「建設業の父、広島から被災地へバスユニット」

阪神・淡路大震災(平成7年1月)

建設業の父、広島から被災地へバスユニット

(神戸市 20代 男性)

阪神大震災当時、小学生だった僕が住んでいたのは広島県の岡山県県境に近いところでした。あの日は、震度3とされたのですが結構揺れたので、飛び起きて、そんな大きな地震は初めて体験したので目がさえて、その後じっとNHKのテレビをこたつで見ていたことを覚えています。

地震から2週間後、親が建設業をやっていた関係で、バスユニットを救援物資として運ぶことになりました。あとで親から聞いたのですが、1.5トントラックの荷台に積んでいったところ、鉄道の高架をくぐる際に引っかかってしまい、タイヤの空気を抜いて車体をちょっとだけ低くして通ったそうです。そして、そこを抜けたら、一面の焼け野原だったとも。

「もうとにかく大変なことになっているよ」というのをずっと聞かされていたし、一生懸命人のために働いている親の姿を見ていたので、小学生のぼくにも、防災とかボランティアというのがいかに大切かということが理解できたのです。

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