東日本大震災(平成23年3月)
山の農家がすぐ炊き出し~おにぎり受け取り海側の避難所へ~
宮古市 30代 男性 市役所職員
インタビュー日:2012年9月10日
私は、田老地区の総合庁舎にいたのですが、津波はやばいと思って山に走って逃げました。津波が落ち着いてきて、庁舎に戻ってからは、避難している人たちの対応をしていました。
夜になって食料がないということになって、3人1組になってしょいかごを持って、山のほうの地区の人たちに食料を分けてくれないかということでお願いをしました。
また、川井(かわい)地区や新里(にいさと)地区では、こういう状況だと大変だということで、婦人会などでおにぎりをつくって用意してくれていました。集会所のガス調理器具を使って、お米を炊いて、塩おにぎりをにぎってもらって、それを私たち職員が3人1組で海側の避難所に配ってまわるということを、朝3回、昼3回、夜3回という形で、3日間やりました。
地域防災計画では、日赤奉仕団で炊き出しをすることになっていて、釜もガスも旧地区ごとに持っていたのですが、合併後に市役所に集めて点検、整理して、元に戻そうと言っていた矢先に、被災して流されてしまっていました。
でも、農家には、米が最低3年分あることを知っていましたので、寄せ集めれば何とかなる、と思っていました。避難者の数を把握すれば、後は何とかなると思い、避難していると思われる場所に職員を派遣して人数を把握していきました。明日、何時までにいくつ欲しいと伝えれば、後は作ってくれる。後は誰が運ぶかで、夜通し運んだりもしたところもありましたね。
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