平成17年度 防災とボランティアのつどい


発言録を公開しました

1.開会・オリエンテーション

大臣あいさつ

・皆様、おはようございます。防災担当大臣の沓掛です。小泉総理より「永年防災をやってきた人間だから最適だから、一つこれからの防災をやってくれ」「最大の課題は防災である」といわれた。
・建設省で30年、国会議員20年間も防災関係の仕事を中心にやってきた。戦後から生き字引のように詳しく防災のことを知っておりますので、活用していただきたい。
・まずは昨年の台風14号水害や昨年来の記録的な大雪でご苦労されている皆様にお見舞い申し上げます。ボランティアの皆様の真摯なご活動に対しまして深く敬意を表しますとともに、政府を代表して厚く感謝を申し上げます。また、防災ボランティア活動に興味を抱いて、ご多用の中ご参加いただいたかたも多数おられると思います。併せて本日のご参加に感謝申し上げます。
・災害時のボランティア活動は、円滑かつ迅速な災害対策を実施していくうえにおいて、なくてはならない役割を果たしていただいており、さらに不安定な生活を余儀なくされた被災者のかたがたの心身両面における大きな支えとなっていただいております。
・1月17日が「防災とボランティアの日」、その前後の1週間が「防災とボランティア週間」であり、平成8年より「防災とボランティアのつどい」を毎年度開催して、ボランティア活動の理解と交流の促進を図っている。
・阪神・淡路大震災は、政府の災害対策にとっても大きな転機となりました。政府としても全力を挙げて救援と復旧・復興に取り組んでいるが、近年の防災ボランティア活動が政府の手の届かないところで目覚しい進展を遂げている点は、高く評価されるべきものであり、その活動の重要性の理解も一層広がったものである。
・一方その中で、ボランティア活動の安全確保などの課題も明らかになっており、昨年4回開催した「防災ボランティア活動検討会」におきましても、課題の指摘や改善に向けた具体的成果を頂いている。 ・本日の「ボランティアのつどい」において、ボランティアの皆様がたの交流が一層促進され、課題や提案を含む議論が深まれば幸いです。また皆様がたの日々の活動がさらに力強く推進されることを祈念いたしまして、あいさつとさせていただきます。
・戦後の日本では台風などの災害があったとき、地域で対応をしていた。 ・昭和34年9月の伊勢湾台風の被害から、防災は地域を守る重要こととして認識され、平成7年、阪神・淡路大震災では、個人を守らなくてはならない、一人一人の生命を守らなければならないという視点が取り入れた。
・国や地域の対応だけではなく、一人の生活、一人一人の命を大切にするには、何といってもボランティアが大切。ぜひ皆様のボランティアで中を埋めながら充実させていただきたい。
・今日一日が実りある日となりますことを祈って、ごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました(拍手)。

コーディネーターあいさつ

・昨年末からの大雪で100名以上が亡くなっている。災害は私たちを待たず、多様化、日常化、巨大化が進行していると思っている。
・次の来るべき災害に対して、私たちは防災体制や支援の仕組みづくりなど準備をしなければならない。 ・ボランティア活動は非常に重視されるべきだと思っている。
・ボランティアが大きく成長していくという意味では、顔の見える環境をつくりながら、そこでしっかり経験や教訓を共有化していくことが欠かせず、この「防災とボランティアのつどい」は、そういった場として非常に重要だ。
・阪神・淡路大震災からの10年はボランティアの成長期であり、これからの10年間はボランティアの飛躍期、成熟期だろう。そのための大きな一歩をこの一日の議論の中で獲得できますことを期待している。

2.被災地からの報告(10:45~12:00)

■コーディネーター:室崎益輝氏(独立行政法人消防研究所理事長)
(事例)
 愛媛県新居浜市(平成16年台風19号ほか)
 兵庫県豊岡市(平成16年台風23号)
 宮崎県宮崎市(平成17年台風14号)
 山口県美川町(平成17年台風14号)

愛媛県新居浜市(平成16年台風19号他)

近藤氏(立川地区自治会長)

・立川地区は、愛媛県の新居浜市街地まで車で10分足らずの別子銅山のふもとにあり、山間に100戸ほどが散在し、70歳以上が100人を超えるほど高齢化した地区である。
・私が立川地区の自治会長になったのが平成11年で、この年に大雨が降り唯一の生活道路が寸断した。
・この経験と、25年ほど前の災害を体験したことから、災害から身を守ることとその対策を考えるようになった。
・まず、地区の現状をはあくするためにアンケート調査を行った。
・アンケートの内容は、家族の人数、緊急連絡先、避難時の支援の必要性などである。
・アンケートの結果、足の悪い人が多く災害に対して不安を持っている人も多いことがわかった。
・従来は公民館が避難場所であったが、地域の現状を考え、より近くにある観光施設を避難所として提供してもらえるように市に要請し、受諾してもらった。
・避難する方法や避難ルート、連絡手段も見直した。
・自治会からの避難勧告が空振りに終わってもよいかどうか、だれの判断に従うかについてもアンケートをとり、地区の声を元に方法を考えた。
・アンケートの結果、自治会長の判断に従うこと、空振りになっても早めに、明るいうちに避難することが決まった。
・消防団や市の消防と相談して、立川地区独自の避難勧告の基準を作った。
・避難勧告の基準は、上流にあるダムの放水量、時間雨量、降り始め雨量などのデータをもとに定めた。
・避難勧告も3段階にわけるという工夫をした。
・1回目は避難の準備を促す放送、2回目は自主的に避難を促す放送、3回目は避難勧告の放送で、ハンドマイクのサイレンを鳴らす。
・避難場所は、何度も回覧で周知を徹底した。
・各集落にいる防災委員を中心に、集落内の状況を確認し、情報を電話で連絡するようにしている。
・これだけの手順、作業ができるようになるまでには、反省会を繰り返しながら約3年かかった。
・平成16年の台風16号、21号では地域内で大きな土砂崩れがあったが、けが人がない結果となった。

永易氏(新居浜市社会福祉協議会)

・新居浜市社会福祉協議会では、平成16年度の台風16号のあった8月と21号のあった9月末に災害ボランティアセンターを設置した。
・この台風災害のセンターの活動について、「地域のために」という冊子にまとめた。
・8月のときには、地域住民は行政や消防団に対して「土嚢」を要求していたが、9月末には住民自らが土嚢を調達し、隣近所で土嚢を積んで、地域の中での助け合いが生まれた。
・阪神・淡路大震災の経験者や色々なかたのネットワークをいかして、大阪から夜行フェリーを使ってボランティア活動に来ていただく『ヘドロかきだしツアー』を実施した。
・ツアーには、地域外のネットワークだけではなく、地域内の高齢者やPTAの親子、中学生有志、高校生、聴覚障害者やさまざまな障害者も参加していただいた。
・ボランティアの総数は1万3112名、そのうちの半数が高校生であった。
・ボランティアの中には専門的な現地のアドバイザーとして、建設業協会、非番の消防職員にも参加いただき、作業のアドバイスをいただいた。
・8月より9月~10月の活動人数は減っている。
・地域で公民館や自治会館を拠点にした活動があり、道具だけセンターに借りにくるという形式があり、自然とボランティアの活動が少なくなった。
・10月の災害ボランティアセンター閉鎖3日後に、19の機関が集まり、災害ボランティア懇談会を開催した。
・懇談会は、災害復旧時にいろいろなかたと連携をさせていただいた証だと思っている。
・その後の復興への道のりとして、地域の中で憩いの場づくりや福祉施設でのボランティア活動など地域内でのボランティアをするようになっている。
・「新居浜災害を考える実行委員会」というのを関係者と立ち上げ、「8・18」「9・29」を防災の日として、その期間を防災学習月間という形で取り組むことになった。
・新居浜は「太鼓祭り」が有名であり「祭り文化」による地域の助け合い、ネットワークが生まれてきている。

コーディネーターコメント

・基本的には、日常的な地域のつながりや準備と、地域とボランティアの連携が大切だという報告だった。

兵庫県豊岡市(平成16年台風23号)

安田氏(豊岡市社会福祉協議会)

・豊岡市では台風23号により市街地は大きな被害を受け、生活の基盤となる家もすぐには住めるような状況ではなかった。
・何よりも、元どおりの生活を市民に取り戻していただくことを目的に豊岡市の水害ボランティアセンターを設立した。
・まずセンターを立ち上げて運営をしていくために、活動拠点に必要な資材、必要な資金を社会福祉協議会と行政が準備した。
・全国から災害救援に駆けつけたNGO、NPO、他府県の職員などの災害経験者が、素晴らしい働きをしてくれた。
・センターはいくつかの役割別にセクションを設け、各セクションは、NPO、NGO等の市民団体、要は応援部隊の皆さんに担当してもらった。
・センター開設時の最大の救援物資は、経験者の知恵だった。
・被災地入りした応援部隊と地元の協力団体、さらに行政の間で運営方針を調整するような場面も多々あった。
・本部が指示を出して動くピラミッド型の組織ではなく、柔軟な運営を心掛けるということを何より大切にした。
・現場判断を優先するために、センターの運営では各セクションの担当に権限を完全に委譲し、それぞれの担当で動きやすくするために考えて実行していく分権・ネットワーク型の運営を行った。
・知恵を結集して最大の力を発揮するためには、規則にとらわれない柔軟な運営が不可欠だと感じた。
・災害時におけるボランティア活動拠点の確保、緊急回線の確保など、行政が持っている権限などを生かして、救援活動がスムーズに行えるような運営基盤を社会福祉協議会、行政、協力団体が力を合わせて作り上げた。
・行政がよりどころとする防災計画といった法的な整備が、今後充実してもらえるよう期待したい。
・被害の大きな地域にはサテライトを設置することによって、ニーズを聞いたその場でボランティアを被災者宅に派遣することができた。
・豊岡市は近所で助け合う習慣が残る田舎町であり、地元のニーズを網羅した自治会長やキーマンによる道案内によって、復旧作業が効率的にできた。
・外部からの支援がどれほどたくさんあっても、地元の住民が協力なしには支援活動はできなかったと思う。
・本部で受付作業などをすることなく、団体バスで来たボランティアを直接サテライトに送り込むことができ、センターの混乱を防ぐことがた。
・被災地の必要な場所に多くのサテライトを設置し「ミニセンター」として機能することによって、市民の生活復興のスピードはこれまで以上に効率よく素早く作業を終えることができた。
・災害発生時、職員も消防隊も警察官も数が限られており、要請全てに対応することは不可能である。そのため、自らも対応できる自治会づくりの支援を、減災の視点からも進めていくことは必要ではないか。

馬場氏(兵庫県社会福祉協議会)

・兵庫県社会福祉協議会という広域の立場から、ポイントを絞り込んでお話をしたい。
・台風23号の時には、同時多発的に被害が発生したため、いちばん支援が必要な地域はどこか選定することが非常に大事なポイントだった。
・これからの災害救援を考えるうえでは、同じような災害の規模・状況を比較検討する際に、いままでの被災地の実例を検証する必要があるのではないか。
・豊岡市の災害ボランティアセンターは、3週間ほど設置期間であったが、行政が職員を常駐させたことがポイントだと思う。
・係長クラスの職員を1人災害ボランティアセンターに常駐で派遣した。そのため、行政にも災害ボランティアセンターの情報が入っていき、行政からの情報がボランティアセンターに入ってきた。
・豊岡市におけるサテライト方式は、これからの災害救援活動を担ううえでの一つの流れになってくるのではないか。
・一つの大きな災害ボランティアセンターだけではなく、地域展開をするうえでサテライトを地域住民とともに立ち上げていくということが大事ではないか。
・ボランティアセンターの運営では、朝昼晩、さらに適宜ミーティングをする中で、組織内での情報の共有を図っていった。
・定期的なミーティングの開催は、民主的な運営、及び災害ボランティアの意識疎通をはかる上では非常に重要である。
・水害については2~3週間の短期であり、土日にボランティアが集中するため、そのことを先読みしながら対策を練っていくという戦略が必要ではないか。
・地縁系の団体、テーマ系のNPO、行政が自助・共助・公助のそれぞれについて、役割分担しながら連携・協働のあり方・実例検証がこれからの大きなテーマではないかと感じている。

コーディネーターコメント

・柔軟な運営や現地サテライトなど、大切なポイントをご指摘いただいた。

宮崎県宮崎市(平成17年台風14号)

石田氏(宮崎災害復興支援ネットワーク)

・昨年全国のかたがたから「9・6」宮崎水害に対していろいろなご支援を頂き、この場をお借りしましてお礼を申し上げたい。
・MRS(宮崎災害復興支援ネットワーク)は、防災のことをやっているボランティアなどではなくて、この災害がきっかけになってできた団体である。
・風14号は、宮崎県内で、死亡13名、負傷者26名、床上浸水が1462、床下浸水が2919と、宮崎でも近年にないすごい傷跡を残した。台風14号にかかわる県内の被害額は1303億円であった。
・宮崎市内では、センター開設中約2週間近くでボランティアが7357人活動した。
・災害ごみの運搬、災害ごみの清掃、ちらし配布、託児、ホームページの作成などに関わった。
・宮崎市は災害の対策マニュアルをつくっていたが、地震対応マニュアルであり水害時の対応は準備されていなかった。
・当初は市役所にボランティアセンターを設置し、電話でボランティアを募集、ニーズ対応をし、派遣する方式をとっていた。
・被災した地域の電話が不通になっていたこともあり、ニーズ対応も遅くなることから、現地にサテライトをつくった。
・ボランティアセンター内の指示系統がきちんとできていなかったため、センターの役割分担、いつまでになにをやるのかルールがないなど、様々な問題が出てきた。
・今回の災害では、建設業協会や学芸員組合といった全く違ったNPO、団体との連携により活動が展開され、災害を通じて新たなネットワークができた。
・今年1月に合併した隣町の高岡町にボランティアを派遣しようにも、行政から正式な要請がないため動けないことがあり、行政区間のやり取りの中でボランティアがうまく連携できなかった。
・新興住宅地域では、自治会との連絡が取れず、ボランティア活動への対応がスムーズにできなかった。現場でうまく意見交換や情報交換ができれば、もっとスムーズな対応ができただろう。

初鹿野氏(宮崎災害復興支援ネットワーク)

・みやざき災害復興支援ネットワークの設立経緯は、ボランティアセンターが閉鎖後、地域のNPOやボランティアの特性を活かし、復興の支援を続けていくために発起人会を設立し、コーディネーターが活動を開始して参加団体の調整会が開催された。
・全く違うNPO、ボランティア団体が災害をきっかけに手を結んだことは、非常にある意味収穫であったと考えている。
・発起人になったのが、NPO法人宮崎こども文化センター、NPO法人宮崎文化本舗、NPO法人きよたけ郷ハートムで、石田は宮崎文化本舗、私はきよたけ郷ハートムのそれぞれ代表である。
・善意で物資を提供していだたいて、チャリティ・フリーマーケットを行った。
・1回目は小松地区で行った。2回目は高岡町で開催し、行列が百何十人できた。3回目は宮崎市に戻って行った。
・チャリティバザーではネットワーク全体で動いたが、我々のネットワークはモデルを示し、各地域で独自の活動ができてくることを支援できればと考えている。
・12月には「大掃除を行う前に」というセミナーを開催した。
・宮崎歴史資料ネットワークという学芸員のネットワークと組んで、水没したものを全部ごみとして捨ててしまうのではなく、大切なものをきちんと残す、片付けの質を上げていくことを目的に、水没した民俗資料を修繕する方法を学ぶ機会をつくった。
・フリマを行いながら、継続してニーズ把握のためにボランティアを派遣した。
・新しい組織の立ち上げ支援も行った。
・民間が、災害時にすぐに使えるお金を自分たちで準備しようという動きが起こってきた。自分たちでつくったCDの販売金を資金に積み立て、災害時に使える資金を確保していくことになっている。
・今後は、緩やかにつながっていくネットワークを続けていきたいと思っている。

コーディネーターコメント

・災害を契機にボランティアのネットワークが大きく広がったという話で、今の話でも「緩やかな」とうことがすごく大切なキーワードのように思う。

山口県美川町(平成17年台風14号)

北川氏(清流レンジャー)

・台風14号の台風の時に、テレビの中の出来事にしか思っていなかった災害が自分の住んでいる町で起こったことにとてもショックを受けた。
・防災無線の呼びかけを通して、被災されたかたの途方に暮れる姿を見て、一日も早く元の生活ができるようにとの思いでボランティア活動をしようと決心した。
・災害ボランティアセンターが9月9日に設置された。
・ボランティアセンターの意味さえ、また存在すら知らずにいた中で、ただひたすらかかってくる電話の対応に追われる毎日で、こんなことが被災者のために役立っているのかと疑問に思うこともあった。
・ボランティアセンターの運営に関わる中でたくさんの人と出会い、現場で汗を流して活動するだけがボランティアではないということに気づかされた。
・地元で仕事をしており地理にかなり詳しいので、ニーズが上がってきて地図を起こすときに役立ったと思っている。
・何よりも被災者のかたの立場に立って考え、行動するように努めた。
・9月19日で災害ボランティアセンターが閉所になったが、私たち地域住民にとってはこれからが始まりだという意識があった。
・社会福祉協議会を中心に地元の人たちとともに復興へのお手伝いをするグループを立ち上げることにした。これがボランティア戦隊清流レンジャーである。
・何もかもが初めてで、ボランティアグループの代表になることにすごく戸惑いを感じながらも、自分たちが住んでいる町だから、自分たちが復興していかないといけないという言葉に支えられて代表になった。
・災害ボランティアセンターの閉所後には、各地から寄せられた支援物資を、被災者の心のケアをしながら満遍なく配布した。
・この災害を通じて、たくさんの方々と出会うことができ、ボランティアの活動が支えとなって復興が進んでいると思っている。
・今後の課題としては、高齢者ばかりの町なので、今度いざというときのために、やはり地域との協力、地元住民との協力をもとに災害を乗り越えていきたいと思っている。

コーディネーターコメント

・ 災害直後のボランティア活動だけではなくて、災害後に次の災害に備える、もっと大きな意味でいうと、住みやすい社会をつくるために、ボランティア活動を維持・継続させていかれた取り組みの話であった。

質疑応答

Q1 豊岡市の報告で紹介された「現地サテライト」の設置ですが、もう少し詳しく教えていただきたい。

■ANSWER:安田氏
・サテライトは、自治会単位にそこの自治体会長さんのお宅や公民館に設置した。
・サテライトというよりもミニセンターといったほうが分かりやすい。
・コーディネーター、地元の人間の情報を網羅した人間がいて、活動資材もまとめて準備し、そこにどんどんボランティアを送り込んで、現地でニーズを聞いて直接現地で派遣、解決といった形で進めた。

■ANSWER:馬場
・土日にボランティアが数千人来るということが予想され、40~50台の大型ボランティアバスを停める駐車場の確保が問題になった。そこで、ボランティアセンターで受けるのではなく、そのまま活動ができるサテライト方式をつくることになった。
・いったん災害ボランティアセンターで代表者のみ受付を行うが、バスに乗っているボランティアは降りずに、そのままサテライトに行ってもらった。
・サテライトは豊岡市内だけではなく近隣の市町にも立ち上げ、実質は近隣も含めた但馬という地域エリアの中での総合調整を図った。
・今回はやむにやまれぬ状況でサテライトを立ち上げたが、これからはこのサテライト方式で対応するほうが地域とも連携が図れるし、ボランティアセンターも混乱しないのではないか。
・新潟県中越地震の時にも川口町などでは、地域ごとに異なるニーズに対応するためにサテライトを立ち上げたと聞いている。

【コーディネーターより】
・サテライトには2つのメリットがあるという紹介だった。
・一つは地域との密着性、地域の実情を知っている人との接点をつくること、ニーズがすぐにとらえられ、対応できること。
・二つめは、ボランティア受け入れの効率性をあげるため、ダイレクトにボランティアを受け入れていくというシステムとして機能した。

Q2 立川自治会の会長さんにお伺いしたい。体制が整うまで3年かかったといわれたが、その3年間の会合の回数や、専門的なアドバイスを受けた内容など、その経緯のようなことを詳しく教えていただきたい。

ANSWER:近藤
・専門家のかたは、ほとんど呼んでいない。 ・立川地区は自治会の委員会があって、毎月1回各地区の代表者が17人ほど集まり、「街灯が切れた」「裏の石垣が崩れそうだ」「水がわいている」など地域の情報を持ち寄って、自治会が対応するようにした。
・立川地区では道路も電気も立川に供給されている線は1本しかなく、それを守るために対応策等が進化していく過程があり、災害の度に色々な智恵が出てきた。
・アンケートの設問に伝えておきたい情報を入れることで、周知をはかった。
・立川地区の危険な要素、避難しなければならないことを徹底した結果、避難率が90%を超えるようになった。

【コーディネーターより】
・コミュニティが日ごろから非常にしっかりしているかそうでないかによって随分違ってくる話である。
・日常的にしっかり自治会活動をやられていたことが、次のステップにつながったのだろう。

Q3 美川町のスライドの中に、ボランティアがいよいよ帰るというときに、「無事に帰っていただきたい。そのためにうがいをしてください、手洗いしてください」といった立て看板があった。非常に素晴らしいノウハウなので詳しく聞きたい。

ANSWER:藤本
・初回はうがい液が大変不評で、うがい自体を実施していただくことに非常に強い抵抗感があった。
・謙虚な気持ちで「皆さんの健康を守っていただきたい」ということ、「うがい液を少し薄めてでも必ずうがいをしてほしい」というコメントを入れて、お手紙のようにした。

Q4 みやざき災害復興支援ネットワークの活動の発端は災害ボランティアというグループが入っていません。このような活動を続けていって、災害ボランティアと俗称されるグループとのつきあいも増えたと思うが、発想の違いといったもので何か感じられることがないかということをお伺いしたい。

ANSWER:初鹿野
・学芸員から自分たちでネットワークを立ち上げたいという相談があって、どうやっていったらいいのだろうというのが事の発端だった。
・セミナーは、単純にこの写真をこうすれば元に戻りますというハウツーのセミナーではなくて、被災した人がこの思い出を残すことが復興にどう価値があるのかを伝えるセミナーとなり、非常に感動した。
・われわれネットワークは、動物保護系、河川環境系、地域福祉、子育てなどの異種のNPOが集まっており、「それぞれの得意分野をいかそう」というのが合い言葉であり、その方が楽にいろいろな視点で情報が集まってきて、ニーズにこたえやすい。
・復興を支えていくという共通の目標ができたことで、それぞれNPOの主張が反発することにはならなかった。

ANSWER:石田
・先ほど初鹿野が「緩やかなネットワーク」と言いましたが、がちがちにして災害復興ということだけでやっているのではなく、平常時のネットワークをいかし、非常時、災害時に短時間で力を発揮していくためにつくった。

Q5 立川地区では「足が悪い」というような個人情報を自治会で管理されたのでしょうか。また、避難対応について詳しく聞かせてください。

ANSWER:近藤
・アンケート調査では、「秘密は守る」ことはきちんと明記した。
・情報は自治会長、婦人部会長、副会長の3人が把握することを伝え、もし嫌であれば書かなくてもかまわないことにした。
・情報も災害に関してのみ使うことにし、回収率は100%となった。
・地区には車が入らない家もたくさんあり、まず足の悪いかたがどれほど知る必要があった。
・その人たちの介助方法を考え、優先的に応援するようにした。
・避難放送を流してからの対応、介助などは何度も繰り返して、形になった。

【コーディネーターより】
・要援護者問題は問題になっているが、基本はコミュニティの信頼関係をしっかり築いて、そのうえで情報共有ができているのだと思う。
・アンケートが100%回収できるのはどこでもそうはいかない。

Q6 みやざき災害支援ネットワークにお聞きしたいのですが、いろいろな経験の中から素晴らしい組織ができ上がって確立されたわけですが、柔軟な対応をする中で、民間の災害基金を設けたというお話を聞きました。その辺の募集の規模や、どういった形でうまく利用できたのか、その辺をお聞かせいただければありがたいと思います。

ANSWER:初鹿野
・演奏には手が命なので現場に行けないが、なにか手伝いができないかという宮崎にいる津軽三味線の家元から相談があった。
・得意分野をいかすために、歌と津軽三味線で貢献することにし、まずコンサートに被災者のかたがたを招待することにした。
・同時に、CDを一枚2000円で発売し、そのうち500円を基金として積み立てることにしまし、この500円は今後起こるであろう災害に備えていきますということをPRした。
・大切なのは、集まった基金の使われ道をきちんと公開する透明性を担保しなければならないこと。
・管理はネットワークの事務局が担い、使い道の管理は、弁護士や新聞社の文化部長、外国人大学の先生、家元などが委員となり、その委員が協議して使っていくことにした。

【コーディネーターより】
・私はいつもボランティアに何が必要かと聞かれたときに、1番は心だと言っているのですが、2番は金だと言う。
・心と金があればボランティア活動ができる。そういう意味で、ボランティア基金の問題というのは非常に重要な問題で、このボランティアのいろいろな集まりでも常に議論されるところである。

Q7 地域防災計画に明記されていないと、災害が起こったときにボランティアが動いても、その資金や活動の拠点、物資をそうするのかはっきりしておりません。できればふだんからやっておきたいのですがなかなかうまくいっておりません。その点のご苦労話を聞かせていただきたいと思います。

ANSWER:安田
・豊岡市の場合、センターの場所は行政との調整により、何とか場所を貸してもらった。
・資金は、ニーズにこたえるために後日精算にして、必要な資材購入をしていった。
・豊岡市の公式ホームページ上にセンターのウェブサイトをつくり、豊岡水害ボランティアセンター運営資金の口座を設置した。この募金設置により全国からかなりの金額の協力が得られ、活動資金に役立てることがでた。
・県共同募金会、県社協や各社協からの基金で調整がでた。

ANSWER:石田
・宮崎市では地域防災計画の中に「災害ボランティアセンター」が位置づけられていたが、まったく市民も知りませんし、私たちも知らなかった。
・領収書の宛名をどうするのかさえも誰もわからなかったが、「そのうち何とかなるだろう」と判断し、物資を購入した。
・最終的には市の組んだ補正予算で調整した。
・当初センターの設置を決めるために社協と行政とボランティアが集まり、宮崎市役所の横にあるNPO支援センターの中に災害ボランティアセンターを立ち上げることにしたが、被災した現場は電話が使えず、対応もできないと判断し、サテライトをくむことになった。
・社協、行政、ボランティアそれぞれの役割がはっきりしないまま動き出した。
・神戸、名古屋、新潟などからノウハウを持っていた人にも応援に来てもらったが、当初はそういった方たちが活躍できないままの体制だった。
・混沌として中でなんとか動き、2週間で災害ボランティアセンターを閉鎖した。
・センター閉鎖後立ち上げたみやざき災害復興支援ネットワークのメーリングリストには社協も入っていただき、生活弱者を重点的にサポートしていただくことになった。
・社協でも対応できない人たちは、民間で余力があればお手伝いをするようにした。
・一方で社協からフリーマーケットの場所を提供いただくなど協力もあり、行政、社協の行き届かないところは、情報共有し、きちんと民間でサポートできる関係がいまできつつある。

コーディネーターより午前の部の総括

・今回は問題点と、その対処法としてボランティアセンターの運営、資金確保など非常に参考になる話が出てきたように思う。
・4つの事例をお聞きして感じたことは3つある。
・1つは、日常とのつながり。災害前の日常活動、災害後の日常活動の両方が必要であり、日常生活のリズムの中に「防災ボランティアの仕組み」を組み込むことが重要だろう。
・2つめは、人や組織とのつながりの作り方、つながり方の重要性。これはボランティア活動を行う際に、「コミュニケーション」「情報共有」「コーディネーション」の3つの相互信頼の問題と、「コオペレーション」という共同運営という問題、最後に「コラボレーション」という一緒に汗を流す3つの要件が必要になるだろう。
・社協、行政、NPOなど違った立場の人たちが集まることにより力になるような運営方法、違いがあるからこそ力になる運営方法を考えるための智恵がたくさん出てきたように思う。
・3つめとしては、ボランティアにとって、「心」「物」「場所」「金」「知恵」などいろいろなキーワードが出てきたが、「もの」「資金」などを動かしていくには「知恵」が必要だということである。 ・「知恵」というのは経験を積み上げ、ボランティア全体で共有していくことが重要で、そのためのしくみや取り組みは大事だと思う。
・一度災害を経験したところは強くなるが、未経験のところにその経験を活かしていくことが重要だと感じた。 ・今日は素晴らしいご報告をしていただきましたことに感謝しまして、私のまとめに代えさせていただきたいと思う。
・避難放送を流してからの対応、介助などは何度も繰り返して、形になった。

内閣府(災害予防担当)