東日本大震災(平成23年3月)
広域合併先の事務所で被災、食料配りで3週間~職場では1週間「行方不明」扱いに~
宮古市 60代 男性 市役所職員
インタビュー日:2012年9月10日
私は、日ごろの勤務地ではない山間部にある川井(かわい)総合庁舎で被災しました。3月末に退職でしたので、その日の夕方から送別会が予定されていました。職場の仲間は、私が移動している最中に津波に遭ったのではないかと、随分心配したそうです。そんなこととは知らない私は、同じく山間部にある新里(にいさと)地区へ車で様子を見に行きました。しかし、海沿いの田老(たろう)地区とは全く連絡が取れず「全滅したのでは」と最悪の事態が頭をよぎりました。でも、山間部は無事なようだと判断し、食料の確保と配布にあたろうと、夜のうちに水道事務所に移動し、仮眠を取りました。
翌日は朝5時から食料の配布に出かけました。道路が寸断され、どこに配ったらいいのか戸惑う職員も大勢いました。こんなときに幹線道路が不通でも裏道を知っていると役立つものです。ルートを教えて、炊き出しのおにぎりや、水、ジュースなどを配ってもらいました。
結局、それから3日ほど水道事務所でダンボールを敷いて寝泊まりし、食料配りをしました。着替えなどもなく、寒いので川井地区の職員にジャンパーを借りました。それでも首回りから冷えるので、翌日からはネクタイを締め、更に上からタオルを巻いて働きました。
しかし1週間後にやっと市庁舎に戻ってみると、何と職場の黒板では「行方不明」扱いに。そのくらい、当時は連絡がうまく取れていなかったのです。
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