大水崎自主防災組織による手づくりの避難路整備

(1) 地域の特徴

・ 和歌山県串本町は、本州最南端の潮岬を有する町。崖が迫る海岸線沿いの狭い土地を埋め立てて広げながら市街地が形成されており、その埋立地にあるのが大水崎区であり、約320世帯がここに暮らしている。昭和の東南海、南海地震でも津波により大きな被害を受けており、津波に対する危機意識が高い地域である。


串本町大水崎区の位置

(2)事例の概要

東南海・南海地震により津波が発生した場合、高台に速やかに避難できる避難路が無いことが判明。危機感を持った住民が、自ら材料や道具を集めて手作業での避難路づくりに着手。高台に向かって途中までつくられた避難路を町長が視察し、町による残りの区間の整備を決断。住民と行政が整備したそれぞれの区間がひと続きの避難路となり、地域の防災力向上が図られている。

(3)経緯

・ 1993(平成5年)7月、北海道南西沖地震が発生し、奥尻島をはじめ渡島半島各地が津波に襲われ大被害を受けた。串本町も同島と似たような地形であることから、この災害を人ごとではないと思った町民は多く、串本町青年会議所が奥尻町長を招いて被災報告講演会を翌年12月に開催した。
・ この講演をきっかけに、自分たちの居住地のほとんどが海抜3メートル以下で津波の被害をまともに受ける危険があるにもかかわらず、短時間で高台に避難できる通路がないことを住民が認識し、大きな危機感を持った。その結果、住民の発意と行動力により、避難路が作られることになった。

(4)活動体制

・ 大水崎自主防災組織は、組織としての規約等は持っていない(平成17年6月現在、自主防災組織としての規約等の検討を行っている。)。町内会にあたる大水崎区を基礎として、区長である多屋義三区長をリーダーに防災まちづくり活動が行われている。

(5)取り組みの内容

■津波避難マップの作成と避難路整備の要望
・ 大水崎区では講演会後、「津波避難マップ」作成に取り組んだ。その結果、
① 避難路として位置づけられている道路は区から離れており、津波から避難する時には大変な遠回りになること
② 遠回りせずに高台に逃げるには、線路を越えなくてはならないこと
③ 線路を越えても湿地帯、さらにその奥には崖地があり、安全に高台まではたどり着けないこと
などがわかり、区として新たな避難路を整備していきたいという意見がまとまった。
・ そこでまずは、串本町役場へ避難路整備を要望に行った。要望を受けた町は、JRと協議を行ったところ、線路横断にあたっての安全性の確保などの課題が生じ、全ての課題を解決していくには相当の時間を要することになった。


写真 避難路を検討する住民

■手作りの避難路整備
・ 一方の大水崎区では、津波はいつ来るかわからないという認識があり、避難路整備まで時間がかかることには危機意識を感じていた。そのため、自分たちの力で避難路をつくろうと、「避難路整備実行委員会」を立ち上げ、地区の住民たちの理解を得て、避難路建設の計画をまとめ、自主建設を行うこととした。当時、区の予算は潤沢であり、設計費についても区費が活用された。
・ 工事は日曜日などの仕事のない時間にみんなで集まって、住民の手弁当で作業を行った。当初は、単に板を敷いただけの簡単な避難路(下写真)であったが、その後、試行錯誤をしつつ、土台を組んで湿地を越える木製の橋を架け、2000(平成12)年9月に着手した工事は、10ヶ月ほどで完成した。
・ 避難路を整備した場所に資機材を運び込むためには、見通しの悪いカーブ付近で線路を横断する必要があったため、事故が発生しないようにJRの時刻表を確認しつつ、線路には見張り番もつけ、列車が通る時には作業を中止するという安全対策を講じながら作業を進めた。


写真 湿地の上に板を敷いただけの初期の避難路

■高台の上までの避難路延長は町が実施
・ 湿地帯を越える部分の避難路が完成したものの、さらに崖を登って高台の上にたどり着くまでの避難路整備を、これまでの住民自らの手作業方式で続けることは技術的に困難な状況にあった。
・ その後、町長が現場を視察し、町長の決断で町が残りの避難路建設を行うことになった。当時の町長は、奥尻町長を講演会に呼んだ時の青年会議所理事長でもあり、地震に伴う津波被害に対する意識も高かった。
・ 避難路はひと続きの経路として繋がっていることが通常であり、これに合致しない今回のケースでは、町の土地開発公社所有の崖の土地の管理用通路として位置づけるなどの整理上の工夫も行われた。
・ 更に、宝くじ助成金を活用して、夜間でも避難しやすいように足元を照らす太陽電池式の照明や案内板が設置された。

■その他の避難路整備
・ 先の湿地を越える避難路以外にも、前後して2箇所の避難路が整備されている。このうち北側の避難路については、町がまず避難路の路盤のコンクリートを打ち、その後、住民が通路から水路に落ちないようにフェンスの設置を行っている。
・ 一方、南側の避難路については、町が水路に蓋をする工事を行い、避難路としての機能が確保されている。


避難路の設置場所

■避難路の安全管理
・ 避難路の完成後、住民が避難路を近道として使い、線路を横切った際に列車を緊急停車させることが2、3回あった。そこで、津波発生時や訓練時以外は使用しないように、大水崎区が入口に扉をつけるとともに、災害時の避難路であることを示した看板を立てて注意を呼びかけている。
・ また、避難路の草刈りや点検などの維持管理は、避難路整備の中心となった大水崎区の推進委員会が行っている。

(6)補足

・ 大水崎区での活動から刺激を受け、平成16年11月時点で串本町内に13の「自主防災会」が新たに誕生している。
・ また、平成16年度には、周辺の区においても財産区財産を活用して避難路や案内板などの防災施設の整備が行われている。

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