東日本大震災(平成23年3月)
消防団、はんてんの重みでみんな集まる~「助かった」の声に救われる~
宮古市 50代 男性 消防団員
インタビュー日:2012年9月9日
青年団はなくなる、婦人部はなくなる、漁協の青年部だって縮小してきて、地域の任意団体がだんだん少なくなる中で、消防団はまだ組織的に動けるので、その地域でのいろんな役割をみんな包括的に補うようになってきているんです。お祭りのために出なきゃなんないとか、本当にこれ消防と関係あるんだべかなというようなものまで駆り出されたりしている。仕事を休めば一銭も入ってこない人もいるんですが。
でも、消防団員という立場ではんてん着てる以上、責任を感じねばならない。特に責任者とかなると、より自由がきかない。自分から先に家族の安否を確認しに行くわけにいかない。このはんてんを着たら、多少の怖さとか言っちゃいけないと。みんなが逃げるのを見てから、最後に行くのが自分の役目だったと思ってたから、嫁さんには「父さんが(地震直後に地元に)いたら死んでいますよ」と言われてる。隣の消防分団長の家族が亡くなっているのを知らないで、様子がおかしいのでどやしつけてしまったりもしたし。
大きな余震で津波が浸水する恐れがある地域に車を入れないように国道を閉鎖したら、消防団にはそんな権限はないので通せと言われた。でも、もうああいう光景は見たくないんで、通しませんって頑張ると、警察は消防団に任せるって、ちぐはぐなこともありました。火災が迫ってきて、夜、避難させるのはかえって危ないと、権限はないけど勝手に判断して、一軒ずつ回って避難を呼びかけたりもします。
救いは、住民の人たちに、「消防団のおかげで助かった」とか、「おかげさんだ」って言われること。だから、こうやって続けていれる部分もありますね。
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