東日本大震災(平成23年3月)
支援のヨーグルト腐らせる ~大変だった物資の配布~
気仙沼市 30代 男性 市民会館職員
インタビュー日:2012年9月23日
外勤中に東日本大震災に遭いました。揺れがすごく、立っていられなかったので、近くにいた3人とスクラムを組んで耐えました。揺れが収まり市民会館に戻る途中、信号もつかなくなりました。市民会館には既に住民が殺到していました。
ここを避難所として開設した後に、物資の配布方法が大変な作業となりました。班分けをして、リーダーを手上げ方式で決めて、それぞれの班にリーダーから食事を配布してもらうことにしましたが、実際に組織化は難しかったです。
支援物資のヨーグルトが650人にいる避難民のところに100個しかなく、全員に配布することができないので、結局腐らせてしまうということも経験しました。2日後には、人数分の食料が届いたので助かりましたが、物資の配布は今後も大きな課題となりそうです。
「現状はどうなってるのか」、という問い合わせも多数ありましたが、こちらでも確認できずに対応ができませんでした。私自身も携帯がつながらなかったので、家族の安否さえ確認できませんでした。1週間後にやっと東京にいる兄弟と連絡が取れ、父が亡くなったことを知らされたのです。きっと無事に避難してくれているだろうと思っていたので、このときばかりはショックでした。通信手段が閉ざされ、家族安否ができなかったことは一生忘れられない事実です。
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