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「第5回全国防災まちづくりフォーラム」

◆ごあいさつ◆


内閣府参事官田尻直人


我が国は世界でも希なほど自然災害が多く、いつどこででも起こりうる大災害に対し家族や地域の安全安心を確保するには、公助のみならず、国民や企業が自ら取り組む自助、地域のネットワークによる共助が必要です。このためにはひとりひとりが防災の知識を身につけ、地域のコミュニティや企業が日頃から防災意識を高め、十分な備えをすることが極めて重要です。先日の駿河湾を震源とする地震では、大きな震度にもかかわらず、被害がある程度の範囲で抑えられたのは、この地域の方々の長年の取り組みの効果のように思います。
内閣府では平成17年より、この『全国防災まちづくりフォーラム』に取り組んでまいりました。ご来場の皆様にはぜひ、本日のフォーラムで話されたさまざまな知恵を、ご自身の地域に持ち帰り、今後の活動の新たなきっかけにして頂ければ幸いです。本日ご参加の各団体の方々には、日頃から防災まちづくりの推進に深いご理解とご協力を賜り、篤く御礼申し上げます。また開催にご支援、ご協力頂いた浜松市始め関係者の方々に深く御礼申し上げます。


浜松市生活文化部防災監安形英敏


今日は、防災と直接係わりのない団体が“イツモ”の活動をすると、“イツモ”の防災になっているという非常に貴重なお話を伺いました。災害が起こるたびに新しい課題が次々起こりますが、現在の大きな課題は、災害時要援護者の避難・支援と避難所の運営です。地域コミュニティが衰退し、地域の力が低下しているため、国・県・市という公の立場が対応計画を作らねばならない状況ですが、今日のお話を伺い、地域活動や子育て、祭りなどを通して地域コミュニティが再生されれば、と思いました。ご参加の皆さんのような活動団体がどんどん増えることを祈念して、ご挨拶といたします。本日は長時間にわたるプログラムにお付き合い頂き、ありがとうございました。

Ⅰ.開催要領


日時平成21年8月23日(日)
会場静岡県浜松市アクトシティ浜松コングレスセンター4階43,44会議室
主催内閣府(防災担当)、浜松市、防災推進協議会
開催趣旨
平成16年、中央防災会議「民間と市場の力を活かした防災力向上に関する専門調査会」において、防災まちづくり活動支援のため、事例紹介・情報提供・地域間交流の促進が提言されました。『全国防災まちづくりフォーラム』は、この提言を受け、全国から防災まちづくり活動に取り組む団体に集まって頂き、活動状況を報告し合い、ノウハウを交換し、相互に励まし合って、永続的な活力を養う機会となること目指し、平成17年度第1回を仙台市、以降名古屋市、京都市、さいたま市で開催されてきました。今年は浜松市で行われる「防災フェア2009inはままつ」期間中に開催、市内・県内を中心とする防災まちづくり団体の参加を得て、活動発表と相互交流を行いました。
プログラム
○防災まちづくり活動発表会(10:00~12:30発表時間1団体10分)
○防災“貴重”講演(13:30~14:50)甲南女子大学名誉教授奥田和子氏
「災害・新型インフルエンザに備える『食』の知恵~家庭・対応現場」
○表彰式(14:50~15:20)
活動発表による各賞の表彰
○“まちづくり”トークセッション(15:30~16:50)
「“イツモ”の防災~隣の人と挨拶している日常~」
○相互交流の時間(17:05~18:00)
展示、関連行事(4階ロビーにて)
・参加団体による活動展示
・防災ガラスと普通ガラス等との強度比較実演(ガラスパワーキャンペーン事務局)
・人形劇(人形劇わにこ)

Ⅱ.活動発表

①泉自主防災隊・和合町自主防災隊

②伊勢湾台風物語バリアフリー上映実行委員会

③可美地区社会福祉協議会

④湖西市災害ボランティア

⑤特定非営利活動法人はままつ子育てネットぴっぴ

⑥豊川防災ボランティアコーディネーターの会

⑦豊橋防災ボランティアコーディネーターの会

⑧浜北ボランティア連絡協議会

⑨浜松市北区災害ボランティアコーディネーター連絡会

⑩南御厨地区自治会

⑪清水寺自警団


Ⅲ.活動団体展示


開催時間中、会場ロビーで発表団体(事前希望6団体)による展示が行われました。



Ⅳ.講評

審査委員長中林一樹(首都大学東京教授)


それぞれの組織が日頃から継続的に取り組まれている創意工夫あふれた活動に感動しました。心より敬意を表します。
阪神・淡路大震災後10年は大災害はあまりありませんでしたが、21世紀に入ってから、大きな災害がたくさん起きています。ここ10年間では名前のつく大地震が10以上起き、毎年1つ位は全国のどこかで被害を出していることになります。2004年は中越地震に先駆けて水害が全国で起こり、亡くなった方は中越地震の4倍に上っています。今年は先日の静岡の地震で一人亡くなられましたが、水害ではそれを上回る被害が多発し、大勢が命を落とされています。先日の静岡の地震は台風の大雨の中で地震が起きたわけで、中越地震では直前に各地で被害を出した台風が上越でも大雨を降らせ、3日後の地震発生で山古志では大きな斜面崩壊が起きました。
そう考えると、21世紀は巨大地震の発生の他に、巨大台風とか異常豪雨もある『災害の世紀』になりそうで、それらが重なり、あるいは連続的に発生する『複合災害』も想定しなければならないやや厳しい世紀になりそうです。また、避けようのない高齢社会に向かう中で、災害への取り組みは、まさに国の存亡が懸かった国政課題、行政課題だと思います。同時に、実は国政、行政だけではどうしようもなく、私たちひとりひとりが地域で、あるいは家族として、あるいは企業自ら、やれることに可能な限り取り組んでいくことが不可欠の世紀なのです。
本日は、まさにそうした21世紀の日本を存続し、かつ活力ある地域社会として存続させていくために不可欠な先導的取組みをご発表頂き、市民が主体的に行う地域での取り組みと今後のあり方について、たくさんのポイントやヒントを頂きました。その中から、今後全国各地で防災に取り組む上での秘訣、キーポイントを3つ挙げます。一つは「防災を楽しむ」。楽しんで防災に取り組むたくさんのアイデア、取り組み方をご教授頂きましたが、楽しんで取り組むことで人が集まり、アイデアも沸き、継続も可能になると改めて思いました。二つ目は「日常から防災を考えることの大事さ」。顔をしかめ特別の思いで防災に取り組む、行政マンは割とそういうタイプが多いかもしれませんが、顔をしかめていると頭も硬直するし、楽しいアイデアも出てこない。役に立つか立たないかという言い方で言えば、毎日の生活の中での知恵を活かす、日常的なつながりを大切にする、すなわち日常の延長線上で、また顔が見える関係こそが、非常時に役立つことを改めて感じさせられました。三つ目は「被害をいかに減らすかが基本」。今日発表された方々は地域のリーダーで、活動自体日本全国のリーダー的な活動ですが、そうした皆さんの取り組みの基本が、皆さん自身の被害軽減への取り組みでした。まず自らの安全確保によって初めて災害を乗り越えられることを改めて強く思った次第です。たとえわが町が被災地になったとしても、皆さんがわが身の安全を確保してリーダーとして活動できれば、高齢社会においても、災害を乗り越えて確実に次のステップに行ける、そういう力を確信いたしました。
全ての皆さんに最優秀賞を差し上げたいが、やむを得ず、オープン参加を含めて皆さんの取り組みに敬意を表しつつ、審査を行いました。これは決して皆さんの活動に序列をつけるものではありません。それぞれが本当に頑張って取り組まれておられることに心から感動したことをお伝えして、講評とさせて頂きます。

最優秀賞 今後の活動展開の中で、地域社会の災害に対する耐性向上の効果を最も期待できる防災まちづくり活動に授与 特定非営利活動法人はままつ子育てネットワークぴっぴ
応用賞 活動目的、手法等、他の地域で応用可能な利点を有している活動に授与 南御厨地区自治会
発案賞 活動目的、手法等に新奇性があり他地域でも参考にしうる活動に授与 浜松市北区災害ボランティアコーディネーター連絡会
表現賞 プレゼンテーションが最も優れているものに授与 豊橋防災ボランティアコーディネーターの会
感謝賞 感謝の意を表するに値するものに授与 伊勢湾台風物語バリアフリー上映実行委員会
可美地区社会福祉協議会
豊川防災ボランティアコーディネーターの会
浜北ボランティア連絡協議会
最多得票賞 観客の得票数が最も多かった活動に授与 泉自主防災隊・和合町自主防災隊

      

    

審査方法
審査委員投票(1人1票)
+参加団体相互投票(1団体1票)による
最多得票賞:来場者投票(1人1票)による

Ⅴ.防災“貴重”講演


「災害・新型インフルエンザに備える『食』の知恵~家庭・対応現場」


甲南女子大学名誉教授奥田和子氏


(1)震災とH5N1新型インフルエンザの発生様相の違い
災害は震災以外にもいろいろなものが待ち伏せていて、リスク管理上は最もリスクの高いものに照準を合わせて対応を考えるのが常道です。これから私たちが遭遇する高リスクのものとしては「H5N1新型インフルエンザ」があります。今、学校が始まるのでH1N1新型インフルエンザの流行拡大の可能性が指摘されていますが、そういう中で震災が起きればその学校に避難しなければならない、という矛盾した状況が起こるかも知れず、一つのリスクだけ見据えていればよいということにはなりません。まして大震災と“鳥インフルエンザ”が同時発生したらどう折り合いをつけるのか真剣に考えておかねばなりません。今日は、震災と新型インフルエンザの両方を視野に入れたお話をしますが、ここで言う「新型インフルエンザ」は、現在流行中のものではなく、俗に“鳥インフルエンザ”と言われる強毒性の方のことです。
震災と新型インフルエンザとの違いは、震災はガス水道電気などライフラインはやられますが、食料については、供給機能はだめになるものの救援物資・炊き出しなども行われるので、完全にダメにはなりません。一方、新型インフルエンザではインフラは大丈夫ですが、外出を慎まなければならなくなり、食料については供給はもとより、救援物資等もダメということになります。また、震災はいずれ回復の方向に向かいますが、新型インフルエンザは拡大します。
食生活上の対応の相違点では、震災は対応期間は回復するまでで、発生エリアは限定的、家庭や職場だけで対応するのでなく避難所もあり、周囲の助けも期待できます。一方新型インフルエンザは一過性でなく、第2波、第3波と続き、エリアも全世界に及ぶ恐れがあって、感染の恐れが高いため助け合いがしにくいので、家庭や職場で自力で対処しなければなりません。本日の皆さんの発表は震災対策はネットワークをして皆で助け合うというお話で、たいへん感激しました。しかし、新型インフルエンザの場合、ネットワークの方法でできるかどうか、どうやって助け合いをするかといったことを、どこかで詰めているとは思えませんから、現時点では「自力」しかないのではないかと私は思っています。また、このように被災状況や対応の仕方の異なる災害が同時に起こった場合、対応は非常に困難になることを頭において下さい。
(2)震災と食~配給食の問題点
私は阪神・淡路大震災を体験しています。阪神・淡路大震災の被害は避難所開設期間が7ヶ月にわたるという大きなものでしたが、現在発生が予想されている東海・東南海地震などの被害想定を見ると、桁が違う大きさです。そのために何をするかを本当に真剣にやっておかないと、もし新型インフルエンザとダブルで来たら、どうしようもなくなります。
過去の震災の実例で見ると、震災は二次災害(健康被害)を生じます。私は、新潟県中越地震で10時間後に避難所に届いたのが500ccのペットボトル1本とお菓子だけ、という新聞記事を見て、阪神・淡路大震災で私たちが非常に苦しい思いをした体験が活かされていないことに憤りを覚えました。備蓄食品はどこかにちゃんとあったのに、出し忘れていたとかいう話もあったようです。こういう対応をされていると避難所の人々はストレスや疲労が溜まり、栄養不足・偏りも起きて病気になり、被災時にそうなるとなかなか治りません。
阪神・淡路大震災での私自身の体験も含め、被災時の食の調査を行い、本にまとめました(著書「震災下の食−神戸からの提言」NHK出版1996フロアに回覧)。配給食が「まずい」という回答は4割弱で最も多く、その理由は「同じ献立の繰り返し」「冷たい」が多くあげられました。「何を文句を言っているんだ。食事が来るだけで有難いのだ。喜んで食べなさい」と言われるでしょうが、家も職場もつぶれてどん底の人々にはおいしいものを配って欲しい、というのが私の願いです。配給食の栄養面では、でんぷん、脂質、たんぱく質は摂れましたが、野菜が足りません(野菜は平常時でも手を抜けば不足がちになるものです)。被災者が食べたかったものとしては、「野菜類」が最も多く、「緑黄色野菜が死ぬほど食べたかった」との声も聴きました。これは大きな教訓で、避難所などで配布される食事には全く野菜がありません。避難所に滞在する人は高齢者や病弱者が多いのです。若い人は職場などに出かけるため、避難所に一日中いることはありません。病弱者で、もらった食事を「そのまま食べた」人は1/3程度、「3食とも食べた」のは半数程度で、多くは食べられるものしか食べなかったり、食事を抜いたりしていました。食べなければ栄養にならないので、さらに健康を損ねることになります。野菜不足の主な理由は、野菜は料理の手間がかかること、腐りやすく長時間の運搬は無理なこと、震災で流通が悪くなるため供給不足で価格も高騰し、弁当などに入れようにも入れられないこと、また、備蓄食品に野菜がないので、救援物資としても供給されないことです。
阪神・淡路大震災は「避難所の食事はどうあるべきか」についても問題提起したはずですが、未だに良い案が示されていません。皆さんが避難所訓練をするなら、具だくさんの味噌汁など、野菜不足への対処も練習してください。
(3)備蓄について
野菜の備蓄は大事です。皆さんが災害に備えて何か買うなら、頭を使って野菜類をなんとか備蓄することです。これが災害に遭っても健康を損ねずにいられる大きなポイントです。
また、救援物資は不要と私は考えています。備蓄しない人には有難いが、少しでも備蓄をしている人には不要です。むしろ食べられなかったり健康被害につながるなら無駄で、輸送にはエネルギーを使い、捨てることになるなら環境にも悪いということになります。阪神・淡路大震災では大量に来た乾パンなどは被災者も欲しがらず、芦屋浜で焼却処分しました。このように決して誉めるべきことではないという側面を、これから被災する人たちは考えるべきで、救援物資をもらわないよう自分たちで用意することが大事です。自分が欲しい物資が来ないと言って怒るのも筋違いで、自分に必要なものなら用意しておくべきでしょう。
備蓄は、誰が誰のためにするのか、ということをお話ししましょう。避難所に行くのは主に家が崩壊した人ということで、自治体の備蓄量の目安は概ね人口の10~15%+防災機関要員の分です。家が壊れなくてももらえると勘違いしている人がいますが、間違いです。家庭や企業、集客施設等は備蓄を各自でやらなければいけません。旅館や野球場などでは、当然お客の分まで備蓄が必要です。
一方、自治体は災害時に活動する病院の医師や自治体職員、警察、消防等の職員のために備蓄をし、災害時にはきちんとした食事を整える必要があります。阪神・淡路大震災ではそうしたことが不十分で、消防士への聞き取り調査では、救援・復旧活動に追われ仮眠も食事も取れなかった、備蓄食料と水の確保が是非必要だった等、ひどい状況を聞きました。静岡県下の現状はどうでしょうか(配布資料参照)。例えば浜松市では人口の2割分くらいの備蓄がありますね。ただ、避難所に行く人の多くが高齢者として備蓄内容を見ると、どうでしょうか。浜松は副食缶があり、名古屋は粥もあって、これはよいことです。一方、サバイバルフーズを備蓄している自治体がありますが、アメリカの宇宙食の味付けはおそらく高齢者の口には合わないと思います。なぜ粥にしないのでしょうか。粥は室温で、水なしでも食べられます。そういう知恵が足りない、と言いたいです。また、市職員・消防署員用の備蓄を見ると、全く足りません。誠実に働けば働くほど、飯も水もないというのはおかしなことです。「自分で備蓄」というところがありますが、どういうことでしょう。自治体がやるべきではありませんか。
何をどのくらい備蓄すべきかは家庭も自治体も一緒です。量は、震災では9食分、新型インフルエンザ・パンデミックの場合は2週間分です。内容は「主食」+「魚or肉のおかず」+「野菜・豆のおかず」で、この3つの柱でそれぞれ保存の効くものを考えれば、栄養が偏ることはありません。缶詰かレトルトで6ヶ月以上保存できるものの例を資料に書いています。保存の効かないものだと、無駄になったり頻繁に買わないといけなくなります。主食は日本人の場合は「ごはん」です。シリアルになどする必要はなく、日本の農業のためにも米でよいのです。飽きないようにいろいろ種類を工夫して、自分の食べ慣れているものを揃えることです(地域に外国人が多い場合はどうでしょうか)。ただし、野菜のおかずには保存食がなく、理由は、日本では野菜は生鮮のイメージが強く、売れないからです。外国では野菜の缶詰はたくさんあります。私は非常用に作るよう力説していますが、大量には売れないので企業はなかなか作ってくれません。野菜不足解消には、果物の缶詰で代用したり、「フリーズドライ」が少しはあるので、見つけたら買っておくことです。
帰宅困難者対応としては、学校や企業では帰宅者用の水・食料を備蓄し、それぞれ自分用の備蓄袋に入れてまとめて保管しておいて、いざという時はそれを持って歩くようにします。崩壊した道路を長時間歩くことになるので、量は2食分位で、内容は、カロリーが高いこと、歩きながらでもすぐ食べられて、食べたという充実感のある、栄養バランスの良いものが元気が出ます。2食分で高いカロリーが摂れるものはなかなかありませんが、乾パンは軽くてカロリーが高いのでこの場合は良いです。また、これは良いというのが「レスキューフーズ」で、発熱材がついているので、熱いものが食べられます。こういう新しい商品も出ているので、何を背負って歩くのか良く考えて選んで、用意してください。
個人レベルでの備蓄のコツは、「何を=おいしい、毎回違う、食べなれた、一汁三菜、温かいもの」「どこに=自分の一番長く居る部屋にまとめて置く(集めている暇などありません。そのまますぐ持ち出せるようにおしゃれな袋に入れておくといいですね)」「どのように=よい保管状態の維持」。なお、「賞味期限」というものは7掛け表示なので、期限が来たといってすぐ捨てることはありません。
(4)H5N1新型インフルエンザについて
震災と新型インフルエンザとが同時に発生したらどうしますか。新型インフルエンザ患者にはご近所での助け合いも難しく、避難所も区分しなければなりません。新型インフルエンザの場合の食生活は『家ごもり家庭内食』になります。厚生労働省は新型インフルエンザ対策としては2週間分備蓄が必要と言っています。家が狭くて場所がないなどと言う人がいますが、流通が悪くなるので店に商品がなくなったり、外国でも流行して輸入が途絶えたりする可能性もあります。ボランティアも宅配業者も来られなくなる可能性もあり、外部に頼ることが難しくなるので、当面の食料は各自持っていないと、特に都会では飢えるしかなくなります。水は一番重要です。家族構成により高齢者・乳児・病人のための食品の備蓄も必要です。また、家族の誰が病気になるか分からないので、子どもに電子レンジの使い方や食事作りを教えておくことも大事です。今日の資料として、新型インフルエンザで何が起こり、何をすべきかについて、子ども向けに「絵本」にしたものを配っているので、ご覧下さい。



こうした備蓄品をいつ買うかですが、我が国でまだ発生していない「今」用意すべきです。震災用の備蓄をしていても、新型インフルエンザには足りないし、小さい企業ではそれもしていないところが多いのは大きな問題です。
備蓄は健康維持だけでなく、社会秩序も維持でき、人にもあげられて相互扶助もでき、皆が幸せになれる「安全・安心」の基本です。特に申し上げたいのは、「この程度なら、今は備蓄は必要ない」という呑気な人たちがたくさんいること、どんなに言っても何もしない人たちが必ずいることです。そこで私は、県・市で家庭、企業等に対し備蓄を義務付ける条例(罰則付き)を作ることを提案します。
最後に、災害時に働く人のためにこそ備蓄が要る、ということを強調しておきます。公務員が救援物資を貰いに行くわけにいきません。各々の組織で十分な備蓄をすべきです。
【質疑応答】
Q:マンション住まいで先生の言われる量の備蓄を置くスペースがありませんが、何かうまい他の方法はありますか。

A:他の方法はありません。命をどうやってつなぐかを考えたら、見栄など張らず、無駄なものは捨てることです。私の家に来た人は、水の備蓄の箱に座ってもらっています。
Q:備蓄物資の品質管理で良い方法はありますか。私はクーラーボックスに入れて日陰の駐車上においていますが。

A:それはよい方法です。皆さんも参考になさると良いですね。
Q:水9リットルには生活用水を含んでいますか。

A:飲用だけです。1日2.5~3リットルは医学的に必要な量です。帰宅困難者用として少ない量が書いてあったりするのは、背負えないからです。食品は水分を多く含むので食事をすれば水もかなり摂れるので柔軟に考える必要はありますが、水分が多いといっても果物はのどが渇きます。一方、食事を抜くと水分も摂れなくなるということです。
Q:雨水の活用をもっと考えたらどうでしょう。私は十数年前から錆びないプラスチックのドラム缶に雨水を溜めて用意していて、普段はホームポンプをつけて、庭の散水や洗車などに使っています。雨が降らないと不足するので、全部で2トン近くの貯水があります。
A:それはとてもよいことです。ただ、そのままでは飲用にはなりませんね。先ほどの1日3リットルは、阪神・淡路大震災の経験では、清潔な水は飲むより前に傷口を洗うなど他の用途で使ってしまうので、備蓄は多ければ多い方がいいです。
Q:野菜の備蓄は缶詰とフリーズドライのどちらがいいですか。
A:緑黄色野菜はフリーズドライが多いなど、種類によって違う形態になる場合が多いので、どちらが良いとも言えません。フリーズドライは水を加えないと戻せないので、それができないなら缶詰ですが、野菜の缶詰はなかなか手に入りません。ベターホーム協会の惣菜缶シリーズは種類も多く、添加物が少ないので、私はいろいろ揃えて、普段おかずが少ないときは食べ、普段用とか備蓄用とか分けずに使っています。ベターホーム協会から宣伝費を貰っているのではなく、選択肢がほとんどないのです。
Q:新型インフルエンザの場合、栄養価の高い市販の備蓄品のおすすめはありますか。
A:私はこの5月に体調が生まれて初めておかしくなったのですが、畳3畳分位ある備蓄品の中で、みかんの缶詰しか食べられませんでした。極限で自分が何が食べたいか、実験してみるといいです。人によって皆違うでしょうし、選択肢があるようにいろいろ備蓄しておくといいですね。
Q:燃料の備蓄についての観点が不足しているように思います。それがないと温かいものを提供するには無理があるのではないでしょうか。
A:おっしゃるとおり、良いご指摘です。避難所生活ではそこでどうやって火をおこすか知っておく必要があります。阪神・淡路大震災では避難所生活が終わる頃はプロパンガスが盛んに使われていましたが、普段都市ガスを使う家庭では馴染みがないので、家庭用はカセットコンロがよいでしょう。阪神・淡路大震災では、電気が一番早く回復したので、ホットプレートが(水がなくても、使用後拭き取るだけでよいので)役立ちました。

Ⅵ.“まちづくり”トークセッション


「“イツモ”の防災~隣の人と挨拶している日常~」
◎コーディネーター 渥美公秀氏 大阪大学大学院人間科学研究室准教授
野口直秀氏 NPO法人まちづくり考房SHIMIZU理事
原田博子氏 NPO法人はままつ子育てネットワークぴっぴ理事長
清水恒男氏 さいたま市三橋コミュニティ役員
◎コメンテーター 大牟田智佐子氏 ㈱毎日放送ラジオ局記者
・防災ラジオ番組「ネットワーク1・17」プロデューサー




(1)トークセッションの趣旨、出演者の活動紹介
渥美:
まず、パネラーの皆さんは、ちょっとひねった防災をやっていて、日常のいろいろな活動を防災と上手く関係付けている方々です。静岡は先日地震に見舞われ、山口や私の兵庫県では水害が発生しているので、堤防の作り方といった話の方がいいと思うかもしれませんが、急に堤防を作れと言ってもすぐにはいかないし、もっと日常生活に近いところで話をしていこうと思います。最初に大牟田さんに、災害が起こると何が起こるのかをお話し頂いてから、自己紹介と活動紹介、日ごろの活動と防災との関わり、そしてそれがどんなまちづくりに繋がっているのか、という順序で進めたいと思います。
大牟田:
私は大阪の毎日放送でラジオの記者をしています。毎日放送ラジオでは阪神・淡路大震災の年からずっと、週1回震災や防災だけをテーマにした番組を続けていますが、私はその番組の総合責任者もしています。その番組を通じてさまざまな被災地の方と知り合いになったり、いろいろな知恵を頂いたり、各地に足を運んで取材したりしています。先日の駿河湾の地震では焼津の方にお電話したら、被害は空のペットボトルがテーブルから落ちただけと言われ、静岡の方はすごいと実感しました。
まず最初に、震災とはどういうことなのか、“イツモ”の活動によってどれくらい被害が、あるいは心の傷が和らげられるか、ということを少しだけお話しします。私は阪神・淡路大震災の半年前、当時はテレビ記者で、偶然にも地震の専門記者として勉強しながら取材を始めていましたが、阪神・淡路大震災までは、地震とはどういうことかよく分かっていませんでした。あの日大阪で私は、神戸とは比べ物にはならないものの、ベッドから振り落とされるほどの揺れを体験して、心臓がバクバクいうほど怖くて、その後3年間、洗濯機の振動さえ恐ろしかった覚えがあります。被災地の方が震度1や2の余震でも飛び上がるというのは、こういうことかと思います。震災当日、自分の局の放送には、長田の大火災が写り、同僚がヘリコプターから、この下では瓦礫に挟まれ動けない人が火に巻き込まれているとリポートしていて、自分はこれまで何をしていたのかと愕然としました。被災は一つは物理的な被害(家屋倒壊、家具の転倒、人の死亡、火災発生など)で、これは日常の対策である程度防げるかもしれませんが、変わり果てた街の姿や傾き壊れたビルを見るだけで心が痛むものですし、避難生活では「あるべきものがない」「いるはずの人がいない」とか、例えば水道の蛇口が家と違うとかいうところから「非日常」が始まっていて、「日常」が取り戻せないことそのものが震災なのです。“イツモ”ということがその「非日常」の中にどれだけあるかが、心の安らぎの回復に関わってくると思います。もう一つは、震災はそれを境に生活がすっかり変わってしまうことでもあって、時間が経ってからじわじわ影響が出ることが多いのです。例えばその後のまちづくりで、震災復興のために区画整理という手法もとられたのですが、私の取材では、上品な人たちが近隣とほどほどの付き合いで暮らしていた街ほど、復興まちづくりでたいへんな思いをしたということがありました。自治会活動などほとんどなくても何の問題もなく過ごせていた街が、区画整理で利害関係が生じたとき、話し合いの過程で猫の死骸を投げ入れられたとかいう話を聞き、そういうことがこの街で起こるのかと驚かされました。逆にお醤油の貸し借りをするような下町はその場で喧嘩をしても後はカラッとしていて、復興まちづくりも比較的上手くいったという印象です。結局は普段の人のつながりとか、何を活動しているのかがものをいうと思えてきます。今日は地震がない日常から、どういうことをして人とコミュニケーションしたり、コミュニティを作ったりしているのかをパネラーの皆さんにお聞きし、“イツモ”の活動が知らず知らずにどんな防災につながるのか、ご一緒に考えたいと思います。
渥美:
それでは、パネラーの皆さんに自己紹介を兼ねて、日々の活動をポイントに、一見関係ない活動が防災になっているというお話をお願いします。
野口:
私は清水市の商店街の人間です。全国で商店街の衰退が言われていますが、私は商店街が衰退しているのではなく、世の中全体が衰退していると思っています。ひいては、昔に比べ家庭が衰退しているのです。先日新聞で、小中学校の不登校が12.6万人、自殺者は11年連続で3万人を越え交通事故死(6~7千人)の数倍という記事を見ました。これは全て「つながりが失われた」ということだと思います。私が活動を通して思ったのは、私の活動テーマは「つなぎ直し」で、これがあらゆるところのいろいろな問題の解決になるのではないか、ということです。普段の活動をご紹介すると、平成12年に始めたエコマネーは「つなぎ直し」に非常に役立ちました。二つ目は、地域ブログで、ブログ村というところで実際に顔も合わせます。長年人生をやっていると付き合いの範囲が限られてきますが、ブログ開設で若い世代や女性なども付き合いが広がりました。もう三つ目は「隣人まつり」です。NHK「クローズアップ現代」で、パリで高齢者の孤独死をきっかけに、担当した市職員がもっと隣同士が仲良くなろうということで、自分のアパートの中庭で持ち寄りのパーティをやったという話をみて、これは絶対清水でもやるべきだと思って始めたものです。それから、「つなぎ直し」とはちょっと違いますが、後の交流会で清水の「モツカレー」を出しますが、地域の資源を活かすなどで、自分の故郷に誇りを持つことも大事です。誇りを持っている地域はスラム化しませんが、住民が「何だ、こんな町」と言っている町は高校生がタバコを吸っても大人は見て見ぬふりをするなどして、どんどん衰退していきます。
原田:
「NPO法人はままつ子育てネットワークぴっぴ」は防災分野ではあまり知られていないと思うので簡単にご紹介します。“イツモ”の活動は全く防災とは関係なく、サイトの運営など情報を核とした事業展開を中心に、子育て環境の調査や講座、再就職支援、託児者の養成・派遣など、子育てしやすいまちづくりのために活動しています。これまで「地域情報化大賞」(2006年)など毎年何か賞を頂いてきました。サイトの運営では、2005年に浜松市の子育て情報サイトを浜松市と協働で立ち上げ、子育て中の親たちの当事者視点を大切にした運営をしていて、2008年には内閣府から「バリアフリー、ユニバーサルデザイン推進功労者賞奨励賞」を頂きました。
清水:
昨年さいたま市で開催された「第4回防災まちづくりフォーラム」に出た縁で、今年も引き続きという依頼で来たのですが、浜松駅を降りたら、防災真っ只中の雰囲気で「こりゃヤバイ、帰らなきゃ」と思いました。というのは昨日、自治会主催の納涼大会があって、遅くまで飲んでいたので…。納涼大会はかつては閑古鳥が鳴くイベントでしたが、私たち三橋コミュニティがジョイントして、地域のスポーツ文化団体に声をかけてやってもらった「屋台村」、そして、学校の校庭では50m位の仕掛け花火や20~30m位の「打ち上げ花火」を催しています。私たちの活動は地域の子どもが中心対象で、というのは子どもを呼べば親や年寄りも来るからで、そういう形で地域の盛り上がりを作ろうという団体です。
(2)「“イツモ”の活動」から「“イツモ”の防災」へ
渥美:
お話があったエコマネー、モツカレー、子育て、屋台村や花火という“イツモ”の活動のどの辺が防災とどうつながっているかお話しください。
野口:
商店街は少子化、過疎化、後継者不足、高齢化、仕事の先細りという意味で、農山漁村と同じ状況にあり、日本が向かっている社会を先取りしているようです。違うところは「街」の中心部で、誰でも自由に訪れる場所にあり、間口を広げて人が常駐していることです。また、ショッピングセンターにできなくて商店街にできることは、半公共的な誰でも来られる場所だからこそ、コミュニティの核になり得るということです。とはいえ商店街は、“隣の店の蔵が焼けると嬉しい”という面はあります。“イツモ”の活動の一番のきっかけは「エコマネー」です。人にものを頼むのは気が重いものですが、エコマネーは自分の得意分野をシェアするもので、頼まれたほうは得意なことだから気楽にできて、頼んだ方はエコマネーという贋金のようなものを払うのですが、自分もまた提供する側にもなるのです。今のボランティア活動などは一方的で、提供側と受ける側が決まっているので、受ける側の心の負担は大きいはずです。エコマネーは双方向なので親しくなれます。やってもらった人は感謝の気持ちを持っても、やった側はそんなことはすぐ忘れ、心と心にいい循環が生まれます。大災害時では誰から助けるかといえば、皆さんも好きな人、親しい人から助けるでしょう。現実の話、嫌いなやつは後回しにしますよね。だったら好きな人、親しい人がいっぱい居るほど、助かる可能性があります。つまり普段からエコマネーのようなところでやり取りしている気持ちが一番大事です。商店街で20~30年付き合っていても一歩踏み込んだ付き合いはなく、一杯飲んでも互いのパーソナリティまでは分かりません。エコマネーでは、例えば「歯医者の予約を取ってあげる」「何で歯医者の予約が取れるの?」「実は息子があそこで歯医者やってるんだよ」ということで、知らなかったパーソナリティが見えてきます。見えてくると好きになるということはありますね。阪神・淡路大震災では、レスキューに助けられたのは2%で隣近所が大事と聞きました。静岡新聞では重機が来るとありましたが、阪神・淡路大震災の話で考えると、重機が来られるはずがありません。淡路島の北淡町ではもともと近隣の人々を把握しているので、不明者の有無がすぐ分かるそうです。私たちは隣組程度の範囲なら把握していますが、空き店舗に入ってきた他所の資本の店のことはほとんど知りません。そういう中でエコマネーは非常に貴重です。「隣人祭り」についても、駅周辺に建つマンションの住民を私たちは知らないし、しかも入居者同士も知り合っていません。防災も含めちょっとしたことで助け合ったり、一杯飲めば楽しかったりするのに、不幸なことです。そうかと言って自治会主催の催しはよその人は入れません。商店街の納涼大会なども商店街以外の人はお客さんになってしまいます。「隣人祭り」は「持ち寄り」でやるので、来る人の範囲も広がります。普段の付き合いから「いざとなったら好きな人から助けてあげるよ」というのが防災かなぁと思います。
原田:
私たちが防災に取り組んだきっかけは「子どもの見守り」(虐待防止)です。浜松市は政令指定都市の中で面積が2番目に広く、核家族化が進み、いろいろな企業があるので転出入が多く、私も転入者です。最近児童虐待の話が増えてきましたが、いろいろな支援の場に出てくれば救われることも多いのですが、引篭って地域とも子育て中の人とも接点がない人たちにどうやって触れ合うきっかけを作るかが問題です。また、浜松市には外国人(特にブラジル人)が2万人くらいいて、子どもは何とか日本語が話せるが親は話せないなど、接点の少ないさまざまな人がいます。防災がひとつのきっかけにならないかということで、活動を始めました。また、女性・子どもの視点についてお話しすると、私は実家が吹田で親や友人の多くが阪神・淡路大震災で被災していますが、ここに転入してきて、ちびまるこちゃんも防災頭巾を持っているとか、静岡は防災にとても力を入れている県だと思いました。ただ、学校など「集団」での取り組みはしっかりなされていますが、例えば通学・通園途中で被災したらどうすればいいのと聞いても誰も答えられません。そこで、子どもを守るワークショップのような形で何か啓発できたらいいと思い、災害ボランティアコーディネーターや社協、自閉の子どもを持つ親の会などと2006年「子どもを守る防災ワークショップ」を始めました。「ワークブック」も作りましたが、配るだけでは忘れられてしまうから体験型でやろう、ということで、浜松周辺で年間10箇所以上で防災ワークショップを開催しました。さらに、ブログを開設すると他県からも依頼が来て、活動場所が広がりました。「ワークブック」は東京都福祉保健局の目に止まって事例として紹介して頂き、去年は浜松市中区と協働で「ぴっぴのいざ!カエルキャラバン」(子ども向けワークショップ)も行いました。防災を特別視すると堅苦しくて「そんなの苦手」という家庭がすごく多いのですが、日常の知恵を活かして備えるのが一番ですから、浜松は野外活動が活発なので、キャンプでも使えるようなカッパや紙コップなどを防災の知恵として教え、一緒に作ることもしています。


普段の地域での係わり合いがいざという時の「お互いさま」になって、虐待防止にもつながります。また、子どもや妊婦・障害者・外国人などが地域に居るということも知っておかないと、避難所にそういう人たちが行った時、知らないために排除されるのはつらいので、ある程度知識を持ってもらう方がいいと思います。地域のネットワーク化は防災に限りません。遠くの親戚より近くの他人が頼りになることも知っておかなければならない、ということで日々活動しています。
清水:
私たちの活動の場所をご説明すると、さいたま市の中心部に大宮駅があって、新幹線等12路線の結節点で1日乗降客数60万人、全国でも20本指に入るという大きな駅です。三橋コミュニティは大宮駅から徒歩15分くらいにある人口3万人の住宅街で活動しています。組織づくりのきっかけは、平成17年1月に地元三橋小学校のすぐ近くで母子餓死事件があって子どもはまだ4歳でした。なんと希薄な地域でしょうか。当時の三橋小の事務職員はこのままではまずいということで、民生委員や地域の社会福祉協議会などに働きかけを始め、私は当時子ども会の育成会長だったので私にも声がかかりました。“イツモ”の活動から防災へということですが、さいたま市には海がなく、大きな地震もないので大災害の実体験はありませんが、平成19年にさいたま市が「八都県市合同防災訓練」の主会場になり、三橋小学校が夜間避難場所運営訓練の会場に決まったので、私たちもボランティアを申し出て、子どもたちへのレクリエーション活動などで協力しました。訓練で感じたことは、例えば避難所内をブルーシートで分けて使う場所を決める時、皆で話し合って決めればよいが、一方的に割り振って顔も知らない人が隣り合わせになると、大牟田さんの言う「非日常」でストレスが生じるだろうということです。やはり顔を知っているコミュニティでまとまっていけるような雰囲気を作りたいし、そういうことがまた、防災に繋がると思います。大災害時はまず自分を助ける自助、そして共助、最後の最後に公助、の順で、自助と共助が発災直後の対策になるわけで、それにはやはり人のつながりがあることで、例えばあの人には障害があったよねということを知っていれば、自然と声かけができて避難もできる、ということで活動をしています。
渥美:
皆さんのお話に出たことが実際に役立つか、大牟田さんからお話し下さい。
大牟田:
まだ災害が来ていないのに、皆さんがこれだけのことを考えて仕組みづくりをしていることに、まず感服しました。清水さんは母子餓死事件が契機と言われましたが、大事な視点で、地域の繋がりが絶たれると命が奪われることもあるということです。阪神・淡路大震災でも、折角助かってもその後都会の復興マンションに一人で入居した中高年男性が生きる気力をなくし、孤独死する例がたくさんありました。どこかで誰かとつながっていれば防げるのではないかと思います。そういうことを普段の、例えば楽しいイベントなどで作ろうとしておられるということですね。原田さんのお話は、子を持つ親の視点ということでしたが、子どもや妊婦、外国人も災害時要援護者で、この方々に合わせた防災対策は結局誰もが救われる対策になります。神戸市長田では震災が起きるまでベトナム人が多いことを知らない人が多くて、避難所では外国人というだけで周囲から根拠のない不信感を持たれました。今はそういう地域では外国人も一緒にサークル活動や文化を紹介し合う行事をしています。「外国人」と呼んでいた人が「キムさん」や「グエンさん」になると日常生活で助け合う関係が始まり、非常時にも区別なく助け合える関係になります。野口さんは面白い取り組みをされています。私たちで井戸端会議や醤油の貸し借りの経験がある人はもうほとんどいませんが、そういうことをうまく現代風にアレンジしたのがエコマネーであったりするのです。好きな人から助けるというのは、阪神・淡路大震災で実際にあって、近所の人を救助する順番を決めるとき「あの人には意地悪されたから、こっちが先!」となった話を聞きました。普段いかに人に優しく、仲良くしているかで決まってしまうのは考えると恐ろしい話です。災害時に自分だけではたいへんでも、一人が誰かのために自分がもらった物資を「どうぞ」と分け始めると、皆がいろいろなものを融通し合うようになったりするものです。一方的にボランティアを受けるのでなく、得意分野でいろいろな助け合いをしようというエコマネーの取り組みは、そういうことのベースにもなっていると思いました。
(3)防災とまちづくり
渥美:
日ごろの活動が防災につながるとして、逆に防災の活動はまちづくりに役立つのか、ということと、今後皆さんの活動をどのように展開していくかをお話しください。
野口:
私の商店街では最近3ヶ月に2回火事が起きました。高齢化で防災力が落ちているのです。ただ、商店街の人は古くから住んでいるので、コミュニティは少しはあります。小さい水害がよくあって、夜無人の店舗のオーナーに電話で知らせたりしています。
防災であろうが何であろうが「場づくり」が必要だと私は思います。『まちづくりの実践』(田村明著:まちづくりで非常に有名な方)という本の実例として、よそから自分の住んでいた田舎の街に戻ったら「言葉が通じない」という話が載っていました。皆さんも定年になって街の防災に関わろうとしたとき、「日本語」が通じない、つまり自分がやってきた企業などでの癖とか考え方が抜けなくて、コミュニティに溶け込めない、ということがあると思います。言葉が通じるようになるために、言葉を取り戻そうという例も書いてありました。「まちづくり」と大きく振りかぶることでなく、冗談を言いながらの話し合いから始めるというのです。そういう場を「●●塾」と称していて、●●とは与太(ヨダ)を飛ばす(ふざけて出鱈目を言う)という意味の四国の言葉のようです。集まった人が楽しい時間を過ごせるだけでもまちづくりで、まず自分たちが話のできる場づくりが必要だと思います。ただ、地域のコミュニティ作りなどは地域の自治会は必ずやっていて、「隣人祭り」をやろうと言った時、それは自治会のやることだろうと言われましたが、新しいシステムでないと機能しないことがたくさんあるのです。銀行で両替してきてくれなどとは頼みにくいが、エコマネーなら気軽に言える軽さがあります。新しいシステム、新しいノウハウ、新しい考え方を入れることで、かつての醤油の貸し借りに繋がってくるのではないでしょうか。防災をきっかけとしたまちづくり、人間関係づくりでも、いろいろな新しいシステムも是非勉強されてやってみるといいと思います。エコマネーは団地内の一棟でやるのが一番いいかもしれません。隣の棟もやって、次のステップとして棟同士でやるとか、小さな塊が結びついていくとずいぶん暮らしやすくなって、あまりお金を使わなくてもよくなります。
「場づくり」では、言葉が通じるような場を長い時間をかけてやっていかないといけません。また、私たちも事業をやっていますが、どうしても排他的になりやすく、例えば商店街なら、客のためのはずがメンバーのためのものになってしまったり、医師会は地域医療に貢献する会だったはずが、医師の地位を保つためのものになったりとか、変質してくる場合がいっぱいあるので、肝に銘じてやっていきたいと思っています。
原田:
地域のネットワークづくりは私たちも考えています。ワークショップ活動を広げるためには地域のリーダーが必要なので、ファシリテーター講座を始めました。活動を通していろいろな人たちにご協力頂き、子育てだけやっていたら知り合えなかったような人ともつながっていくことができました。子どもたちと、あるいは親子でやる講座では、地域のつながりとか自分の身は自分で守るという内容も入っていますが、そういう話も聞けてよかったという声をたくさん聞きました。防災グッズは今既製品がありますが、被災したとき実際に使えないかもしれないし、むしろ身近なもので創意工夫する力も身に付けないといけません。私たちがIT技術(情報)を使う理由のひとつは、活動などを見せるためです。いい活動をされている団体はたくさんありますが、PRができないので、私たちが半分担い、見せられるようにすると、遠くの人とも繋がっていけます。また、ネット上の付き合いだけでなく、フェイス・トゥ・フェイスと両面が必要だと思っています。分野が防災であろうが、環境であろうが、子育てであろうが、つながることが、地域の活性化に結びつくのではないでしょうか。
清水:
避難所運営訓練の経験をもとに、昨年9月、小学校の体育館に一泊する「子ども防災キャンプ」を主催しました。今年も9月末に予定しています。私たちはコミュニティの醸成が設立目的で、夏の花火や年末の体育館の清掃などのほか、昨年は「三橋探検隊」(最近の子どもは外に出なくなって地元を知らないので、地域の文化財を見て回った)、今年は「ジャガイモ収穫祭」(2月にジャガイモの種を植えて6月に収穫した)とか、いろいろなことをやっていて、防災はそのごく一部でしかありません。ただ、一つの事業を始めると、いろいろな人に聞いてまわったりするので人の輪が広がり、活動も広がります。今日伺った原田さんのお話も持ち帰りたい、あるいはインターネットで調べられるかなと思っています。
防災活動とかいろいろな事業をやることで、隣近所の人々に意識付けができてきました。子どもたちにもあの人はちょっと体が不自由だとか、アンテナを張ってもらう意識付けができてきたように思います。それが隣近所での仲間作りのポイントになってくるかな、というのが今の私の感想です。
大牟田:
「防災」「防災」と構えてはいないと皆さんが言われました。たぶんそれでいいと思います。災害は訓練でやったことがそのまま起きるわけではないので、その時どうするかが重要で、生活力とか生命力でかなりカバーできます。阪神・淡路大震災でも、地域を仕切っていた人たちは、被災経験がなくても次に何が必要かというようなことを咄嗟に判断できて動けたという話を聞きました。また、「場づくり」は私も以前から必要と思っていたことです。“場がある”という意味は、いつもここにくれば誰かがいてしゃべれるとか、毎年ここに行けば知り合いに会えて楽しいことがあるとかいうことがあると継続的にそこを訪れる人が出てきて、人のつながりが生まれてきます。祭りであったり、地域の集会所であったり、サークルであったり、何でもいいのですが、そこから何かが生まれるのです。食べ物があるとなお盛り上がって、いろいろな人が集まります。韓国人がチゲ鍋を振舞ったら、韓国料理はこういうものと知りましたとか、そういうことで垣根が取り払われます。皆さんが日常でやっていることが、きっと災害にも役に立つという気がしました。
渥美:
私も大牟田さんと全く同じ考えです。相互交流の時間では食べ物も出ますから、そちらでお話の続きをやりましょう。最後に一言ずつ、お願いします。
(4)まとめ
野口:
災害が起きた時助かるかどうかは、近所の小さな土建屋さんがユンボを持ってすぐ来てくれるかどうかだったりするので、街の小さな土建屋さんをなくしてよいのでしょうか。商店街も同じで、商店街自体かつてはライフラインでした。今はコミュニティというライフラインを保つところが商店街・小さな商店です。規制緩和で大型店が進出して商店街が衰退したらいけないということで国も中心市街地活性化をやっています。私たちはその中で「スロー店舗宣言」というのをやりました。地域の商店街は効率化には程遠いところで、個人商店で買物をするのは面倒で効率的ではありませんが、例えば効率化を図って何か起きたかというと、子どもたちが黙って買物のできる世の中になってしまいました。昔は商店主と会話しなければ買物ひとつできませんでした。知らない人と隣り合ったらストレスになるというお話がありましたが、昔の人ならストレスは感じなかった、つまり「あんたどっから来たかね」位は言えたのではないでしょうか。そういう能力を失わせてしまったのが今の効率化の社会です。そういう意味で地方の商店街も大事にしてください、というのが私のまとめです。
原田:
防災に関して、公助には限界があるので、自助=自分の身は自分で守る、ということを私たち親の立場からも考えなければいけません。子どもを守るには親が生き延びなければならない、ということをいろいろな方々から教わりました。私たちはそういうことを啓発する活動をしていきたいと思っています。
清水:
「場づくり」について言うと、我々のコミュニティには転勤族もいますが、夏は屋台村と花火があることが周知されてきて、だんだん浴衣姿でくるようになり、高校生になったりした子が仲間と久々に集まるようになるなど、地域に根付いて来て、場づくりができつつあります。私たちも原田さん同様、地域に関わる各種団体のネットワークづくりを手がけていますが、こちらも祭りを介して屋台村のようなことで地域ネットワークができつつあります。これからどれだけ根付くかが勝負だと思っています。そういうところで今日伺った皆さんのお話を参考にしながら、地域に戻りたいと思っています。
渥美:
「“イツモ”の防災」というテーマでしたが、いつもいつも防災を考えているという意味ではなく、全く逆で、“イツモ”は子育てを考えているとか、商店街のことを考えているとか、それが実は防災になっているということを今日はご紹介しました。中には、事例を集めても全体を通した理屈がなければダメだとか、その商店街は良くても隣はどうするのかと突っ込む人たちもいます。それはそれで大事な考え方ですので、そこをどうしていくかもまた多くの人たちで考えていかないといけません。他のグループで上手くいったのに、うちは上手くいかないという場合「それは、なぜ?」と考えるのが次の段階です。今日聞いたいろいろな事例をそのまま自分のところに当てはめるのは無理かもしれませんが、なんとかこなして自分のところの力にして頂きたいと思います。そのときのキーワードで今日のお話をまとめると、ひとつは「きっかけ」です。個人のきっかけかもしれないし、地域のきっかけかもしれません。行けば知り合いがいるという“場”は地域のきっかけです。そういうものを見つけたらどうでしょうか。そのときに、例えば子育てという「切り口」から考えていくと、防災で忘れていた部分が見えたりします。自分の関心のあるところから見ると防災がどう見えるか、是非考えるといいと思います。その後は「ツール」です。交流会で出るモツカレーも、食べながらしゃべるためのツールとも言えます。今日話されたことは特殊な例とお思いかもしれませんが、「きっかけ」「切り口」「ツール」とすると、これが皆さんの地域にあるかどうか、どんなものがいいか、ということを考えてみてください。パネラーの皆さんと大牟田さん、ありがとうございました。

Ⅶ.関連行事

①「防災ガラスと普通ガラス等との強度比較実演」
(ガラスパワーキャンペーン事務局:昼休み、ロビーにて開催)


②紙芝居(人形劇団わにこ)
(昼休み、ロビーにて開催)
なお、清水市で創作人形劇や紙芝居を上演している「人形劇団わにこ」による防災紙紙芝居が行われました。


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内閣府政策統括官(防災担当)

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