災害被害を軽減する国民運動サポーター

災害被害を軽減する国民運動サポーター対談 名古屋大学 教授 福和伸夫 × 女優 竹下景子

サポーター制度発足から1年、平成23年2月1日、女優の竹下景子さんと名古屋大学の福和伸夫教授の対談が行われました。

福和教授
竹下さんは東京にお住まいとのことですが、東京って、『谷』とか、『川』とかがついた地名が多いと思われませんか。昔、丘にたくさんの川が流れていて、その川が刻んだ谷がいっぱいあった。若者の街、渋谷もその一つ。
竹下さん
もともと人が住みやすいところだったということもあるんでしょうけど、今のように人口が集中すると、便利だけでは済ませられないところもありますね。

福和教授
そう、東京に古くからある駅は大体が最初に鉄道が通った場所です。当時は蒸気機関車の時代だから、煙も出すし火も出す。で、人の住んでいないところに線路を作ったので、どうしても地盤の良くないところを通っているんです。それに、機関車は坂道を上がるのも苦手でしたから、平坦な土地を走った。これは、神田川沿いにある中央線を見てもわかりますよね。そういうふうに鉄道が作られていったので、たいてい駅は坂の下、住宅は坂の上なんです。竹下さんのところもそうじゃないですか。
竹下さん
そう言われてみれば、確かにそうですね。
福和教授
そんなことに気がつくと、その地域の危険度の高さ、低さが見えてくるわけなんです。
竹下さん
そう思って見ると、地図も眺め甲斐がありますね。
福和教授
お宅の周辺は、木造の建物が多いですか。
竹下さん
古い家屋も多いです。まあ、今はさすがに建て替えにはなっていますが、木造であれ鉄筋であれ、例えば60年前に建てられた家は庭もそれなりに大きくて、ゆったりとしていましたが、建て替え時には最低2軒、多ければ4軒の家が建ちます。回覧版を回しても1日で戻ってこないですね。わたしも当番のときにすごく苦労しました。
福和教授
回覧版ということは、まだ隣近所とのお付き合いが残っているんですね。
竹下さん
比較的残っている方だと思いますが、共働きで夜にならないと家族が揃わないとか、昼間はお年寄りだけとかいうお宅も多いため、わたしは防災訓練を通じて、ご近所の方と仲良くなりました。
福和教授
防災訓練にちゃんと参加されているんですね。
竹下さん
はい。それに世田谷消防署の災害支援ボランティアにも登録していて、もう10年以上になります。
福和教授
その消防署のボランティアでは、どういうことをされるんですか。
竹下さん
訓練では、もちろん消火活動とか自分で身を守るってこともありますが、わたしたちボランティアは主に、消防署に訪ねてきた人や電話などの対応になります。また、消防署の消防隊の方たちは被災地に出動しているので、怪我をされて病院などに運ばれてきた方たちのお世話もあります。
福和教授
自ら進んでそのボランティアに立候補されたんですか?
竹下さん
阪神・淡路大震災の1年後か2年後だったと思いますが、わたしの住んでいる地域でも防災意識が高まり、町内会主催の救命救急の講習会があったんですね。その救命救急の講習を受けた際に登録しました。
福和教授
では、今のように災害に係わるようになったきっかけは何だったのでしょうか。

竹下さん
1つは、趣味でスキューバーダイビングを家族で始めたときに、ライフセービングの方から「自分の命は自分で守る」っていうこと、自己責任っていうことを教わったことです。それと、阪神・淡路大震災の時には下の子が幼稚園、長男は小学校の低学年だったのですが、何かあったときに、家族はどうすればいいんだろうということも思いました。
また、わたしたち俳優の仕事は、決まった場所に通勤するわけではないので、いつどこに行っているかも分らないわけです。ですから出先で被災することもあるかも知れない。そうした時に自分が慌てないで、落ち着いて、そこで何ができるか、少しでもいい対応ができればいいなと思ったのです。
福和教授
自分の問題として感じられたということですね。今でも、神戸の復興支援コンサートを続けられていると伺っていますが。
竹下さん
はい、今年も行ってきました。わたしが宮沢賢治の童話を朗読したときにご一緒したピアニストの方が神戸で被災されて、その被災された方たちが「自分たちの手でみんなが元気になるようなことを始めよう」と実行委員会を立ち上げられた時から、一緒に何かできればということで参加させていただきました。99年からですから、もう13回になります。
福和教授
始めることは比較的誰でもできますが、続けるというのがすごく大変ではないですか。なんとなく風化してしまいますよね、色々なものが。
竹下さん
一番はもう、そこにいる人たちのモチベーションの問題ですよね。どうやって防災意識を保ち続けるか。震災を経験していない子供たちが、中学生、高校生、大学生にもなっているということからも、この体験を、記憶を、どのようにつなげていくかということがこれからの課題ですね。
福和教授
一昨年、伊勢湾台風50周年のイベントの時にも竹下さんが朗読をしてくださいました。実はその1ヶ月後ぐらいに伊勢湾台風と同じクラスの台風が来ましたが、このイベントのおかげでみんなが伊勢湾台風のことを思い出していて、本当にうまく対応できたのです。次の世代の人にその時のことをちゃんと伝えること、災害を語り継ぐというのはとても大事なことだと思いますね。
竹下さん
そうですね。復興支援コンサートの度に震災当時のことが鮮やかによみがえりますし、体験を持つ人たちの気持ちが1つになっているということが、ステージの上で朗読をしているわたしにも伝わってきます。日常では忘れさられているようにみえても、失ったものの悲しみとか、重みというのは決して消えてなくなるものではないということを、最近あらためて感じています。
福和教授
心配なのは、これから数十年後に地震が多発すると言われていることです。わたしたちの世代は、戦後の一番豊かなときに育って、意外と自然災害がない時を過ごしてきているんですが、今の若い人たちにはちゃんと神戸の教訓を伝えて、彼らが不幸にならないようにしておかないといけませんね。
竹下さんご自身でされている備えって、何かありますか?
竹下さん
家を新築した時に、家具類は極力作り付けにしました。ただ、災害に備えて、家族の避難用グッズをリュックに入れたのは良いけれど、数年ぶりに取り出してみたら子供たちの小さな下着が出てきて、タイムカプセルを開けたような思いを味わったことがありました。(笑)
それからは、すぐに持ち出さなければいけない物は手の届くところに置いたり、車のトランクの中に入れるようにしています。

福和教授
ダイビングをやっていらしたというお話ですが、ダイバーがよく使っているIDホイッスルはお持ちですか?この中に住所とか血液型とかを書いて入れられるようになっています。
竹下さん
わたしはまだ持っていません。
福和教授
僕はこの笛を家族全員に渡しています。生き埋めになって、息ができずに「助けて」って言いにくくなった時に、ピーッと吹くように。それに、クラッシュシンドロームといって、ずっと押さえ込まれていると、そこから毒素が出て血液に回ってしまうので、助けだされた後すぐに血液を替えないといけなくなりますから、中に血液型が書いてあるのが大事なんです。
竹下さん
そうですか。わたしはまだ持っていないので、お店に行って捜してみます。
福和教授
国民運動のサポーターとしてさまざまな活動をされていると思いますが、他の活動について少しご紹介いただけますか。
竹下さん
朗読会と、あとは日頃近隣の方たちと一緒に、自分たちの町を歩いたりして、防災意識をお互いに「忘れないでいようね」と。地域のコミュニティーもなかなか作りにくい時代になってきていますので、防災・減災をキーワードにして、ご近所同士のお付き合いができるのはいいことだと思っています。
復興支援コンサートはいつまで続けられるかわかりませんけれど、子供たちの未来のためにも、できるだけ長く続けたいなと思っています。
福和教授
国民運動のサポーターとして、これから多分やってくるであろう自然災害に対して、国民の皆さんにお伝えしたいメッセージがあればぜひ。
竹下さん
はい。自然というのは、もちろん豊かであって欲しいし、美しいですけれども、この冬の雪を見ても分るように、わたしたちの予測を裏切って、予想以上の出来事が起こるわけですよね。私は『北の国から』というテレビドラマで20年以上北海道の富良野に通って、自然の大きさ、驚異、人間の弱さ、もろさということを学びましたけれど、こうやって便利な生活になっていけばいくほど人間の弱い部分は忘れがちです。
でも、自然災害というのはいつ起こるのか分かりませんし、地震1つ取っても、近い将来必ず誰かが経験するわけですから、災害への心構えを、年長者が何度も口をすっぱくして語っていくことが大切だと思います。
学校でも防災教育というのが徐々に浸透してきているようですが、学校で終らせないで、「じゃ、いざというときはどうすればいいか」、「逃げる場所はどうするか」、「連絡はどう取り合うか」というようなことは、家庭で子どもたちと話し合っておく。ご近所づきあいの中でも、繰り返し話し合っていく必要があると思いますね。
福和教授
昔持っていた家庭の力とか、地域の力とかって徐々に弱くなっているので、もう一度それを復活させないといけないですね。
竹下さん
防災の訓練などに参加することで、わたしはその地域のつながりが見えてきた部分があります。また、家庭の力も、もう一度、減災・防災をキーワードに、太く作っていけるようにしていきたいなと思います。そういうふうに皆さん考えていただければうれしいですね。

撮影:相澤 正

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