東日本大震災(平成23年3月)
宮古駅に止めた列車が災害対策本部~ライフライン完備で避難所より快適~
宮古市 50代 男性 鉄道会社職員
インタビュー日:2012年9月10日
津波で宮古市にある本社の1階が冠水し、業務に必要な電気も電話も止まり、暖房も使えませんでした。津波が引いて、さあどうしようかっていうときに、ちょうどホームに午後3時発の列車が出発しないで1両いたのに気付いたんです。ディーゼルなんで、エンジンをかければ電気がつくし、暖房がかかるんで、あっちのほうがいいからあっちで、ということで、列車内に災害対策本部を作りました。
ホワイトボードのでっかいのと、1冊のノートを持っていって、それで状況を随時、運行部とも1時間置きくらいに連絡をとりながらやっていましたね。何があったか全部、ノートに記録していました。
まず状況把握しろということで指示を出したんですが、南リアス線は釜石や大船渡の被害を見て「もうこれはもう鉄道だめかも」という声が幹部からも出てしまうなど、かなり動揺があったので、本社から総務課長を送り込んで「まずとにかく少しでも動かすことから始めよう」と態勢立て直しを図りました。
社員は全員無事でしたが、家が完全に被災している者は帰らせて、内陸側で何ともない社員が中心になってとにかく早く動かすという方向でやりました。自宅待機でいいと指示した常務員も、遠くから自転車で通勤してきていました。
停電だった1週間近くは、列車の中の対策本部にずっといました。電気が通じた時点で、これで助かったっていう感じで本社に戻ったのですが、下手な避難所にいるよりはずっと快適でしたね。
thh25007