報告書(1657 明暦江戸大火)

災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成16年3月
1657 明暦江戸大火

報告書の概要

  • 第1章 明暦期にいたる歴史的背景

    (都市の拡大)
    江戸幕府の開設以降、全国の大名や大量の武士団、それらの住居の建設と消費等をまかなうための商工業者などにより、人口急増・都市拡大。
    (防火・消火体制)
    江戸は、冬期に乾燥し・晴天が続くという気候上の特性があり、防火・消火に関する貧弱な備えしか持たない「火災都市」として出発。
    16大名で4組(1組の定員は420名)を編成(1年後10大名3隊に縮小)する大名火消制度があり、町人の体制としては、以下のように規定。
    ・見回りを行うこと
    ・町々で天水桶に水を入れておくこと
    ・火災発生時は、火元の者は声を上げて、町内の人は駆けつけて消火すること
    ・各家ごとに手桶に水をくんで軒につるすこと
    ・一町の両側に平均8個の消火用井戸を掘ること など

  • 第2章 明暦大火の出火・延焼経過

    (火災の発生と被害)
    明暦の江戸大火は、80日以上も雨が降っていない状況の下で、明暦3年1月18日から19日(1657年3月2日から3日)にかけて発生し、激しい風で燃え広がった3件の大規模火災の総称。
    死者は6万8000余人。焼失区域は現在の千代田区と中央区のほぼ全域、文京区の約60%、台東区、新宿区、港区、江東区のうち千代田区に隣接した地域一体。
    (特徴)
    消火の装備、技術とも未整備で、破壊消防に頼らざるを得ない状況。大規模火災は、川や運河等による焼け止まり以外に消火困難。

  • 第3章 大火後の防災体制の改善と社会への影響

    (救済活動)
    幕府は、ただちに被災者への給食を行ったほか、焼けた米穀の放出、資金の下付(大名や旗本・御家人だけでなく町人も対象とした給付)などを実施。
    (復興)
    幕府は、以下のような防火強化対策を実施。
    ・江戸城内から親藩御三家の藩邸を移転させ、跡地に馬場や薬園などとし延焼防止帯を設置
    ・寺社や町人地を外堀の先か新開地へ移転
    ・道路の拡幅、広小路や火除地の設置
    ・茅葺きや藁葺きなどを禁止し、塗屋や蛎殻葺きなどの耐火建築を推奨
    (消防体制の改善)
    幕府では予防や消火だけでなく、火事場の治安維持にもあたる定火消制度を創設するとともに、町人に対しては、従来の措置を徹底。
    町人たちの間では自主的防火組織が発足。

  • まとめ −明暦江戸大火の教訓−

    江戸の歴史的性格を踏まえた上で、大火時の状況と大火後に採用された対策及び現代につながる教訓をまとめた。(延焼・飛び火対策、消火体制、避難対策、政府救済活動)
    ・飛び火により極めて早いスピードで延焼が拡大したという当時の事情は、現在においても老朽木造住宅の密集地や裏路地の多い地域などでは同じであり、このような地域での消火設備や日常の防火体制の強化が必要
    ・大火後、幕府が定火消を設置する一方、町人たちの間で自主防火組織が発足したが、現在においても地域住民の連帯感に基づく自主防災組織の結成とその活動の推進が重要
    ・住民の避難において避難路が避難者の荷物などで占領され犠牲者を多くしたため、大火後の江戸では火除空地などの整備が進められたが、現在においても避難ルート上の障害物よる避難障害に関する事前の検討と的確な避難誘導は大きな課題

  • <広報「ぼうさい」>

    シリーズ「過去の災害に学ぶ」(第2回):  広報「ぼうさい」 (No.26)2005年3月号、 16-17 (PDF形式:308.9KB)別ウインドウで開きます ページ

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