていただきました鈴木であります。概要について申し上げます。

中之島町では社会福祉協議会が福祉ボランティア組織を活用して当時、おにぎりづくりからの運動から開始致しまして、翌14日に災害救援ボランティアセンターを立ち上げ、県ボランティアセンターにボランティアの要請を致しました。15日より現中本部を町対策本部の隣に設置し、本格的に活動を開始。町ボランティアにも町内会を通じ要請致しました。その後、18日にNPO関係団体等の支援もあって本格的な救援活動が機能致しました。これも社協、NPO、行政、民間等が連携の中で協働体制が資機材の調達や人員派遣に効果を上げることができました。またマスコミ等からも取り上げていただき、多い日は全国から一日2,231名のボランティアの応援をいただき、7月15日から8月5日までの期間中、約2万人を超えました。当時、当町は1万2,780名の人口ですから1.6倍にあたります。一方、主催者ニーズをボランティアセンターにつなげるために自治会の町内会を活用し、チラシの配付などで啓蒙活動を行い、またアンケートも実施し、末端の一軒一軒まで届けて活動につなげました。さらにボランティアによる一軒一軒の被災者ニーズの掘り起こしを行いました。

災害を経験して次に4点を要望致します。

  1. 各市町村社協に担当兼務職員に年一回以上の研修を。
  2. 災害救援ボランティアセンター始動時の資金50万から200万ぐらいの基金の確保。
  3. 土のうや一輪車等の購入費やボランティア保険料の負担先、国、県、社協等の負担先を決めておいていただきたい。
  4. 学校等の公共施設での開放。これはボランティアについての開放を申し上げるわけでございます。

以上で終わります。

○池上

ありがとうございました。それでは次の方、お願いします。

○田崎(新潟県見附市社会福祉協議会地域福祉係長)

新潟県の見附市社会福祉協議会、田崎と申します。ボランティアセンターの現場の方の代表ということでさせていただきました。
まず、見附災害ボランティアセンターにつきましては、見附青年会議所、見附市社協の三者で共同設置致しました。一応社会福祉協議会の会長がこちらのセンター長となり、7月16日から7月25日までの間で開設致しました。見附市と致しましてはこのような大規模災害は初めてであり、当然こういった災害ボランティアセンターのノウハウというのはありませんが、今日もお見えのVネットぎふの川上さんからいろいろご指導いただきまして、スムーズにセンターの方を運営することができました。このセンター運営に関しましてはボランティア受付係、ニーズ受付担当係、ニーズ表、地図・コピー係、資料作成係、コーディネート係、資材係、報告書受付係の8つの係で形成致しまして、地元のボランティアの方々を中心に一日当たり25名程度のスタッフでセンターを運営しておりました。

また、センターの仕組みと致しまして、まず被災地域に災害ボランティアセンターを設置したというチラシを配りまして、ニーズの吸い上げを行いました。その後、必要資料を作成後、コーディネート担当からボランティアの方々へ活動の内容を説明しまして、現地に向かっていただきました。最後に16日から25日までの10日間で2,145名のボランティアの方々からご協力いただき、272件のニーズに対応することができました。

以上、簡単でございますが終わらせていただきます。

○池上

ありがとうございました。それでは次の方、お願い致します。

○池井(新潟県NPO法人まちづくり学校理事・運営委員)

ここからはボランティアセンターの立ち上げの状況と課題についてお話させていただきます。ちょっと生々しい話も交えながらしたいと思います。

私は、三条市のボランティアセンターで総務部のキャップをしておりました池井と申します。私は普段、新潟県ではまちづくりの人材育成のNPOをやっております。ですから災害とは無関係でした。ただちょっと縁があったということで災害から2日後、三条市に訪れたのがきっかけで参加することとなりました。
三条市に訪れましたら既に県外からそれこそ後に災害に遭われた松森さんやレスキューストックヤードの浦野さんや、また日本財団さん等々多くの県外からのスタッフが来ておりまして、県外の人は地元の人間をつかまえて何とかうまくやらせようということで、私はつかまえられた口ですけれども、おかげでスムーズに立ち上げることができました。また県外からは、今日じつは初めて会うのですけれども、神戸の村井さんからメールでアドバイスをいただいたりとか、その後も浦野さんからメールでアドバイスをいただいたりとか、いろいろな形で県外からアドバイスをいただいてスムーズに立ち上げることができました。これはやっぱり思いが一つになっていたことと思います。県内のNPOもうまく絡んでいくと申しましょうか、サポートすることができましたし、で、いろいろな形の団体と協働することができたと思っております。
しかしながら、一番協働がうまくいかなかったのは行政です。何といっても金です。ということになるんですけれども、実は我々にもミスがありまして、行政としっかり協定書を交わしていなかったということです。ですから、ボランティアセンターが三条市にスコップをくださいといっても、そんな取り決めにはなっていない、あげられないと言われて、私は隣の川瀬さんと二人で近くのホームセンターにスコップ100本、デッキブラシ100本をツケで売ってくださいと頼んでですね、地元資本のホームセンターだったので売っていただけましたけれども、本当はあれが地元資本でなければ売ってもらえなかったらどうなっていたんだろうという風に、今思っております。
初動の段階ではレスキューストックヤードさんや日本財団さんからも資材の提供はあったんですけれども、それでは足りない状況でありました。その後、時間が立つにおいて行政との協働も図れていきましたが、初動の立ち上げの段階ではパニック状態にある行政との協働をいかに図っていくかというのが大きな課題として残りました。

以上です。

○池上

ありがとうございました。次の方、お願い致します。

○斎藤(新潟県中之島町災害ボランティアセンター副本部長)

私、中之島のボランティアセンターの副本部長ということでやらせていただきました斎藤と申します。

私も当初ですね、最初は三条の方のボランティアセンターの立ち上げの方に行っていたんですけれども、県外から来られたボランティアさんたちの情報の収集の結果、中之島が社協だけではもう対応できない状況だということで、それではこちらの方で支援に行こうということで行かさせていただきました。
その立ち上げのときにボランティアセンターをどこに置くかというのが、まず私は課題になると思うんですよね。先ほど鈴木本部長が言われましたように、公共の場所を開放していただけるのかどうかというところで、ボランティア本部をどこに置くかというのが一つの課題になると思います。それから資機材ですね、中之島の場合は電話がなかなか引いてもらえない状況でプリペイドカード式の携帯電話で当初対応をしているような状況がありました。
それから中之島は要は社協さんが最初に立ち上げられたボランティアセンターということで、半分官設という官が立ち上げたボランティアセンターということで、当初社協の職員の方たちが一応本部スタッフということで対応してくださっていたんですけれども、本来の社協の仕事に戻るに至りまして、本部スタッフが全然足りなくなったんですね。それで毎日来られるボランティアさんを調達しまして、本部の方に入っていただくという様なやり方をやりました。でも、途中でこれではダメなんじゃないかということで、また再度、社協の方にお願い致しまして町の農協婦人部の女性の方たちとか、それから生活アドバイザーの方たちとか、要は町の方たちにその本部のスタッフになっていただきたいということで要望致しまして、途中からはその方たちがみんなそれぞれのセクションで、要はちゃんと回してくださったというか、そういう対応ができていって、これは中之島のやり方が本当に一番、これから何かあったときには役に立つということで、人材を育成する上でも地元の人たちが係わるということがこれは大事かなという風に思いました。それで資金面ということは先ほども何人の方も言われております。資金面と行政との協働ということがこれからの課題だという風に思います。

以上です。

○池上

ありがとうございました。それでは次の方、お願い致します。

○山田(新潟県見附青年会議所理事長)

見附市見附青年会議所、山田でございます。

見附市では災害当日より各部報道に流れました画像等を見てもらえばわかるんですけれども、次の日からVネットぎふの川上様が見附の地に来られまして、「君たちわかるか」と、いかに災害を早く復旧作業を開始できるのは行政と私たち地元民、住民とあと社会福祉協議会の団結がなければあり得ないというお話を聞きまして、早速行政側と皆さんでちょっとお話しした結果、見附市の行政としては私も青年会議所もこの住んでいる町がよりよい町になるよう努力する団体でございますので、行政側も目的は一緒だということで一致団結し、資金面、その他車両、人員等々、細部にわたり打ち合わせをしながらボランティアセンターを続けてきた結果、非常にスピーディーに早い対策がとれたと思っております。

また、今後の課題ですが、先ほどから中之島町、三条市の方がおっしゃっておられますが、本当に行政と私たち民の協働なくしては災害をスピーディーに復旧に向けていくことができないんだなと、このように感じました。

以上です。

○池上

ありがとうございました。それでは次の方、お願い致します。

○川瀬(新潟県三条市ボランティアセンター副本部長)

三条市の災害ボランティアセンターで副本部長という肩書で現場の運営に係わった川瀬と申します。私、時間がもったいないので問題点だけを話をさせていただきますけれども。
まず、先ほどもお話に出ているように三条市の場合は、どちらかというと民主導型で立ち上がったそういう経緯があります。その中で何が問題点になったかというと、まず一番大事なのは行政との連携がうまくいかなかった、初動時には。それがどういう形で問題点としてあるいは市民に直接響いたかというと、例えば泥あげの側溝の地域が重なってしまって、どうにも行政と調整がつかなくなってしまった。じゃあ、それは行政が責任でやる、あるいはボランティアセンターの責任でやると、そんな話し合いになってしまって、本当のボランティア活動ができなくなってしまう。本当にそれはあってはならないことだと思います。
あと、それから先ほどもお話にあったように、今回たまたま三条市の場合は総合福祉センターという地理的には非常にいいところにはありましたけれども、これもやっぱり行政の協力がないと、とても無理だろうと思います。例えば一日2,000人、3,000人引き受けるには相当数の広さと、それから駐車場とかいろんな条件が整わないとなかなか無理だろうという、それは民主導ではなかなか難しいのかなという気は致します。

それからもう1点としては、あるいは情報の共有化ですか、第二の問題。ボランティアセンターとしての情報を共有、中ではできますけれども、ところが圧倒的にやっぱり行政が持っている大事な情報、これがやっぱりボランティアセンターに伝わってこないとどうにもやっぱり住民のニーズを完全に吸い上げることができない。私らそういうふうに思っています。で、それがどっかでやっぱりしわ寄せがいく。それはほとんどそこで被災された住民ではないかなという、そういう風に考えています。やはりすべての情報はやっぱり行政とそれからボランティアセンターで共有しなければダメだという風に。

それから3点目ですけれども、今回、三条市では非常に長期にわたったということで、23日間ということでボランティアの確保が非常にやっぱりばらつきが出てしまった。あるいは日曜とか祭日に非常に多く来るけれども平日は少ない。短期決戦であれば何とかなるかもしれないけれども、その場合やっぱりボランティアの確保ということで系統立てて考えていかないと、例えば日曜日に3,000人来ました。翌日は400人です。作業のばらつきが非常に多いんじゃないか、それでロスが出てしまう。やっぱりボランティアの確保もしっかり考えていかないと、やっぱりダメじゃないかなと。
それから最後の4点目ですけれども、今お話の中にあったように民主導だとやっぱり財源の確保が非常に難しい。で、災害義援金は非常に集まってきます。だけどボランティアの活動資金、それも合せてこれから取り組んでいかないとなかなか……ボランティアセンターを立ち上げました。財源はありません。じゃあ、何を買ったらいい、どうしたらいいですかと、そういう単純な問題というか即決、即断のやっぱり必要性が出てくるということで、お金がなかったら何もならないというのは確かにそのとおりですので、そこら辺もやっぱり確実に明確にしておく。これ全部ほとんどは災害時のボランティアマニュアルとかあるいは法律上整備しておけば多分解決できる問題じゃないかなと、そういう風に考えています。

以上です。4点お願い致します。

○池上

ありがとうございました。いろいろとご提案をありがとうございます。
次、よろしくお願い致します。

○韮澤(新潟県燕三条青年会議所理事長)

社団法人燕三条青年会議所理事長を仰せつかっております韮澤と申します。よろしくお願いを致します。
青年会議所の方は今回物資の方の担当をさせていただきました。問題点といいますかこれは皆様多分共通認識だと思いますけれども、再度確認させていただきたいと思いますが、時間軸の変化によりまして必要な物資と必要な人員が変わってくるということの大前提があるということを忘れがちだということでございます。
それと先ほどちょっとお話ございましたが、市消防団、ボラセンの関係がまったく情報交換ができていないというところで、物資の共有ができないという最大の部分がございました。また季節にもよりまして、今回は暖かい時期でしたからよかったですけれども、これが寒い時期だったらどうなるんだろうと思っておりました。

以上でございます。

○池上

ありがとうございました。

○佐藤(新潟県新潟レスキューバイク隊事務局長)

災害ボランティアをやっております新潟レスキューバイクの佐藤と申します。設立の準備を入れて今年で7年目になります。

私たちは7月14日から25日まで三条市内を中心に少しは見附、中之島も入って活動しました。7月26日から8月8日の間は三条市災害ボランティアセンター内で二、三名は出るようにお願いして、一般のボランティアでバイクでかなり駆けつけてくれた方をこちらの方に回してもらったり、私どもの方でお願いしたりしてバイクの機動力を活かして最後まで活動できたと思います。
要請件数としては1,166件の出動でした。一人のケガ人もなく終わることができましたので、私どもの反省会のときには総合点数として70点をつけました。よかったことで目についたのは三条市内ではみんな水没してまして、場所がなくて隣町の燕市内で集合や宿泊のできる場所を確保してもらえたこと。三条市さんのボランティアセンターの設立の前の日にFMラジオさんを通じて地元の人を募集して、四、五名の方がすぐ駆けつけてくれました。これは近道や届ける場所がすぐわかるので非常に私どもの活動のよきアシスタントとしてなってくれました。
また、役所関係がほとんど相手ということで書類なんかもちょっとこう気を使ってつくっていたんですけれども、いざというときはやはりバタバタしてまったく使えないのがよくわかりました。これからは必要であるもの、必要でないものをはっきりしようと思っています。
私どもの反省会の席では、集合や時間の出動の手順をもっとわかりやすくして欲しいとか、届けたときヘルメットを付けて良い時と、取って良い時の指導をして欲しかったとかいうことと、あとは二人乗りの件もマニュアルにきちんと書いて欲しいということですね。あと、ボランティアセンター内のリーダーも私どもバイク隊のリーダーも目印をきちんと付けて欲しいという要望もありました。マフラーの音が1台大きいのがありまして、市民の皆様からクレームをいただきました。これらは一応弱者イコール高齢者ということを考えて、これからのマニュアルを修正するように反省会のときに決まりました。
あと、平成9年から平成12、3年ごろまでには国の予算も大分つきまして、自衛隊、消防、警察の方の装備が整い訓練もかなりやっておられますので、7・17水害では私が見たところではかなり活動されたと思っていました。それと同時に県や市町村にも避難所の見直しや自主防災の組織の拡大とか救援サポート的なマニュアルの整備なども指導があったと思うんですけれども、私は平成13、4年ごろにはある程度の市町村はそういったことは大体整っているんじゃないかなと思いましたけれども、今回の水害を経験してちょっと残念な点が多かったです。
あと福祉関係のボランティアは多いのですけれども、災害のボランティアとか災害のときに駆けつけてくれるようなボランティアは少ないと思いますので、行政側はきちんと把握しておいてもらいたいと思います。それぞれの団体をはっきり把握して常に早く正しく活動できるようにして欲しいということと、最後に被災者の皆様の一日でも早く明るい笑顔と活気が戻ることを祈り、ご意見とさせていただきます。

○池上

ありがとうございました。よろしくどうぞお願い致します。

○寺島(新潟県NPO法人まちづくり学校)

中之島のボランティアセンターの運営の方に係わっておりました寺島と申します。

中之島と三条の被災の状況がまったく違うという点をちょっと最初にお話申し上げたいと思います。中之島では大体約1,000戸被災されたとあります。その中で被災された家屋の特徴として土砂堆積が異常に多かったんですね。50センチ、60センチぐらいの土砂堆積が庭も広い状態で、庭、それから家屋の床下、場合によっては床上まで土砂堆積がかなり残っているという状態でした。その中でボランティアの皆さんにはとにかく土砂を搬出するという、それが基本的に大きな作業になりました。まず最初には、家屋を中心にやって、そのあと庭ですとか中之島の場合はお墓のところが非常にシンボリックな場所だったものですから、このお墓を、檀家の方のかなり来られていましたが、ボランティアもたくさん投入してやっていただきました。
で、その土砂の量が圧倒的に多いという状態で、あの炎天下の中で実際に熱中症に罹った方も4、5人ぐらいは延べでいらっしゃいました。確かに先ほど加野さんがおっしゃったように適正な配置というのが本当にこれで良かったのか。1件当たりのボランティアの投入量が午前中に20人、午後からまたあらためて20人ぐらい投入する。これがごく普通の状態だったですね。ですから、そういったところであの暑さもありましたので、どういう配置をしていったらいいのかというのはかなり全体でも悩んでいたことです。
それから最後に、土日で2,000人を超えるという、とにかく仕事をやりたいという、泥に汚れたいというボランティアの皆さんがそれだけ押し寄せてくると。それを少し回避しながらやらなければいけないだろうということで、デポ先というんですかね、出張所を町の中に2つほど設けて、そういうやりとりでその2,000人来たときといのうは、割とスムーズに動いたなと逆にいいますと、いう風に思っています。
それから基本的に展示してそれをマッチングしていくというやり方がオーソドックスのようなんですが、自治組織が動いたために一つの自治組織で200人ぐらいのボランティアさんを欲しいと。これがほとんど全ての自治組織がそのくらいの数を要求されてこられるんですね。ですから、どちらかというと展示型では呼び込み型ですね、何々町が何人必要だということで、こういう仕事であるということを伝えながら、被災者の方に迎えに来るという状況で進めていました。
問題点としてはたくさんこれはあります。先ほど三条の川瀬さんがおっしゃっていましたように、行政との連携の問題が一番大きいだろうと思います。ですが、これはやはりお互い、中之島の場合は非常にコンパクトな被災地であったと。ですから毎日自転車で最終確認をして、行政で明日はいったい何をやるのというのを確認すれば確認できました。これは最後の方になってそういうことを繰り返すことによって、お互いの無駄というのを省いていけたというふうに思っています。ですから、問題は多分市町村のあり方によって若干少しずつズレがあるんだろうと思います。ですから、その被災の状況と勘案しながらやはりつくっていかなければいけないんだろうと。そういう意味ではボランティアセンターは非常に生きものと同じような状態になるだろうというふうに思っています。

以上です。

○池上

ありがとうございました。それでは次の方、お願い致します。

○片山(新潟県防災ボランティアセンター「ウィズ」代表)

見附からやってまいりました防災ボランティアリーダー、「ウィズ」の片山といいます。

私どもの団体は阪神・淡路大震災がありましてからボランティアの活動に、見附で何か起きたときに少しでもリーダーとして何かできるんじゃないかという発想の中、25名で立ち上げました。9年ぐらい立ちますけれども、その中で普段年に数回消防本部の指導を受け、応急手当、また炊き出しの訓練等をやらせていただいております。今回の水害ですけれども、ボランティアセンターが立ち上がるまでは一応リーダーという形で行政と一緒に少ないボランティアでしたけれども、その方たちに適切に仕事のアドバイスをさせていただきました。
Vネットぎふの皆さんのおかげをもちまして立ち上がってからは、ニーズの受付の対等ということで、特に見附は方言がひどいということで地元じゃないとわからない言葉もあるということを聞きましたので、そちらを担当させていただきました。今回いろいろの経験をさせていただきましたけれども、これからの訓練の中でまた活動といいますか参考にさせていただきたいと思っております。

以上です。

○池上

ありがとうございました。大分急ピッチで進めているようですが、よろしくお願い致します。

○内藤(新潟県NPO法人地域たすけあいネットワーク副理事長)

三条市の地域たすけあいネットワークの内藤と申します。

 

私どもは困ったときはお互い様というたすけあいの気持ちのもと、様々な福祉活動を行うまちづくり団体です。ボランティアセンターでは弱者対応チーム、そしてハートケアチームとして活動させていただきました。災害当初は本当にたくさんの方々から泥あげとか清掃とかお子さんの見守りとか、具体的な支援がイコール心の支えになり得た活動だったと思うんですけれども、2カ月たって表面的には非常に落ち着きを取り戻しつつあるように見えませんが、食欲をなくして入院をされていたりとか、あと床のない状態で怪我をしてその怪我が精神的なダメージにつながっているとか、そういった事例が多々耳にします。今、ネットワークの方では大阪からやって来た一人のボランティアの青年が、あと2年間仮設住宅を中心に支援活動に関わりたいということで、連携をとりながらいろいろな支え会う活動をつくっていきたいと思っているところです。さりげない日常的な会話とか日常生活をお互いにやりとりし合う中から問題点を発揮して、解決していくということが必要なのではないかと感じております。ありがとうございました。

○池上

ありがとうございました。それでは次の方お願い致します。

○富澤委員(新潟県新潟NPO協会)

新潟で最後の発表者です。新潟NPO協会の富澤と申します。私どもが行いました新潟水害救援ボランティア活動基金についてご説明させていただきます。

こちらの資料をお配りしましたのでご覧になってください。まず今日の出席者の皆様の中には義援金とボランティア基金の違いがはっきりと説明できる方たちばかりだと思いますので、基金についての説明は省きたいと思います。私個人としまして、今回の水害が発生するまで、この義援金と基金についての違いというのが実はよくわからなかったんですね。それを教えていただいたのがいち早く新潟県に来ていただいて、今日も出席されている方もいらっしゃるのですが、他県の災害NPOの方たちでした。この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。ありがとうございます。
実は私たちが一番苦労したのが、一般市民の方への基金についての理解でした。毎日メールの発信、ホームページの管理、あとは同封しましたこういったチラシの配付ですとか、あと今日お配りしたこういった情報誌の発行などを行いました。その結果、7月16日に開設致しました基金が2カ月たった現在386件、合計にして826万6,872円を寄付いただくことができ、現在8件の助成、392万4,529円を行っております。詳細については新潟NPO協会のホームページで毎日アップしておりますので、今後ともごらんいただければと思います。あと、今日お配りした資料がまだ10部ほど残部がありますので、もし必要な方がいらっしゃいましたら、このあと、私富澤の方までお声がけいただければ、10部ほどあります。よろしくお願いします。

○池上

ありがとうございました。

それでは、今の新潟県側のご発言に対してほかの参加者の方々からご意見あるいはコメントがあれば。はい、どうぞ川上さん。

○川上(県外・NPO法人Vネットぎふ)

先ほど見附の方から何度か名前が挙がりました、Vネットぎふの川上でございます。今回は見附市の方へ、初めて見附市へうかがったんですが、そこでボランティアセンターのサポートをさせていただきました。私の方ですね、こういった3枚のレポートを書いておるんですが、今皆さんが発表されたとおり、やはり最大の課題は行政とボランティアの協働であると思います。
私たちの団体は本当にやっぱり最初はその部分を一番気をつかって見附市に入りました。で、1週間活動をしたんですが、その後半でやはり三条と中之島のボランティアセンターの責任者、川瀬さんとか池井さんとか、あと中之島の方からも見えたんですが、そういった方からご相談を受けたのは行政との連携がとれない、資金繰りをどうしていいかわからない、そういった相談をいただきました。
そのときにやっぱりこう冷静に分析しなければいけないと思ったんですが、その内容をちょっとここにまとめさせていただいたんですけれども、ボランティアとしてもやはり今まで行政とうまく連携をする、そこに再重点をおいたボランティアセンターというのはあまりなかった。阪神・淡路大震災のときは当然これは行政側が潰れていた。で、ボランティアでやらざるを得ない。そこからこうだんだんきたんですけれども、今本当に行政とボランティアが連携しなければいけないときになっている。だけどそのノウハウがなかなかない。逆に今、国の方から各自治体に対して、災害ボランティアの受入れマニュアルをつくりなさいというような指示は出ているんですけれども、それを行政はつくれない。
なぜかというと、ボランティアを受け入れた経験がないものですから、どうやって連携をしたらいいか。どうやって協働を進めていったらいいかのそのノウハウがない。だからつくることができない。そういったことになるとお互いに疎遠になってしまう。行政の側としても初めて他県から来たボランティア、これを信じていいのかどうか。中にはやっぱりノウハウがある団体もあればない団体もある。ましてや災害ボランティアの団体の中には宗教関係の団体も当然あります。いろんな団体があるものだから、それを信じていいかどうかわからない。だからこれからどうするかということを考えた場合には、やはりボランティアの受入れマニュアルというものを、これは国の方がベースをつくって、それで各行政に流してそれを地域でアレンジして適切なものをつくっていただく。そういった形がやはりいいんじゃないかなと思いますので、ぜひこれは大臣にお願い致します。

それとあともう1点、水害については災害の状況の把握が非常に遅れる。これはどういうことかというと、床上浸水か床下浸水かのこの件数というものは非常に遅れがちになります。そのために新潟からの発信についても全国から「県外のボランティアを今のところ受け付けません」という発信がかなり時間されています。これはそういうタイムラグ、水害の被害状況のタイムラグがあるためにそういうことが起こってしまう。ですからその点ですね、特に水害についての状況把握について、これは技術の向上をぜひお願いしたいなということを思っております。ということで、協働ということであれば私たちも、また全力で協力させていただきたいということを思っております。

以上です。

○池上

ありがとうございました。ほかに、はい、どうぞ。

○吉村(県外・ユース21京都副理事長)

今の発言に関連してですけれども、京都の吉村と申します。
私はいろいろとあるんですけれども、今の件に絞って言いますと、特に官と民の協働、これは非常に重要な課題だと思います。今の政府や地方自治体にお金ないことはみんなわかっていますから、じゃあ、どうすればいいのかと。ボランティアの義援金ということですと、やっぱり義援金配分委員会あるんですけれども、あれはいったん日本赤十字社に入るわけですよね、共募とかその辺集めると。やっぱり日赤は共募というのはそれなりに知名度ありますから。
ですから、例えば今回でも新潟のNPOサポートセンターに松森さんと一緒にいろいろと話させていただいて、じゃあ、とりあえずボランティアの活動資金をうちらの方でとりあえずみんなで情報発信しようよっていうんですね。で、私どもでも京都の連合体組織ですからいろんなところに発信するんですけれども、ところが各団体、いろんな団体ありますけれども、どこに入れるかといったら義援金に入れちゃうんですよ。何でかというとそっちの方が知名度が高いですよね。ボランティア活動資金といったって何のこっちゃというわけですよ。
その点、結構新潟県の方は銀行の口座をしっかりとした十四銀行でしたか、あっちの方に立てられたので良かったんですけれども。ああいう銀行口座を開設するときにボランティアの活動資金であるということをやっぱり金看板を打つということと、行政がそれに対して裏書きするといいますか、奥書きするといいますかね、お墨付きを与えると。要はこれはボランティア活動資金なんだよということを、行政の役割は何かといったらいわゆる補助金を出すだけが行政ではないんで、金はないのはわかっていますからさっき言いましたようにね
じゃあ、どうするかといったらいわゆる他力本願じゃないですけれども、全国の方からお金を集めてくる。その言ってみれば保証する、保証というのは何かというと、行政の方が自分たちの広報媒体を使って、それをこれは活動資金なんだよということを言ってくれれば、だれだって、じゃあ義援金にしようかな、ボランティア活動資金にしようかなって選択肢が生まれるわけですから。その辺のところをやっていただければ行政もあまり金を出さずに金を集めることができるんじゃないかなというふうに私は思いました。

それと官と民との情報の発信についてはいろいろあるんですけれども、官は官なりの情報の発信の仕方あると思います。これは何かといいますと、さっき言いましたいわゆるお金を出さなくていいと言いましたけれども、お金を行政に出していただかなきゃならないことがあります。何かといいましたら地域FM局です。これ実は地域FM局というのは各田舎の地域FM局ほどアンテナを立てるのにごっつう苦労するわけですよ。今回、新潟でも、いろいろどこでもそうなんですけれども、いわゆる住民のニーズなり弱者対応なりのニーズを吸い上げやすいのはやっぱり地域FM局ですから、そういうところの例えばアンテナを出すところに対して総務省が補助金を出していただくとか、そういうふうなことをしていただくとかそういうソフト面を整備する。
それから例えば今、ボランティアに関しても例えば行政もボランティアを受け入れるためにマニュアルをつくってほしいとありますけれども、行政職員の意識改革が、いわゆる地方行政、国の行政の意識改革がなされなければマニュアルあったってくずかごにいくわけですよ。だから結局どうするかというと、行政の職員たちの方々のマニュアルをつくったならば、それは必ず例えば一定のボランティアと一緒の共同研修を行う、共同の演習をする。そういう形が絶対必要になってくるわけであって、ハードだけ整備したってそんなものただの予算の執行の証拠づくりに過ぎないんだから。だからハードをやったならばソフトを必ずしっかりそれに裏打ちしてやるということが必要だと思います。

以上です。

○池上

ありがとうございました。ほかにいらっしゃいますか。

それでは、ちょっと時間が延びておりますのでここで一度切らせていただきます。三部の方がございますので、この続きは第三部の方で活発にしていただきたいと思います。
それでは、ここで室崎先生よりコメントをいただきたいと存じます。

○室崎(独立行政法人消防研究所理事長)

消防研究所の室崎でございます。今日のというか今の議論の一番大きな主題は、要するに受け入れる側の体制なりあるいはそういう支援活動のあり方というところだと思うんですね。従来は支援する側の問題というのはよく議論されていたわけですけれども、非常に重要なことは支援する側だけではなくて、支援される側がしっかりした心構えと体制をつくらないと、こういうボランティア活動というのはうまくいかないということだと思うのです。

そういうことでいいますと、今まで以上に受け入れる側の問題がいろんな形で、僕は非常にはっきりしてきて、先ほど受入れ側のマニュアルをつくれという川上さんのご指摘もございましたけれども、そういうものをしっかり整備する条件が出てきたのではないかという風に思っていますので、今日今出された問題をしっかり整理をして、そういう受入れ側の一つのあり方なりマニュアルにつなげていくことができれば良いのかなという風に思っています。
それが一番大きな結論ですけれども、何点か申し上げますと、1つは、じゃあ、受け入れる側の僕は心構えの問題ってあるだろうと思うのです。どうしても日本人は先ほど壊れた家の中を見られるのが恥ずかしいというか、そういうのを見ていただいてもという、要するに割合応援する側は気持ちが楽なんです。助けに行くわけですけれども、助けられる側はお世話になるという負い目があったりそういうものがあって、なかなかそこに門戸を開けない。その中にはうちは大丈夫だから来なくていいというふうに、門戸を閉ざしてしまう傾向がどうしても受入れ側に出てくる。そこをどう開いていくのか。だからもう積極的に受け入れるという気持ちとそういう体制をどうつくるのかと、ここが原則です。ここのところで入口でストップします。来てもらうと「うちはもう大丈夫だ」と、つい言ってしまうのですけれども、ただいろんな問題、ニーズがあるので、やはりそういうところをしっかりやるという、まず僕はそこの問題が一つ大きいということ。
それから同時に支援を受け入れるためには、その受け入れる側の体制がしっかりしていないとだめです。それはしっかりしているとはどういうことかというと、受け入る側と受けられる側のヒフティー・ヒフティーではなくて、主体は受けられる側が主体を握らないといけないということだと思うんです。外から来るというか応援する側ですから、要するに受けられる側の人たちがしっかりした体制とリーダーシップを発揮するということがなければ、いくら応援来てもうまくいかない。やっぱりそこのリーダーシップをどうつくるかというところが問われてきているというふうに思っています。
さらにもうちょっとそのことに触れますと、じゃあ、このリーダーシップなり受け入れる側の体制はどうかというと、それは今一言でいうと、それはパートナーシップであってネットワークであって、今連携という言葉がたくさんありました。いろんなレベルの連携がございます。一番根幹は行政とそのボランティアとの連携というところがありますが、これはまた少し議論しないと非常に深い問題があるわけですけれども、基本的には僕はこれは自立連携というかもたれ合いではなくて、それぞれがそれぞれの責任を果たすという責任ということを確認した上での助け合いということでないといけない。
例えばロジスティックでいろんな資材とかお金の問題ですけれども、それぞれ責任がある。要するにこの財源の問題も自助・共助・公助という一つの原理があります。公としては当然地域の防災体制なり防災に責任を持つという立場からいろいろな資金や資源や資材というのを提供する責任がありますから、その資源や資金をやはり非常に重要な活動をしているところ、にしっかり流していくという体制と仕組みをつくらないといけない。要はそこにうまく流れていない部分が多分あるんだろうというふうに思うんですね。
他方でいうと、自立というか自助という部分でいうと、それはそれぞれの地域社会が例えばバケツだとかスコップだとかそれが無いということではなくて、これは日常的に。これは逆にいったら応援する側のボランティア、先ほどの話ではすごく進んでいると。シャベルとそれから長靴をはいて手袋を持って、いろんなものを持ってボランティアが来るということは、そのバケツやそういうものはボランティアが自助のもの、自分たちの問題でそういうものを確保する体制がある。そういう意味では応援する側も応援される側も必要な備蓄というか資源の備蓄というのをしっかりやるということ、これは原則でありますからそれを全部行政に頼んでしまう。ここはまたちょっと議論になっちゃうんですけれども、そこはそれぞれの責任があって役割があるということで、お互いにもたれ合うことではない。極端にいうと行政がしなくても地域なりボランティアが必要なものを最低限集めるだけの体制と力を持たないと、この問題は前に進まないという、まさにボランティアというのは自発的、自立的でありますから、その点はしっかり考えてやっていかないといけないという風に、今思ってはいます。

それから共助の問題は、僕は先ほど言った基金の問題というは非常に大きいと。日常的に基金なりそういう体制をつくるための基盤をどう整備していくかというのは、やっぱり非常に大きな問題になってきているように思いますので、ここは先ほどの吉村さんのご意見等も踏まえて、その辺をしっかり考えていかないといけないのかなという風に思っています。ただ、そういう一つの連携の原則というのはそれぞれが自分の責任を果たすということでもあるし、自助・共助・公助という原則に照らし合わせて、それぞれやっぱり明確にしながらその上でしっかり共同歩調をとっていくというか、ということだろうという風に思っています。
その場合は、大同小異というか小異を捨てて大同につくというやっぱり基本目標が何かということと、それから日常的には起きてから連携といってもこれは多分難しいと思う。日常的に信頼関係と協働関係が出来上がっていないといけないので、やっぱりそういうそれぞれの被災地になるところで受入れ側の日常的な体制をどうつくっていくかというようなことを含めて、やっぱり日常的、持続的なシステムとしてやっぱりこの受入れの問題をどうつくるかということを、ぜひ考えていただければありがたいのかなという風に思いました。

あと最後に1つだけ申し上げますと、そういう受入れ側の役割分担というかいろんな役割があります。一番その中で大きいのは被災者のニーズをボランティアにつなげるところのつなぎ方の問題、コーディネートというかニーズの把握と調整役ということが非常に大きな、こういうマッチングをどうやっていくのかという体制はすごく重要になってくるだろうという風に思います。それだけではなくて今度は情報は情報として情報の共有化を図るためにそれなりの一つの体制と組織がないといけなくて、それなりの役割がある。そうすると、単に泥をかたづけるという実働部隊だけではなくて、いろんな形でいろんな仕組み、いろんな体制をつくっていって、いろんな係というか役割というものを作り上げていかないといけないし、例えばロジスティックというスコップ一つ集めるだけでも、これは非常に重要な仕事でそういう資材の調達係とか情報の整理係だとか、あるいはそういう来たボランティアの要するに調整係だとかという意味でいうと、どういう役割があればうまくいくのかということを、皆さん方の経験の中で少し望ましい体制というのを提案していただければありがたいのかなと。いろいろ申し上げたいことがあるのですけれども、時間がなくなってはあれですから以上にさせていただきます。

○池上

室崎先生ありがとうございました。

それでは、第二部「福井県における豪雨災害のボランティア活動について」のご発言をお願い致します。

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